足利(渡良瀬橋)森高千里さんの歌で有名になりました。

足利市内を流れる渡良瀬川。自然に囲まれた足利を代表する美しい風景です。足利市内には、渡良瀬川に多くの橋がかかっていますが、一番知名度の高いのは、この渡良瀬橋です。

森高千里さんの「渡良瀬橋」がヒットし、足利市は、「夕日のきれいな街」として有名になりました。最近、渡良瀬橋地区の道路脇に「渡良瀬橋」の歌碑が作られました。

渡良瀬橋から見る夕景。

橋には、森高千里さんのファンの落書きがたくさん書かれています。同じ曲を松浦亜弥さんがカバーしたことから、松浦亜弥さんに関する落書きもあります。

----渡良瀬橋(森高千里作詞)----
渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
きれいなとこで育ったね ここに住みたいと言った
電車に揺られこの街まで 貴方は会いに来てくれたわ
私は今もあの頃を 忘れられず生きてます
今でも八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら あの頃に帰りたい
床屋の角にポツンとある 公衆電話 おぼえてますか
きのう思わずかけたくて 何度も受話器とったの
(中略)
あなたが好きだと言ったこの街並みが 今日も暮れて行きます
広い空と遠くの山々 二人で歩いた街
夕日がきれいな街

足利(通り二丁目のゲーセン)ゲーセンの歴史を語ってくれています。

JR足利駅の北側の通り二丁目附近に、閉店した小さなパチンコ店があります。

横から見ると、普通の木造民家です。

派手な看板のゲームセンター。

つい最近閉店したようです。シャッターの貼紙が、ゲーセンの歴史を語ってくれています。名文だと思います。

貼紙の文面(抜粋)。
「音ゲー、格闘ゲーム、モンスターゲート等と足利カーニバルありと全国でその名を轟かせた栄光も時代の流れに逆らえず、消え行くことになりました。プリクラ華やかなりし頃、イニシャルDに酔いしれたあの頃、鉄拳に沸いた日々、ランキングを目指して麻雀で格闘した毎日、すべては夢のように駆け抜けました。」

福居(梁田宿)八木とともに飯盛女で評判でした。

八木宿(福居)から日光例幣使街道を3キロほど西へ歩くと、梁田宿の町並みがあります。
梁田宿は、八木宿とともに飯盛女で評判でした。*1

梁田の町並みに入って200メートルほど行ったコンビニのセーブオンのところで、日光例幣使街道は、北東に方向を変えます。この角にある中山さん宅は、「今昔三道中独案内」の地図に記載されていますが、昔の遊女屋があったところで、かつては連子格子が目立つ建物がありました。*1
現在は建て換わっています。

道が北東へ曲がってからも昔の面影を残している町並みが続きます。

渡良瀬川の近く長福寺の前に梁田宿の案内板があります。梁田宿は戊辰戦争(梁田戦争)の舞台となりました。
梁田戦争は、中山道を進んだ官軍と幕軍との戦いで、幕軍が評判の飯盛女を相手に宴をはっていたところへ、官軍が急襲、幕軍は100名以上の死傷者を出して敗退しました。このときの幕軍の戦死者の碑が長福寺にあり、足利市の指定史跡となっています。*1

【参考文献】
*1 今井金吾:今昔三道中独案内 新装版(JTB出版事業局,2004)P.168

福居(旧八木宿)八木節のルーツ

昔、合計八本の松があったことから八木と呼ばれ、文化・文政(1804-29年)の頃は旅籠屋総数95軒のうち32軒が飯盛女を置く繫昌の宿でした。*1

民謡の八木節は、八木宿の遊女の口説き節が原型となったと言われています。*2

都市化が進む旧八木宿ですが、昔の面影が残されている建物もあります。

中華料理屋だった建物。

【参考文献】
*1 今井金吾:今昔三道中独案内 新装版(JTB出版事業局,2004)P.166
【参考URL】
*2 富塚町八木節保存会:八木節の由来について

福居(国道沿いのラブホテル)古い貼紙がありました。

旧栄町から旧道へ行く途中、ラブホテルの看板があります。一瞬、この木造建物がラブホテルかと思いましたが、そうではありません。

国道50号線沿いに、ラブホテルがあります。

目立つ看板です。

近くの電柱の貼紙。「日本人・外国人、デリ...?」。ここまで剥がされてしまうと解読不能です。

■カテゴリ ホテル 福居

福居(福居遊廓跡地)明治41年に作られました。

今回は、福居(栃木県足利市)の町並みと風俗を散歩します。東武線福居駅から北へ15分ほど歩いた栄町墓地の近くに、福居遊廓がありました。
福居遊廓は、福居と梁田にあった遊女屋をまとめて、明治41に作られました。
「新編足利浪漫紀行」*1 に掲載されている福居遊廓跡地の写真とほぼ同じ位置から。

