京島~鳩の街(鳩の街の赤線建築)下町の希少物件

鳩の街商店街周辺には、現在も多くの「赤線建築」を見ることができます。なかでもこの物件は大店だったらしき建物で、表玄関のある裏路地側と商店街に面した通用口側の両方にバルコニーがあります。赤線当時は、このバルコニーから女性たちが名残惜しく振り返る客を見送っていたことが想像できます。*1

建物の側面にある外扉。

「OFF LIMITTS(米軍立入禁止)」。赤線時代の名残が外壁に残っています。*2

現在は、下町の希少物件として売り出されています。*1

【参考文献】
*1 散歩の達人(2004.8)P.48-P.49
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.38

高円寺(小杉湯)昭和8年創業ですが、最近改装されました。

高円寺駅北口の商店街から路地を一本入った住宅街に小杉湯があります。

昭和8年の創業ですが、最近改装されました。

破風屋根の下の欄間の木彫り(写真下部)は屋久杉(現在は、伐採禁止)の両面彫り、鯉の木彫り(写真中央)は硬いケヤキ材を使用しています。夜になるとライトアップされます。(小杉湯の案内板より)
今回の改装で、くっきりと浮かびあがるようになったそうです。

待合室からは、破風屋根を支えるケヤキの柱を見ることができます。

■カテゴリ 銭湯 高円寺

洲崎(アパート)看板に旧地名が残っています。

洲崎の東側(東陽一丁目)に古いアパートが残っています。

アパートの看板に、旧地名である「洲崎弁天町」の表示が残されています。文字のデザインもレトロです。*1

南開橋近くの民家。

古い住宅地図が残されています。昭和の時代のものと思われますが、現在と比べるとバーやスナック、銭湯などが多かったようです。

【参考文献】
*1 舟橋左斗子、山口スネ夫:散歩の達人(弘済出版社,1996.11)P.27「旧赤線の今を歩く」

■カテゴリ 民家 洲崎

洲崎(住宅街の中の飲食店)ピンクのタイルの店は無くなっていました。

前回散歩のときに、大通り沿いにあった「かにや」*1 ですが、移転をして営業中です。元の場所はマンションになっていました。

東側の通り。静かな住宅街です。

スナック風の入口。

前回散歩したときにあったピンクのタイルのスナック風の建物*2は無くなっていました。

【参考記事】
*1 風俗散歩(洲崎):旧赤線建物(2005.10)
*2 風俗散歩(洲崎):ピンクのタイルのスナック風の建物(2005.10)

洲崎(旧赤線建物)現在はアパートとして活躍中

旧洲崎遊廓の東側の通り。

ここに、現在も原型をとどめている建物があります。

見事なファザードを持った建物です。

3つあった入口のうち、中央の入口のみが使用され、他の2つの入口は閉じられています。*1

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.15

洲崎(ラーメン店)タンメンが評判の店

大通りに面した商店街には、旧町名である「弁天町」の名前が残っています。

ここに毎日長蛇の列ができるラーメン屋があります。

この店は、タンメンがおすすめです。*1

シンプルな塩味です。キャベツがたっぷりなのが特徴です。

*1 散歩の達人(1996.11)P.27「旧赤線の今を歩く」

■カテゴリ 洲崎 食文化

洲崎(洲崎橋)皇太子降臨の碑に三業組合

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
洲崎橋は、かつて洲崎パラダイスのアーチがあった場所です。

右翼団体の看板でしょうか。北方領土返還などの標語が並んでいます。

皇太子殿下御降記念の碑があります。

なぜか、洲崎三業組合の名が刻まれています。

稲毛(稲毛海浜公園)アベック狩り注意の看板

いなげの浜に隣接する稲毛海浜公園は、デートスポットであるらしく、アベックを狙う犯罪が多発している模様です。

いわゆる「アベック狩り」というやつでしょうか。

野球場のバックネット裏の松林には、痴漢・暴漢注意の看板。くぼ地の地形になっていて、人目につきにくい場所です。

テニスコート裏にも同じ看板がありました。
野球場裏はハッテンの場所*1 とのことですが、ハッテン注意の看板はありませんでした。

【参考文献】
*1 斎藤靖紀:別冊宝島(1996.11)「ウラ東京観光 決定版!」P.184-P.186 「ゲイのための無料ハッテンバ紹介」

稲毛(いなげの浜)ハッテンバ?

