磐田(中泉歴史公園の公衆トイレ)五七五七七

中泉歴史公園にある公衆トイレ。お洒落な形状です。


清潔感のあるトイレです。


大便器の前に掲げられている標語。心静かに・手を添えて・外に零すな・松茸の露。

 

標語の上部に「急ぐとも」の落書き。つなげると、五・七・五・七・七の短歌になります。
 急ぐとも・心静かに・手を添えて・外に零すな・松茸の露。

瀬戸(公衆トイレ)橋の下

宮前地下街の北端の公衆トイレ。陸橋のように見えるのは、宮前地下街の屋根とほぼ同じ高さの駐車場の敷地の延長にある通路(橋)です。その橋の下に公衆トイレが設けられています。

丸窓が印象的です。

男子トイレの小便器。

レトロな手洗い場。

飛田(飛田新地内の公衆トイレ)「かわや」と書かれた看板

飛田新地の南端。

「かわや」と書かれた看板。飛田新地内にある公衆トイレです。

トイレの入口には、「飛田新地料理組合」と書かれた石柱が置かれています。

トイレの周辺には、ベンチや自販機があって、ちょっとした休憩所になっています。利用者は男性ばかりです。

京橋(共同トイレ)アパッチ

京橋駅の南側、JR環状線と第二寝屋川が交差するあたりは、かつて「アパッチ部落」と呼ばれた在日コリアンの根城でした。*1

JR環状線のガード。

線路脇には、住宅地が続いています。

ガード下の共同トイレ。

【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.140-P.141

荻窪(荻窪銀座の共同便所)目立たない場所にあります。

荻窪銀座の入口の近く。

一見、何の変哲もない路地(ビルの隙間)ですが、ここが共同便所への入口です。

大人一人がかろうじて通ることができる狭い路地が直角に曲がった先に、共同便所があります。

小便用は、仕切り板が無いタイプです。衛生状態はあまり良くありません。

足尾(社宅の共同便所の染付古便器) その2:大便器

トタンの仕切り板に囲まれて大便用の個室が3つ並んでいます。

染付古子便器の大便器が当時のままで残されています。ここには、トイレットペーパーは無く、昔の浅草紙(落紙)を思わせるようなチリ紙が置かれています。
わが国において、用便後に紙で拭くのが全国的に一般化したのは昭和30頃で、それ以前の農山漁村では、植物の葉などを使用しており、紙の使用は都市部のみでした。足尾銅山は、山の中にあったとはいえ、膨大な数の尻を拭く葉っぱは到底得られず、明治の初期から紙で拭いていました。*1

花柄がデザインされた小判形大便器。
染付古子便器の場合、大便器には、角形と小判形の2種類がありました。角形の大便器は、下の箱、金隠しともに四角い形で、江戸時代の木製便器を模してつくられました。小判形の大便器は、金隠しが丸い形で下の箱が小判形のもので、陶器土で四角い形をつくるのが難しいため石膏型でこの形になりました。*2

夏場の便所は大変だったそうで、便槽にはたくさんのウジ虫がはい回り、換気の設備がないので刺激臭が鼻だけでなく目にもきました。大勢の人が使うので日ごとに糞尿の液面は上昇し、それにつれて例の「おつり」の危険性も高くなりました。冬場になると今度は便が凍ってうず高い山になり、お尻に触れそうで不安になりました。*1

【参考文献】
*1 本田 正男:鉱山研究(2010.3)P.7 「鉱山便所考 鉱夫の便所・役宅の便所」
*2 INAXライブミュージアム企画委員会:染付古便器の粋(INAX出版,2007)P.4

足尾(社宅の共同便所の染付古便器)その1:小便器

青色のトタン板に囲まれた共同便所。

掃除の行き届いた男子用のトイレに、染付古便器が2つ並んでいます。
「染付古便器」は、白地の素地に酸化コバルトで絵付けし焼成したもので、明治中期から昭和初期にかけて瀬戸(愛知県)や信楽(滋賀県)でつくられました。小便器には、①朝顔形(口が手前に向けて開いた小便器)と②向高(向こう側が高くなった置便の底に穴をあけたもの)の2種類があり*1*3 、写真のものは①朝顔形です。*1

鉱夫長屋の便所では、装飾のない小便器が使われることが一般的でしたが、足尾銅山の場合は、花柄の小便器も使われました。*2

現在からみると、実用品というより工芸品の趣があります。*2

【参考文献】
*1 INAXライブミュージアム企画委員会:染付古便器の粋(INAX出版,2007)P.4
*2 本田 正男:鉱山研究(2010.3)P.2 「鉱山便所考 鉱夫の便所・役宅の便所」
【参考URL】
*3 株式会社LIXIL:INAXライブミュージアム 窯のある広場・資料館 染付古便器について