成増(映画館跡地)成人映画も上映されていました。

今回は、成増(東京都板橋区)の町並みを散歩します。
成増駅南側は、駅前の繁華街です。

現在、成増会館がある場所には、映画館の成増国際劇場がありました。

踏切を渡って、線路沿いを北西方向へ進んだあたりには、映画館の「成増東映」がありました。

近くには、「成増北口商店街」のゲートがありますが、商店街らいしい雰囲気はありません。

下北沢(鈴なり横丁)演劇の街

「演劇の街」下北沢を象徴する鈴なり横丁。

鈴なり横丁(ザ・スズナリ)は、1969年(昭和44年)築、木造二階建ての”鈴なり横丁”は一階が飲み屋、二階がアパートという造りで、そこにさらに劇場が造りこまれました。*1

横丁の内部

1階の飲食街。

上野(オオクラ劇場)

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。

以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。

この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。

2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。

大塚(鈴本キネマ跡地)邦画と成人映画が上映されていました。

大塚駅南口のサンモール商店街のゲートを入り、50mほど進むと、五差路になった広場に出ます。交差点の角に大塚鈴本ビル(写真左側)が建っています。

交差点角にある大塚鈴本ビル*1

地下1Fに「鈴本キネマ」。3Fに「大塚名画座」がありました。*1*2
1977年の雑誌「ぴあ」*2 によると、「大塚名画座」は洋画。「鈴本キネマ」は、邦画と成人映画が上映されていたようです。

現在も、ビル名に鈴本の名が残ります。

武蔵小金井(名画座跡地)1970年代はポルノ映画を上映

今回は、武蔵小金井(東京都小金井市)の町並みを散歩します。
JR中央線武蔵小金井駅北口を出て約300m。けいやき通りに映画館の名画座がありました。*1

名画座は、ふとん店の東隣の敷地にありました。

1970年代は、主にポルノ映画が上映されていました。
1977年の雑誌「ぴあ」を見ると《田中絹代さんを偲んで》と題し「サンダカン八番娼館・望郷」が上映されている他、《日活ロマンポルノ決定版》では、宮下順子さんや谷ナオミさんの作品が上映されています。*2

現在は、駐車場になっています。

石巻(日活パールシネマ)三本立ての看板が今も残ります。

中央一丁目の歓楽街に、成人映画館の「日活パールシネマ」が、佇んでいます。

現在は、映画上映は終了しています。三本立ての看板が今も残ります。

入場券売り場。

曲がりくねった路地のような通路を進むと映画館の入口です。

芦原温泉(芦原ミュージック劇場)昭和31年開業

芦原温泉の裏通り。芦原ミュージック劇場があります。
芦原温泉に「ストリップ劇場」が登場した歴史は、比較的新しく、昭和31年からでした。芦原大火(昭和31年4月)後、まだ旅館もようやく復興のきざしを見せ始めた頃、焼け跡の一角にいち早くストリップ小屋を建てたのが、芦原温泉の興行師の三沢正雄さん。「芦原観光スタジオ」(現在の芦原ミュージック劇場)というこじんまりした小屋でした。昭和33年~34年にかけて同町にもう一軒「湯の街スタジオ」、温泉二丁目の旅館「仁泉」のそばに「芦原スタジオ」と計3軒が誕生。売春防止法が施行されて間もなくのことで温泉客も遊び場を求め、この3軒を”はしご”する客も多くいました。*1

夜の様子。

芦原温泉に3軒あったストリップ劇場のうち、その後、湯の街スタジオ、芦原スタジオは閉店。芦原ミュージック劇場だけが、劇場を拡張。珍しいガラス張りの2階ステージも特設。ストリッパーの寮までつくりました。*1

建物裏側の看板。

【参考文献】
*1 読売新聞福井支局:芦原温泉ものがたり(旅行読売出版社,1973)P.158-P.161

湯本温泉(温泉劇場跡地)現在は更地

音信川(おとずれがわ)沿いに温泉街から大寧寺へ向かう道路沿いは、湯本観光ホテルなどが建ち並ぶ観光エリアです。

ここに、かつて、ストリップ劇場の「温泉劇場」がありました。*1

川沿いの舟形になっている土地が、かつての劇場跡地です。

現在は、更地となっていて、当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 ゼンリン:長門市(ゼンリン,1990)P.94

円頓寺(開慶座跡地)ストリップ劇場跡

今回は、円頓寺(えんどうじ、愛知県名古屋市西区)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代末期から、長久山円頓寺を中心に発展した円頓寺商店街は、庶民的な佇まいが最大の魅力です。*1

名古屋では数少ない寄席として人気だった「開慶座」の跡地。昭和28年に秋に赤字打開策としてスリップ劇場に転身しました。*1

「開慶座」の跡地の西側に、慶栄寺が見えます。

「開慶座」の跡地から見る円頓寺商店街。写真奥の「喫茶まつば」は、昭和25年の「円頓寺新地図」*2 にも記載されている老舗の喫茶店です。

*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.14-P.17
*2 名古屋タイムズ(1953.1.28)P.6「円頓寺新地図」

瀬戸(中央館)成人向け?

