佐原(カメラの三越)3階建て

佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。

現在は、休業中です。

写真左奥は、観光スポットの町並みです。

建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。

歌舞伎町(三経ビル)ポストモダン建築

ホテル「白川郷」(写真左手前)の並びにある三経82ビル。
一見普通のビルに見えますが、アメリカで出版されたポストモダン建築の本の表紙を飾りました。*1

1階には、飲食店が入っています。ビル脇に2階(ホストクラブ)へあがる階段があります。

三経82ビルから北へ約30mにある三経75ビル。頂上部分が特徴的な形状です。

ホストクラブなどの風俗店が入居しています。

銀座(三愛ビル)銀座のランドマーク

1963年開業の三愛ドリームセンターは、現在も銀座のランドマークとして君臨しています。

2階の喫茶店の窓際席からは、銀座の景色を楽しめます。

3階のビルからは下着姿の女性が交差点を見下ろしています。

2階の喫茶店からの眺める銀座の風景。

高田馬場(日本館)昭和11年に始まった学生向けの下宿屋

国旗掲揚塔※1 のある通りを南へ進んだ四つ角にある下宿屋の日本館。昭和11年に始まった学生向けの下宿屋です。

玄関。

部屋数は約30室。

穴あきブロック塀の下に、穴あき状に石材を平積みした構造。

王子(スーパー「ほりぶん」)目立つ外観

王子駅前の北本通りの商店街(王子銀座)。王子のシンボル、スーパー「ほりぶん」です。

先代の名前が堀文文吾(二代目の堀文文嘉さん)も「ほりぶん」が名前の由来です。もともと肉の卸・小売りからスタートしました。*1

王子銀座。

黄色の目立つ外観です。

根岸(書店)婦人倶楽部

根岸柳通りにある商業ビル。1階が店舗で2階が居住部分です。中央には、「婦人倶楽部」の看板のある商店。「婦人倶楽部」戦前・戦後を通じて発刊された婦人雑誌です。

女のよろこび・・・・・妻のしあわせ

建物の紋章。スッポンのように見えます。

建物の裏側、表側は、複数の店舗が一体感のある商業ビルに見えますが、裏側の構造は複雑です。


神田(更地の隣の3階建てのビル)神田小川町2丁目

神田小川町2丁目のビル街。写真右手前は、以前のビルが取り壊され、建て替え予定となっている更地です。

更地の隣の3階建てのビル。正面から見ると2階建てのように見える点は、看板建築の特徴を有しています。

更地の方向から見た建物の側面。

少しだけ3階部分が垣間見えます。

神田(多町の看板建築)豆腐店

神田多町周辺は、神田川と日本橋川まれ、この2つの川の水運により食料も集まりやすうい立地から「やっちゃば」と呼ばれる青物市場ができきました。「越後屋」は創業明治末。市場で買った荷物を揃え、配送する権利を持っていました。*1

正面部分のみ銅板が貼られています。

建物の奥を見ると、3階建てであることがわかります。

逆方向から。

築地~月島(看板建築)3階建て

築地市場の東側。築地6丁目、7丁目付近には、看板建築が多く残っています。
こちらの商店だったと思われる建物は、正面から見ると2階建てです。

背面から見ると、屋根裏部屋部分*1 は、3階建て部分であることがわかります。

こちらも正面は2階建て、横から見ると3階建てです。

三角屋根部分が3階部分になっている食品会社の建物。

神田須田町(木造3階建ての建物)正面は2階建て

関東大震災以後の商業建築の多くは2階建てで、3階部分に屋根裏部屋を持つものが多く、これは木造3階建ての禁令をクリアするための抜け穴的構造でした。*1
神田須田町では、看板建築のような奇抜なデザインの商業建築以外にも、この「一見2階建て、実は3階建て」の建物を見かけます。

写真の建物は正面から見ると2階建てですが、横から見ると3階建てであることが解ります。

こちらも、一見何の変哲もない2階建て。

横から見ると3階建てです。

神田須田町(海老原商店)看板建築

今回は、神田須田町(かんだすだちょう、東京都千代田区)の町並みを散歩します。
秋葉原の万世橋を渡り、すぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐると。柳森神社の前(柳原通り)に出ます。今は神田須田町二丁目ですが、このあたりは、元柳原町と呼ばれていました。柳原は、明治には古着市場であり、その後、既製服問屋街になりました。柳原通りは昭和初期にはかなりにぎやかだったそうです。この一画には、昔からの看板建築の商店が残っています。この付近は戦災の時に焼けないで残りました。*1

