利根川は、このあたりは川幅が広いので、川というよりは湖のようです。護岸は、コンクリートで固められています。
河口(太平洋)の方向には、銚子大橋が見えます。
護岸には、ヨットがたくさん引き上げられています。
護岸の近くは芝生の公園になっていて、お年寄りがゲートボールを楽しんでいます。
利根川は、このあたりは川幅が広いので、川というよりは湖のようです。護岸は、コンクリートで固められています。
河口(太平洋)の方向には、銚子大橋が見えます。
護岸には、ヨットがたくさん引き上げられています。
護岸の近くは芝生の公園になっていて、お年寄りがゲートボールを楽しんでいます。
結婚式場「モアパーク」の隣に広い駐車場がありますが、ここには、龍宮城と形容された二軒の妓楼(松岸遊廓)がありました。*1
松岸遊廓の最盛期は、銚子汽船と総武線開通によって客の範囲の広がった明治後期から大正期で、明治5年(1872)の資料によると貸座敷4軒が営業し、娼妓数は64名でした。*2
昭和40年頃までは建物が残っていたそうです。ひと頃、演芸ホールに改装されて芝居や歌謡ショーの興行がおこなれていたこともありました。*1
別の角度からも撮影してみました。
る護岸は後年できたもので、以前は妓楼のすぐ下までおだやかな利根川の流れが打ち寄せ、建物の周りには掘割がめぐらされていました。*1
龍宮城の雰囲気を味わいたいと思い、利根川の桟橋から妓楼跡を眺めてみました。
「全国花街めぐり」*3 では、『青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のごとく一大楼閣の浮き上がってくるのを望んだとき、「まるで繪(ゑ、かい)のやうだね」「(まるで)龍宮といった態(かたち)だね。」、誰しもそう言って歓喜のこえを放つのである。』と紹介されています。
P.118
昭和40年頃までは建物が残っていた。(写真:2軒の妓楼はこのあたりに…
P.73
良福寺の過去帳に遊女の記載が初めてあらわれるのは享保9年(1724)の…
その一すぢ青い水線の上にポッカリと、宛(さなが)ら蜃気楼(しんきろう)のご…
今回は、松岸(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
JR松岸駅は、総武本線銚子駅の一つ隣の駅です。駅から利根川の方向へ10分ほど歩くと、「松岸町北」と書かれた信号のある交差点に出ます。八百屋や薬局などの商店が何軒かある以外は、特に目立ったものはありません。
近くにあった煙草屋。カラフルなタイルが印象的ですが、休業中のようです。
しばらく行くと、前方に利根川が見えてきます。同時に、壮大な王宮のようなピンク色の建物が左手に現れます。
制服を着た若い女性が玄関の掃除をしています。どうやら、ピンクの建物は、「モアパーク」という名の結婚式場のようです。
神田駅西口近くの路地。
コスプレ焼肉「OK牧場」があります。
ガッツ石松さんが流行らせた「OK牧場!(私もあなたもOK)」を思い出します。
メイド服等のコスプレ姿のおねえさんが席の隣に座って、焼肉を食べさせてくれるそうです。
風俗店ではないのに、なぜか、18歳未満入店お断りです。
神田には、ビデオ鑑賞店が密集しています。
「ホテルがライバル」と書かれた大型のビデオ鑑賞店。
「太郎と花子」。新種のビデオ鑑賞の店でしょうか。
詳しい説明があります。
神田はパチンコの町です。神田駅西口の改札口を出ると、まず目につくのが、パチンコ店の広告です。
西口近くのゲーム店。お店入口のオブジェがボコボコにされていて、ちょっと可愛そう。
スロット専門店の「GOLD」。ここのお店の女性従業員の制服は、白のジャッケットに黒の超ミニスカートです。
「でちゃう!ガールズ(略称:でちゃガ)」というパチンコガールのおねえさんが来店する日があります。写真のミニスカの制服を着た女の子が来店し、お客様を応援するというタイアップ企画で、おしぼりやキャンディーのサービスがある模様です。
今回は、神田(東京都)の町並みと風俗を散歩します。南口の交差点から見た神田駅。中央線の高架を挟んで、両側に商店街が並びます。
最近はあまり見かけませんが、このあたりには、夜になるとアジア人のマッサージ嬢が出現していました。
駅前に、「違法客引取締中」の看板があります。看板は新しく、最近、設置された模様です。韓国語、中国語でも書かれています。