梁川神社から宮前橋を渡って、左へ行くと末広町です。商店街の入口に休業中の映画館の中央館があります。

「中央劇場」と「ロマン中央」の2軒が隣接しています。「ロマン中央」は、成人向け映画館だったのかもしれません。

映画のポスタが貼られていたと思われる場所。

商店街のアーケード上側の「映画は中央」と書かれた大看板。

浅草(フランス座)元ストリップ劇場

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
浅草六区の交差点の角に「浅草東洋館」と「浅草演芸ホール」が併設された建物(写真左側)が建ちます。

渥美清やビートたけしなど、数多くの役者や芸人を輩出した「浅草フランス座」が平成12年より「浅草東洋館」として生まれ変わりました。(案内板より)
フランス座は、昭和26年にオープン。昭和34年に東洋劇場として、軽演劇とショーとストリップとなりましたが、昭和39年、寄席とストリップとなりました。*1

浅草フランス座出身の芸人。

昭和23年以来、浅草ロック座の楽屋へ通い続けた永井荷風は、昭和28年にフランス座の楽屋を初めて訪れています。*2

【参考文献】
*1 佐藤洋一:あの日の浅草(武揚堂,2007)附図
*2 堀切直人:浅草 戦後篇(右文書院,2005)P.232

上田(花やしき通り)上田映劇

上田市中央2丁目。上田の繁華街です。ここに「花やしき通り」と書かれたゲートがあります。ストリップ劇場併設の映画館でしょうか。

「あさくさ雷門ホール」。まるで、昭和の頃の浅草にタイムスリップしたようです。

建物の入口には「上田映劇」と書かれています。

実は、2014年の映画「青天の霹靂」の上田ロケの際、上田映劇通りに作られたオープンセットが現在もそのまま残されているものでした。

嬉野(関西ショー劇場跡)案内看板

温泉街のはずれに、かつてのストリップ劇場「関西ショー劇場」の遺構が残っています。

劇場の入口。「十八歳未満の方入店お断りします。」のプレートだけが残っています。

「関西ショー劇場」の看板は、白く塗りつぶされていました。

唯一の遺構は、劇場から200mほど離れた場所に設置されたままになっている「関西ショー劇場」の看板です。隣には、嬉野小学校のスクールゾーンの交通標識があります。

国分町(仙台ロック)ヌード劇場

今回は、国分町(宮城県仙台市青葉区)の町並みと風俗を散歩します。
仙台一の歓楽街、国分町の中心街に、ストリップ劇場の「仙台ロック」があります。

入口付近。

夜の「仙台ロック」の看板。

入口には、ヌード劇場の看板がたっています。

熱海(銀座劇場)StripShou

熱海市街の中央を南北に貫く商店街の「熱海銀座」。

商店街に面して、ストリップ劇場の「熱海銀座劇場」があります。

「StripShou(ストリップショー)」の看板。よく見ると、「Show」ではなく「Shou」です。

建物の名称は「銀座ビル」。ビル内にスナックの店舗も入居しています。

新潟(巨大弘法大師像)ストリップ劇場跡

西堀前通六番町の飲食店街の真ん中に巨大な弘法大師像が立っています。
人生の悩みを背負った人たちがやむにやまれず仏にすがるための寺ですが、そのルーツはストリップ劇場でした。寺の住職の岡本治峰さんは、当時のストリップ劇場「オリオン」の経営者で、昭和新道でもキャバレーやダンスホールを華々しく経営していました。その岡本さんが180度の大転身を遂げたのは、昭和30年頃、突然病魔に襲われたことがきっかけでした。結核に加えて糖尿病にもなり、死ぬ目に遭ったことが、岡本さんの仏門への入口でした。3年間、四国巡りを続けた結果、病気はうそのように良くなり、そして岡本さんは「寺を建てよう」という信念が固まりました。*1

総費用は、1億2500万円。寄付はいっさいありませんでした。*1

弘法大師像の下には人間国宝松久朋琳作の仁王像が2体安置されています。*2

唐山開基の弘観音は、岡本治峰さん別名「平岡弘観」のことで、戒名に岡本治峰さんの名前の「治峰」が含まれています。*2

【参考文献】
*1 新潟日報社:にいがた街・ひと・物語(新潟日報事業社出版部,1990)P.65-P.68
*2 財界にいがた:財界にいがた(2013.1)「『新潟三越脇の巨大弘法大師像はストリップ劇場跡地に建つ』のウラを取る」 P.50-P.53

