銀座(路地の中の自動ドア)通り抜けできます。

銀座七丁目の豊岩稲荷※1 から煉瓦街時代のI型路地をさらに北へ向かいます。

突如、現れる自動ドア。

自動ドアには「通り抜けできます。」と書かれてあります。ドアを開けて中へ入ると喫茶店の店内に通じていて、その奥にまた自動ドアがあります。

銀座グリーン97のビル内に作られた銀座通りから裏通りに抜ける短いⅠ型路地。写真の左右方向に自動ドアあがあって、豊岩稲荷から続く古いI型路地と交差します。

築地~月島(西仲通り商店街)明治時代の埋め立て工事により出来上がった町

西仲通り商店街(もんじゃストリート*2)は、日露戦争後の人口に伴い、自然発生的にできたもので、道の真ん中に露店が出ていたのが特徴でした。*1
西仲通り商店街には、2階部分に昔ながらの屋号が残っている「看板建築」商店が残っています。*2※1

一歩路地に入ると、昔ながらの生活空間の雰囲気が残っています。

渡り廊下のある路地。

最近は、開発が進み、周辺は高層マンションが林立しています。

神田須田町(ビル街の路地)マンションの1階部分を貫通

神田須田町二丁目の「肉の万世秋葉原本店」の東側の一画。ビルとビルの間に、狭い空間があります。

生活用の通路となっているようです。

長い側溝。

マンションの1階部分を貫通しています。

金沢(暗がり坂)主計町へ下る坂

主計町事務所前の小路。少し進むと、「暗がり坂」の標柱があります。

暗がり坂は、久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)から主計町へ通じる小路で、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれています。暗闇坂ともいいます。(標柱の説明文より)

下り口にたっても下り着く先が見えない、変化に富んだ坂です。*1

暗がり坂は、現在は安心して通れる健康な坂となったので、「暗がり坂が明るくなった。」という嘆きも聞かれるそうです。*1

富岡(トンネル横丁)国道を抜ける路地

銀座通りから国道(254号線)へ抜ける路地。トンネル横丁と呼ばれていました。

沿道の建物が建て替わる前は、建物の庇が入り組んでおり、まるでトンネルのような路地を形成していました。現在も地元の方の重要な通りとして親しまれています。(案内板より)

横丁の途中にあった質屋の看板。

トンネル横丁を抜けた国道沿いには、木造三階建ての医院の建物。

大村(駅横のトンネル)遊廓街への通り道

大村駅の横に、人一人がようやく通れるほどの低いトンネルがあります。大村線開通の際、近在の篤志家の尽力により、交通の便をはかって作られましたが、武部地区が遊廓街として華やかなりし時は、人目を忍ぶ客の通り道になったともいいます。*1

トンネルの入口。

大人の背の高さでようやく通れるほどのトンネルです。

反対側の出口。

【参考文献】
*1 広報おおむら(1997.5)P.7

浅草(焼肉店の路地)ひさご通りの西側

ひさご通りの西側。喫茶ブラザー脇の細い路地を進むと、路地の奥には、焼肉屋や居酒屋が散在しています。

路地が交差するあたり。焼肉店が密集しています。

ビートたけしさんなどの有名人も訪れた店です。

ひさご通りへ通じる路地。ここにも焼肉店が建ち並びます。

綱島(東急線のガード)頭上を電車が通り過ぎます

綱島駅の南側。大網橋を渡って300mほどのところに、東急線のガードがあります。

人がようやく通ることができるほどの高さのガードです。線路の枕木が目の高さぐらいの位置にあります。いつかどかで見たような懐かしい風景です。

自転車に乗った通行者が通り過ぎていきます。

轟音をたてて、頭上を電車が通り過ぎます。

新富町(路地)飲食店の看板

新富町には、昔ながらの路地が残されています(新富一丁目)。

鰻屋のある路地の入口。以前はこの付近に待合がありました。*1

飲食店の看板のある路地。

風情のある木造母屋。

【参考文献】
*1 中央区火災保険特殊地図(戦後)新富町方面(1950,都市整図社)

麻布(元麻布の裏道)隙間的空間

元麻布二丁目の狸坂を下りきると、Xの形に道路が交差している場所に出ます。

2000年代に入り、麻布周辺は超高層マンションや大型複合施設による開発空間が多く誕生していますが、一方で、その袂に隙間的、裏道的と呼べるような空間も形成されています。*1

