信太山新地の中央部あたりに、公衆トイレがあります。男女の別はありません。入口は一つだけです。
「きんかくし」は、きれいです。中に、清掃用具が置いてあるので、定期的に清掃が行われているのだと思います。
トイレの窓。窓枠に、女性の名前や携帯の電話番号の落書きがあります。
トイレのドアの内側。「○○ちゃん、サイコー」、「超名器」、「テクニシャン」、「サービスいいよ」、「かずのこ天井」、「こんぺいとう天井」、などの落書きがあります。
信太山新地の中央部あたりに、公衆トイレがあります。男女の別はありません。入口は一つだけです。
「きんかくし」は、きれいです。中に、清掃用具が置いてあるので、定期的に清掃が行われているのだと思います。
トイレの窓。窓枠に、女性の名前や携帯の電話番号の落書きがあります。
トイレのドアの内側。「○○ちゃん、サイコー」、「超名器」、「テクニシャン」、「サービスいいよ」、「かずのこ天井」、「こんぺいとう天井」、などの落書きがあります。
信太山新地の中に神社があります。
今回は、信太山(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪からJR阪和線に乗って、信太山(しのだやま)駅で下車します。
信太山新地へは、駅前からJR阪和線の線路沿いに天王寺方面へ向かって進むか、駅前の「スーパー玉出」の脇の道を進むみます。今回は、「スーパー玉出」の脇の道を行くことにします。
道なりに進むと府道30号線に出ます。信号のある交差点に、「そこはだめ!!勝手な駐輪大迷惑 信太山新地」と書かれた看板がありますが、新地のような雰囲気はありません。
信号のある交差点の左側を見ると、旅館が立ち並んでいます。ここが、信太山新地の入口のようです。道の左側手前に、「スタンド○○」という看板のあるスナックのようなお店があります。
夕方になると、お店に提灯が灯ります。これからが飛田新地の始まりです。
店には女性とやり手婆が座り、客を待ちます。顔を明かりで照らしているせいか、女性はみな美人に見えます。女性は、10分か15分毎に交代するお店が多いようです。
青春通りと呼ばれる北部の通り。
店の前で、交渉している客がいます。
飛田大門から、いよいよ飛田新地の中へ入ります。
まず、目に入るのが高速道路。飛田新地のほぼ真ん中をを高速道路が走りぬけます。東京の風俗地帯では見られない光景です。
しばらく歩くと、反対側の壁が見えてきます。壁には階段があり、阿倍野地区へぬけることができます。整備された綺麗な階段です。
登ったところから見た壁の側面と飛田新地。こうやって見ると、飛田新地はくぼ地にあることがわかります。
壁の上から見た飛田新地。2階建ての建物がずらっと並ぶ光景は圧巻です。
動物園前商店街がつきるあたりに、大門跡の碑があります。
動物園前駅から南へ続く商店街。「動物園前一番街」のアーケードがあります。
綺麗に整備された商店街です。
商店街には、さまざまなお店が並んでいます。大衆酒場、カラオケ居酒屋、お好み焼き屋、回転焼き屋、レトロな喫茶店があるかと思えば、その隣にはレンタルビデオ屋があります。飲食・娯楽を中心に、生活に必要なものがすべて揃っているという感じです。
二番街の入口付近。気持ちよさそうに昼寝をしているネコが二匹いました。
動物園前の駅から、商店街へ入ってすぐの路地裏に、「ゴールデン 休憩200より 宿泊300より」と書かれた看板があります。「ゴールド」ではなく、「ゴールデン」という名前が何となくそそります。(新宿ゴールデン街のことを思い出していました。)
今回は、飛田(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
大阪市営御堂筋線を動物園前駅で下車し、地上へ出ます。出口の隣に、緑色に塗装された新聞・雑誌の売店が目に入ります。
出口を出て、すぐ目の前にある大衆酒場。
通りの方へ回りこんだところにある大衆酒場。古い看板が特徴的です。立ち飲みやに近い雰囲気があります。
こちらの大衆酒場は、なぜか、脇にうどん・そばの屋台が置いてあります。これほどまでに、大衆酒場が密集しているのは見たことがありません。すでに、ここから飛田は始まっているのだと予感させるような光景です。
横まち柳通りを散歩した後、横山町の南側の中央町のあたりを散策します。
1階に3軒のお店が入っている建物があります。
右側のお店。赤いドアが印象的です。
ドアの上に「カフエー」と書かれたプレートがあり、小さな文字で「茨城県公安委員会許可第1795号」と書かれています。さらに、その右側には、「二十....立入....」と書かれたプレートがあります。
JR古河駅から北西に500mぐらいのところに横町があります。「よこまち柳通り」の碑があります。
碑の裏側に、この通りの建設の経緯が書かれています。「横山町通りは、かつて江戸時代に日光街道の北玄関口として作られ、宿場としての問屋場や旅籠、茶店等が軒を連ね、陸上交通の要所として賑わった。しかし、明治から現在に至る社会経済の変化、交通手段の変革により、まちも変遷を余儀なくされた。そこで、市は、地域住民と相計り、往時を思い、さらに風格と活力のあるまちづくりを目指して、ここに『よこまち柳通り』を建設した。」
