亀戸(赤線跡)可憐な概観を持つ建物

亀戸の旧銘酒屋街。
「赤線跡を歩く」*1 で紹介されている「可憐な概観を持つ建物」が現在も残っています。

当時は、建物の左上部分に「双葉」と書かれていました。*2

タイルの装飾をコンクリートでくりぬいたような窓のデザインは同時のままです。*2

奥行のあるアパートの建物。

■カテゴリ 亀戸 赤線·私娼跡

■参考文献
*1木村聡: *赤線跡を歩く (自由国民社,1998)消えゆく夢の街を訪ねて

P.27 ・可憐な概観を持つ建物。コンクリートをくり抜いたような窓。 ・何気なくのぞいた倉庫の中にタイル張りの …

*2小沢昭一: *珍奇絶倫小沢大写真館 (筑摩書房,2006)

P.224 亀戸 赤線跡「双葉」の写真。 売春防止法で、一番最初に完全転業した街。外は昔を偲べても内は工場。む …

豊川(赤線跡)円福荘

赤線だった「円福荘」跡※1 には、もう1軒、当時のものと思われる建物が残っています。

1960年の「豊川市商工名鑑」*4 では、芸妓寮や旅館になっています。売春防止法の施工により、転業になったようです。

当時の面影が残っています。

玄関は、紅色です。

■カテゴリ 円福荘 豊川 赤線·私娼跡

■参考文献
*1豊川市・豊川商工会議所: 豊川市商工名鑑 1960 (豊川市・豊川商工会議所,1960)

P.141 旅 館  梅 福    〃 旅 館  千代本    〃 P.151 芸妓寮  ゑびすや 豊川町遠通 …

■参考記事

豊川(赤線跡)円福荘

豊川町遠通には、「円福荘」という名称のカフェー(いわゆる特殊飲食店)がありました。*1
1954年の「豊川市商工名鑑」*2 には、「特殊カフェー」の記載があって、豊川町遠通七に、20軒の屋号の記載があり、そのうちの2軒、「幸楽」「雅ノ屋」は、1978年の住宅地図*3 にも記載があります。1960年の

カフェー街だったと思われる一画は、現在は住宅街になっていますが、「幸楽」と思われる建物が残っています。

2階部分。

鮮やかな、紅色が印象的です。

■カテゴリ 円福荘 豊川 赤線·私娼跡

■参考文献
*1愛知県警察史編集委員会: 愛知県警察史 第3巻 (愛知県警察本部,1975)

P.392 第四九表 カフェー(いわゆる特殊飲食店)の営業地帯形成状況

*2豊川市・豊川商工会議所: 豊川市商工名鑑 1954 (豊川市・豊川商工会議所,1954)

P.119-P.120 特殊カフェー 幸 楽 豊川町遠通七 特殊カフェー 深 川   〃 特殊カフェー 雅ノ家 …

*3ゼンリン: 豊川市 1978 (ゼンリンの住宅地図) (ゼンリン,1978)

P.104 豊川町遠通に、「幸楽」「雅ノ屋」の記載。

■この記事を参照している記事

豐田(「観月境」跡地)月見町という地名にその名残

拳母(現在の豊田市のこと)には、カフェー(いわゆる特殊飲食店)が集団的に一画を形成していました*1。
特殊飲食店街は「観月境」と呼ばれ、昭和33年の赤線廃止まで続き、最盛期には、80~90人ほどの女性が働き、午前1時ころまで営業していました。現在では月見町という地名にその名残があります。*2

現在の月見町。

当時の屋号*3 を引きつぐビジネスホテル。

赤線廃止直後の1965年の住宅地図*4によると、旅館小楽があったのは、現在のビジネスホテルがある場所の1本北側の通りでした。

■カテゴリ 豊田 赤線·私娼跡

■参考文献
*1愛知県警察史編集委員会: 愛知県警察史 第3巻 (愛知県警察本部,1975)

P.392 第四九表 カフェー(いわゆる特殊飲食店)の営業地帯形成状況

*2名古屋郷土出版社: 写真集 豊田いまむかし     (名古屋郷土出版社,1989)