交差点から東へ延びる道には、緑が多い住宅街に混じって古い民家や隠れ家的な店舗、事務所などが散在しています。*1

交差点には、細い抜け道が合流しています。この抜け道を行くと、長屋の建物が連なる一画*2 に出ます。抜け道の隣には、高級住宅地の入口への通路があるので、これらも合わせると六叉路のようにも見えます。

【参考文献】
*1 横山 順一:専修人間科学論集. 社会学篇(2011.3)P.163-P.179「港区元麻布の「裏道」を生きる人々の活動実践への注目から」
【参考記事】
*2 風俗散歩:麻布(2013,9)元麻布の長屋

麻布(元麻布の長屋)高層マンションとのアンバランスな対比

元麻布の本光寺の南側に、古くからの長屋が連なる一画があります。
長屋と高層マンションとのアンバランスな対比が印象的です。

もう一つ北側の路地には、昭和の雰囲気がそのまま残されています。

生活感の漂う空間。

「押賣物貰ひ一切御断り」のホーロー看板。現在は、ほとんど見かけなくなりました。*1

押賣(押し売り)は、玄関に居座り、「買ってくれるまで帰らないからな」とバックの中からゴムひもや歯ブラシを取り出し、拒もうものなら、「おれは刑務所から出てきたばかりなんだよ」とすごみをきかせます。そのぐらいなら、買ってやろうかとも思いますが、それがべらぼうに高く、ゴムひもなどは、伸ばしながら測るので、1メール買っても80センチぐらいにしかなりません。押し売りが商売になっていた時代、考えようによっては、いい時代でした。*1
【参考文献】
*1 なぎら健壱:町の忘れもの(筑摩書房,2012)P.216-P.217

麻布(古川の東側の住宅街)風情のある木造母家

地下鉄南北線の麻布十番駅の東側に、古川が流れています。

古川の東側は、古くからの住宅街で、風情のある木造母家が建ち並んでいます。(写真奥に見えるのは、首都高速道路です。)

川沿いからさらに東側へ入ると、昭和の暮らしぶりを感じる住宅街が残っています。

袋小路になっている場所からは、銭湯の小山湯の煙突が見えます。

加古川(ベルデモール街裏の路地)梯子のある建物

ベルデモール街の裏の細い路地。長屋の建物は駐輪場として活用されています。

飲食店の建物の裏側にあたります。

折りたたまれた梯子がある建物。

どのようにして使われていたのでしょうか。不思議な光景です。

牛深(古久玉の小路)かつてこの近くに遊廓がありました。

牛深市街の北側の古久玉。道幅の狭い小路の入口にスナックの見えます。

古久玉は、かつて遊廓があった場所ですが、その周辺にスナック店が密集する一画があります。

現在は、住宅街となっている通りに、モダンな建物が建ち並んでいます。

逆方向から見たところ。ゆるやかな坂道になっています。

大津(トンネル路地)2階建ての長屋

薬局の建物にあるトンネル路地(ろーじ)。
この近くには、花街組合の建物がありました。*1

トンネルを抜けると2階建ての長屋が連なる路地が続いています。
この付近には、「松の家」「グリル花柳」「クラブ古都」「ニューコンパ」などのバーやクラブがありました。*1

路地は、コの字型に曲がって、元の通りへ戻ります。

路地の曲がり角のあたり。

【参考文献】
*1 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4

宮川町(ロージ)家の中に路地

家の玄関には何らかの形で土間がありますが、京都の家は、家の中に細い廊下のような土間が家の奥深くまで続きます。家の中に路地があるようなもので、「通り庭」「ロージ」「廊地」などと呼ばれています。*1
宮川筋の南側の西御門町付近は、ロージが密集するエリアです。

路地の使われ方で多いのは、自転車や原付を置くスペースとしての利用です。

上の写真の路地のすぐ隣にある路地。

隣は空き地となっていますが、路地は健在です。

【参考文献】
*1 山本良介:京町家の遺伝子(学芸出版社,2006)P.150-P.155

長崎丸山(銅座市場前の川)川沿いに連なる家屋

銅座町と船大工町の間を流れる銅座川。*1

銅座市場は、銅座川の上にできた市場ですが、市場の南西側の橋からは銅座川を眺めることができます。

川沿いには、建て増しを重ねた家屋が連なっています。

逆方向から見たところ。

【参考文献】
*1 下妻みどり:長崎迷宮旅暦(書肆侃侃房,2008)P.132-P.133

南千住(ジョイフル三ノ輪の路地」)新開地の名残?

