新町(現在の錦町2丁目)の路地。
カフェー調の建物の建物が残っています。*1
美しい赤色のタイルです。
緑との相性も抜群です。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.44-P.45
新町(現在の錦町2丁目)の路地。
カフェー調の建物の建物が残っています。*1
美しい赤色のタイルです。
緑との相性も抜群です。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.44-P.45
門司港駅の東側の新町(現在の錦町2-21の小児科病院の裏手の狭い路地)に、赤線街がありました。*1
入口は、鍵の手のように路地が曲がっています。
古い木造の建物が連なっています。
1階部分は華やかな感じになっています。
裏側の通りから見ると、木造3階建てであることが解ります。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.44-P.45
JR門司港駅の北側の東本町。金属製のアーチがあります。
このあたりには、馬場遊廓がありました。*1
昭和3年の「門司新市街圖」には、現在の現在の東本町2-4のあたりに「遊廓」と記されています。*2
料理店がはいっている古い建物。
「馬場」と書かれた電柱のプレート。
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2002) P.44-P.45
*2 大淵善吉:門司新市街圖(1928)
甲宗八幡神社は、源平合戦の時代から伝わる、由緒ある神社です。
門司で有名なものと言えば関門トンネルですが、その関門トンネルの入口の山腹にラブホテルの大看板があります。
関門トンネルの手前の右を入るとホテルに到着です。
ホテルの全景。アパートのような建物です。
入口付近。
今回は、門司(福岡県北九州市門司区)の町並みと風俗を散歩します。
鹿児島本線始発駅である門司港駅は、駅舎のみならず門司港駅一帯が「レトロ」地区として有名です。
電話ボックスもレトロなデザインですが、その右隣にもう一つレトロなボックスがあります。
レトロ調の白ポストです。
ポストの上にデザインされているのは、国指定重要文化財の「旧・門司三井倶楽部」の建物でしょうか。
芳和荘の内部に入ると眼前に飛び込んでくるのが、この光景です。建物は2階建てで、口の字型になっています。建物の遊廓時代は、「長州楼」と呼ばれていたそうです。
正方形の建物の内側には廊下があって、ぐるりと一周できます。
遊廓建築の特徴と言える中庭。
2階の欄干の板には、文字が彫られています、何と書いてかるかは、宿泊すると、翌朝、芳和荘のご主人が教えてくれます。
築100年近く建つ萩市松本川近くにある芳和荘。昔は遊廓で、外観や廊下に昔の建築物がそのまま残っています。*1
築100年の木造建築です。
歴史を感じさせる看板。
北側からの遠望。
【参考ホームペ^ジ】
*1 萩温泉旅館協同組合:今月の旅館紹介(芳和荘)
今回は、萩(山口県萩市)の町並みと風俗を散歩します。
東萩駅から萩橋を渡って、弘法寺の前を通りすぎると、浮島橋があります。この浮島橋の北側の新堀川沿いに遊廓がありました。
昭和9年発行の「萩市街地図」*1には、遊廓の場所が記されています。現在の浜崎町のあたりです。
遊廓は、「弘法寺」の俗称で呼ばれていました。*2
現在の新堀川沿いは、住宅地となっています。新堀川の東側(写真の右側)に遊廓があり、現在、川沿いにある家は、昔は無く、舟から直接遊廓にあがれたそうです。
遊廓だった場所に、現在も残っている旅館「芳和荘」。*3
萩の町並みを紹介する観光地図「浜崎伝建おたからマップ」が町のあちこちに貼られていますが、「昔の遊廓。中も見れます。」と芳和荘のことが紹介されています。
【参考文献】
*1 地図資料編纂会:昭和前期日本都市地図集成(柏書房,1987)P.120「萩市街地図」
*2 上村行彰編 :日本遊里史(春陽堂,1929)P.582
【参考ホームペ^ジ】
*3 萩温泉旅館協同組合:今月の旅館紹介(芳和荘)
湯田温泉の湯の町通りを北へ進むと、一富士旅館、入舟旅館の看板が見えてきます。
昭和6年の「山口市街図」を見ると、この付近に「遊」、「廓」の2文字が記されています。この付近だけ、道幅が広くなっている箇所があります。
湯の町通りから来た道と比べると、道幅は、かなり広いです。
建物は、古くからこの地にあったと思われる木々に囲まれています。
湯田温泉の湯の町通りと錦川通りが交差するあたり。昔の温泉街の雰囲気を感じる場所です。交差点の近くにくすり屋があります。
くすり屋の隣の部分。
よく見ると、「大人のオモチャ、九州民芸」と書かれています。古典的民芸秘具でも販売していたのでしょうか。
この交差点から北へ行くと、昔、遊廓があった場所に行き着きます。