浦河(大黒屋)大正7年創業

浦河市街にある映画館の大黒座。大正7年の創業です。*1

当時、浦河の最も一般向きな娯楽機関としては、大衆館、大黒屋の2館がありました。大衆館は松竹、新興キネマの製作品を上映、大黒座は日活系に属していました。*2

魚期市中の賑わう際は、ほどんど毎夜ぶっ通しの興行で、映画の他に地方民謡・レビュー、浪花節等の出し物を配合した興業でした。*2
様々な旅芸人一座が全国を回っていた時代、会場は、大黒座のような映画館でした。*3

小規模な映画館が存続にかかわる岐路に立たされている中、大黒座はデジタル映写機器を導入し営業を継続しています。*1

【参考URL】
*1 浦河大黒座 公式サイト
【参考文献】
*2 浦河漁業組合:浦河港大観(浦河漁業組合, 1934)P.53
*3 小野寺信子,河村和美,髙田則雄,続浦河百話編集委員会:続浦河百話(同文化社,2013)P.318-P.321

川口(ストリップ劇場跡地)川口DX劇場

昭和40年代、川口が鋳物の町として栄えていた頃は、ストリップ劇場の全盛期でした。川口DX劇場は、最初は、交番の前にありました。*1
1970年の住宅地図*2 には、交番前に「川口ミュージック劇場」の記載があります。
近隣では、西川口のテアトル劇場が低料金でお客を集め、一方、蕨のワラビミニ劇場がハードな内容でお客を集め、この二つの劇場が他を圧倒していました。

その後、川口DX劇場は、のちの大蔵映画館の隣のボウリング場跡に、以前より小屋を大きくして立て直されました。現在の郵便局の前の駐車場がその跡地です。

オークラ映画館跡地。当時の名残でしょうか。駐車場の名前は、「川口オークラ駐車場」となっています。

写真右奥の交番前が「川口ミュージック劇場」があった場所(交番前)。写真左手前は、川口DX劇場があった場所。

【参考文献】
*1 川上譲治:書籍さらばストリップ屋(朝日新聞社,1988)P.53-P.54
*2 住宅地図出版社:川口市南部(住宅地図出版社,1970)P.72

浦和(調宮劇場跡地)浦和で二番目に古い映画館

調神社(つきじんじゃ) 近くの交差点。この道を入ったところに、「調宮劇場」がありました。*1
調宮劇場は、昭和初期に落成し、演劇中心に始まりましたが、次第に活動中心になりました。戦後は東宝系映画が中心になり、浦和で二番目に古い映画館でした。*2

その後、昭和40年代初期には、夜の娯楽施設(当時の住宅地図*3 を見ると「キャバレー女の世界」「ヌード劇場スター」の記載があります。)に変貌しました。
現在、その場所にはマンションが建っています。

マンションが建っていたあたりが、「キャバレー女の世界」があった場所で、その裏に」「ヌード劇場スター」がありました。

駐車場脇には、当時のままの道が残されています。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社, 1937)
*2 山嵜廣:近代浦和文化小史(山嵜廣,2000)P.95
*3 日興出版:浦和市住宅地図(日興出版,1973)P.132
*4 日興出版:浦和市住宅地図(日興出版,1978)P.77

笠間(昭和館)活動写真と寄席を主に上映し賑わいました

荒町の通りから細い道を入ったところに、映画館の「昭和館」と思われる建物が残っています。*1

建物の脇には、「昭和館食堂」と書かれた看板が残っています。

切符売り場付近は、鮮やかな緑色のタイルで装飾されています。

「昭和館」は昭和5年にでき、活動写真と寄席を主に上映し賑わいました。昭和9年、昭和館は荒町大火で焼失しましたが、荒町の北側に場所を移して昭和12年に再建されました。*2

【参考文献】
*1 郵政省:笠間局郵便区全図(郵政省,1951)
*2 笠間市史編さん委員会:図説笠間市史(笠間市,1988)P.188-P.189

明野(明野劇場)ストリップ劇場の廃墟

HOTEL「Villaマツノミ」の裏に、ストリップ劇場「明野劇場」の廃墟があります。コンクリート造りの建物の周辺には草が茂っていて、入口の「明野劇場」の文字がかろうじて確認できる状態です。

そもそもこの小屋は、昭和40年代に「明野第一劇場」という名前で芝居小屋として出発しました。やがて大人のためのヌードシアターとして発展。一条さゆりや愛染恭子も踊りにきました。しかし、平成6年6月、客の不入りと官憲の摘発が原因で閉館。翌平成7年1月に火事で全焼しました。*1

