甲州街道と明治通りが交差するあたりに、雷電稲荷神社という変わった名の稲荷神社がありますが、そこが新宿四丁目の旅館街の入口です。
ここは、旭町のドヤ街でしたが、現在は、「新宿四丁目ビジネス旅館街」と看板に書かれています。
今でも小さな旅館が立ち並ぶ風景が見られます。*1
3階建てのように見える旅館。
道なりに進むと、やがて高島屋前に出ます。
【参考文献】
*1 木村聡:荷風!特集大人の新宿(日本文芸社,2004)P.58-P.60「古雑誌記事に”新宿”を読む!」
甲州街道と明治通りが交差するあたりに、雷電稲荷神社という変わった名の稲荷神社がありますが、そこが新宿四丁目の旅館街の入口です。
ここは、旭町のドヤ街でしたが、現在は、「新宿四丁目ビジネス旅館街」と看板に書かれています。
今でも小さな旅館が立ち並ぶ風景が見られます。*1
3階建てのように見える旅館。
道なりに進むと、やがて高島屋前に出ます。
【参考文献】
*1 木村聡:荷風!特集大人の新宿(日本文芸社,2004)P.58-P.60「古雑誌記事に”新宿”を読む!」
花園神社に立ち寄ります。この日は酉の市の日でした。東側入口に仮設小屋が見えますが、これは、酉の市の日に建てられる見世物小屋です。
「演劇大百科事典」によると、見世物とは、「寺社の境内や盛り場で臨時に掛小屋芸能及び種々の珍奇なものを見せて、入場料をとる興行物」のことをいい、かつては、女相撲やストリップも仮設で興行されていました。仮設小屋の起源は室町時代にまでさかのぼると言われています。*1
蛇おんなの看板。
呼び込みのおばさんが、熱弁をふるいます。
【参考文献】
*1 鵜飼正樹:見世物小屋の文化誌(新宿書房,1999)P.15,P.26,P.50
新宿二丁目から延びる都電の軌道跡の道を10分ほど歩いたところに、西向天神社があります。
神社の境内の片隅に、藤圭子が歌った「新宿の女」の歌碑があります。
藤圭子は、1969年に「新宿の女」でデビューし、アルバムチャート20週連続1位という快挙を成し遂げました。現在は宇多田ヒカルのお母さんとして有名です。
この歌碑の由来として、「昭和44年9月25日『新宿の女』で、この西向天神より二人の若者が旅立っていき、石坂まさをと藤圭子の名は時代を刻み、伝説として語られるようになった。」と記されています。
同じく、石坂まさを作詞・作曲で藤圭子が歌った隠れた名曲に「女町エレジー」があります。「女町エレジー」は、宝山寺(生駒新地)の女性をテーマとした曲です。*1
【参考記事】
*1 風俗雑感(音楽):「藤圭子の遺伝子」
新宿二丁目、靖国通りに面して成覚寺(じょうかくじ)があります。ここは、新宿の遊女たちと関係深い寺で、一名「投げ込み寺」といわれました。*1
入口の石段を下ってすぐ左側の塀下に旭地蔵があります。旭地蔵は、内藤新宿の遊女と武士や町人たちが、なさぬ恋を悲しんで玉川上水へ身投げして心中した者たちのために建られた供養塔でした。*1
台座には18名の男女の戒名が並べて刻んであります。*1
「貸座敷」と刻まれています。
【参考文献】
*1 芳賀善次郎:新宿の今昔(紀伊國屋書店,1970)P.70-P.72
ゲイバーなどが立ち並ぶ二丁目の一画には、ボーイ募集やモデル募集の貼紙があちこちに貼られています。
ボーイ募集の貼紙。
ビデオモデル募集。
ビデオショップの前の大型看板。
今回は、新宿の町並みと風俗を散歩します。新宿二丁目は、かつて赤線があった場所ですが、最近はゲイの街として、生まれ変わっています。
ビデオ店も専門的な品揃えがされています。
おしゃれなブリーフが並べられている店。
DVD店の入口。男性の裸のマネキン人形が飾られています。
数年前までちょんの間があった初音町。北側にスナックが建ち並ぶ路地があります。
裏側の路地には、昔の雰囲気が残されています。
旅館の看板が残されています。
入口付近にかつての旅館の面影が残されています。
今回は、黄金町(神奈川県横浜市中区)の町並みを散歩します。
かつて、ちょの間があった初音町の京急の高架下。
現在は、建物が完全に撤去されています。
大岡沿いの部分は、かつての名残がわずかに残っています。
店舗は、新しい店舗に改装されていいます。
今回は、黄金町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。その名もズバリ「黄金劇場」。堂々とした店構えです。
正面から見たところ。
入口付近。
歴史を感じる看板。
阪東橋駅近くの伊勢佐木町6丁目に小規模な飲食小路があります。
円柱を持つ黄色い建物。
黒いタイル。
店の屋号と思われるネオン管
第一京浜沿いには、ヘルス店に混じって、古本屋が乱立します。アダルト系のDVDや雑誌のバックナンバーが中心の品揃えです。
白い色が印象的な店。
2軒並んでいます。
2階がヘルス店の古本屋。
第一京浜裏手の路地には、赤線時代の建物がごっそり残る一画があります。
今回散歩したところ、半年程前まであった古いお宅と元旅館の建物*1 が無くなっていました。中央部の一画がぽっかりと空き地になっています。
路地の北側には、円柱を持つお宅が健在です。
道を挟んだ向かい側の建物が無くなり更地になったため、建物の全貌を見れるようになりました。