 昭和30年代まで海岸線だった稲毛浅間神社付近*1 から数キロ離れたところに現在の海岸線である「いなげの浜」があります。

休日は家族ずれで賑わいます。

1996年発行のムック本*1 によると、いなげの浜は、ゲイのハッテンバとして有名です。
海岸の東側に男性ばかりが海岸で日焼けしているスポットがありますが、ここがその場所かどうかはよくわかりません。

ムック本によると、実際にハッテンする場所は、公園東側にある球場周辺の松林内だそうです。*2
たしかに、球場の周辺は松林があります。

【参考文献】
*1 風俗散歩(稲毛):稲毛浅間神社(2007.9)
*2 斎藤靖紀:別冊宝島(1996.11)「ウラ東京観光 決定版!」P.184-P.186 「ゲイのための無料ハッテンバ紹介」

■カテゴリ 社交場 稲毛

稲毛(稲毛浅間神社)昔は海岸線でした。

今回は、稲毛(千葉県千葉市)の町並みと風俗を散歩します。国道14号線沿いに「ビジネスホテルきらく」の看板があります。
「きらく」がある場所には、「海気館」と呼ばれる別荘式の旅館がありました。昭和の初期、稲毛が千葉文化の中心でした。「海気館」ゆかりの作家としては、森鴎外、島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、有吉佐和子、松本清張などがいます。*1
昭和30年頃まで、稲毛一帯は自然の海岸線を生かした一大リゾート地でした。特に春から夏にかけては、潮干狩り、海水浴のメッカとして、海のない埼玉県、栃木県、群馬県など関東近県から毎年何十万という人々がここを訪れました。*1

「きらく」の近くには、稲毛浅間神社があります。

祭礼用の海中岩。昔は、ここが海岸線でした。

昭和の初期、東京から1時間内外で行けるところで、松林のある風景の良い海岸は、ここだけでした。*2
稲毛浅間神社内にその面影を残す松林があります。

【参考文献】
*1 財団法人千葉市文化振興センター:(カルチャー千葉36号)P.34-P.36「海気館いまむかし物語」
*2 松川二郎:東京近郊日がへりの行楽(誠文堂,1930)P.266

千葉(蓮池通り)花街の面影を残す通りです。

千葉市花柳界の代名詞になっている蓮池ですが、現在は”蓮池通り”にその名が残されています。*1

料理屋の「歌舞伎」は、昭和の初期から続く老舗です。

今も昔の面影を残しています。

蓮池と書かれた暖簾。

【参考文献】
*1 松谷富彦・小池淳達:蓮池・女人聞き書き抄 (吾妻町青蓮会,1978)P.89-P.96 付録の地図「昭和10年頃の蓮池周辺」

千葉(蓮池の碑)千葉市花柳界の代名詞

千葉市中央3丁目から4丁目にかけては、千葉市花柳界の代名詞になっている蓮池があった場所です。*1
木更津街道から来る大通りが銀座通りと交差するあたり、明治22年創業の刃物専門店があります。

刃物専門店前の歩道に「蓮池の碑」があります。「蓮池の碑」は3度の移転を繰り返し、現在の場所にありあます。

この碑面には、徳田秋声の傑作「縮図」に一節が刻まれています。「蓮池の埋め立てだという蓮池の花街は、駅から二丁ばかり行った通りにあった。その辺には洋食屋かカフェ、映画館もあり、殷賑(いんしん)地帯で、芸者の数もいま銀子のいる東京のこの土地と甲乙で、旅館料理屋兼業の大きい出先に、料亭も幾つかあった。...」*2

裏面には、蓮池由来記が書いてあります。「蓮池とは千葉市花街の代名詞であり、現在大千葉市中心吾妻町商店街として栄えております。その昔は広い蓮田を次々と埋め立て料亭、待合、芸妓置屋等が建ち、ここのみが三業の許可地として年を遂うて繁栄を極めるに至りました。...」*2

【参考文献】
*1 財団法人千葉市文化振興センター:(カルチャー千葉36号)P.30-P.33「花街の碑のゆくえ」
*2 松谷富彦・小池淳達:蓮池・女人聞き書き抄 (吾妻町青蓮会,1978)P.89-P.96 付録の地図「昭和10年頃の蓮池周辺」