ジョイフル三ノ輪(三ノ輪橋商店街)*1 を歩いていると、商店街の左右には何本かの路地があることに気が付きます。

商店街の左右に突如として路地が現れます。

このような幅の狭い路地もあって、ごみごみした雰囲気です。

石畳の路地。

大正4~5年頃、新開地(現在のジョイフル三ノ輪)に、銘酒屋街が出現し、数ヶ月後に「花柳界指定地」が取り消され、銘酒屋は突然姿を消しましたが、その後に移ってきた一般の住人は、建物を住居型に改造してして住みました。Aさんの家は、商店街の中程を北へ折れてすぐの幅約3メートルの横丁を入った2階建て6軒長屋の3軒目でした。二間間口の家のガラス戸をあけると、広さ三畳か四畳の土間があり、銘酒屋が使っていたころはここは畳敷きで、抱え娼婦の生活の場であり、表に面した入口から通る客を呼び込んだり稼業の場でもあり、隣室は、抱え主の居住空間で、娼婦接客の場所は2階でした。*2
【参考記事】
*1 風俗散歩(南千住):三ノ輪橋商店街(2011.4)
【参考文献】
*2 三木克彦:北奇譚幻の銘酒屋街(三木克彦,2004)P.5-P.6

川崎(商店脇の小路)料理店のプレート

川崎駅前の繁華街に、1軒だけ取り残されるように建っている商店。2階部分に、紙石鹸のレトロな看板が2つ並んでいます。

商店脇の路地は、昔のままの雰囲気が残された飲み屋街になっています。

もう一本北側の路地にも同じような飲み屋街。写真奥は、第一京浜です。

「料理店」のプレート。

羽田(七辻)日本一の交差点

大田区南蒲田二丁目に七辻(ななつじ)と呼ばれる場所があります。

「七辻」の由来は、7本の道路が交差した地点という意味で名付けられたものです。

交差点には、八百屋などの商店が建ち並んでいます。

七辻に信号機はありませんが、この交差点に交通事故はありません。「日本一ゆずり合いモデル交差点」と書かれています。

 

高知(旭町)ラビリンス旭

JR土讃線旭町駅で下車し、町並みを散歩します。旭町は、昔ながらの路地裏など、下町を感じさせる風景が残っています。
旭町駅近くのV字路。角のな建物は、昔は商店だったようです。*1

交差点の道の形そのままに建てられた不動産屋の建物。*1 まるで、船の舳先(船首)部分のようです。

旭上町の旭西部公民館の入口へ続く坂道と、写真右奥のV字路を含めると、五叉路ということになります。

その場所から約10m離れた地点から逆方向(北東方向)を見ると、こちらも路地が迷路のように入り組んでいます。*1
右側の路地は奥でさらに2叉に分岐していますので、それも含めると五叉路。まさに、「ラビリンス旭」です。

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.36-P.41

高知(上町五丁目の路地)共同の物干し場

上町五丁目の通りに面して路地の入口があります。

建物に挟まれた細い空間が続きます。

路地を抜けると、突然、広場に出ます。

ここは、共同の物干し場のようです。現在の町では、忘れ去られてしまった「共同空間」が現在も健在です。*1

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.41

大須(銭湯脇の路地)昔の雰囲気が残っている路地です。

仁王門湯の隣に駐車場となっている空き地があります。銭湯の煙突が見えます。

銭湯の脇は、路地になっています。

生活感あふれる路地です。

昔はこういう雰囲気の路地がたくさんあったのだと思います。

鶴見(国道駅)ガード下の駅

鶴見駅から鶴見線で一駅目の国道駅は、鉄道ファンに人気のある駅です。カーブを描いている鶴見線の高架下に駅の改札口があります。

トンネルのような独特の形をしています。

改札口は、木製です。

ガード下は、ここだけが昭和のまま時間が止まった様な雰囲気です。

船橋(山谷澪跡)海から魚を運ぶための運河の跡

国道14号線沿いにあるNTTのビルから少し南へ入ったところに、運河跡の入口があります。

運河跡の脇には遊歩道が続いています。

この運河跡は、澪(みお)と呼ばる川と海を結ぶ流路で、かつては海から魚を運ぶために利用されていました。船橋には、このような澪が数多くありました。12
せり出す母屋がアジアンチックです。*2

