大垣(旭遊廓跡地)電柱に「廊」

今回は、大垣(岐阜県大垣市)の町並みと風俗を散歩します。
全国遊廓案内*1 によると、大垣市藤江町には、旭遊廓がありました。*2
現在は、遊廓の面影は残っていませんが、遊廓の敷地らしい道幅の広い道路が南北に2本通っています。

「旭廊支」と書かれた電柱番号札。(「廊」ではなく、「廓」だと思われます。)

東側にもう1本の道路。

こちらの電柱番号札は、「旭廊東分」となっており、このあたりが遊廓の東側のエリアだったと考えられます。
同じ中部電力管轄の清水市でも、遊廓跡地に「廊」と書かれた電柱のプレートを見かけました*3。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)P.85 「全国遊廓案内」
*2 大垣市:大垣市史(大垣市,2009)付図「昭和12年大垣商工街図」
【参考記事】
*3 風俗散歩(清水):「廊」と書かれたプレート(2011.11)

小牧(豊年祭)男根の神輿

豊年祭は、男根の持つ爆発的なエネルギーを豊穣、豊作に結びつけた珍しい祭りです。男達が男根をかたどった神輿を担いで町を練り歩きます。神輿の行列の先頭を行くのが、このリアルな幟です。

巫女さんが男根を触らせてくれます。

男根の神輿。全体の形状が反っていて、リアル感があります。

亀頭のカリの部分の造形が見事です。

■カテゴリ 小牧 性神

小牧(田縣神社)男根崇拝

今回は、小牧(愛知県小牧市)の町並みと風俗を散歩します。
田縣神社は、古来より、恋愛、子宝、安産、縁結び、夫婦円満、商売繁昌、の神様として、全国また世界各国の人々から注目されている神社でです。

田縣神社を特色づけているのは、男根崇拝です。

男根の形をした自然石も境内のあちこちに置かれています。

奥の院のさらに奥に、珍宝窟があります。「玉さすり賽銭いれて珍となる」と書いてあり、お金を入れるといい音が響きます。

【参考URL】
*1 粟田孝浩:田縣神社 公式ホームページサイト「ようこそ田縣神社へ

■カテゴリ 小牧 性神

草津(遊女の墓)人形浄瑠璃の「冥途の飛脚」のモデル

南草津駅からバス約10分の場所にある清浄寺に、遊女梅川の墓があります。
梅川は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃の「冥途の飛脚」のモデルとなりました。

道路から少し入ったところに清浄寺があります。

遊女梅川の墓。

清浄寺の近くに、梅川終焉の地があります。

草津(旧遊廓地の地蔵)奉納額に妓楼の名

遊廓の敷地の角にある出世地蔵・水子地蔵

東新地の遊女の信仰を集めていたようです。

奉納額に「草津東新地東樓(楼)」と書かれています。

石柱の裏側に山貞(やまて)楼の文字が彫り込まれています。
山貞楼は、北側の奥から2軒目にあった妓楼です。*1

【参考文献】
*1 草津市史編さん委員会:草津市史(草津市,1986)P.633-P.637

草津(遊廓跡)当時の妓楼の屋号が残る建物

遊廓跡地には、妓楼の面影を残す建物が残っています。
通りの南側には、吉富楼、月の家、常盤楼、開盛楼、大富楼の順で並んでいました。*1

唯一、当時の妓楼の屋号が残る開盛楼。位置も当時のままと思われます。

南側の中ほどにある建物。

北側に位置する束田タバコ・菓子店は、初期から存在しました。*1

【参考文献】
*1 草津市史編さん委員会:草津市史(草津市,1986)P.633-P.637

草津(東新地遊廓跡地)藤・しだれ柳の分離帯

草津新地の起源は、明治33年で、東(あづま)新地と呼ばれ、東横町の南、字小二俣の水田の地に形成されました。 草津新地の最盛期は、第一次大戦中の好景気の時期(大正8年前後)でした。当時の東新地の構成は、道路を挟んで貸座敷が合計16軒並んでいました。新地は、売春防止法が施行される昭和33年まで続きました。*1
「大日本職業別明細図」*2 によると、「遊廓」、「東新地遊事ム所」の記載があります。

