-全国 東京都 > 台東区 浅草二丁目

1884年(奥山の店舗、六区へ立ち退き)浅草

これまで浅草寺領の西側は、火除け地としてあけておかれ、「浅草田圃」と呼ばれ、農民が浅草寺から借り受けて耕作していましたが、東京府は、「府下公園経営のための財源地としての浅草公園拡張の施作」により、まず、この「浅草田圃」を埋め立てて、そこに新たな大池(のちの瓢箪池)を造り、その周辺に樹木を植えました。明治17年、この新しい造成地へ、奥山一帯にひしめき合っていた見世物小屋や店舗を造成地(浅草六区)へ強制的に移動させました。*1

参考文献

*1 堀切直人 浅草 江戸明治篇 右文書院 2005.3
浅草公園の誕生
P.182 維新期に明治政府の中枢を占めていた大久保利通は、欧米諸国を視察して回った際、西洋の都市はどこ…

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