駅西を望む(昭和30年頃) 遊廓「観月境」の写真。8軒ほどの2階屋。 昭和33年の赤線廃止までこの地にあった。 …

*3豊田市郷土資料館: 挙母 資料集(豊田市文化財叢書) (豊田市教育委員会,1995)資料にみる明治大正昭和のあゆみ

公共建築物調書 P.120 特殊カフェ20軒の屋号の記載。 小楽、福本、寸楽、第三小楽、江戸川、遊楽、第二小楽 …

*4ゼンリン: *豊田市・高岡・猿投(1965年) (ゼンリン,1965)

P.28 ・月見町2丁目に、「旅館小樂」「旅館深川」「旅館寿」の記載。

今治(駅前の青線跡)

今回は、今治(愛媛県今治市)の町並みを散歩します。
今治駅前に残る長屋建物。地元の方の話によると、かつては数軒の旅館があって、非公認の女性街だったそうです。

南側から。

営業中のスナックもあります。

北側にももう一軒あります。

高知(掛川町)青線があった地域

今回は、高知(高知県高知市)の町並みを散歩します。
高知市の掛川町は、かつて青線(非公認の特飲街)があった場所です。*1
現在はソープランドなどが建ち並ぶ風俗街になっています。

旧町名の掛川町の案内板。案内板によると、「掛川町」は、関ヶ原の合戦後、山之一豊が掛川(現在の静岡県掛川)から入国のとき、職人を移住させたことに由来する地名です。
青線があった時代は、玉水町の赤線※1※2※3と並んで、掛川町の青線と呼ばれていたようです。売春防止法施行により、赤線と青線は解散しましが、掛川町の青線については、半年後街娼がみうけられるようになり、転業した旅館のほとんどが連れ込み宿でした。*1※4

現在の町名は、堺町です。

「掛川」の電柱番号札。

立川(米軍用キャバレー跡地)黒人専用

戦後の進駐軍の性処理問題へ対応は、米軍の人種差別のため、白人兵士用の羽衣町特飲街と、富士見町(西立川駅前)の黒人兵士専用のバーに2分されていました。*1
白人用の特飲街と黒人用特飲街が2分されるのは、かつての沖縄でも同様の状況が見られました。※1
立川の場合は、東の方は白人が、西立川寄りは黒人街にと変わりました。そして黒人専用のバーとして西立川駅の入口に「玉川」が誕生しました。*1

1970年の住宅地図*2 を見ると、駅近くに同じ屋号の「ホテル玉川」の記載があります。

「ホテル玉川」があった場所は、現在は、食品スーパーの建物が建っています。

屋上からの遠望。
昭和記念公園(戦後米軍が旧立川飛行場を接収した立川基地跡地)の緑が見えます。

■カテゴリ 立川 赤線·私娼跡

■参考文献
*1三田鶴吉: 立川飛行場物語 (,1987)

P.245 進駐軍の性処理問題については、GHQの要請によって立川パラダイスがあって旧日本陸軍の将校宿舎がそれ …

*2公共施設地図航空: 立川市 1970年度版 (全国統一地形図式航空地図全住宅案内地図帳) (公共施設地図航空,1970)

P.7521 羽衣町一丁目に、荻原荘、稲生荘、千秋荘、大橋寮、横田寮、石田寮、羽衣荘、東松寮、栄荘、萬年寮、の …

■参考記事

立川(羽衣特飲食街跡)

今回は、立川(東京都立川市)の町並みを散歩します。
立川の赤線は、錦町※1 と羽衣町の2ヶ所にありました。*1*2
戦後は、旧日本陸軍の将校宿舎に立川パラダイスが作られましたが、やがて閉鎖されると、兵隊達は羽衣町の特飲街へと流れ、戦前からの飲食店街までバーへと一変しました。*3
現在も格子状の道路の形状が残っています。

1970年の住宅地図*4 見ると、この付近には、荻原荘、稲生荘、千秋荘などの屋号の記載があります。転業アパートと思われる屋号の記載があります。

錦町はいわゆるカフェー調、羽衣町は平屋一戸建てが並ぶ都営住宅のような景観でした。*5*6
写真は、旧特飲街の東端。

旧特飲街の南端は、商店街と接しています。

■カテゴリ 立川 赤線·私娼跡

■参考文献
*1渡辺寛: *全国女性街・ガイド (季節風書店,1955)