ストリップ劇場お決まりのステージ。

トイレ。

【参考文献】
*1 中田薫,中筋純:廃墟本3(ミリオン出版,2009)P.182-P.187

岩内(映画館)しぶがき隊の若い頃

岩内の道の駅近くの歓楽街。

古びた映画館があります。

映画館「ニューシネマ」の入り口。

しぶがき隊の若い頃のポスター。みんな若いです。

映画「ヘッドフォンララバイ」シブがき・17・隊夢トンネルは、シブがき隊の2作目の主演映画。可愛かずみさんが不良グループから助け出した少女「理奈」という役割で登場しました。

飛田(オーエス劇場)大衆演劇

飛田本通商店街を通天閣を世にした入り、少し行くと左手(東側)の路地に「オーエス劇場」の看板が見えます。

小沢昭一さんの「私は河原乞食・考」*1 に、かつての「トビタOSヌード劇場」のことが書かれていますが、現在の大衆演劇「オーエス劇場」の前身だと思われます。

入場料は、1300円とリーズナブルです。

「オーエス劇場」の道を挟んだ反対側の建物も風情があります。

【参考文献】
*1 小沢昭一:私は河原乞食・考(岩波書店,2005)P.63

四日市(にっかつロッポニカ)成人映画館

諏訪栄町商店街と隣接する繁華街にある雑居ビルの3階に、「ロッポニカ」の看板を掲げる成人映画館があります。

成人映画2本立てです。

歴史を感じる「にっかつロッポニカ」の看板。

3階の入口まで階段を登る途中にポスターが貼られています。

湯郷温泉(東洋ショー劇場)ストリップ劇場跡

温泉街の中心部のニュー福桝ホテルがあるあたり。

ストリップ劇場だった「東洋ショー劇場」の建物が残っています。

入口の看板だけが残されています。

かつては、軒下にさまざまな装飾が施されていたのだと思います。

上野(オオクラ劇場)現在は新館に移転しています。

今回は上野(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
上野駅不忍口前は、昭和雰囲気を色濃く残している場所です。

「上野オオクラ劇場」。”ADULT MOVIES”の看板が目立っています。

現在は、新館に移転しています。

「毎日オールナイト」の看板。

日奈久(ストリップ劇場跡)「ショー劇場」があった場所

日奈久には、ストリップ劇場がありました。路上の案内看板に「ショー劇場」の記載があります。数年前まで営業していたようです。

現在は、建物だけが残されています。上部には、「ショー劇場」と書かれた看板が取り付けられていたのだと思います。

「本日の出演者」の看板。

入口に残されていた貼り紙。

浅草(ロック座)昭和22年にオープン

ロック座は、昭和22年にオープンし、23年よりストリップを開始し、昭和58年に休館となりますが、その後復活しました。*1

経営母体を替えながら、今でも同じ場所場所で営業を続けているストリップ劇場です。*1
昭和20年代に次々と造られた浅草のストリップ劇場は、浅草座や美人座などストリップ専門の小屋もありましたが、ロック座は、ストリップショー1時間半に軽演劇1時間という時間割を定めて演劇に力を入れていました。ロック座の初代軽演劇部門の初代座長は伴淳三郎でした。*2

女性は、割引です。

懐かしいアイスキャンディー売りの自転車がとまっていました。

【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の浅草(武揚堂,2007)P.37,付録地図
*2 堀切直人:浅草 戦後篇(右文書院,2005)P.207

戸倉温泉(ストリップ劇場跡)現在は大衆演劇場です。

上山田温泉の西側に、大衆演劇場の「信州大勝館」があります。

この日も、昼、夜の2回、公演が行われていました。

この建物は、以前はストリップ劇場の「信州ロック座」でした。今でも看板だけが残っています。

ビルの屋上の大看板。「ヌード」と書かれた文字が見えます。

岡山(岡山日活)商店街の映画館

「千日前商店街」は、南北に連なる長大な岡山表町商店街の一部で、その南端に位置します。

「千日前商店街」のアーケードが尽きるあたりに、「岡山日活」があります。

成人映画のポスターが貼られた解りやすい店構えです。

シニアは900円と良心的な価格設定です。

新世界(新世界国際劇場)昔ながらの絵看板

新世界は、明治36年の勧業博覧会の会場跡地を再開発して誕生した街ですが、事業を担当した大阪土地建物株式会社は、当時の大阪随一の盛り場だった千日前に勝るとも劣らない歓楽街を作ることを目的とし、劇場・寄席、料理店、旅館などの建設に力を入れた結果、街全体が紅街化しました。*1
「新世界全圖」*1 によると、この付近は当時「いろは小路」と呼ばれた場所で、ここには南陽演舞場がありましたが、現在は、映画館の国際劇場となっています。

