船橋(商店街の中の風俗店)仲通り商店会

仲通り商店会の南側と北側を結ぶ通路。

飲食店に混じって風俗店も営業中です。

中華食材や風俗店の看板が密集しています。

短い路地なので、反対側の商店街へ出れます。

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商店街 本町 風俗店(準備中)

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仲通り商店会

千葉(栄町)ソープランド跡

今回は、千葉(千葉県千葉市)の町並みを散歩します。
千葉都市モノレール栄町駅(写真左)の階段前に、7階建ての城郭のビル(写真右奥)があります。

1階部分には、石垣のデザイン。

「英国館」は、現在は閉店中です。

玄関付近。

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風俗店(準備中) 栄町

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千葉

上野(オオクラ劇場)

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。

以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。

この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。

2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。

浅草橋(料亭跡)

柳橋の旧花街跡。現在は、ビル街のなっていて面影はありません。

当時の料亭と思われる建物。

当時の住宅地図には、料亭「宮城」と記されています。

旧料亭の建物は、次々とビルに建て替わっていく中、当時の建物が残っているのは、貴重と言えます。

銀座(美松跡地)三越裏

現在の三越百貨店新館がある場所には、かつて大型キャバレーの「美松」がありました。

昭和15年(1940年)、まだキャバレーという言葉がなかった時代(当時はカフェーと呼ばれていた。)に、大阪で「赤玉」などをやって当てた榎本正・明三兄弟が、女給が何百人もいるような「銀座会館」「美松」などの店をつくり、東京中を席巻しました。*1*2

戦後も1946年に営業を再開し、戦後を象徴する名門キャバレーとなりました。

昭和37年、保証金の高騰を理由に突然閉鎖。その後、三越に売却されました。

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社交場 銀座

参考文献

*1 福富太郎: 昭和キャバレー秘史 (河出書房新社,1994)
P.47 関東大震災から昭和5年ころまでは、キャバレーという言葉はまだなく、すべてカフェーと呼ばれてい…
*2 福富太郎: 昭和キャバレー秘史 (河出書房新社,1994)
1940年 3月 キャバレー「美松」(榎本正。銀座三越裏)開店 1945年 8月28日 進駐軍特殊慰安施設協会…

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日本橋(老舗割烹)金ぷら

八重洲一丁目の繁華街。日本橋花街の雰囲気を受け継ぐ老舗割烹「嶋村」が現在も営業中です。

創業嘉永3年(1850年)の老舗です。

名物の金ぷらなど、昼のランチもあるようです。

年季の入った提灯。

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花街·花街跡 八重洲一丁目

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日本橋花街

日本橋(アダルトグッズ店)TENGAあります。

今回は、日本橋(東京都中央区)の町並みを散歩します。
八重洲一丁目の繁華街。1階に赤い看板の中華料理店。

アダルトグッズの看板。

1階の中華料理店と同じ赤い看板です。

TENGAあります。

高田馬場(グリーン企画跡地)ビニ本出版社

早稲田通りに面した場所に、かつてビニ本出版社として名を成したグリーン企画の入る雑居ビル「原田ビルマンション」がありました。*1

「原田ビルマンション」は、現在は、成城石井が入る巨大ビルに生まれ変わっていますが、当時の「原田ビルマンション」は、1階はやきとり屋や定食屋がのれんを出す庶民的な雰囲気で、二階に公衆浴場がありました。301号室にグリーン企画がありました。*1

70年代半ば、高田馬場の神田川に近いアパートの一室に創業したエルシー企画は、自販機本「Jam」を出版しました。*1
自販機本は、悪書として扱われ追放運動が行われた地域もありました。※1

グリーン企画は、その後白夜書房に発展。「写真時代」は赤瀬川原平さんの「路上観察学トマソン」などの連載もあり、大ヒットしました。*2

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売店 高田馬場

参考文献

*1 本橋信宏: 高田馬場アンダーグラウンド (駒草出版株式会社ダンク出版事業部,2019)
P.128 グリーン企画は、大手取次を通さず書店に持っていく「直販本」というヌードとエロ記事が載った雑誌…
*2 山崎一夫: 高田馬場の三馬鹿物語 (竹書房,2005)
「『白夜書房』の前身の『グリーン企画』って、確か『たぬ』の本店の近くの路地裏に、小さなお店をだして…

参考記事

日本橋(花街跡)横丁や路地に遊興の歴史

今回は、日本橋(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の八重洲一丁目付近は、江戸時代の市街造成期からの古い町並みです。明治維新後は、新時代を代表するような近代諸会社とこれと全く対照的な下町の商店や芸者屋・待合が奇妙に混在する町でした。*1

検番があったあたり。*2

旧花街の南端。「浮舟」は、昭和の初めからある老舗です。*3

日本橋芸者の起源は、安永6年(1777年)、平松町(現高島屋辺り)に芸者がいたことが、「妓者呼子鳥(げいしゃよぶこどり)」に書かれています。*2

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花街·花街跡 八重洲一丁目

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日本橋花街 日本橋

参考文献

*1 白石孝: 日本橋街並み繁昌史 (慶應義塾大学出版会,2003)P.11,P.27
P.11 日本橋の南詰から中央通りを高島屋・丸善の方向にむかった町々は、江戸市街造成期からの古い町であ…
*2 上村敏彦: 東京花街・粋な街 (街と暮らし社,2008)
P.105 日本橋芸者の起源は古い。「女芸者の時代」によれば、「妓者呼子鳥(げいしゃよぶこどり)」に、常…
*3 武揚堂編集部: あの日の日本橋 (武揚堂,2007)昭和25年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語)
付録地図(火災保険地図)に昭和初期の町並みの記載。 ・料理店「浮舟」