P.66 中央線立川駅を降りると、黄色を尻目に米パンがバイキンのように泳いでいる。

*2上村敏彦: *花街・色街・艶な街 色街編 (街と暮らし社,2008)

P.123 昭和23年当時の立川市の地図(観光の日本社発行)。2ヶ所の指定地がわかる。

*3三田鶴吉: 立川飛行場物語 (,1987)

P.245 進駐軍の性処理問題については、GHQの要請によって立川パラダイスがあって旧日本陸軍の将校宿舎がそれ …

*4公共施設地図航空: 立川市 1970年度版 (全国統一地形図式航空地図全住宅案内地図帳) (公共施設地図航空,1970)

P.7521 羽衣町一丁目に、荻原荘、稲生荘、千秋荘、大橋寮、横田寮、石田寮、羽衣荘、東松寮、栄荘、萬年寮、の …

*5木村聡: *赤線跡を歩く (自由国民社,1998)消えゆく夢の街を訪ねて

記録映画「赤線」を見ると、錦町はいわゆるカフェー調、羽衣町は平屋一戸建てが並ぶ都営住宅のような景観だったようだ …

*6睦書房: *人情講談 昭和27年9月号 (睦書房,1952)

P.162 羽衣町から、国電立川駅へ行く途中の錦町。羽衣町はうっかりすると住宅街と間違える。

■参考記事

三鷹(八丁特飲街跡)中町一丁目

今回は、三鷹(東京都武蔵野市)の町並みを散歩します。
三鷹駅の北側、現在の横川電機の工場へ向かう途中に、かつて「八丁特飲街」として賑わった飲み屋街があり、「松月」「ぼたん」「ひばり」「花月」「末広」「ふたば」などの店がありました。*1

南側の路地に入ると、現在もその雰囲気が残っています。

昭和39年(1964年)の住宅*2 には、「花月」「ふたば」など、特飲街時代の屋号を引き継いだ店が確認できます。

電柱番号札に残る「八丁」の名。

1956年5月、売春防止法が国会を通過し、全国各地の草の根からの廃娼運動の結果、1957年12月19日、業者側は遂に廃業声明を発表するに至った。*3

■カテゴリ 三鷹 八丁特飲街 赤線·私娼跡 電柱番号札

■参考文献
*1上村敏彦: *花街・色街・艶な街 色街編 (街と暮らし社,2008)

P.120-P.121 戦後の混乱期がやや落ち着き始めた昭和24年(1949年)、中町二丁目の一画に八軒の木造 …

*2東都地図社: 武蔵野市商工住宅名鑑 (東都地図社,1964)

P.31 八丁特飲街があった場所(武蔵野市中町1-19-9)に、下記屋号の記載。

*3武村民郎: 朝日ジャーナル 2月10日号 (朝日新聞社,1984.2.10)女の戦後史-45-売春防止法--婦人相談員の献身的努力に支えられて

P.33 1950年秋、東京都武蔵野市八丁(中央線三鷹駅北口)に、8軒の「青線」が出現した。業者たちは、5,2 …

■この記事を参照している記事

佐世保(旧ハウス跡地)外国人相手の貸席

終戦後、佐世保の高天原から祇園町にかけては、外国人相手の貸席(ハウス)が分布していました。*1
1954年の住宅地図*2 によると、現在の新公園の北東側には、「〇〇ハウス」と記載されたホテルが密集していました。

現在、ビジネスホテルがあるあたり。この付近にも数軒のハウスがありました。*2

割烹店があるあたり。「ホテルヴィナス」などのホテルがありました。*2

1本北側の通り。道路沿いにハウスが建ち並んでいました。*2

■カテゴリ 佐世保 赤線·私娼跡

■参考文献
*1吉田容子: 都市地理学vol.10 (日本都市地理学会,2015)P.61-P.76 敗戦後長崎県佐世保市の歓楽街形成史-遊興空間をめぐる各主体の関係性に着目して

P.70 1954年の2月~3月頃、貸席はどこに存在していたのか。

*2浅川武: 佐世保地理詳解図 昭和29年度 (佐世保地理研究社,1954)