遊廓の中心部だったと思われるあたり。小さな祠がありました。

遊廓があった通りの端から見たところ。

遊廓跡地の近くにある栄町墓地。

【参考文献】
*1 日下部高明,菊地卓:新編足利浪漫紀行(随想舎,1997)p.111

王子(稲荷湯)王子稲荷神社の近くにあります。

王子駅から線路沿いの道を赤羽方面へ行くと、銭湯の稲荷湯があります。近くには、江戸時代、参詣が盛んだった王子稲荷神社があることから、稲荷湯という名前になったのだと思います。

電車からもよく見える煙突。赤紫色で「薬草風呂」と書かれているのが特徴です。

建物を側面から見たところ。

入口のシャッターは閉まったままです。

■カテゴリ 王子 銭湯

王子(扇屋)江戸時代から続く茶屋は、現在は売店になっています。

王子駅前を流れる音無川。現在は、音無親水公園として整備されています。
この音無川に沿って表二階、裏三階の木造建築の老舗料亭の扇屋がありました。*1

現在は玉子焼きを販売する売店になっています。

数年前までは、割烹店の扇屋として存続していたようです。ビルの入口に看板だけが残っています。

玉子焼きを1本購入しました。ハーフサイズ(630円)もありますが、思い切って一折(1260円)購入しました。味は上品な甘めの味。ビールにもよく合います。
折に「王子扇屋の沿革」(写真のオレンジ色の紙)が添えられています。

「王子扇屋の沿革」によると、扇屋の創業は、慶安元年三大将軍家光の時代。「江戸名所図會」にも書かれているそうです。明治7、8年に、音無川を庭園の内におさめ眺望都下随一の現在の場所に店舗を移しました。
【参考】
*1 上村敏彦:東京 花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.201

王子(銀月荘)三業地のはずれにある旅館跡

王子に二業地が許可されたのは、昭和2年、翌3年には三業地に格上げになりました。場所は現在の豊島一丁目です。*1

豊島一丁目に、スナックが数軒密集したエリアがあります。

元旅館だった銀月荘。現在はアパートになっています。

玄関附近。

【参考文献】
*1 上村敏彦:東京 花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.198-P.201

王子(さくら新道)駅から見える飲食街です。

今回は、王子(東京都北区)の町並みと風俗を散歩します。
JR王子駅から見える飲食街の「さくら新道」。

新宿のゴールデン街に似た飲み屋の長屋が延々と続きます。

飛鳥山l公園へ登る坂道の途中から見ると、建物の輪郭がよく解ります。

まるで、赤線跡の建物のようです。

駒込(亀の湯)ビルに囲まれて営業中です。

JR駒込駅の北側、本郷通り沿いに銭湯の亀の湯があります。アーケードで全貌が見えづらくなっていますが、立派な破風造りの建物です。

周囲はビルに囲まれています。

入口の「亀の湯」の看板。大きめのサイズです。

天井についているレトロな扇風機が印象的でした。

■カテゴリ 銭湯 駒込

駒込(旧神明花街)かつての料亭の建物

駒込神明花街の中心であったと思われる場所に、かつての料亭「箱根」の建物が残っています。現在は個人宅になっています。*1

東側から見たところ。

西側から。

周囲は、住宅街になっていて花街の面影はありません。

【参考文献】
*1 上村敏彦:東京 花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.194

駒込(神明花街跡)三業地の名残

「東京 花街・粋な街」の地図によると、駒込神明街の花街の見番は、本駒込五丁目64にありました。*1

見番があった場所の道路を挟んだ向かい側には保育園があります。

道路沿いの電柱の地域表示に「三業」と書かかれています。このあたりが三業地の中心部だったようです。

「三業」と書かれた電柱はこの附近に10本ぐらいあります。

【参考文献】
*1 上村敏彦:東京 花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.194

駒込(駒込神明花街跡)旧町名の名を残す「神明」という屋号の居酒屋

駒込に花街ができたのは、大正10年でしたが、できた当時はまだ後ろは一面の田んぼだったそうです。*1
現在のアザレア通り商店街のアーケードが終わったあたりに駒込神明町に花街がありました。*2
旧町名の名を残す「神明」という屋号の居酒屋があります。

「赤線跡を歩く2」に掲載されていた写真の位置から。呉服店の「いねや」は新しいビルに建て換わっていました。

入り組んだ路地を入ったところにあるスナック。

和洋折衷のスナックの建物。

【参考文献】
*1 松川二郎:全国花街めぐり(誠文堂,1929)P.86
*2 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社、2002)P.113