今回は、湯田温泉(山口県山口市)の町並みと風俗を散歩します。 湯田温泉は、交通の便も良く、中国地方屈指の温泉歓楽街です。
湯の町通りと県道204号線が交差するあたり。湯田温泉の中心部です。写真の右手前には、中原中也記念館があります。松田屋ホテルの豪華の建物に圧倒されます。
中也通り。温泉旅館もあります。この道を真っ直ぐ行くと、高田公園に行き当たります。
錦側通り。このあたりが湯田温泉の古い町並みでしょうか。
スナックが建ち並ぶ、温泉街らしい町並みです。
防府駅北側にある天神商店街。江戸時代はお殿様が通った萩往還の道筋です。
防府天満宮の参道沿いに銭湯の錦湯があります。ちょうど、らんかん橋の隣です。
近代的なビル建築ですが、看板に愛嬌があって、何となくあたたかい感じがします。
女湯の入口にある張り紙。可愛いです。
脱衣場は驚異的な狭さです。
防府駅近く、天神一丁目の「新天地」と呼ばれる繁華街があります。
ちょっと寂れた雰囲気のスナック街。
スナック街にある旅館風の建物。
空きが目立つ新天地のビル。
三田尻には、かつての色町の名残でしょうか、スナックだった古い建物が残っています。
建物は、和風です。
スナック明日香。
売地に残るスナックの看板。
「全国遊廓案内」によると、防府には三田尻遊廓があり、「開地遊廓」とも呼ばれていました。*1
三田尻交番の近くには、スナックが点在していて、かつては、繁華街であったと思われます。
今回は、防府(山口県防府市)の町並みと風俗を散歩します。
JR防府駅からバスに乗り、バス停「堀口通」で下車します。
「全国遊廓案内」によると、駅から乗り合い自動車で「堀口」で下車して直ぐの場所に、三田尻町遊廓がありました。*1
堀口通の商店街。この付近は、萩往還の終着点にあたり、江戸時代は商業地区でした。
堀口の東隣の三田尻本町の精肉店。
精肉店脇の路地。奥に見える石垣は、萩往還の終着点に築かれたお茶屋の「英雲荘」です。
【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.137
新小岩駅近くの繁華街には、新旧の風俗店が散在しています。
人妻性感コース。
マッサージ店の看板。
「女性様入口」と書かれた貼り紙。
新小岩のルミエール商店街のアーケードの支柱は、ご覧の通り根元がさびついています。犬の小便は鉄をも溶かす威力です。
ドラッグストアの支柱。
立小便の名所?。
「ニャンとも...」ネコ語で書かれた微笑ましい張り紙です。
JR新小岩駅の北口は、南側のトータリーと比べ、ちょっと寂れた雰囲気です。
一見何の変哲も無い本屋さんです。
店の裏へ回ると、赤く目立たせた裏口があります。アダルトビデオ専用の裏口です。
建物の側面には、個室ビデオの看板があります。
松島三丁目の三叉路から新小岩公園方面へ行く道の途中に、「青葉旅館」の大きな看板があります。
ずいぶん質素な店構えの旅館です。
入口だと思っていたのは、裏口でした。
表へ回ってみると、風情のあるビジネス旅館でした。
松島の赤線跡地の奥まったあたり。以前は、未舗装の砂利道でしたが、古い建物が取り壊されたため、駐車場となりました。
以前は通り抜けできたのですが、駐車場のフェンスでさえぎられています。
現在も営業中のスナック。緑色の塗装が印象的です。
反対側から見たところ。「赤線跡を歩く」に掲載されていた「玉屋」の建物は、新しいビルに建て変わっていました。写真の左手前にあった串あげ小料理「佐竹」の建物も無くなっていました。
アーケードをぬけた三叉路付近に、赤線時代の建物が今も残っています。
4軒の店が入っている長屋の建物。*1*2
「赤線跡を歩く」*3 に写っている同じ建物の写真を見ると、一番左の店は、「柳鮨」となっていますが、今は、別の店に変わっています。
「赤線跡を歩く」に掲載されていた「柳鮨」の隣の建物は、無くなっていました。
三叉路付近。
口絵に「丸健」の建物。写真には、左から「YANAGIYA」、「カフエーやよ…
P.13
「柳すし」(YANAGIYA)、「やよい飲屋」(カフエーやよい)の…
P.118
昭和40年頃までは建物が残っていた。(写真:2軒の妓楼はこのあたりに…
今回は、新小岩(東京都江戸川区)の町並みと風俗を散歩します。
JR新小岩駅南口から延びる「ルミエール商店街」のアーケードが無くなるあたりに、「丸健」と呼ばれていカフェー街がありました。現在もかすかにその面影を残す路地があります。*1
路地の奥まったあたりにある「かつこ」という名の小料理屋。
路地を逆方向から見たところ。
この路地の裏側には、「山喜」という屋号の料亭風の建物がありましたが*1、残念ながら、取り壊されて駐車場となっていました。
【散歩地図】
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.28-P.29