津島(ゑびす旅館)昔の佇まいが残る一画

池須町の北東方向。割烹「一力」の西側に、昔の佇まいが残る一画があります。

「ゑびす旅館」。地図によると現在は「ゑびす寮」となっています。

美しい黒板壁。

旧「桔梗屋」。*1
ゑびす旅館に隣接しています。

■カテゴリ 旅館 津島

■参考文献
*1公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載

相浦(旅館の建物)木造三階建て

相浦港から相浦橋(上相浦駅方面)へ向かう通りが相浦市街の中心部です。古い旅館の建物が残っています。

旅館「楽楽」の建物。*1
奥行のある立派な建物です。

旧入船旅館*1

圧巻の木造三階建てです。

■カテゴリ 旅館 相浦

■参考文献
*1ゼンリン: 佐世保市北部 (ゼンリン,1971)

P.127-P.128 旅館「入舟」、旅館「楽楽」の記載。

石動(松泉閣)観光旅館

今回は、石動(いするぎ、富山県小矢部市)の町並みと風俗を散歩します。石動は、高岡と金沢の中間に位置し、北国街道の宿場町として栄えました。現在の石動駅の北側が中心市街地で、その東側には、小矢部川が流れています。小矢部川沿いは、風光明媚な地で、観光旅館の松泉閣の建物が建っています。

旅館に隣接した料亭風の建物。

観光旅館と書かれたホテルの玄関。

小矢部川からの遠望。

■カテゴリ 旅館 石動

牛窓(川源別館)旧「角市」

牛窓に女郎屋が誕生し、花街がいつ頃できたか、今のところこれを立証する文献はないが、曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の「医学天正期」に戦国大名の宇喜多直家が、梅毒で苦しみ療養したことが記述され、これは倭寇が異国から牛窓に移入したものだと説いており、牛窓が日本花柳病の根源地だと指摘しているから、その頃牛窓にはすでに女郎屋があったと推察されます。明治時代の下行場の遊廓は、東側の角市、北側の奈良亀、福本屋、玉津屋、西側の小野屋、山松の6軒でした。そのうちの角市は、現在の「川源別館」です。*1

南側から。

川源別館は、割烹料亭として営業中です。

裏側の木戸。風情があります。

【参考文献】
*1 刈屋栄昌:牛窓風土物語(牛窓郷土研究会,日本文教出版 (製作),1973)P.21,P.64

上関(新地)割烹旅館「山水」跡地

今回は、上関(山口県熊毛郡上関町)の町並みと風俗を散歩します。
上関は、室津半島の先にある長島の北東端に発達した港町で、かつては、帆船が潮待ち、風待ちをする寄港地として賑わいをみせたところです。*1

昭和11年の市街図*2 によると、福浦港付近の海岸線に貸座敷の「山水亭」がありました。

1990年の住宅地図*3 によると、このあたりに同じ屋号の割烹旅館「山水」がありました。「山水亭」の名残かもしれません。

海岸線に沿った道路とは別に山側にもう1本道が続いています。
このあたりは、「新地」という地名で呼ばれていました。*3

【参考文献】
*1 谷沢明:瀬戸内の町並み(未来社,1991)P.37,P.91
*2 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社, 1937)第450号 山口県
*3 ゼンリン:熊毛郡No.2田布施町・平生町・上関町(ゼンリン,1990)P.136

■カテゴリ 上関 旅館

弘前(石場旅館)木製の太鼓橋

弘前市街にある石場旅館は、明治12年小間物屋と旅籠を兼ねた店として開業されました。*1
地元の方の話によると、戦争中は、出征する兵士を送る家族と面会するための旅館として使われたそうです。

玄関を入ると、柱時計が出迎えてくれます。

木製の太鼓橋は圧巻です。

夜の様子。

■カテゴリ 弘前 旅館

礼文(渡辺旅館)古い建物

香深の市街にある渡辺旅館。

古い建物が目を引きます。

旅館の1階には、ランプ、そろばん、蓄音機など、当時使われていた道具や器具が展示されていて、まるで博物館のようです。

渡辺旅館の焼印。

■カテゴリ 旅館 礼文

西浦(旅館跡)貸席

バスターミナルの角を曲がって坂を下りると、商店街の裏側の谷にあたる場所に行きつきます。
近くには、「グランド劇場」というストリップ劇場やポルノ映画館(ブルーフィルム)がありました。*1
現在は、住宅街となっていて、当時の面影はありません。

