毎年8月の最終土曜日に浅草サンバカーニバルが開催されます。パレードは、馬道通りから雷門通りにかけて行われます。
浅草サンバカーニバルは、1980年、俳優の伴淳三郎さんの発案で始まりました。*1
今年は、あいにくの雨(時々豪雨)の中でのパレードとなりました。
パシスタと呼ばれるパレードの中のソロダンサー。どこのチームも魅力的です。
タンガと呼ばれる衣装で、背中にたくさん羽を背負っています。
【参考URL】
*1 浅草エスコーラ・ヂ・サンバ協会(AESA)ホームページ
毎年8月の最終土曜日に浅草サンバカーニバルが開催されます。パレードは、馬道通りから雷門通りにかけて行われます。
浅草サンバカーニバルは、1980年、俳優の伴淳三郎さんの発案で始まりました。*1
今年は、あいにくの雨(時々豪雨)の中でのパレードとなりました。
パシスタと呼ばれるパレードの中のソロダンサー。どこのチームも魅力的です。
タンガと呼ばれる衣装で、背中にたくさん羽を背負っています。
【参考URL】
*1 浅草エスコーラ・ヂ・サンバ協会(AESA)ホームページ
花やしきから、北へ、ひさご通りに入ります。ひさご通りの中程、米久のあるあたりに看板があります。
近くにラブホテルがあるので、「街娼」が出没するのも納得できます。
この附近には、明治~大正時代、十二階(凌雲閣)があり、十二階の周辺は、「十二階下」と呼ばる魔窟でしたが、現在もこの伝統が受け継がれているのかもしれません。
ひさご通りの入口附近に、もう一つの看板があります。文言はほとんど同じですが、一箇所だけ、「街娼」が「娼婦」という言葉に置き換わっています。
よく見ると「娼婦」の隣に、誰が書いのか「男」の文字。
浅草観音温泉に入ってみます。
銭湯は、男湯と女湯の入口が分かれているのが普通ですが、ここの銭湯の入口は一つです。ロッカーがたくさん並ぶ廊下を過ぎるとその先で、男湯と女湯の入口があります。
バンビの乗り物があります。しかし、横には、「バンビさんは動きません。」の貼紙。
脱衣所にある「マナーのお願い」の貼紙。
コンクリート造りで、天井が高いのが印象的です。天井は緑色、柱は赤色に塗られています。中央に円形のタイル張りの湯船があり、タイルで人魚の姿が描かれています。
浅草寺本堂の前を西へ向かうと浅草観音温泉の建物が見えてきます。建物の屋上には、「浅草観音温泉」と書かれた大看板があります。
左に、浅草ビューホテル、右に花やしきのタワーが見えます。
蔦の絡まる銭湯。
「男は黙ってサッポロビール」の看板。三船敏郎のCMが懐かしいです。
入口の横に、「極端に不潔な方、入場お断り」の貼紙があります。
今回は、浅草(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代、明暦の大火により元吉原の遊廓が現在浅草寺の後方に移されたことによって、浅草寺界隈は人手で賑わうこととなりました。
仲見世の風景。
さまざまな店が並び、賑わいを見せています。
仁王門近くに、江戸時代に水茶屋が建ち並び賑わっていたことを示す案内板があります。
表参道が吉原通いの主要通路であったことが、境内の繁栄につながり、参道に沿って水茶店が出現し、水茶屋女が評判となるようになりました。
当時の水茶屋女の容姿の代表的なものとして、衣装には贅を尽くし、特に前掛けに工夫をこらし、江戸の流行の原動力となりました。
【参考文献】
*1 上坂倉次:あさくさ仲見世史話 門前町繁昌記(浅草観光連盟,1985)P.27-P.38
瀬上駅近くに青柳神社があります。
森林の中に大きな社があります。
境内の社の裏手に、多くの石祠がありますが、そこに性崇拝の跡が見られます。やはり、遊廓町としての名残と思われます。*1
女神(女陰)。
【参考文献】
*1 小林金次郎:ふくしま散歩 福島郷土文化風物誌 県北編 改訂版(西沢書店,1977)P.184
全国遊廓案内によると、瀬上町遊廓には、今加楼、備中楼、八幡楼、花月楼、今出楼、普豊楼の6軒の貸座敷があり、約45名の娼妓がいたそうです。*1
国道4号線沿いの「瀬上中央」バス停から北へ50メートル。信号機のところを右に入ったところに、花月楼の建物が現存しています。*2*3
花月楼は、昭和15年頃に、石倉造りの部屋を増築し、13人ものお姉さんたちに揃いの飾り着をつくり、歌いはやし踊らせたそうです。*3
裏口の上部に「花月」の文字が確認できます。
表側へまわると、石蔵の前は広い敷地になっています。
【参考文献】
*1 南博編:近代庶民生活誌 第14巻(三一書房,1993)P.41
*2 薄井三男:福島公娼史(薄井三男,1993)
*3小林金次郎:ふくしま散歩 福島郷土文化風物誌 県北編 改訂版(西沢書店,1977)P.181-P.183
今回は、瀬上(福島県福島市)の町並みと風俗を散歩します。