高田馬場(料理屋跡地)この一画の一番奥まったところ

高田馬場駅前のJR山の手線と西部線に囲まれた飲食街(旧柳小路)※1。
1960年代の頃、この一画の一番奥まったところには、アングラ芝居のバラック小屋がありましたが、その後、浅草千束をおもわせる料亭とバーの街に変身しました。*1

地元の方の話によると、この場所には料理屋の「海の家」*2があって、女性の接客のある店だったそうです。
現在は、1階に「DVD鑑賞」店が入っています。

夜になると、看板に灯りが灯ります。

神田川からみた飲み屋街方面。川と線路に囲まれた一画であることが解ります。
1950年代に特飲街が計画されたこの一画*3※1 は、高田馬場の歴史が凝縮された場所と言えそうです。

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花街·花街跡 高田馬場

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高田馬場

参考文献

*1 富田英三: 新東京百景 (スポーツニッポン新聞社出版局,1975)
P.100-P.101 《高田馬場》一級騒音地 騒音地なればこそ繁盛する、飲み屋に焼き鳥、ラブホテル 国電山…
P.15 現在の高田馬場2丁目19−8に料理「海の家」の記載。
*3 朝日新聞社: 朝日新聞 (朝日新聞社,1950.10.4)高田馬場に“湯の街”・地元や早大は大反対
国電高田馬場駅付近に、“湯の街”を作る計画が向島“ハトの街”の経営者らによって進められ、地元の向上や学…

参考記事

高田馬場(駅前の飲み屋街)“湯の街”計画跡地

高田馬場駅前。JR山手線(写真左)と西武線(写真右)と神田川に囲まれた一画に、小規模な飲み屋街が形成されています。
昭和30年頃の住宅地図*1 を見ると、この一画は、「のみや」「ぜんぶのみや」などと記されています。
昭和37年の駅前再開発※1 の後、数年間は「のみや」が残っていましたが、その後は、写真のような飲食店街兼高層マンションに建て替わり、立体化が進みました。

かつては、柳小路というしゃれた名前がつけられていたこの一画。1960年代までは、スラム街同様のドブ小路だったそうです。*2

話はさらに遡りますが、この一画に昭和25年(1950年)、特飲街を建設しようという話が持ち上がりました。*3
ちょうど大田区の池上の特飲街騒動*4※2と同じ時期に、高田馬場でも同様の騒動があったわけです。

夜の飲み屋街。

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赤線·私娼跡 高田馬場

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高田馬場

参考文献

*1 都市整図社: 火災保険特殊地図-戦後1新宿区全図 高田馬場方面 (都市整図社,年代不詳)
ガード下に「のみや」の記述。
*2 富田英三: 新東京百景 (スポーツニッポン新聞社出版局,1975)
P.100-P.101 《高田馬場》一級騒音地 騒音地なればこそ繁盛する、飲み屋に焼き鳥、ラブホテル 国電山…
*3 朝日新聞社: 朝日新聞 (朝日新聞社,1950.10.4)高田馬場に“湯の街”・地元や早大は大反対
国電高田馬場駅付近に、“湯の街”を作る計画が向島“ハトの街”の経営者らによって進められ、地元の向上や学…
*4 時事通信社: 時事通信 (1510) 時事解説版 (時事通信社,1950.11)世論にゆらぐ歓楽街――池上の場合
P.2241-P.2242 「池上特飲街付近」に、特飲街の場所の記載。 住宅地域に割り込んできた新しい”湯の街”特…

参考記事

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高田馬場(ホテル街)電柱看板

高田馬場の繁華街「さかえ通り」を100mほど進んだあたり。南側に細い路地があります。

卓球場の角に建つホテルの電柱看板。

この付近は、小規模なホテル街になっています。

逆方向から。

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ホテル 高田馬場

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高田馬場

鳩の街(赤線跡)青色の円柱

旧赤線街「鳩の街」*1 の北端あたり。

青の円柱の建物が残っています。

1階から2階へ突き抜ける円柱。

青一色で統一されています。

鳩の街(赤線跡)黄緑色の円柱

数年前までは、いくつか当時の建物*1 が残っていた通り。

多くの建物が消失する中、こちらの建物は当時のままで残っています。

黄緑色を基調とした窓の廻りの装飾。

現在も鮮やかなタイルの装飾。

向島(木造家屋群)元料理屋

料亭「花の里」(墨田公園少年野球場近く)の西隣に、周囲は開発が進むなか、木造家屋が奇跡的に残る一画があります。

狭い、曲がりくねった路地が続いています。

かつては、料理屋や旅館でした。

貴重な木造建築です。

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花街·花街跡 向島

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向島

参考文献

*1 都市整図社: 火災保険特殊地図 墨田区 向島方面 (都市整図社,1952)
・向島芸妓組合の付近に、待合「桝の家」の記載。 ・現在の向島2丁目17−3、待合の記載。 ・現在の向…

向島(待合の建物)当時の意匠が残っています。

向嶋墨堤組合*1 の南側。

待合の建物が当時のままで残っています。

待合らしい細工が施されています。

塀の腰廻り部分に木材を配しています。

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花街·花街跡 向島

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向島

参考記事

向島(待合跡)見番通り

向島見番の前の通り。
交差点の角にある古い木造家屋は菓子の「いりむら」です。*1

その隣。料亭「波むら」との間に、待合「桝の家」の建物が残っています。(写真左側)

玄関。

待合だった頃の風情が残っています。

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花街·花街跡 向島

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向島

参考文献

*1 都市整図社: 火災保険特殊地図 墨田区 向島方面 (都市整図社,1952)
・向島芸妓組合の付近に、待合「桝の家」の記載。 ・現在の向島2丁目17−3、待合の記載。 ・現在の向…