写真は、岡昌(おかしょう)裏地ボタン店(昭和3年築)。*2昭和通りに出る少し手前の右手に残るしゃれたファザードの一軒は、海老原商店という服地店です。*1*3*4

海老原商店は昭和初期(1927)につくられました。*1*3

2階窓下には、白漆喰による海老原商店の文字看板*3
上部には、ネオ・クラシックやアール・デコがミックスされたような装飾が上部についています。*1

武蔵小金井(看板建築展)江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園には、展示室があって、「看板建築展」開催中です。
看板建築は、関東大震災後、人々は、自力でバラックを建て始めましたが、このとき、バラック美しくする活動(今和次郎など)や建築家のデザインにりょう仮設商店などが建ち始め、これが後の看板建築につながったそうです。*1

本来、2階建てであるべきところ、少しでも広く使うために屋根裏部屋を設けた事例の模型が展示されています。*1

こちらは、ほぼ完全に3階建ての建物。

中央区月島の旧玩具店の建物に飾られていた、だるまの部分が移設、展示されています。

犬山(芝居小屋「呉服座」の建物)博物館明治村

犬山駅からバスで約1時間。博物館明治村に到着です。

明治村は、明治時代の貴重な建物を移設・保存するこをと目的に開園されました。

大阪府池田市にあった芝居小屋の呉服座。重要文化財です。*1

内部は、当時のまま、保存されています。

【参考URL】
*1 博物館明治村:呉服座(重要文化財)

蒲田(タイル張りのアパートの建物)大衆割烹の看板

蒲田駅東口の繁華街の交差点の角にある建物。

建物の側面には大衆割烹「川和路」。かつては料理屋だったようです。

建物の右側半分は、アパートのような造り。

昔、お風呂場で見かけたようなタイルです。

小川町(福助楼)女郎うなぎ

小川町駅前の通りを南下すると、旅館「福助」の大きな木造建物が見えてきます。

国道に面した側が、福助本館の玄関です。

歴史を感じさせる「福助楼」の看板。「女郎うなぎ」が名物です。

奥行のある建物。福助本館と福助旅館がつながっています。

門司(古びた飲食店の建物)当時の賑やかさが伝わってきます。

門司区栄町にある大衆中華料理店「朋友」の建物。

郷愁を感じさせる1階部分の看板。

1つの木造母屋に複数の店舗が入居していたようです。

いろいろな看板が取り付けれられていて、当時の賑やかさが伝わってくるようです。

明石(木造建築の写真館)魚の棚商店街近く

明石駅前の商店街から路地を入ったところに、木造建築の写真館があります。

玄関部分はタイルで装飾されています。

色鮮やかなタイル。

路地はコの字方型になっていて、再び商店街に出ます。写真奥は魚の棚商店街です。

温泉津(駅前の商店街)レトロなタバコ屋さん

今回は、温泉津(ゆのつ、島根県大田市)の町並みと風俗を散歩します。
JR山陰本線温泉津駅前の商店街。温泉街へは、ここから約1kmです。

レトロなタバコ屋さんの建物。

鮮やかなたタイルの装飾。

「たばこは現金で願います」と書かれたホーロー看板。

浅草(通称うんこビル)浅草のシンボル

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
5月22日に東京スカイツリーが開業し、浅草からの展望は大きく変わりました。

しかし、浅草のシンボルと言えば、この通称うんこビルです。

うんこの先っぽ。

上から見たうんこ。

倉吉(まあじゃん屋跡)倉吉駅前の商店街

今回は、倉吉(鳥取県倉吉市)の町並みと風俗を散歩します。
明治末期、山陰本線が延伸し、倉吉駅(後に上井駅と改称)が開業すると、上井を通過して人々と荷物が出入りするようになりました。上井は、町の中心部から竹田川を隔てた位置関係にあったので、倉吉の町は上井と旧市街地が別々に都市計画が進められました。上井駅前には、商店や飲食店が形成されましたが、上井への対抗意識からか旧市街周辺の事業が繰り返されました。*1
古い案内板には、「パチンコ銀河」、「麻雀フレンド」などの名前があります。

1階に飲食店が入る木造家屋。旧「麻雀フレンド」。

料亭のような建物です。

「まあじゃん屋」のプレートがあります。

【参考文献】
*1 生田昭夫:倉吉考(堂設計室,1980)P.54-P.56

渋谷(道玄坂の看板建築)マンサード屋根

道玄坂の中ほどに看板建築の商店の建物が残っています。

数棟ある建物には外壁崩落防止のネットがかけられています。

屋根裏に部屋をとって三階として利用できるようにしたマンサード屋根の構造をもつ建物もあります。マンサード屋根とは、下部の急勾配と上部の緩い勾配が組み合わさってひとつになった屋根で、「腰折屋根」ともいいます。フランスの建築家、F.マンサールの考案といわれています。*1

