三沢(十和田観光電鉄三沢駅)

今回は、三沢(青森県三沢市)の町並みを散歩します。
青い森鉄道線三沢駅の西側に、2012年に廃線となった十和田観光電鉄線の三沢駅の駅舎が残っています。

北側の入口。

現在も残る切符売り場

現在は、使われていないプラットホーム。


■カテゴリ 公共施設 三沢
■参考文献
*1東奥日報社: 東奥日報 (東奥日報社,2006.3.13)

P.8 駅物語86 十和田観光鉄道⑪ 三沢 1922(大正11)年の開業。国鉄東北本線(現在青い森鉄道青い森鉄 …

野辺地(旧金沢町の旅館)L字型の木造建築

大万旅館のある旧金沢町の旅館街。*1※1
木造建築の旅館がもう一軒あります。

旅館「福よし」。

1階部分は、洋風の佇まいです。

建物は、L字型に連なっていて、かなり大型です。


■カテゴリ 旅館 野辺地
■参考文献
*1野辺地町文化財保護審議会: あるくみるなっとく野辺地の自然と文化 (野辺地町文化財保護審議会,2012)

P.52 旧大萬(だいまん)旅館 旧大萬旅館は、入母屋屋根に玄関バルコニーを持つ2階建ての和洋折衷の木造建築で …


■参考記事

神田(更地の隣の3階建てのビル)神田小川町2丁目

神田小川町2丁目のビル街。写真右手前は、以前のビルが取り壊され、建て替え予定となっている更地です。

更地の隣の3階建てのビル。正面から見ると2階建てのように見える点は、看板建築の特徴を有しています。

少しだけ3階部分が垣間見えます。

更地の方向から見た建物の側面。


■カテゴリ 商業 神田

神田(多町の看板建築)豆腐店

神田多町周辺は、神田川と日本橋川まれ、この2つの川の水運により食料も集まりやすうい立地から「やっちゃば」と呼ばれる青物市場ができきました。「越後屋」は創業明治末。市場で買った荷物を揃え、配送する権利を持っていました。*1

正面部分のみ銅板が貼られています。

建物の奥を見ると、3階建てであることがわかります。

逆方向から。


■カテゴリ 商業 神田
■参考文献
*1スタジオワーク: *東京さんぽ図鑑 (朝日新聞出版,2017)町や建物の"新しい見方"を超図解!

P.52 神田は、神田川と日本橋川まれた江戸の城下町である。江戸時代の物流は水運が中心だったので、2つの川に挟 …

大塚(記念湯)天井に宇宙の絵

大塚駅南口。サンモール商店街を進み、天祖神社のさらに先にビル銭湯の記念湯があります。マンションの1階が銭湯の入口です。

シンプルな記念湯の看板。

脱衣場の天井には宇宙の絵が描かれています。

玄関マットにも宇宙の絵。


■カテゴリ 銭湯 大塚
■散歩事典 大塚

錦糸町(旅館の建物)ネオン看板

今回は、錦糸町(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
錦糸町駅の北口の駅前ロータりーから道を1本入ったところ、繁華街の中に旅館の建物があります。建物の屋上には、旅館のネオン看板。

1階に焼き鳥やが入る交差点の角の建物の西側の建物が、旅館草分けだったのでしょうか。

旅館草分。

1階の焼き鳥屋は、現在も営業中です。


■カテゴリ 旅館 錦糸町
■散歩事典 錦糸町

築地~月島(日の出湯)佃島

月島西仲通り商店街※1 の北側に位置する佃島は、関東大震災にも第二次世界大戦にも被害を免れた。昔ながらの下町の面影を残す地域です。*1
佃小橋から大きな煙突付きマンションが見えます。

近くには「つり船」の店。

ビルの1階が銭湯です。

大栄マンションの東側は堀です。


■カテゴリ 銭湯 築地 月島
■散歩事典 西仲通り商店街
■参考文献
*1林順信: *東京路上細見2 (平凡社,1987)日本橋・人形町・銀座・築地・佃島

佃島の由来を簡単に記しておこう。徳川家康が天下人となるに及んで、佃村の漁民を江戸に招き、海川漁獲の許可を与えた …


■参考記事

築地~月島(看板建築)3階建て

築地市場の東側。築地6丁目、7丁目付近には、看板建築が多く残っています。
こちらの商店だったと思われる建物は、正面から見ると2階建てです。

背面から見ると、屋根裏部屋部分*1 は、3階建て部分であることがわかります。

こちらも正面は2階建て、横から見ると3階建てです。

三角屋根部分が3階部分になっている食品会社の建物。


■カテゴリ 商業 築地
■散歩事典 三角
■参考文献
*1江戸東京たてもの園: *東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 (江戸東京たてもの園,2018)

