銀座(豊岩稲荷)銀座煉瓦街時代の名残

銀座七丁目に130年以上も前の煉瓦街建設のときにできた、最も銀座らしい路地空間がいまも健在です。*1

この路地は、煉瓦街建設のときにつくられたI型路地で、銀座通りや裏通りに面する通用口として機能し続けてきました。Ⅰ型路地を進むと、朱色に塗られビルの壁のところに豊岩稲荷があります。この稲荷は古くから水商売の人たちの信仰されてきました。*1

お稲荷さん。お供え物の油揚げは豊富です。

江戸時代初期からある稲荷神社です。

カテゴリ

信仰・寄進 銀座

参考文献

*1 岡本哲志: 銀座を歩く (学芸出版社,2009)江戸とモダンの歴史体験
P.40 130年以上も前の煉瓦街建設でできた、最も銀座らしい路地空間が銀座七丁目にいまだ健在である。この…

この記事を参照している記事

銀座(出世地蔵尊)三越屋上

銀座三越の屋上。

中央がお堂。左側に石像があります。

お地蔵さんは、現在の三越の裏手にあたる空地にあって、人々の信仰の対象になっていましたが、戦後になると、お地蔵さんは、キャバレー「美松」※1 の中庭につくられた祠に安置されました。ところが、昭和27年の秋に「美松」が火事に遭い、お地蔵さんは行き場をなくしました。昭和43年になってやっと安住の地を三越屋上に得ることができました。*1

お堂の中には、小さなお地蔵さん。

カテゴリ

信仰・寄進 銀座

参考文献

*1 枝川公一: 銀座四丁目交差点 (二見書房,2000)
P.232-P.239 銀座三越の屋上には、見逃すことのできない歴史が「鎮座」している。銀座出世地蔵。これこそ…

参考記事

目黒(比翼塚)目黒不動尊前

目黒不動尊前にある比翼塚。

江戸情緒「目黒比翼塚」と書かれた看板。

比翼塚は、白井権八と遊女小柴の来世での幸せを祈りたてられたものです。

とんかつ八千代※1 の名が刻まれています。

中野新橋(藤神稲荷神社)三業組合寄進の玉垣

中野区弥生町(中野新橋を流れる神田川の南側)にある藤神稲荷神社。

石碑には、戦前は、夜店等が出て賑やかだったことが書かれています。


中野新橋三業組合寄進の玉垣。

料亭「とんぼ」、料亭「寿楽」*1 でしょうか。

カテゴリ

信仰・寄進 弥生町

この記事を参照している用語

中野新橋

参考文献

*1 上村敏彦: 東京花街・粋な街 (街と暮らし社,2008)
P.184-P.186 以前は神田川沿いに紅灯が並び、三味線の音が聞こえていた風情も失われ、現在営業している料…

中野新橋(弁財天)マンション脇

花街の範囲は本町三丁目の2~11番地までと本町5丁目の2~6番地で、本郷氷川神社手前まででした。*1

本町3-8ー5のカーサアルハムブラマンション脇。

三業組合が信奉した悠池弁天社が建っています。

弁天社。

カテゴリ

信仰・寄進 本町

この記事を参照している用語

中野新橋

参考文献

*1 上村敏彦: 東京花街・粋な街 (街と暮らし社,2008)
P.184-P.186 以前は神田川沿いに紅灯が並び、三味線の音が聞こえていた風情も失われ、現在営業している料…

人形町(金刀比羅宮)新田新作

中央区日本橋中洲11−1にある金刀比羅宮。
江戸時代の明和8年(1771)に中流を埋め立て中洲ができ、天明7年(1787)に吉原が火事で焼けた後、ここが遊廓街となり大繁盛しました。*1

中洲の割烹が寄進した玉垣。

芳町芸妓組合。

元明治座社長の新田新作。
大相撲を廃業した力道山は、新田新作に引き取られました。*2

カテゴリ

信仰・寄進 人形町

参考文献

*1 大野光政: *江戸百景今昔 (本の泉社,2009)江戸を楽しみ、大正を知り、現代を歩く
P.38 両国橋から大川を南へ下ると、新大橋の下流に大きな洲があった。南西には富士山がそびえ、その下に…
*2 大下英治: *力道山の真実 (祥伝社,2004)永遠の力道山
P.38 プロレス王として力道山の海の親となる一代の侠客、新田新作と出会ったのは、昭和23年5月、小結に昇…

この記事を参照している記事

蒲田(御園神社)ホテル王城寄進の玉垣

西蒲田7丁目にある御園神社。

玉垣に蒲田の地元企業など寄進者の名前が刻まれています。

元東京都知事の石原慎太郎氏。

ホテル王城。
ホテル王城は、当時でも数少なかった回転ベッドを備えた昭和のエロスが色濃く漂う老舗ホテルでした。*1
現在、ホテル王城は、別のホテルに建て替わっています。

カテゴリ

信仰・寄進 蒲田

参考文献

*1 鉄人社: *東京裏地図 (鉄人社,2007)裏モノJAPAN8月号別冊 行かなきゃ損する都内B級スポット200選
今でではすっかり見ることのなくなった回転ベッドを、今でも楽しめることができる。ベロアの貼られたカベ…

入谷~吉原(万治高尾の墓)春慶院

旧吉原遊廓の東側。台東区東浅草2丁目にある春慶院。

ここに、万治高尾の墓があります。

墓には、「万治」の文字が確認できます。

高尾太夫は、吉原の代表的名妓で、この名を名乗った遊女は十一人いたともいわれますが、いずれも三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女でした。(案内板より)

