JR姉ヶ崎駅近くの地下道の入口付近。たくさんの貼紙の跡。
風俗店の貼紙です。
現在、この店は閉店している模様です。
比較的保存状態の良い1枚。
JR姉ヶ崎駅近くの地下道の入口付近。たくさんの貼紙の跡。
風俗店の貼紙です。
現在、この店は閉店している模様です。
比較的保存状態の良い1枚。
環状七号線沿いに大きなマンション。
マンションの1階に、ビデオ、DVDの販売店があります。
入口付近。アダルトビデオも取り扱っているようです。
店の入口では、ウルトラマンが出迎えてくれます。
環状7号線の交差点近くに「ビデオ販売無人コーナー」の看板のある自販機コーナーがあります。
たくさんの自販機が並んでいます。すべて大人向けです。
アダルトビデオ、DVDなどが販売されています。
天井には、AV女優のポスター。
西新井駅の北側。周囲に団地がたくさんあるエリアです。
交差店の角にある化粧品店にコンドームの自販機が設置されています。最近、あまり見かけなくなった「明るい家族計画」のキャッチコピーのある自販機です。
こちらは、住宅地にある別タイプの自販機。
明るい家族計画。
今回は、西新井(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
関原は、西新井駅の南側の地域で、関原銀座会などの商店街があります。
関原銀座会の商店街にある鋭角の建物のパーマ屋さん。現役で営業中です。
モダンなデザインの理容室。
関原二丁目。
【散歩地図】
竹ノ塚駅の東側。国道4号線沿いの元渕江公園では、夜な夜な露出狂のカップルが出没するといいます。*1
都心部のハプニングバーの客が店の後に訪れ、公園内の身障者用便所がプレイルームになっていると言われています。*1
トイレのドアの内側の落書き。ハッテンバとしても活用されているのでしょうか。
長文の落書き。
【参考文献】
*1 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56
今回は、竹ノ塚(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
団地の一大密集地である竹ノ塚は、主婦売春が盛んと言われています。*1
しかし、竹ノ塚駅周辺のラブホは意外にも少なく、線路沿いにあるこちらの2軒のみです。
足立区の主婦は、地元のホテルは利用せず、隣の埼玉県八潮市のホテル*3 を利用するという情報もあります。*2
24時間いつでも休憩OK。便利なホテルです。
八潮市のラブホテルも同じシステムを採用しています。*3
ホテル脇の路地を通りに出ると、テレクラがあります。
【参考文献】
*1 山藤 章一郎:週刊ポスト(2006.9.29)P.198-P.171 「現場の磁力6」竹の塚”主婦売春”は格差社会の産物か
*2 尾形誠規:東京裏地図 行かなきゃ損する都内B級スポット200選(鉄人社,2007)P.56
【参考記事】
*3 風俗散歩(八潮):大曽根のラブホテル(2009.11)
松島公園の近く。大型縦長の木製牛乳箱?発見。
と思いきや、何とペプシコーラ箱です。ペプシコーラも牛乳と同じように宅配されていたのでしょうか。
箱の上部は開閉するようになっていますが、ここからコーラの瓶を入れるのはちょっと厳しそうです。
いろいろ推論しましたが、「ペプシコーラの搬送用の木箱を使って郵便ポストを自作した。」と考えるのが妥当かもしれません。
松島新地近くの商店街。駐輪禁止、小便禁止の看板が3つ並んでいます。
小便禁止の看板。
整然と文字が並んでいてインパクトがあります。
看板の周囲は、鎖で囲われていて立ち入りができないようになっています。
松島新地は、赤線当時の和風の建物がそのまま残されています。
路地に入ると雰囲気のある塀が続いています。
路地からメインの通りを見たところ。
2階部分。
今回は、九条(大阪府大阪市西区)の町並みと風俗を散歩します。
木津川と尻無川に挟まれた寺島の地(現在の松島公園)の北端は、松ヶ鼻と呼ばれた場所で、直径1mにおよぶ大きな松の樹が水面に枝葉を垂れていた景勝地で、松島の地名の所以でもありました。*1
安政5年(1856年)の五か国通商条約以後、大阪開港が行われ、木津川と安治川に囲まれた挟まれた砲弾型の土地に外国人居留地ができました。これに伴い、「軍艦、商船が渡来し水夫・兵士など「軽輩」の者が出入りするので遊女屋がなくてはかえって不取締りになる」ことから、横浜、長崎、箱館(函館)の例にならって、松嶋遊廓の建設が許可されました。*2
現在は松島公園となっていて、当時の面影は残っていません。
松嶋遊廓の北端には、松島橋と梅本橋がありました。*2
松島公園内(野球場横)に、松島橋の碑があります。*3
同じく、野球場入口横にある梅本橋跡の石碑は、当時の様子を写真で伝えています。
【参考文献】
*1 野村廣太郎:おおさか百景いまむかし(東方出版,1997)P.62
*2 佐賀朝:近代大阪の都市社会構造(日本経済評論社,2007)P.41,P.43
*3 熊田司,伊藤純:森琴石と歩く大阪(東方出版,2009.8)p.157
ソープランドの建物につきものなのが、ユニークなオブジェです。