P.21

扇田(洋館の妓楼)第二新開地

現在の上扇田にできた2つ目の遊里「第二新開地」。第二新開地には、末廣家、いろはや、カフェー喜楽、山田屋、白川屋、大正亭、一二三亭、吉乃屋、清水亭、昭和館、アカツキ(喜楽跡)、カフェー暁、モダンカフェー朝日亭(山田屋跡)などがありました。*1

料理屋だったと思われる建物。

洋館の妓楼「昭和館」。*2

第二新開地の入口付近にあった料理屋。

■カテゴリ 扇田 赤線·私娼跡

■参考文献
*1千葉雄: *扇田酒屋物語 (比内町教育委員会,1986)P.17-P.18

P.17-P.18 明治から、大正、昭和(33年頃)の間、扇田にあった料理屋、カフェー、茶屋は次の通りである。

*2小松和彦: 秋田県の遊廓跡を歩く (カストリ出版,2016)P.120-P.155

P.120-P.155 洋館の妓楼「昭和館」など、扇田の遊里についての取材レポート。

扇田(この付近だけ道路の幅が広くなっています。)第一新開地

扇田には、二つの遊里が存在しました。明治32年以降、裏通り、新丁他に散在していた料理屋を分教上、風紀上の理由から県の指示で移転させた「第一新開地」と昭和4年に第二料理屋指定地問題が起こり、町議会で審議、道路整備のうえ、誕生した二つ目の遊里「第二新開地」です。*1

第一新開地があった曙町。*2
現在も当時のものと思われる建物が残っています。

第一新開地には、竹廻家、琴富貴亭、瓢家、藤家、永平亭(朝鮮料理屋)、ひさご屋(のちの八郷倶楽部)などがありました。*3

他にも、凝った意匠の建物が残っています。

■カテゴリ 扇田 赤線·私娼跡

■参考文献
*1千葉雄: *扇田酒屋物語 (比内町教育委員会,1986)P.17-P.18

P.17-P.18 元禄宝永の頃といえば今から300年近い以前のころとなる。両鉱山(尾去沢鉱山、大葛金山)が栄 …

*2東京交通社: 大日本職業別明細図.第230号.秋田県 (東京交通社,1926)

第一新開地、第二新開地の記載。

*3千葉雄: *扇田酒屋物語 (比内町教育委員会,1986)P.17-P.18

P.17-P.18 明治から、大正、昭和(33年頃)の間、扇田にあった料理屋、カフェー、茶屋は次の通りである。

扇田(カフェーだった昭和軒)扇田料理屋街

元禄・宝永(1700年)の頃の扇田は、尾去沢鉱山及び大葛金山等が全盛を極め、料理屋、茶屋などの飲食店が軒を並べました。*1

新丁バス亭近くに、「カフェー昭和軒」*2 と思われる建物が残っています。

建物の前面は、ラーメン店(現在も営業中)ですが、その後ろ側に、「昭和軒」の看板が残る建物が現存しています。

地元の方の話によると、昭和軒の経営者は数年前に他界されたとのこと。営業中のラーメン店と「昭和軒」は、関連がないそうです。

■カテゴリ 扇田 赤線·私娼跡

■参考文献
*1千葉雄: *扇田酒屋物語 (比内町教育委員会,1986)P.17-P.18

P.17-P.18 元禄宝永の頃といえば今から300年近い以前のころとなる。両鉱山(尾去沢鉱山、大葛金山)が栄 …

*2千葉雄: *扇田酒屋物語 (比内町教育委員会,1986)P.17-P.18

P.17-P.18 明治から、大正、昭和(33年頃)の間、扇田にあった料理屋、カフェー、茶屋は次の通りである。

出雲(有楽町旅館街)塩治町新地跡

かつての赤線区域だった有楽町旅館街は、現在は「柿田旅館」「旅館ふじみ」2軒の旅館が営業中です。
出雲市商工案内*1 によると、塩治町新地と呼ばれた赤線街には、特殊喫茶店がありました。
昭和33年の売春防止法により、塩治町新地は、有楽町旅館街に生まれ変わりました。*2
売春防止法施行前後の「出雲市商工名鑑」*3*4を比較すると、旅館や下宿に転業していることを見て取ることができます。