現在ではほとんど見られなくなった絵看板がここでは健在です。

アール・デコ建築を思わせる洋風の建築です。

地下は、成人映画専門です。

【参考文献】
*1 水内俊雄,加藤政洋,大城直樹:モダン都市の系譜(ナカニシヤ出版,2008)P.174-P.180

新世界(浪速クラブ)消えた遊芸民の残影

今回は、新世界(大阪府大阪市浪速区)の町並みと風俗を散歩します。
通天閣のすぐ横にある芝居小屋の「浪速クラブ」は、わずか百席ほどの小さな劇場で、その外形は中世の河原に建てられた芝居小屋に似ています。明治維新以降の都市計画の進展につれて、近世の遊芸民が集住していた地区が次々に解体され、遊芸民は姿を消しましたが、唯一、その面影を残しているのが、いわゆる「大衆演劇」の芝居集団といえます。現在でも30数組の一座が全国を旅して回っています。*1

昼と夜の2回公演で、演目は日替わりなので、一か月の興行でざっと60本の出し物を演じるわけで、台本はすべて座長の頭の中にあって脚本は文字化されておらず、新作もぶっつけ本番です。*1

料金も格安で1200円。最後の総踊りの一時間半だけなら600円です。*1

この日は、愛京花「長谷川武弥劇団」の公演。芝居小屋の演目といえば、各地を渡り歩く博徒・侠客を 主人公とした人情話などが一般的ですが、この日の演目は、お笑いモノでした。

【参考文献】
*1 沖浦和光:旅芸人のいた風景(文藝春秋,2007)P.8-P.11,P.232-P.236

歌志内(悲別ロマン座)旧上歌会館

歌志内上歌には、住友歌志内砿の厚生施設だった「上歌会館」があって、炭鉱従業員とその家族の憩いの場として、映画やショーが連日行われていました。*1

「上歌会館」は、炭鉱の衰退とともに廃屋となっていましたが、1984年(昭和59年)から放映されたテレビドラマ「昨日、悲別で」で脚光を浴び、「悲別(かなしべつ)ロマン座」として建物を全面改修し、全国から観光客が殺到しました。*1

座席数は370。大きく張り出した切り妻の三角屋根が特徴です。*1
1977年(昭和52年)公開の映画「幸福の黄色いハンカチ」でも「上歌会館」が少しだけ登場します。「悲別ロマン座」がブームになる7年前の貴重な映像です。

加藤登紀子やさだまさしを呼び盛大なコンサートを開いたこともありましたが、ブームは去り、客足は年々減少。市の財政難もあり、町の再興をかけた「悲別ロマン座」も風前のともしびとなっています。*1

【参考文献】
*1 :北海道新聞空知「炭鉱」取材班:そらち炭鉱遺産散歩(共同文化社,2003)P.225-P.227

横浜(西口にっかつ跡)看板だけが残っています。

横浜駅西口の相鉄ムービルとビックカメラのビルに挟まれて小さな雑居ビルがあります。

高収入アルバイト、テレクラなどの看板が連なる風俗ビルですが、すでに閉店となっている「西口にっかつ」「連日オールナイト」の看板が残されています。

ビルの屋上に、「西・口・に・っ・か・つ」と1文字づつ書かれた丸い看板が取り付けてありますが、ビルの影に隠れてしまっています。
横浜駅西口には、「西口シネマ」、「西口ニューシネマ」、「西口にっかつ」の3軒の成人映画館がありましたが、いずれも数年前に閉店しました。

テレクラの入口の隣に「西口にっかつ」の入口がありましたが、現在は封鎖され、代わりにドアが取り付けられています。

浅草(浅草世界館)顔ハメ看板

浅草の六区ブロードウエイ商店街にあるアダルト映画館の浅草世界館。

入口には、映画のポスタが並べられています。

ちょうど、アダルト映画のポスタがバックに入るアングルに、記念撮影用の顔ハメ看板が設置されています。

「本日オールナイト」の看板。

高田馬場(全線座)学生街のストリップ劇場

都内で、名画座と呼ばれる映画館で残っているのは15軒ほどです。高田馬場の「早稲田松竹」は、毎回2本立て旧作名画を流し、朝から晩までのんびりと楽しめる空間です。*1

「早稲田松竹」は、昭和26年に、松竹の封切館としてスタートし、昭和50年に2本立て名画座に路線変更しました。平成14年にいったんは休館しましたが、その後、早稲田大学の学生が中心となって、復活させました。*1

