神田明神下(御茶ノ水駅)川沿いの4階建て

今回は、神田明神下(東京都千代田区)の町並みを散歩します。
JR御茶ノ水駅の東側。神田川に架かる聖橋からみたJR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線が立体交差します。ずっと眺めていても飽きない景観です。

昌平橋から聖橋方面の遠望。

川沿いに4階建ての建物が建ちならんでいます(JR御茶ノ水駅より)。

ビリヤードの建物。

釧路(鉄北センター)飲食街

鉄北センター※1 は、東西に2棟あって、現在営業中の店舗が多いのは、こちらの西側の棟です。

反対側(南側)から。

レトロ感漂うスナック店。

夜の鉄北センター。

釧路(鉄北センター)釧路駅前

釧路駅の北側の若松町2丁目。駅前の通りは鉄北幹線通りと呼ばれています。道路沿いに、「鉄北センター」の建物があります。

西側から見た建物の壁面。2階建て建物が延々と続きます。

西側の入口。

夜の鉄北センター。

釧路(城山歓楽街)飲み屋街跡

釧路の久寿里橋通り。久寿里橋は、釧路川に架かる橋で幣舞橋の1本上流です。

かつての飲み屋街「城山歓楽街」の跡が残っています。

かつての栄華がしのばれます。

「城山歓楽街」は2棟あって、こちらは、西側の棟です。

■カテゴリ 城山歓楽街 釧路 飲食街·横丁

■参考文献
*1日本住宅地図出版: 釧路市・附.釧路村 1976 (日本住宅地図出版,)

P.200 「城山歓楽街」の記載。 ・東側の棟:あきみ、順子、マリ、知恵、他 ・西側の棟:まき、美千代、ともち …

釧路(遊楽街センター)隣り合う2棟

釧路市の歓楽街、栄町2丁目の遊楽街センター。昭和の雰囲気が残っています。

遊楽街センターA(左側)、遊楽街センターB(右側)、の2棟が隣り合って配置されています。この2棟の天井部分が一体となっていて、一つの横丁建築になっています。

店舗は、現在も営業中です。

逆方向から。

生田原(北の王金山跡)現在も残る遺跡

大正10年代から昭和初期にかけての生田原は、第一次世界大戦後の経済不況と農業の断続冷害凶作で、商業界は低迷の苦境を余儀なくされましたが、鉱山の操業という起死回生の天恵に救われ、再び活況を取り戻しました。*1
現在の生田原神社の南側に北の王金山跡の入口があります。

林道をしばらく歩くと、眼下に眺望が開けた場所へ出ます。

そこからすぐのところに残るコンクリート造りの建造物。

四角い窓が見えます。

■カテゴリ 生業·産業の町 生田原

■参考文献
*1生田原町: *生田原町史 (生田原町,1981)

P.524 鉄道開通と林業の勃興 大正3年、鉄道が開通すると、物資の需給は増大の一途をたどり、翌4年には200 …

■参考記事

生田原(スナック店)

カフェーの「日輪」*1※1※2があった通りの交差点の角。スナックが2軒建っています。

交差点の角にあるスナックは、昭和55年の市街図*2では「ムーラン」という屋号でした。

旧「銀月」。*2

玄関の隣の丸窓が印象的です。

■カテゴリ スナック街·店舗 生田原

■参考文献
*1生田原町: *生田原町史 (生田原町,1981)

「カフェー日輪」の記載。 (現在の遠軽町生田原418)

*2生田原町: *生田原町史 (生田原町,1981)