西口にも同じ看板があります。
西口にある古いバージョンの看板。「神田の街から違法エステを追放しよう!」と書かれています。かなりくたびれていますが、「違法エステ」という具体的な業種名が示されており(しかも赤字で強調)、かつての神田の状況を伝えています。
JR早川駅。前小田原駅の一つ隣の駅
駅前に白ポストがあります。
投函口は水色に塗られています。
箱の側面に「青少年に有害な本はこのポストへ」の表記。取り出し口は箱の側面下部にあります。
小田原駅前の東通り商店街近くに大乗寺がありますが、このお寺へ向かう道が分岐する三角地帯に狭小建物があります。建物の前には自販機が置いてあります。
この角度から見ると、かなり薄型の建物に見えます。
自販機と建物は、以外にもこのぐらい離れています。
建物の先端部分は、入口と階段になっています。
渋取川の暗渠のあるあたり抹香町(まっこうちょう)(現在の浜町2丁目)は、かつて旅館街でした。
壁の装飾の美しい旧旅館の建物が並びます。現在は、静かな住宅街です。
このような木の壁が景観を特徴づけています。
縦横に走る路地。
元三業地の宮小路。料理屋や旅館が建ちならびます。
ピンク色の料理屋。
タイルのモザイク。
同じ通りの小料理屋とクラブ。
本町二丁目の中心部にあるキャバレービル。上から下まですべてキャバレーの看板で埋め尽くされています。
キャバレー「ドンファン」(地下1階)。
付近には、フィリピン系の店が数多くあります。
フィリピンパブの看板。
小田原市本町二丁目の歓楽街。クラブやスナックが密集しています。
スナックとエステ。
一本東側の通り。
逆方向から。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みと風俗を散歩します。
小田原駅前の好立地にある「みやこ旅館」。当時のままの姿の建物です。
風情のある板塀。
情緒ある和風造り。
旅館の裏側は墓地です。
吉原のはずれの千束通りを行くと、一葉桜・小松橋通りと交差します。通りには、一葉桜(八重桜の一種)が植えられています。この日は、一葉桜まつりが行われていました。一葉桜まつりは、一葉桜が植えられた2002年から始まり、今年で4回目だそうです。
まつりの目玉は、花魁道中です。もちろん、これは、当時のものを再現したものです。禿(かむろ)、花魁、振袖新造の順です。
ステージが用意されており、そこでは、花魁ショーが行われました。写真は、花魁が杯を飲み干した場面です。
最後に、花魁の撮影タイムがありました。
京町二丁目と角町の間の通り。こちらにも、昔の雰囲気を残す建物が残っています。
アパートに転業した建物。
円柱と石材が調和しています。
ソープランド「天女」の近くにある、飲食店だったと思われる建物の入口。
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原の江戸町二丁目(伏見通り)。大門に近いあたりに、戦後のカフェー街の名残の建物があります。
角が丸みを帯びた、転業アパートの金井荘。1階がモルタルで2階が羽目板張りになっています。いつも選挙用のポスターが貼られているのも特徴です。
吉原今昔図*1 によると、赤線時代は「金よし」という屋号でした。
正面から見たところ。
ここのT字路は、転業アパートが向き合っていて、いい雰囲気です。
【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)
松島新地の中に入ります。料亭が整然とならんでいます。飛田に似た雰囲気ですが、飛田と比べて明らかに異なる点は、道路の幅が広いことです。道路は、車も通りますので、ど真ん中を歩くと危険ですが、少し離れて歩いて見て回ることができるので、安心感があります。
「おおさか百景いまむかし」*1 に写真が掲載されている建物。
軒下のオブジェ。
モダンなデザインです。
【参考文献】
*1 野村廣太郎:おおさか百景いまむかし(東方出版,1997)P.112
今回は、九条(大阪府)の町並みと風俗を散歩します。
中央線九条駅で下車し、百十四銀行のところを右へ曲がります。
すこし行くと左手に松島新地の入口があります。
松島料理組合が組織されています。
この地図を見る限りは、料亭街といった感じです。