穴八幡宮の近くに、映画館の「早稲田全線座」が昭和30年代までありました。「早稲田全線座」は、映画館でしたが、実は映画館とストリップの2本立てで、上映されていました。*1*2
「早稲田全線座」で上映されたストリップは、「全スト」(一糸まとわぬストリップ)でした。劇場の前には、「憎いほど見せます!悶えます!」とお色気たっぷりの看板が立掛けられました。*2

閉館後は、自動車販売会社のショールームになりましたが、現在は空きビルとなっています。

【参考文献】
*1 散歩の達人(2006.7)P.33「復活の名画座ものがたり」,P.49「昭和33年地図で歩く」
*2 実話と秘録(広晴社,1963)P.22-P.23

横須賀(金星劇場)オールカラー成人映画

京急横須賀中央駅から歩いて1~2分のところ(若松町1丁目)に金星(きんせい)劇場があります。とにかく、建物の概観には圧倒されます。
看板には、「金星★劇場」、「KINSEI THEATER」と書かれています。中央の★のマークはインパクトがあります。

ポルノ映画館の雰囲気たっぷりです。

入口には、「オールカラー成人映画」。まだ、カラーの映画が珍しかった時代のものでしょうか。

入口付近。きっぷ売場下のタイルがいい感じです。

高松(ロッポニカ)にっかつの名を残す映画館です。

1988年、日活、ポルノ映画から撤退し、「ロッポニカ」の新ネーミングの元に新たな映画製作配給がはじまり、これにより、にっかつ上映館は、「ロッポニカ」の名称に変更になりました。しかし、この「ロッポニカ」も半年で終了。映画館は譲渡もしくは閉館となりましたが、唯一、高松の映画館のみ「ロッポニカ」の名前が残っています。

現在は、ロマンポルノの資産を引き継いだ「エクセスフィルム」(新日本映像株式会社)の成人映画が上映されています。

新作成人映画の他、ロマンポルノも上映されています。
「セーラー服色情飼育」は、1982年の日活ロマンポルノ作品。可愛かずみさんのベッドシーンはラスト3分のみでした。*1

本日上映作品のポスター。なぜか「セーラー服色情飼育」は無く、代わりに、「セーラー服百合族」のポスターが貼られていました。
「セーラー服百合族」は、レズをライトな遊び感覚で捉えた女子高生の姿を描いた作品で、主演は、山本奈津子さん、小田かおるさん。 百合族という言葉が社会現象にまでなりました。*1
ちなみに、小田かおるさんは、ミス日本グランプリの経歴の持ち主。結婚・出産後は、ヌード写真集で復帰し、村西とおる監督のAVなどにも出演しました。*2

【参考文献】
*1 ロマンポルノを愛する会:日活ロマン帝国の逆襲(成星出版,1997)P.32-P.33,P.76-P.77 ,P.304
*2 週刊ポスト(2002.8.23・30)P.228 「日本列島大捜索 あの美女アイドルは今?」

上野(ビデオボックス)全自動です。

アメ横の上野駅寄りにビデオボックスがあります。

「ビデオBOX」という屋号のビデオボックスです。

看板に「全自動」と書かれています。

初期のビデオボックスでよく見かけた個室タイプです。
店内には、ボックス(個室)がずらっと並んでいます。ボックスの上部に貼り付けられているビデオのパッケジーを見て、客は気に入ったボックスの中に入って鍵を閉めます。千円札を入れると自動的にアダルトビデオの再生が始まる仕組みです。

那覇(首里劇場)赤瓦の映画館

古都首里の大中町に、修理劇場があります。首里劇場は昭和26年創業。*1*2

現在は、ポルノ映画館として営業しています。

建物の前面はコンクリート造りですが、後ろへ回ってみると赤瓦が美しい木造建築であることがわかります。

内部は、昭和の映画館の雰囲気です。

【参考文献】
*1 高瀬進:ピンク映画館の灯(自由国民社,2001)P.6-P.9
*2 はぁぷぅ団:新!おきなわキーワード(ボーダーインク,2003)p,164-P.165

福山(第一劇場)大看板が目に飛び込んできます。

今回は、福山(広島県福山市)の町並みと風俗を散歩します。
福山駅の北側の東町2丁目、東ガード6番(北)の通りを歩いていると、「ヌードの第一劇場」の大看板が目に飛び込んできます。

ヌード専門の劇場です。

入口付近の「いらっしゃいませ」の看板。

近日大公貝。

青森(青森DX劇場)現在は閉館している模様です。

天国のすぐ隣にあるストリップ劇場の「青森DX劇場」。

ピンク色の大きな看板。電車の車窓から見えることを狙ったものでしょうか。

現在は閉館している模様です。

建物の裏側の通り。「青森DX劇場」のピンク色の看板が見えます。

大湊(ロマンス坂)賑わいを見せた「ロマンス座」跡

妓楼風の石造りの建物の脇から延びる「一番坂」。
大湊上町の常楽寺に、霊場恐山まで続く三十三観音の起点となる一番観音があることから「一番坂」と名付けられました。*1