JR福島駅から阿武隈急行線に乗り換え、3つ目の駅が瀬上ですが、今回は、一つ手前の福島学院前で下車します。国道4号線沿いに歩くと瀬上宿の看板があります。このあたりが、かつての宿場町だったようです。
付近は、ビジネスホテルが1軒あるだけで、宿場町の面影はありません。
「瀬上中央」バス停。
「瀬上中央」バス停から50mほど北の薬師前という地名のあたり。国道わきに古い石造りの建物が見えます。
旧中仙道から北側に路地を入ったところに、於菊稲荷神社があります。
於菊稲荷神社の名称の由来は、今から250年前に隆昌を誇った新町宿の大黒屋とう宿屋にいた遊女のお菊からきています。お菊は重い病にかかりましたが、この社で一心に祈願したところ病が回復しました。*1
遊女が献額した絵馬が残されています。
かむろつき遊女の参詣図
【参考文献】
*1 「上州路」編集部:月刊上州路 No.251 P.38「新町の観光スポット」(1995.3)
*2 千木良英一:月刊上州路 No.251 P.16-P.17「新町宿のれこれ」 (1995.3)
新町駅近くに古い銭湯があります。
入口付近。何とも言えない荒廃した雰囲気です。
建物の隣の広場には、雑然と物が置かれています。
中に入るとさらに凄いです。
JR新町駅前に、小規模なスナック街があります。
古い旅館の建物があります。
歴史を感じる看板。
美しい板塀です。
今回は、新町(群馬県高崎市)の町並みと風俗を散歩します。
JR新町駅前の国道沿いにレンタルビデオショップがあります。
ビデオ鑑賞だけでなく、お昼寝としても利用できるようです。
品揃えも豊富です。
ビデオ鑑賞やお昼寝は、ショップから30mほど離れ別棟(1枚目の写真のショップの左上に写っている建物)で行います。郊外型の立地を生かした業態といえるかもしれません。
小池駅から東側のコンビニのミニストプのところの交差点を西に曲がると、赤線があった有楽町に行き着きます。
当時の建物が現存しています。
落ち着いた感じの和風の建物がずらっと並びます。
1軒だけ洋風のアパート風の建物がありました。
豊橋鉄道渥美線の小池駅近くに古い旅館が2軒あります。
そのうちの1軒、大黒屋は当時のままで現在も営業中の旅館です。
玉川旅館。
風情のある入口付近。
JR豊橋駅から豊橋鉄道渥美線に乗り、2駅先の小池駅で下車します。小池駅の西側の通り。
広い通りに面して、制服屋があります。
高級女学生制服。
ショーウィンドウ。
豊橋に古くから存在する吾妻遊廓は、明治43年に吉田の宿場から遊廓になりました。*1
昭和2年の「豊橋市街地図」を見ると、吾妻町の正方形の区画の東側、つまり、赤線があった東田仲ノ町のあたりに、「遊廓」の2文字が記されています。
戦後は赤線に移行しました。*2
売防法以降は、料理屋に転向し、仲居という名の接客婦を置いた時期があり、その結果、取り締まり当局の集中攻撃を受け徹底的に検挙されてしまい、その後は普通の旅館に転向したと言われています。*3
現在も現役で営業中の旅館が何軒かあるようです。
往時を偲ばせる建物が残っています。
*1 全国遊廓案内
*2 木村聡:赤線跡を歩く2 P.102-P.103
*3 全調査 東海道 酒・女・女の店P.202
市電の競輪馬場前駅の南側に東田仲ノ町公園があります。
競輪馬場前駅から道路を歩くと、突然、緑が多いY字路に出会います。ここが東田仲ノ町公園です。
公園の向こう側は赤線地帯でした。現在も和風の旅館が建ち並びます。
公園の中には、神社があります。
今回は豊橋(愛知県豊橋市)の町並みと風俗を散歩します。
豊橋は、路面電車のある町です。JR豊橋駅前に市電の駅があります。
市電が町を走ります。
道路との併走区間が延々と続きます。
競輪場前駅にて。
上諏訪駅の北側の湖岸通り三丁目付近は、観光ホテルが建ち並ぶエリアです。温泉地には、ストリップ劇場があることが多いですが、上諏訪にもありました。フランス座です。
大手花街の路地を入ったところに、大手見番があります。
現在も見番として存続しているようです。
邦楽教室としても営業中です。
夜の様子。
JR上諏訪駅の南側にある通称大踏切。この踏切を渡るとすぐにY字路があります。右は並木通りへ向かう通り、左は大手の通りです。
大正後期には、この通り沿いに料亭が並んでいました。*1
逆方向から見たところ。奥に大踏切があります。
大手の通りから路地に入ったところにあるスナック。
【参考文献】
*1 藤森弘子:まぼろしの花街大手(長野日報社,2007)P.23
衣乃渡橋近くを歩いていると、木造民家や倉庫のような建物が点在する広場*1 に出ました。
場所は、「並木地区公民館衣乃渡分館」の隣です。地元の方に話をお伺いしたところ、このあたり一帯は、遊廓街だったと教えてくれました。
今回は、上諏訪(長野県諏訪市)の町並みと風俗を散歩します。諏訪の市街の南側を衣之渡(えのど)川が流れます。
「全国遊郭案内」によると、上諏訪町字衣之渡には、衣之渡遊郭がありました。*1