当時の旅館の建物が数軒残っています。

「貸席」と呼ばれていたようです。

アパートのような入口。

【参考文献】
*1 週刊現代:おんな紀行 第5回三河西浦温泉四万九千円の巻

■カテゴリ 旅館 西浦

半田(井筒旅館)かつての料亭

昭和の初め、「三扇楼」と言われる最高級料亭の「春扇楼末廣」「古扇楼」「福扇楼」がありましたが、二流料亭としては、「三広」と呼ばれた「広定」「広光」「広久」、「二大」と呼ばれた「大六」「大半」があり、あわせて「三広二大」と呼ばれていました。*1
1961年の「半田商工名鑑」*2 を見ると、料理旅館の項に、上記「三扇楼」と「二大」、亀崎の「望洲楼」などがあって、料亭の項に、「広光」「井筒」「永楽」「川竹」「千もす」「むつみ」の名があります。

料亭「井筒」。

ベンガラの塀。

西側にも入り口があります。

【参考文献】
*1 片山市三:半田の轍(一粒社出版部,2008)P.19-P.24
*2 半田商工会議所:半田商工名鑑1961(半田商工会議所,1961)P.105

■カテゴリ 半田 旅館

五戸(鶴の湯跡)地酒看板の近く

今回は、五戸(青森県三戸郡五戸町)の町並みと風俗を散歩します。
五戸町の中心部。地酒の「菊駒」の大看板が目を引きます。その後方に銭湯の煙突が見えます。

銭湯の「藤の湯」。

現在は、休業中のようです。

建物の後ろ側。

■カテゴリ 五戸 旅館

増毛(旅館の建物)昭和初期の面影

今回は、増毛(北海道増毛郡増毛町)の町並みと風俗を散歩します。増毛は、JR留萌線の終着駅の町です。
増毛の駅前には、古くからの町並みが残っています。

駅前で目を引くのは、駅舎と向かい合うようにして建っている昭和8年建築の「旅館 富田屋」です。2階と3階の全面には、ガラス張りの縁側があります。*1

富田屋の隣に建つ「風待食堂」は、雑貨屋だった「多田商店」の建物で、現在は、観光案内所として利用されています。「風待食堂」は、昭和56年に公開された映画「駅 STATION」で駅前食堂として登場したときの名残です。*1

「風待食堂」のはす向かいに並ぶ「海榮館」「増毛館」も昭和初期の面影をとどめている建物です。*1

【参考文献】
*1 渡辺一史:北の無人駅から(北海道新聞社,2011)P.469-P.470,P.486-P.489

■カテゴリ 増毛 旅館

茂木(叶屋ホテル)老舗旅館

大通りに面した場所にあるホテル「叶屋」。大正14年の大日本職業別明細圖にも記載されている老舗旅館です。

この日は、工芸展が開催されていました。

裏口から見た旅館の外観。風格があります。

叶屋の手書き看板。

■カテゴリ 旅館 茂木

油津(旅館)素泊まり2500円

旧花街の三間通り沿いにある旅館「日名子」。素泊まり2500円とリーズナブルです。

どっしりとした木造三階建て。

古地図「昭和10年当時の三間通り」*1 によると、この付近には芸者置屋や料亭と思われる「㐂乃家」という屋号の店がありました。

裏側から。

【参考文献】
*1 日南市産業活性化協議会:油津(鉱脈社,1993)P.246-P.247

■カテゴリ 旅館 油津

延岡(旅館の建物)紺屋町

今回は、延岡(宮崎県延岡市)の町並みと風俗を散歩します。
延岡の花柳界は、紺屋町、博労町が明治、大正時代の中心でした。*1
戦前の住宅地図*2 によると、この通りにも料亭や置屋が建ち並んでいました。

旅館だったと思われる建物。昭和34年の住宅地図*3 によると、旅館「福龍」と記載されています。

玄関部分にタイルで装飾された円柱があります。

花街時代を彷彿させる鮮やかさです。

【参考文献】
*1 延岡市史編さん委員会:延岡市史(延岡市,1963)P.476-P.480
*2 あがた会:空襲前延岡小学校々区住居地図 あがた会30周年記念制作(あがた会,1996)
*3 住宅地図刊行会:延岡市住宅詳細地図(住宅地図刊行会,1959)P.6

■カテゴリ 延岡 旅館

高松(古びた旅館)出張員

兵庫町商店街の1本裏手の路地。古い町並みの雰囲気が残っています。

古びた旅館の看板。「出張員」という聞きなれない言葉が使われています。仕事で出張にきて宿泊する人のことを「出張員」と呼んでいるのだと思います。

瓦町駅近くのフェリー通りから、西へ入ったところに、昔ながらの旅館があります。

夜の様子。

■カテゴリ 旅館 高松