逆方向から見下ろすと海が見えます。付近には木造の旧家も数多く見られます。

「一番坂」の南側にある「ロマンス坂」。
明治43年、大湊地区では初めての演芸場「盛港館」ができ、芝居や歌舞伎、踊りなどが上演されました。大正時代から無声映画の上映も始まり、その後名称は、新興劇場、ロマンス座と変わり、映画専門の劇場になりましたが、一時は、大変な賑わいを見せました。昭和30年代に閉館しましたが、人々が通ったこの坂道の思い出を残すため、劇場の名をとって「ロマンス坂」と名付けられました。*1

大湊上町稲荷神社があった付近から見下ろすロマンス坂。ロマンス座は大湊上町稲荷神社の下の坂の中腹にありました。*1

【参考文献】
*1 東奥日報(1991.4.4)「坂に愛称できた!!坂の街・むつ市大湊3」

石和温泉(ストリップ劇場跡)看板の支柱だけが残っていました。

湯けむり通り沿いにストリップ劇場の「石和温泉劇場」がありましたが、現在は無くなって更地になっています。
当時の写真*1 を見ると、建物の右下に、「生板」、「外人」、「花電車」と書かれた大きな看板が貼り付けられていて、道路脇には、「特出し」と書かれた立て看板が置かれていたようです。また、建物の右側には、「ヌード」と書かれた大看板がそびえ立っていました。

現在、「ヌード」の大看板の支柱だけが、遺構として残っています。この支柱の上に「ヌード」とデカデカと赤色の文字で書かれた大看板が乗っかっていました。

交差点の対角線上にある旅館「森仙」の駐車場の場所を示す看板に「ヌード」と書かれています。「ヌード」の大看板はかなり目立つ存在だったようです。

古い案内板。文字がかすれて読み取りにくいですが、ヌード石和温泉....と書かれています。

【参考文献】
原芳市:ストリップのある街(自由国民社,1999)P.47

八戸(駅前のストリップ劇場)小沢代表のポスタ

今回は、八戸(青森県八戸市)の町並みと風俗を散歩します。
新幹線の駅がある八戸駅からJR八戸線に乗り、2駅目の本八戸駅で下車します。
本八戸駅前にあるスリップ劇場。ストリップ劇場にしてはめずらしく派手な装飾のない建物です。

雰囲気のあるブリキの塀。

入口のゲートには、小沢代表のポスタ。

入口附近。

上諏訪(フランス座)温泉地のストリップ劇場

上諏訪駅の北側の湖岸通り三丁目付近は、観光ホテルが建ち並ぶエリアです。温泉地には、ストリップ劇場があることが多いですが、上諏訪にもありました。フランス座です。

夜になると、ネオンが煌々とともります。

入口付近。

「ヌード劇場フランス座」の看板。

小倉(駅前の成人映画館)Ⅱは薔薇族専門です。

小倉駅前の繁華街に、成人映画館があります。向かい側にはビジネスホテルがあります。

名画座Ⅰと名画座Ⅱがあります。

名画座Ⅰは、成人映画館。

名画座Ⅱは薔薇族専門です。
伊藤文學さんは、1971年に男性同性愛専門誌「薔薇族」を創刊し、社会的少数者としての同性愛者の立場を訴え、その後「薔薇族」という言葉は、同性愛者の代名詞として定着しました。