休業中の旅館の建物。

旅館街の北側。奥行のある建物であることが解ります。

旅館街の東側にある稲荷神社。

■カテゴリ 出雲 塩治新地 赤線·私娼跡

■参考文献
*1清水直義: 出雲市商工案内 (出雲市商工案内所,1948)

P.70-P71 特殊喫茶 塩治町 京家、花家、旭亭、大三亭、郎亭、菊代亭、寿亭 特殊喫茶店組合の広告頁 塩治 …

*2記念誌編纂委員会: *出雲市商工発展誌 (出雲商工会議所,1984)

P.78 昭和33年、売春防止法の施行に伴い、塩治(えんや)有楽町の業者は、数回にわたり対策協議を重ねた結果、 …

*3出雲市商工課: 出雲市商工名鑑 1952 (出雲市,)

塩治新地 壽亭、菊代亭、京家、朝日亭、第三亭、百々の家、富時家、郎亭、花家

*4出雲市商工課: 出雲市商工名鑑 1961 (出雲市,)

旅館 旭荘 上塩治町 有楽 柿田旅禍 上塩治町 有楽 香月旅館 上塩治町 有楽 菊乃家旅館 塩治町 高栄北 と …

須坂(青木新道)赤線・青線があった地域

須坂の青木新道には、飲み屋街が形成されていて、青木新道からトテ馬車(人を乗せる馬車)が出ていました。*1

青木新道は、かつて、赤線・青線地域で、7,8軒の店が並んでいました。*1

現在の青木新道には、古びたスナックの建物が残っています。

青木新道の赤線・青線は、昭和32年の売春防止法の施行により廃止となりました。*1

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.495

金沢(石坂)タイルで装飾されたスナック

にし茶屋街にある西検番事務所の角を右に曲がってしばらく行くと、掘割にかかる小橋が見えます。*1
小橋を渡った先がかつて赤線のあった石坂で、地元の人は「いっさか」と発音します。*2

スナックが密集しています。

タイルで飾られたスナック。

石坂は、かつてタイルの見本市のようだといわれたほど、タイルで装飾された娼家の多い町でした。*2

【参考記事】
*1 風俗散歩(金沢):掘割にかかる小橋(2010.4)
【参考文献】
*2 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.193-P.199

本牧(大丸谷のチャブ屋街跡地)現在のJR石川駅近く

チャブ屋の語源は、軽飲食店を指す「CHOP HOUSE」とされ、港の人力車夫たちの間で転訛していきました。これが明治初年のことで、大正年間、本牧小港*1 と大丸谷(おおまるだに)の2ヶ所に統合され、震災後は日本人の客も出入りするようになりました。*2

大丸谷のチャブ屋街は、現在のJR石川駅からすぐのところにありました。*2
1956年の住宅地図*3 によると、この付近には「バーオリエンタル」がありました。

「HOTEL第一」「HOTEL横浜」があったあたり。*3

この交差点の角には、「旅館ヒーロー」がありました。*3

 

淡谷のり子が歌った「別れのブルース」は、作曲家の服部良一が、私娼窟が密集している本牧のバーで洋酒を傾けていたときに思いつき、藤浦洸が作詞しました。「窓を開ければ 港が見える メリケン波止場の 灯が見える....」*4

【参考記事】
*1 風俗散歩(本牧):本牧小港のチャブ屋街跡地(2009.5)
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.70-P.71
*3 経済地図社:中区明細地図(経済地図社,1956)
*4 吉武輝子:別れのブルース(小学館,2003)P.205-P.206

本牧(チャブ屋街の名残)本牧町2丁目

戦後営業を再開していた頃の本牧チャブ屋街。本牧町2丁目に名残があります。*1

横浜ロイヤルホテル。(昭和31年の住宅地図*2 では「ロイヤルパーク」)
この付近は、チャブ屋と思われるホテルが密集していました。*2

ホテルの屋上に設置されている自由の女神像。

自由の女神が立つホテルを見ていると、大正時代のチャブ屋が並ぶ町の姿が想像できます。*3

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.70-P.71
*2 経済地図社:中区明細地図(経済地図社,1956)
*3 川本三郎:我もまた渚を枕(筑摩書房,2009)P.64