カテゴリ

信仰・寄進 吉原

この記事を参照している用語

吉原遊廓

幕張(樋ノ口弁財天)地元歌手の中村晃子が再建。

国道14号(千葉街道)の鷺沼1丁目の交差点にある樋ノ口弁財天。後ろに見える煙突は銭湯の鷺沼温泉※1 です。

樋ノ口弁財天は、歌手の中村晃子が再建したそうです。中村晃子は、1968年に「虹色の湖」にてレコードデビューし、80万枚を超える大ヒットを記録した地元出身の歌手です。生家もこの近くにあるそうです。

樋ノ口弁財天には、鳥居と祠の他に立派な庭園があります。大きく育った錦鯉が数匹泳いでいます。

周囲は住宅街です。

道後(道後稲荷神社)大阪南地寄進の玉垣

道後温泉駅前にある道後稲荷神社。

百度石。

大阪南地が寄進した玉垣。
南地は、1872年に指定された五花街(曽根崎新地、南地、新町、堀江、松島)の一つで、五花街のうちでも華やかで濃艶な花街でした。*1

他にも、料理屋が寄進した玉垣があります。

カテゴリ

信仰・寄進 道後

この記事を参照している用語

道後

参考文献

*1 大阪の近代: 大阪の近代 (大阪の近代,2013)大都市の息づかい
P.111-P.116 1872年に、大阪府は「所定箇所意外ノ遊所禁止」を公布し、遊所指定地は、曽根崎新地、南地、…

三鷹(八丁稲荷)ビル街の稲荷

八丁通り(武蔵の警察署の前の通り)から三鷹駅北口に至る一画は、スナックや飲食店が集まる八丁商和会*1 のエリアで、かつての特飲街があった場所※1 もこのエリアに含まれます。
周囲は、高層マンションや居酒屋チェーンの本社ビルなどが建ち並びます。

駐車場脇に、ひっそりと佇む八丁稲荷。

八丁の名が残る稲荷神社です。

特飲街の女性たちも信仰したのかもしれません。

カテゴリ

信仰・寄進 三鷹

この記事を参照している用語

三鷹

参考文献

*1 : 商店会会員一覧 (商店会会員一覧,) リンク
八丁商和会の会員とエリア(地図)

参考記事

鯖江(弁財天)弁天遊廓の名前の由来となった弁天様

鯖江市旭町2丁目にある弁財天(弁天堂)。
江戸時代中期に鯖江藩ができて、街道沿いの鯖江の町には、武士や用人たちをはじめ人々が集まり、町は栄えました。*1

やがて、清水の湧き出る弁天様の境内には、夜な夜な弁財天のような美しい夜鷹が出没し、賑わいだしました。すると、これは風紀上良くないと、そのわずか東の清水町の外れの今の柳町の一角に通称「弁天」と呼ばれる鯖江の遊女街が造られました。*1

弁財天の前は、「弁天パーク」と名付けられた駐車場のスペースになっています。

本堂。

カテゴリ

信仰・寄進 鯖江

この記事を参照している用語

弁天遊廓 福井 鯖江

参考文献

*1 三輪信一: 鯖江今昔 (鯖江今昔刊行会,1981)
P.159-P.161 廓まち「弁天物語」 江戸時代中期に鯖江藩ができて武士や用人たちをはじめ、本山参りの人々…

館林(初引稲荷神社)花街の関係者寄進の玉垣

肴町の花街の南端にある初引稲荷神社。玉垣には、花街の関係者の名が刻まれています。

大きな文字で「町子」と刻まれています。

料理屋の屋号が刻まれています。

芸妓屋寄進の玉垣。

カテゴリ

信仰・寄進 館林

この記事を参照している用語

館林

立町(紫稲荷大明神)本櫓町丁

戦後の本櫓町丁には、料亭、芸者置屋が六十軒も並び、花柳界の中心町としての面目を保っていましたが、それも徐々に減り、平成不況が廃業に拍車をかけ、面影は薄れました。*1
現在は、隣接する立町のラブホテル街がこの付近にも進出し、新旧が混在した町並みになっています。

本櫓町丁のかつの本材木町側(西側)に、紫稲荷大明神があります。

奉納額。

寄進者のほとんどは、接客業関係です。

【参考文献】
*1 河北新報出版センター:忘れかけの街・仙台(河北新報出版センター,2005)P.36-P.37

カテゴリ

信仰・寄進 立町

この記事を参照している用語

立町

湯田中(三社神社)湯田中新地の守護神

今回は、湯田中(長野県下高井郡山ノ内町)の町並みと風俗を散歩します。

湯田中新地の入口に位置する三社信者は、湯田中新地の守護神です。

祠脇の池の中央の石。

三社神社の西側に湯田中遊廓がありました。*1

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 長野県(東京交通社,1926)

カテゴリ

信仰・寄進 湯田中

この記事を参照している用語

湯田中

氷見(愛宕神社跡)町の中心部

氷見市街の丸の内。富山第一銀行氷見支店西側の交差点の角に、小さな公園があります。

ここは、かつて愛宕神社があった場所で、公園の隅には、小さな鳥居が残っています。

「愛宕神社跡」の碑。

この付近は、元「有磯新地」と呼ばた遊廓地で、大正期から昭和10年代にかけて多数の貸座敷や妓楼、料理屋などが軒を列ねて賑わいましたが、昭和13年の氷見町大火により罹災しました。*1

【参考文献】
*1 氷見市立博物館:写真にみる氷見の昔と今(氷見市立博物館,2003)P.30

カテゴリ

信仰・寄進 氷見

この記事を参照している用語

富山 氷見