商店は営業していません。取り壊しの準備が始まっているようです。

【参考文献】
*1 初田亨:繁華街の近代(東京大学出版会,2004)P.236,P.272

日本橋(麻雀クラブ富士)昭和25年頃は「パチンコ富士」でした。

東京駅前はオフィスビルが林立するビジネス街ですが、雀荘が密集しているエリアでもあります。

昭和の雰囲気そのままの「麻雀クラブ富士」。

昭和25年頃は「パチンコ富士」でした。*1

玄関部分。

【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の日本橋(武揚堂,2007)「火災保険特殊地図」

歌舞伎町(喫茶店「王城」)中世の古城を模した建物

歌舞伎町公園の隣に、喫茶店「王城」だった建物があります。

戦後の復興が生んだ1950年代の都市文化と言えば、ロックンロールに代表される明るいアメリカのイメージが強いのですが、喫茶店については、ヨーロッパのイメージが強い傾向があります。*1

外観は、ヨ-ロッパの城や山小屋のイメージを表現していて、建物は、塔のようなデザインがされ、ステンドグラスも使われていました。*1

現在は、カラオケボックス店として営業中です。

【参考文献】
*1 陣内秀信,法政大学・東京のまち研究会:江戸東京のみかた調べかた(鹿島出版会,1989)P.181-P.184

紀伊田辺(新地のタバコ屋さん)タイル張りの壁

紀伊田辺は、古くから栄えた町だけに、昔のままの建物が多く残ります。駅周辺は地方都市らしく賑わう町ですが、奥へ踏み込むと情緒ある町並みがひろがります。
田辺新地は、大正6年、周囲に散在していた置屋や移転集合することによって出来上がりました。*1

田辺新地のゲートのところに古い建物があります。

1階はタバコ屋さんになっています。

タイル張りの壁が何ともレトロモダンです。

【参考文献】
*1 田辺商工会議所:熊野検定(田辺商工会議所,2009)P.81

奈良(木辻の書店)DVD、ビデオ、何でもあります。

木辻のスーパーの「ビッグナラ」のゲートの近くに、書店があります。

店の壁面は、多数の貼紙で埋め尽くされています。

ほしのあきのポスター。その下に、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の宮沢賢治の詩、加山雄三さんの三つの「かん」の話など。

DVD、ビデオ、何でもあります。

秩父(カフェ・パリー)食堂として営業中です。

秩父市街の番場町は、古い建物が保存されている町並みです。「カフェ・パリー」の建物は登録有形文化財として保存されています。

入口の暖簾、アサヒビールの看板など、いい雰囲気です。

建物の2階部分に取り付けてあるネオン看板。

オムライスと瓶ビールを注文。野菜がたっぷり添えられていてボリュームもあり、大満足でした。

真栄原(かつら専門店)店の窓いっぱいに並んだかつらは圧巻です。

宜野湾市大山に、かつら専門店があります。

「カツラ」、「ツーペ」と書かれた看板。

店の窓いっぱいに、かつらが並ぶ光景は圧巻です。

琉球舞踊で使う「カツラ」でしょうか。

函館(あさり坂の料理屋)遊廓建築のような階段

宝来町のあさり坂に「あさり」という屋号の料理屋があります。
お店の人の話によると100年以上続く店だそうです。現在は、1階が肉屋2階がすきやき屋になっています。

玄関をくぐると目の前に階段が見えます。この階段は、最初の4段までが丸みをおびた形になっています。
都市研究者の岡本哲志さんは、「この階段は、通常の世界のものと違い、京都伏見の遊廓建築の階段に酷似している。」としています。*1

2階には、大部屋、中部屋が配置され、そのさらに奥に行くと小部屋となります。窓の造りも小さくなって急に暗くなります。複雑な廊下の先には2人用の小部屋が5つもあります。
岡本哲志さんは、「この2人部屋は料亭によくある形式で、男女が来店した際に通されるもので、遊廓建築の奥に行くほどプライベート性を高くする空間の仕組みが読み取れる。」*1 と興味深い分析をしています。
1人で来店した私は、この2人部屋に通され、プライベートな空間を満喫することができましが、寂しくもありました。