逆方向から見た横町柳通り。道路は、一直線ではなく変化がつけられていますので、自動車も速度を落として運転しています。
通りの雰囲気にマッチした水のみ場がありました。
今回は、古河(茨城県)の町並みと風俗を散歩します。
駅前に白ポストがあります。 「こどもたちに見せたくない雑誌・写真・ビデオ等のみ入れて下さい。」「少年雑誌、ゴミ等はだめ」と書かれています。
箱の側面には、「ゴミその他のものを入れた方をみかけた場合、御連絡をください。」と書かれています。いかにして、このポストにゴミを入れさせないようにするかに労力が注がれています。
西口にも、同じ仕様の白ポストがあります。但し、こちらのは、台座が丸型です。
北口の駅前ロータリーから線路沿いの路地を入ったところに輸入品専門店があります。
店の前に、ガチャガチャがあります。
「ランジェリーがちゃがちゃ 500円」と書かれています。大人向けのガチャガチャです。
試しに1個買ってみました。中には黒いパンティが入っているようです。
鶯谷ラブホ近くの公衆電話BOX。
以前は、ピンクチラシが所狭しと貼られていましたが、現在は一枚も見当たりません。代わりに「ピンクビラ等お断り!!」のステッカーが貼られています。
しかしながら、あるラブホテルの前の電柱には、真新しいチラシが貼られていました。
ラブホテル街の中の他の場所にも、同じチラシが貼られています。
ボール紙の台紙に、複数枚のチラシが貼られています。
鶯谷のラブホテル街には、犯罪防止の看板が乱立しています。看板は3種類あります。(写真は、JR山手線の線路沿い)。
1種類だけば単独で設置されている場合もあります。
ビラ貼り、客引き、つきまとい。
鶯谷のラブホテル街の中の公園(写真左奥に看板)。
JR鶯谷駅から見える和風旅館。
岩風呂「石秀」。
入口に庭園が配置された和風の佇まいです。
コンセプトは、「根岸の里」。
今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩鶯谷のします。JR鶯谷駅北口。
待ち合わせ場所にもよく使われる広場。常時タクシーが待機しています。
駅前から路地を入るとラブホテル街です。
北口駅前の路地を北に50m程歩いたところにある「うぐいす小路」の案内板。現在は実在しない店名が並んでいます。かつては、飲食店が立ち並んでいたのでしょう。
白鬚神社近くの路地。
懐かしい牛乳箱(森永牛乳)があります。保存状態も良い方だと思います。
文字は、オレンジ色と黒色の2色。背景の黄色と合わせると、3色刷りです。
「ウルトラ・プロセス」というのは、当時、森永乳業(株)が開発した加熱殺菌の技術の名称です。
木のぬくもりが感じられます。オーソドックスな形が気に入りました。
白鬚神社の隣に、古いモルタルアパート群があります。
アパートは数棟が群れのように並んでいます。
ラーメンの屋台が置いてあります。
入口が階段になっているアパート。
玉の井から、いったん東向島の駅へ戻り、そこから隅田川方面へ向かって散歩してみることにしました。東向島三丁目に白鬚神社があります。
漢字は、「白髭」ではなく「白鬚」のようです。大辞林には、『「髭」はくちひげ、「鬚」はあごひげ、「髯」はほおひげ、の意で書き分ける』と載っています。
案内板を見ると古い神社であることがわかります。平安時代に、現在の滋賀県にあった白鬚大明神を分霊して祀ったのが起源ですので、なんと千年以上の歴史があることになります。
神社の狛犬は、山谷の料亭「八百善」の八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門が奉納したものだそうです。
東清寺の入口。玉の井稲荷と書かれています。
お寺の中に稲荷神社があるということでしょうか。
狐の像。
大正道路の記念碑。
玉の井のメインの通りから路地にはいると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている赤い壁の建物があります。
派手な色の円柱。上部は茶色。中央部分は緑色です。
円柱の下部は、青と白で塗装されています。
路地を抜けるといろは通りに出ます。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.78
いろは通りの路地裏には、昔の面影を残す建物がいくつかあります。
散歩の雑誌等でおなじみのお宅。
当時のままの原型を留めており、迫力があります。
左側から見たところ。2階のバルコニーに特徴があります。
右側を見たところ。
玉の井が色街だった頃のメインストリートであったと思われる通り。
現在はスナック街になっています。
一階がスナック、二階にバルコニーがある家が並んでいます。
スナックの入口付近。当時の玉の井には、「抜けられます。」と書かれた看板があったそうですが、現在は、「車ぬけられません」と書かれた標識があります。
今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。
「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。
いろは通りの商店街。
最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。