明治36年に、浅草六区に、日本最初の活動写真の常設館「電器館」が開設されました。電器館は、当初は、電気仕掛けの器具類を応用した見世物小屋でしたが、後に、フィルムの配給受け活動写真の上映を始めました。見物人は下駄ばきで腰掛もない土間に立たされましたが、入場料の安さと、日露戦争(明治37年)後は戦況を知らせる実写映画が打てるようになったことで、客足が伸びました。*1
40年代になると、見世物小屋次々と活動写真館に転身し、三友館、大勝館、富士館、帝国館、金龍館などが誕生する。六区は日本一の活動写真街となり、新着洋画も、まず浅草で封切られました。*2