柳ヶ瀬(まさご座)入口にアーチがあります。

西柳ヶ瀬の西側に、まさご座のアーチがあります。まるで商店街の入口のようです。

アーチをくぐると、まさご座の看板のあるビルが見えます。

ストリップ劇場のまさご座です。建物の側面にローマ字で「MASAGOZA」と書かれています。

入口付近。

十三(十三ミュージック)商店街の中にあります。

十三駅前の道路に青色のワゴン車が止まっています(写真左下)。この車はストリップ劇場の「十三ミュージック」の送迎車です。

木川本町商店街の隣にあります。

入口の看板。「素人娘」がウリです。

夜になるとネオンがきれいです。

和歌山(高松日劇)休業中の建物が残っています。

和歌山市南部の高松に、成人映画館の建物が残っています。

入口の切符売り場。「成人映画に付18歳未満の方入場出来ません。」と書かれた看板があります。

「各種定食350円より」。安いです。

入口の階段。当時は賑わいを見せていたのだと思います。

蕨(蕨OS劇場)入口は2階です。

蕨駅西口の陸橋近く。細長いビルがあります。屋上に小屋のような建物が増設されていて、遠くから眺めても目をひく建物です。

1階に、わらびOS劇場の入口があります。昭和50年代、蕨OS劇場の目玉は、「過激に興奮!外人大会」でした。*1

1階の貼紙。

入口は2階です。

【参考文献】
*1 山谷哲夫:じゃぱゆきさん(岩波現代文庫,2005)p.270

歌舞伎町(新宿区役所の裏手のストリップ劇場)中国語の看板

新宿区役所の裏手にストリップ劇場があります。

入口付近。ピンク色の看板があります。

歌舞伎町のストリップ劇場は、中国人(主に台湾、香港経由)女性観光客に人気があり、客席の大半を占める事も珍しくありません。彼女たちが、海外から着てまで日本のストリップを見たがる理由は、日本のアダルトビデオが大量に流れ込んでいるためと言われています。*1
看板をよく見ると、「5200日元」と料金表示が中国人向けに書かれています。

看板には、英語(StripLive)、韓国語(ハングル文字)、中国語(脱衣舞)の3カ国で、書かれています。
余談になりますが、ソープランドは、中国語で「按摩洗澡間」と書くそうです。*2

【参考文献】
*1 週刊新潮(200.8.31)P.52 「中国人観光客が「占領」歌舞伎町ストリップのかぶりつき」
*2 坂戸みの虫:淫詞褻語(太平書屋,1981)P.13

郡山(郡山ミュージック)世界のバーレスクシアター

郡山駅の南側の閑静な通りに、”世界のバーレスク”と謳われた「郡山ミュージック」*1 があります。

花電車ショー、SMショーなどの楽しい企画の他、毎週日曜日には、観客参加の大喜利なども企画されました。*1

入口付近。

お客様本位であることが、伝わってくる看板。

【参考文献】
*1 児玉貞治朗:ストリップ全解(大洋書房,2000)P.3-P.5

新潟(映劇大要)毎夜オールナイトです。

昔、遊廓があった古町の周辺は、現在は飲食街や住宅街になっています。
交差点の角に成人向け映画館「映劇大要」が営業しています。

最近ではあまり見かけなくなったオールナイトの映画館です。

入口付近は、衝立がたててあり、中の様子を伺い知ることができません。

暖簾があり、銭湯のような風情です。

渋谷(道頓堀劇場)大看板は圧巻です。

道玄坂の坂の中腹に百軒店(ひゃっけんだな)への坂の登り坂があります。ここは渋谷駅側から来た場合の円山町への入口でもあります。

この場所のシンボルと言えば、坂道の途中にあるストリップの老舗「道頓堀劇場」です。1970年に開業しました。

入口にある大看板は、圧巻です。
「キャバレー日の丸」も同じような配色の看板であったことを思い出しました。*1

入口付近。

【参考記事】
*1 池袋(日の丸)

歌舞伎町(DX歌舞伎町)本日初日

ストリップ劇場の踊り子募集の電光掲示板。「プロダンサー、素人ダンサー募集」とのテロップが流れています。

DX歌舞伎町は、ひっそりとした路地にあります。

従業員通用口。他の風俗店と違い、「控え室」でななく、「楽屋」と呼ばれるようです。

「本日初日」の木製看板。大相撲などで、「本日初日」という言葉を耳にしますが、ストリップ劇場でも同じ言葉を使うということを知りました。

九条(九条OS劇場)名門の劇場です。

駅前に、「名門九条OS」の看板があります。ストリップ劇場の九条OS劇場の案内板ですが、場所は、駅を挟んだ逆側(キララ九条商店街側)です。

閑静な住宅街の中に九条OS劇があります。

九条OS劇場は、客席数142席。1951年7月開館の名門で、毎年盆と暮れにSM大会を開催するため、関西の変態小屋といわれています。(ウィキペディアより転載)

近くにある理容室。なぜか、店の名は、「OS理容」となっています。

歌舞伎町(新宿国際劇場)露骨な看板が目につきます。

今回は、新宿歌舞伎町の町並みと風俗を散歩します。
新宿駅南口から見るマイシティの裏側の通り。

成人映画専門の「新宿国際劇場」があります。

看板はかなり大きめです。人通りの多い通りに成人映画の大型の看板があり、新宿の伝統を受け継いでいます。

入口付近。映画のポスターがたくさん貼られています。

船橋(若松劇場)スナック街の奥まったところにある劇場

スナック街の奥まったところ。スナック店にストリプ劇場の案内板があります。

バスタオル姿の5人の女性と女性達に囲まれて幸せそうなおじさんの写真があります。「踊りの若松劇場へどうぞ。早朝10時より。すぐそこ→。」と書いてあります。

若松劇場。

女の子の写真が掲載されています。