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全年代 > 17世紀 > 1640年代(寛永~正保~慶安)

長崎丸山(花街跡の碑)日本三大遊廓の一つでした。

丸山町の東側。料亭杉本家跡(現・料亭青柳)の近くに、長崎丸山花街跡の碑があります。

丸山は、寛永19年(1642)年、幕府の命により、長崎奉行所が長崎市内に散在していた遊女屋を1ヶ所に集め、公認の遊廓をつくったことにはじまります。

丸山は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊廓の一つでした。

丸山とは、丸山町と寄合町をあわせた花街の総称です。L字型の町域でした。現在の丸山公園のあたりがL字の角の部分にあたり、ここから丸山町は東に向かって、寄合町は南に向かって傾斜を持って形成されていました。

門前仲町(雲光院)吉原の創始者の墓があります。

三好二丁目の雲光院。

門を入ったすぐ右手に、庄司甚内の墓があります。*1

庄司甚内は、吉原の創始者です。江戸の発展を見て、京都や大阪と同じように遊廓をつくることを、慶長17年(1612年)に幕府に申請、元和3年(1617年)に許可を得て、現在の東京都中央区に遊里を建設し、吉原花街を開設しました。*1*2
吉原は、明暦3年(1657年)に消失し、浅草千束村に新しい遊廓がつくられ、これを新吉原と称しました。

庄司甚内は、正保元年(1644年)69歳で没し、雲光院に葬られました。

【参考文献】
*1 江東区教育委員会:江東区の歴史(江東区教育委員会,1976)P.137
【参考記事】
*2 風俗散歩(人形町):元吉原(2005.11)