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神田明神下(神田川本店)かつての花街のころの雰囲気が残っています。

神田明神下の南側の一画にある神田川本店。美しい黒板塀のある老舗料亭です。

創業は文化2年。代々受け継がれている辛口のタレは、江戸幕府の賄い方だった初代が万世橋の際で開いたときからのものだそうです。*1

神田川本店の裏手の路地。このあたりは、かつての花街のころの雰囲気が残っています。

現在は、神田川本店の倉庫となっている一画。

参考文献

*1 交通新聞社 散歩の達人 No.179 2011
老舗の味わい方
P.23-P.24 創業文化2年 明神下神田川本店(うなぎ) 空間もさることながら、神田さんが一番大事なもの…

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神田明神下(開化楼跡)高楼がそびえたっていました。

長崎丸山(出島)丸山遊女のみが出入り。女中部屋。

出島は、鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。1
出島の表門には、「傾城(けいせい)之外女入事」(遊女以外の女性は、出島に出入りしてはならない。)と書かれた立札があり、厳重な警備がしかれ、出入りできる者はごくごく限られていました。つまり、女性としては丸山遊女のみが、日常的に外国人と接することができたわけです。丸山遊女の存在により、西洋の近代文明は、いちはやく市中に広まり、同時に、日本という国の具体的な姿が遠い西洋に紹介されました。
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カピタン部屋は、オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用された出島で最も大きな建物です。1
1809年に渡来したカピタンのブロムホフは、遊女「糸萩」を出島に呼び入れ、糸萩は、1812年に女児を出産しました。
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カピタン部屋には、女中部屋が再現されています。

女中部屋は、遊女たちが使用する部屋でした。

【参考文献】
*1 長崎さるく:「出島」パンフレット
*2 白石広子:長崎出島の遊女(勉誠出版,2005)P.5,P.20,P.52,P.93