一番安い「梅◆和牛ロース(1人前¥2,310.-)」を注文。ご飯はお代わり無料ですので、3杯も頂いてしまいました。多額の出費でしたが、十分満足(満腹)でした。

【参考文献】
*1 岡本哲志,日本の港町研究会:港町の近代(学芸出版社,2008)p.193

盛岡(レトロな写真館)商店街にあります。

今回は、盛岡(岩手県盛岡市)の町並みと風俗を散歩します。
盛岡市内の商店街。八幡神社へ向かう途中の南大通1-1付近。

「赤線跡を歩く【完結編】」に写真が掲載されている古い写真館の建物があります。

正面のレリーフが印象的です。

思わず、下から見上げてしまいます。

宮古(鍬ヶ崎)遊廓跡地にあるレトロな建物

地元の方の話によると、現在の消防駐屯所のあたりまで通り沿いに遊廓の建物が建ち並んでいたそうです。

駐屯所の近くにレトロな洋風建築の建物があります。

1階部分はモダンなデザインになっています。

入口部分に「はまなす」という屋号が見えます。

八戸(安藤自転車店)モダンなデザインです。

湊橋近くに、「赤線跡を歩く完結編」*1 に写真が掲載されている自転車屋さんがあります。

モダンなデザインの建物です。

木製のドア。

2階部分には、モダンな装飾が施されています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 続々・消えゆく夢の街を訪ねて 完結編(自由国民社,2007)P.51

常盤町(宮町の商家)百年以上経つ店

常盤町遊廓は、最初は、町の西側(現在の支倉町)にありましたが、明治27年に宮町の東側の小田原に移転しました。1
明治45年の地図では、遊廓は青く塗られ、30近くの屋号が書き込まれており、一大観光地でした。
2
宮町には、当時の賑わいの面影を残す商家が今でも残っています。

宮町に残る古い商家の一つに、「大瀧履物店」があります。*2

「大瀧履物店」の奥さんの話によると、座売りの形態を残した店は、百年以上経つもので、昭和20年代まで桐下駄作りに追われていたそうです。昭和33年に廃止されるまで、遊廓の賑わいは、髪結屋、魚屋、味噌屋、乾物屋など多くの商店をうるおしました。*2

現在の「大瀧履物店」は、小学校指定靴やナースサンダルなどを販売しています。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(1)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.262-P.271
*2 西大立目祥子:仙台とっておき散歩道(無明舎出版,2003)P.173-P.174

尾頭橋(八幡園跡)たばこ屋の建物

尾頭橋公園を中心にかつての赤線街の八幡園の街路がデザインされています。*1
十字路の角にたばこ屋のある古い建物がありました。

現在は、建物の角のところにたばこの自動販売機が置かれていますが、その前は、たばこ屋さんであったようです。カフエー調の円柱の装飾があるので、たばこ屋になる以前は、この角の部分に入口のあるカフエーの建物であった可能性もあります。

2階の窓の部分に木彫りの装飾があります。

建物の側面に、女性の図柄ののれんがありました。

*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.98-P.99

古市(両口屋)坂を上りきったところにあります。

坂をを登っていくと、まるで城郭のような立派な石垣が見えてきます。この石垣は、坂道の斜面に立つ古い大きな家の土台を支えるものです。

この古い大きな家は、元旅館の「両口屋」です。明治30年頃の古市には、遊廓30軒(遊女250人)、料理屋6軒、うなぎ屋4軒、菓子屋5軒、旅館14軒がありましたが、「両口屋」は、そのうちの旅館の1軒でした。*1 かつて、この坂道の両側に広がっていた遊里の賑わいぶりを想像させる建物です。

坂を登り切ったところは、三叉路になっていて、この建物が三叉路の分岐点の目印のような存在になっています。この古い建物の玄関に乗用車が突入しているように見えますが、これは単に駐車しているだけです。玄関前の木が生長しすぎていて、建物の全容が窺いにくくなっているのがちょっと残念です。

建物は、かなり老朽化が進んでいます。

【参考文献】
*1 中沢正:遊女物語(雄山閣出版,1971) P.159

五条(任天堂旧本社)歴史を感じる近代建築です。

五条楽園の近くに任天堂旧本社ビルが当時のままで保存されています。任天堂と言えば、現在では、ファミコンの企業として有名ですが、創業は五条楽園のすぐそばだったとは知りませんでした。

タイルが美しい建物です。

入口に「山内任天堂」と書かれたプレートがあります。最初は、トランプとかるたの会社から始まったようです。プレートは、右から左に書かれていますが、「トランプ」の文字だけ左から書かれています。

横から見ると、建物は、3つの部分に分かれています。かなり奥行きのある建物です。真ん中の建物が建築的に最も美しいように思います。

安浦(駅前の病院)アール・デコ調のデザイン

今回は、安浦(神奈川県横須賀市)の町並みと風俗を散歩します。
京急県立大学駅(旧安浦駅)前に、佐野医院の建物があります。

アール・デコ調のデザインの立派な建物です。

文化的価値がありそうな近代建築です。

円形のステンドグラス。