被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。

四谷大木戸(蓬莱湯跡)現在はコインランドリーが営業中

旅荘※1 があった小路を抜けると大木戸子ども園の前の商店街に出ます。

新宿区の都心にありながら、レトロ感満載の銭湯です。

現在は、銭湯は休業し、商店の建物として活用されているようです。銭湯脇のコインランドリーは営業中です。

銭湯脇の小路。

神田須田町(木造3階建ての建物)正面は2階建て

関東大震災以後の商業建築の多くは2階建てで、3階部分に屋根裏部屋を持つものが多く、これは木造3階建ての禁令をクリアするための抜け穴的構造でした。*1
神田須田町では、看板建築のような奇抜なデザインの商業建築以外にも、この「一見2階建て、実は3階建て」の建物を見かけます。

写真の建物は正面から見ると2階建てですが、横から見ると3階建てであることが解ります。

こちらも、一見何の変哲もない2階建て。

横から見ると3階建てです。


■カテゴリ 商業 神田須田町
■散歩事典 神田須田町
■参考文献
*1: *荷風!vol.23 (日本文芸社,2010.1)

P.30 看板建築は、関東大震災以後、急速に広がった商業建築で、防災を考慮して木造家屋の正面を銅板やタイル、モ …

*2江戸東京たてもの園: *東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 (江戸東京たてもの園,2018)

被災者の多くは、焼け跡に自力で資材を集めて建てたバラックに暮らした。

神田須田町(海老原商店)看板建築

今回は、神田須田町(かんだすだちょう、東京都千代田区)の町並みを散歩します。
秋葉原の万世橋を渡り、すぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐると。柳森神社の前(柳原通り)に出ます。今は神田須田町二丁目ですが、このあたりは、元柳原町と呼ばれていました。柳原は、明治には古着市場であり、その後、既製服問屋街になりました。柳原通りは昭和初期にはかなりにぎやかだったそうです。この一画には、昔からの看板建築の商店が残っています。この付近は戦災の時に焼けないで残りました。*1
写真は、岡昌(おかしょう)裏地ボタン店(昭和3年築)。*2

昭和通りに出る少し手前の右手に残るしゃれたファザードの一軒は、海老原商店という服地店です。*1*3*4

海老原商店は昭和初期(1927)につくられました。*1*3

2階窓下には、白漆喰による海老原商店の文字看板*3
上部には、ネオ・クラシックやアール・デコがミックスされたような装飾が上部についています。*1


■カテゴリ 商業 神田須田町 看板建築
■散歩事典 神田須田町
■参考文献
*1海野弘: 新編東京の盛り場 (アーツアンドクラフツ,2000)

P.250 万世橋をこしてすぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐる。ここは柳原通りというらしい。町名も今は神 …

*2交通新聞社: *散歩の達人 No.179 (交通新聞社,2011)

P.30 岡昌裏地ボタン店(昭和3年築) 明治30年創業の老舗は、初代が「岡昌夫」だから「岡昌」。この辺りは、 …

*3江戸東京たてもの園: *東京150年記念 「看板建築展」 展示品説明文 (江戸東京たてもの園,2018)

海老原家は、茨木健取手の出身で、1887年(明治20)頃に上京し、古着屋を開業した。震災後、既製品の洋服を扱う …

*4: *荷風!vol.23 (日本文芸社,2010.1)

P.30 看板建築は、関東大震災以後、急速に広がった商業建築で、防災を考慮して木造家屋の正面を銅板やタイル、モ …


■この記事を参照している記事

生田原(市街地図)生田原駅

今回は、生田原(北海道紋別郡遠軽町)の町並みを散歩します。生田原駅構内には、オホーツク文学館と図書館が併設されています。

図書館の入口に、昭和29年発行の「生田原市街地図」*1 が掲示してあります。

当時は、カフェーがあったようです。

北の王鉱山の全景。

松山(祇園湯)タイルに円柱。

松山市祇園町にある銭湯の祇園湯。

タイルで装飾された入り口。中央の大きな円柱が特徴です。

最寄りの駅はいよ鉄のいよ立花駅ですが、松山市街からも徒歩で行ける位置です。

年季の入った感じの脱衣場。


■カテゴリ 銭湯 松山 祇園湯
■散歩事典 松山
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