中央の道路には、藤・しだれ柳の分離帯がありました。*1

吉冨楼があったあたり。

中央の道路がいかに広いかは、新地の周囲の道路の道幅が狭いことにより、実感できます。

【参考文献】
*1 草津市史編さん委員会:草津市史(草津市,1986)P.633-P.637
*2 東京交通社:大日本職業別明細図.大津市他(東京交通社,1937)

草津(ばんから横丁)昭和30年代の草津の駅前の町並みを再現

駅前のビルの地下1階に飲食街の「ばんから横丁」があります。

「ばんから横丁」は、昭和30年代の草津の駅前の町並みを再現した飲食街で、あちこちに配置された看板や電柱などの小物は当時のホンモノを使用しています。(案内板より)

スタンド、居酒屋、スナックなどがリアルに再現されています。

「女中さん急募、住み込み優遇します」と書かれた貼り紙。

草津(駅前の白ポスト)スリムタイプ

今回は、草津(滋賀県草津市)の町並みと風俗を散歩します。
草津駅東口の階段を降りたところに白ポストがあります。

白ポストの箱としては、珍しいスリムタイプです。

「ゴミ箱ではありません。(吸殻、新聞、ゴミなどは入れないでください。)」と書かれていまが、中には、新聞紙などが入れられているようです。

反対側の西口にも同型の白ポストがあります。

大津(柴屋町のスナック街)

遊廓があった柴屋町(馬場町)は、その後は夜の歓楽街となりました。*1
1966年刊行の「あじ・やど・おんな」*2 によると、柴屋町のクラブ・バーの建物は、300年の間栄えた遊廓の建物をそのまま使った古い店で、大津絵から抜け出たような色の白い京女が酌をしてくれたそうです。
旧赤線だったことから、店によっては飲食を抜きにして、ホステスに肉体サービスをさせるところもありました。*3
写真右手前のあたりには、花街会館がありました。*4

現在の柴屋町の歓楽街。

ひところと比べると店舗はまばらですが、所々に、スナックが密集している路地があります。

バー「たか」跡。*4

【参考文献】
*1 「角川日本地名大辞典」編纂委員会:角川日本地名大辞典(角川書店,1979)P.579
*2 福村弘二:あじ・やど・おんな(東栄堂,1966)P.130-P.131
*3 梅田晴夫:全調査東海道酒・女・女の店(有紀書房,1967)P.312
*4 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4

大津(桶屋町の花街跡)揚屋町として栄えました。

桶屋町は、道路を隔てて東西に延びています。東の桶屋町は、昭和初期の建物が並ぶ住宅街となっています。格子の窓や、二階には木の手すりも多く残っています。*1

三代続く医者のお宅。*1

西の桶屋町は、遊廓があった柴屋町に接しているため、飲食店が軒を連ねています。建物には、昔、芸者置屋さんだった雰囲気が残っています。*1

桶屋町は、揚屋町として栄えました。遊客は、この揚屋へあがり、置屋から遊女を呼び出し、遊興を楽しみました。*1

【参考文献】
*1 大津の町家を考える会:大津百町物語(サンライズ出版,1999)P.62

大津(古い民家)遊廓があった柴屋町

貞享5年(1688年)の「日本永代蔵」に「柴屋町より白女よび寄、客の遊興昼夜のかぎりもなく」とあり、大津の柴屋町(現在の長等2、3丁目)は、賑わいのある評判の遊廓でした。町の東西南北には大門があり、廓内に約30軒がありました。

「旅館えびすや」と思われる建物。*2

かつては、妓楼だったのかもしれません。

「料理きくや」と思われる建物。*2

【参考文献】
*1 地名辞典(岐阜県)
*2 善隣出版社:大津市(善隣出版社,1971)P.4