裏側の道路側から母屋を見たところ。

【参考文献】
*1 船橋市広報課:悠遊散歩道(船橋市広報課,1996)P.7-P.8
*2 散歩の達人(2001.10)P.12

渋川(寄居の小路)完璧な路地。

寄居の表通り。ここに路地の入口があります。

「東京サイハテ観光」*1 の中里さんは、この小路のことを「すぐに終わる短い道だが、トタンにモルタル、色もいいし、それにカーブもあり、ここには路地の要素がギュッと詰まっている。」と評しています。

スナック群は数年前に店を閉めましたが、そうと知らなければ今夜も店が開くと思うほどのそのままの状態です。*1

まるで文化財として保存しているかのようです。

【参考文献】
*1 中野純,中里和人:東京サイハテ観光(交通新聞社,2008)P.79-P.78

下関(新地西町の路地)食堂があります。

新地西町の奥まったところにある路地。理容室や米屋があります。

この路地を進んでいくと、営業中の食堂があります。

路地の雰囲気と調和した風情のある建物です。

コンクリート製の防火水槽でしょうか。凝った装飾がほどこされています。

久保(千光寺山)千光寺公園は、古くから景勝地と知られています。

今回は、尾道(広島県尾道市)の町並みと風俗を散歩します。
尾道公園の北側には、古くから景勝地として知られる千光寺公園があります。

千光寺のある千光寺山(標高136.9m)の山頂まではロープウェイで登ることができますが、今回は、歩いて登ることにします。風情のある坂道です。

山頂からは、尾道の町が見渡せます。奥に見えるのは、西瀬戸自動車道の新尾道大橋で、自動車道は、向島、因島を経由して今治(愛媛県)まで続いています。

千光寺山から下山し、国道2号線を西に向かいます。信号機に「楽天地入口」の表示がありますが、ここから海側へ(写真左側)行くと、久保の飲食街(旧久保遊郭)です。背後に見える山は、千光寺山です。

中書島(東柳町の路地)まるで迷宮のようです。

「きんせい」という名のビリヤード店。その脇に路地があります。

家と家の間の空間に屋根のある路地が続いています。

路地は、家の中を突き抜けて、通りに出て、その通りを越えた先に、さらに路地が続いています。まるで迷宮のようです。

路地はコの字型になっていて、ぐるっと回ると元の通りに出ます。家の車庫のように見えたところは、実は、通り抜けできる私有地の路地でした。

歌舞伎町(風林会館前)屋台が並ぶ路地

歌舞伎町のランドマークタワーと言われる風林会館の道を挟んだ対面に飲食店街があります。飲食店街といっても、一般の人は寄り付かないような雰囲気の区画です。

ベニヤ板でできた屋台が並んでいます。

屋台と屋台の間にドアが開けっ放しになっているトイレがあります。薄気味悪い感じです。

屋台の隣には飲食店が並らぶ狭い路地。

大宮(ソープランド街の路地)旅館があったところです。

ソープランド街の南寄りに路地があります。現在は、路地の両脇に旅館や風俗店はありません。

「北銀座通り」と書かれた街路灯があります。

昔、旅館だった建物。

山口旅館という名前の旅館だったようです。

六本木(狸穴坂)ロシア大使館の東側

六本木から飯倉交差点を過ぎ、ロシア大使館東側の狸穴坂(まみあなざか)を下ります。狸やムササビが住む穴があったと伝わることからこの名前がついています。六本木は以外と坂道が多いところです。小高い丘が多く山の手と呼ばれていることが納得できます。

明るい坂道を下ります。警備の警察官がいます。江戸時代、この付近は大名屋敷がありましたが、戦後は大使館の敷地に転用されました。

「ホテルアルファイン」と書かれた広告看板が電柱に貼られています。

昭和を感じさせる民家の佇まいがなんとも言えません。ここの電柱にも「ホテルアルファイン」の広告があります。