こちらの像はかなり大型です。
マーライオン(頭部がライオンで下半身が魚)は、シンガポールを代表する観光のシンボルです。
小型ですが、美しいオブジェです。
こちらは銀色で、セクシー度抜群です。
新開地にある「世界の下着」の看板のある店。
入口のドアには、大きく「下着」と書かれています。左側に、おとなのおもちゃ屋さんが隣接しています。
「団体3人以上お断り」の貼紙(写真右側)。
おとなのおもちゃ屋さんのショーウィンドウ。
新開地の北側に位置する湊川公園は、天井川だった旧湊川の川床と同じ高さに埋め立てられたので、土手の東側の石垣には、階段が作られています。*1
階段の上にホテルの土地がせり出してします。
ホテルへの階段。
ホテル脇の路地を進むと松竹小路*2 を経由して新開地商店街に出ます。
【参考文献】
*1 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.9,P.66
【参考記事】
*2 風俗散歩(福原):松竹小路(2010.1)
新開地本通商店街の湊川公園方面へ向かって坂道を登っていくと、右手(東側)に松竹小路の入口が見えます。
松竹小路は、数ある新開地の路地の中でも最も魅力的な古い路地のひとつです。*1
不思議な造型がこの路地の魅力です。
スナック、居酒屋、カラオケ、お好み焼き屋...。
【参考文献】
*1 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.78
新開地は、明治の末期、天井川で流れていた湊川を新湊川に付け替えたあと、河川敷を埋め立てて新しく開いた地であることから新開地と呼ばれてきました。大正、昭和の一時期は、「東の浅草、西の新開地」と並び称されるほどの歓楽街として栄えました。*1
新開地のシンボルの一つであった「聚楽館(しゅうらくかん)」は、大正2年にオープンした神戸最大の豪華劇場できした。神戸跡地はボーリング場へと姿を変えています。
ボーリング場の入口には、当時の新開地の写真が掲示されています。
ボーリング場の裏手付近。
聚楽館(衆楽館)の名は現在も電柱に残っています。*2
【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.76
*2 新開地アートストリート実行委員会:湊川新開地ガイドブック(新開地アートストリート実行委員会,2003)P.35
神戸の歴史は、福原遊廓とともに始まったといえます。*1
福原遊廓の妓楼は、上、中、下と客すじが別れていて、一番よいところが仲之町(桜筋)でした。*2
現在はソープランド街となっています。
大楼として知られた松浦楼があったあたり。*1*2
桜筋の東隣の柳筋は、福原遊廓の頃は、中小の廓が並ぶ場所でした。*2
現在は道幅も広く、むしろこちらの通りの方がソープランド街の中心になっています。
花柳病の薬を専門に販売していた「有田ドラッグ」があったあたり。*2
「有田ドラッグ」の経営者、有田音松は、福原遊廓の長谷川楼の妓夫太郎(客引き)から身を起こし、あくどい商法で名を成しました。*3
「有田ドラッグ」の店頭には、梅毒や淋病にかかって頭部の皮膚が犯されたり、鼻が欠けた人体の模型が飾られ、「十八歳未満の者、中に入るべからず。」と貼紙がされていました。店の中に入ると今度は淋病におかされた局部の模型が陳列されていて、性病患者はおじけづき、有田ドラッグの薬を買い求めました。*4
【参考文献】
*1 加藤政洋:神戸の花街・盛り場考(神戸新聞総合出版センター,2009)P.61,P.67-P.69
*2 君本昌久:いろまち燃えた(三省堂,1983)P.82-P.84
*3 林喜芳:わいらの新開地(神戸新聞総合出版センター,2001)P.36-P.37
*4 稲垣喜代志:ドキュメント日本人 第9(学芸書林,1969)「有田音松」P.40,P.45
平野の交差点の近くに、不思議な六差路があります。
地元では「六道(堂?)の辻」というそうですが、細い道が綺麗に放射状に走っています。角の窮屈な三角地に家が建っています。*1
三角地に建っている家に緑色の牛乳箱があります。
兵庫牛乳の牛乳箱。
サイズは大型です。
【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.70-P.72
今回は、福原(兵庫県神戸市兵庫区)の町並みと風俗を散歩します。
祇園神社の南面一帯の平野付近は、約800年前、平清盛が幻の都といわれる「福原京」を置いた場所です。*1
清盛の山荘である「雪見御所」があった場所には、「雪見御所之碑」が建っています。
福原は、半年間だけ日本の首都となりました。
荒田八幡神社裏に、「福原遷都八百年記念之碑」があります。
明治元年に開設が許可された「福原遊廓」は、平清盛の福原遷都にちなんで命名されました。その後、福原は、東京の吉原、京都の島原とともに、「さんぱら」並び称されるようになりました。*2
【参考文献】
*1 金治勉:神戸まち歩き(神戸新聞総合出版センター,2004)P.70-P.72
*2 加藤政洋:花街(朝日新聞社,2005)P.200-P.201