交差点の角に、「ムーラン」、踏み切りの近くに「銀月」。

■参考記事

名寄(有楽センター)かつての花街に建つ飲食ビル

名寄のかつての花街だった場所(現在の西4条南5丁目付近)の南北の通りは、「錦通り」と命名されています。

錦通りに建つ飲食ビルの「遊楽センター」

1階が店舗。2階が居住スペースです。

夜の様子。

札幌(すすきのゼロ番地地下飲食街)昭和の歴史空間

すすきの市場※1 の建物の地下1階部分は飲食店街になっています。

バーや小料理屋がひしめく飲食店街。*1

まさに、昭和の歴史空間です。

通路の両側からは、歌声が漏れ聞こえてきます。

■カテゴリ すすきの市場 ゼロ番地飲食街 札幌 飲食街·横丁

■参考文献
*1読売新聞社: *さっぽろ大路小路 (読売新聞社,1972)札幌いまとむかし

P.82-P.83 「ススキノ0番地街」――ネオン街ど真ん中、南六西四に、東西百メートルにわたる地上五階地下一 …

■参考記事

札幌(すすきの市場)異色のゲタばき住宅

ススキノのネオン街ど真ん中に、東西百メートルにわたる地上五階地下一階の細長いビル「すすきの市場」の建物があります。*1

二階-五階は日住宅公団のアパートになっています。*1

長く続く廊下。

1階は、市場機能を有しています。

■カテゴリ すすきの市場 下駄履き住宅 札幌 飲食街·横丁

■参考文献
*1読売新聞社: *さっぽろ大路小路 (読売新聞社,1972)札幌いまとむかし

P.82-P.83 「ススキノ0番地街」――ネオン街ど真ん中、南六西四に、東西百メートルにわたる地上五階地下一 …

■この記事を参照している記事

豊川(小松屋の小路)レトロな佇まい

飲食店「みほ」がある小路※1 の1本西側の小路。
料理屋が2軒並んでいます。

料理屋の「小松屋」。

レトロな佇まいです。

小路(写真左側)の裏側は広い駐車場になっています。写真の右側は、飲食店「みほ」※1 がある小路に連なる建物の裏側。

豊川(門前通りの飲食店)バーの看板。

今回は、豊川(愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
豊川稲荷の開帳(昭和29年)や豊橋博以降、昭和30年代、豊川の参拝客はうなぎのぼりに増加し、昭和38年には自動車時代を迎え、豊川稲荷の観光化が目立つようになりました。*1
豊川稲荷の門前通りには、レトロな飲食店やみやげもの屋が軒を連ねます。

こちらの飲食店は、現在はかき氷などの甘味類の店になっています。

駅前の西本町通り沿いの飲食店。

バーの看板。

■カテゴリ 商店街·市場 豊川

■参考文献

P.248-P.249 豊川稲荷の開帳(昭和29年)や豊橋博以降、昭和30年代、豊川の参拝客はうなぎのぼりに上 …

■この記事を参照している記事

御油~赤坂(女郎屋跡)全盛の頃は30軒余の遊女屋

東海道五十三次宿時代の御油※1 は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めました。遊女屋は、中町、中上町、伝馬町に全盛の頃は30軒余りありました。*1

現在は、当時の面影を残す建物は少なくなってきています。*1

イチビキ醤油手前の元女郎屋の建物。*1

中町の銭屋(女郎屋)があったあたり。*1

■カテゴリ 御油 街道·街路の町

■参考文献
*1: *御油・赤坂宿の町並 (村瀬輝雄,1985)旧東海道小坂井・御油・赤坂・長沢の調査記録と写真集

P.32 東海道五十三次宿時代の御油は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めた。 遊女屋は、中町、中上 …

■参考記事

御油~赤坂(御油宿)旅人留女

今回は、御油(ごゆ、愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
御油は、江戸時代、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡われるほど、飯盛で街道筋に聞こえた遊興の宿場でした。*1
写真は、かつての御油宿の入口にあたる旧御油橋です。

江戸時代の御油宿の様子は、歌川広重の木版画「東海道五拾三次之内36御油《旅人留女》」に描かれています。

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんでした。『東海道中膝栗毛』には「両がはより出くる留女、いずれもめんをかぶりたるごとくぬりたてるが・・」とあります。*2

明治に入ると交通手段の主役が鉄道に移り、それについれて旧御油宿は次第にさびれていきました。御油橋を渡る旧東海道沿いは裏通りとして利用されています。*1

■カテゴリ 御油 街道·街路の町

■参考文献
*1山本瑳一: 豊川・宝飯いまむかし : 写真集 (名古屋郷土出版社,1989)

P.52-P.53 御油は、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡わ …

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんで、画中のような有 …

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