【参考記事】
*1 風俗散歩(曙町):第一京浜裏手の路地(2006)
中華料理屋「一番」の隣に、古い家があります。*1
回転式の窓がたくさんあります。
まるで絵画を見ているようです。
何に使われていたのでしょうか。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)p.129
今回は、曙町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。
赤線跡研究家の木村聡さんは、年に何回か横浜に行くことがあり、「夕方からは、だいたい曙町の『一番』という国道16号線に面した中華料理屋に入り、食事をしながらビール。これが一応のコースとなっている。」と述べています。*1
364日24時間営業です。
窓からは、ヘルス店が見えます。
「一番セット」を注文。この店の名物であるサンマー麺(ミニ)と、ニラレバ炒め、シュウマイ、温泉卵、おしんこ、デザートのセットです。これだけのボリュームで800円です。
ビールは割安感のある大瓶の瓶ビールを注文。
【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.132-P.133
立石のカフェー街は、京成立石駅前の踏み切りを渡った商店街の左手のあたりにありました。*1
パチンコ屋のある通りから右側に入った路地に料理屋だったと思われる建物があります。
路地の曲がり角のあたり。
建物の右手には、狭い路地が続いています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.62
立石駅近くの住宅地。手作りの「チラシおことわりします。」の貼紙があります。
あるお宅の郵便ポストの「チラシ厳禁」の貼紙。葛飾区が作成したもので、「ビデオや風俗営業の宣伝チラシおことわり」と書かれています。ピンクビラなどが投げ込まれ、葛飾区が対策に乗り出した時期があったのでしょうか。
「ゆすり、押し売り厳禁」のホーロー看板。昭和の初期には、こういうのが横行していたようです。
ドロボー撃退の貼紙(「赤外線発射装置付」)。科学技術の進歩はこういうところにも生かされているようです。
近い将来、ピンクビラの投げ込みを撃退する装置も発明されるかもしれません。
呑んべ横丁のゲートをくぐると、古い建物があります。
朽ち果てた消火器箱。箱の内側にも「消火器」と書いてあります。
横丁のあちこちに消火器箱があります。
路地にある消火器箱は、状態が良く綺麗です。
今回は立石(東京都葛飾区)の町並みと風俗を散歩します。京成電鉄立石駅を降りてすぐの所に、飲み屋街があります。
狭い路地に飲み屋が密集している一画があります。
歴史を感じる看板。
ハートのマークの扉のお店。
玉の井を象徴する赤線跡の建物。※1
2階のバルコニー部分。ここから客を見送ったのだと思います。
入口。
軒下の意匠。
いろは通りに面したスーパ-マーケット。多くの買い物客で賑わっています。
昭和30年代までは、この場所に「玉の井文映」という映画館がありました。現在のスーパーはその建物を利用しています。*1
スーパーの奥に、稲荷神社があります。
病死した玉の井の娼婦や水子の供養をする稲荷神社です。*1
永井荷風の記念碑があり、荷風が描いた地図が掲示されています。
【参考文献】
*1 小針美男,川本三郎:追憶の東京(河出書房新社,2006)P.10
戦後の玉の井は、いろは通りの北側にありましたが、永井荷風の「墨東綺譚」の舞台となった戦前の玉の井は、いろは通りの南側にありました。
戦前の玉の井は、改正道路(現在の水戸街道)を挟んだ両側にありました。*1
現在の水戸街道から東向島駅への道。戦前は、この細い道に「玉の井駅近道」の看板がありました。*1
「墨東綺譚」で主人公の老作家がお雪さんと出会った場所。*2
「墨東綺譚」に出てくる銭湯の中島湯。現在はマンションになっています。*1
【参考文献】
*1 文芸散策の会:永井荷風の愛した東京下町(日本交通公社出版事業局,1996)P.115-P.117
*2 川本三郎,湯川節子:図説永井荷風(河出書房新社,2005)「墨東綺譚」文学散歩の玉の井概要図
メインの通りから路地を入ったところ。前回の散歩のときにあったカラフルな円柱を持つ赤い壁の建物*1 は無くなっていました。
建物が無くなったおかげで、対面にあった装飾された窓枠を持つお宅*2 の概観が見渡せるようになりました。
窓枠には、こんな装飾がほどこされています。
建物の側面から空き地の方向を見たところ。
【参考記事】
*1 風俗散歩(玉の井):赤い壁の建物(2006.3)
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.76
今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
玉の井の目抜き通り。前回、散歩した古いスナックが建ち並ぶ一画*1。
2階にバルコニーがあります。
赤と緑に統一された木造住宅です。
建物の角の部分の柱が赤で強調されています。
【参考文献】
*1 風俗散歩(玉の井):色街だった頃のメインストリート