高岡市街の川原町。
「唐破風」と「千鳥破風」が入り組んだ荘厳な装飾。寺院建築と見間違うかのような古代風の造りです。
懸魚(げぎょ)も大きく立派です。
現在は、休業している模様です。
高岡市街の川原町。
「唐破風」と「千鳥破風」が入り組んだ荘厳な装飾。寺院建築と見間違うかのような古代風の造りです。
懸魚(げぎょ)も大きく立派です。
現在は、休業している模様です。
繁久寺(前田利長の墓所の隣)の門前に、「芸子地蔵」が建っています。
この「芸子地蔵」が建立されたのは、次の経緯によるものです。
昭和6年、大門町の料理店で働いていた芸妓の雪江(21歳)と同店の従業員のとよ(23歳)の二人が遊客と婦中町へ遊びに行った。帰る途中の夜中の12時頃に料理店へ電話し、「お客からまだ花代を貰っていないので、貰ったらすぐ帰る。」といって消息を絶ちました。早朝になっても帰らないので、八方手を尽くして探したところ、庄川で溺死しているのが発見されました。花代を踏み倒されて、責任感から雄神橋から投身自殺を図ったのでした。
地蔵の正面には、二人が手を取り合っている姿が彫られています。
側面には、悼句「水の瀬の音なくなりぬ秋の風」が刻まれています。
【参考文献】
*1 高岡市民文化振興事業団 「きらめき編集室」:高岡文化情報誌「きらめき TAKAOKA」(vol. 11,1993)P.31 「若き芸子の姿に、今はなき心の財産を見たり。」
高岡市新横町大仏町。大佛寺にある高岡大仏は、奈良の大仏と 鎌倉大仏と並んで日本三大大仏と称されます。
その高岡大仏のすぐ近くに大仏飲食店街があります。
表通りの看板に導かれて路地を入ると、大仏飲食店街の入口があります。
30mほどの小路に飲食店が密集しています。
夜に来てみたい飲食店街です。
末広町にある高岡関野神社の周囲は高いブロック塀で囲まれています。近くには、飲み屋街もあります。
ブロック塀の向こう側には、高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)で使用される曳山の保管倉庫があり、いわば「神聖なる場所」です。
この「神聖なるブロック塀」に立小便をする人がいるようです。
穴あきブロックの無い、黒いブロック塀が約200m続きます。両側がブロック塀となっている場所もあります。
御旅屋(おたや)通りの商店街。「カメラのクラタ精美堂」の脇の路地。
生活路地が昔のままの状態で残されています。
奥には、「日の出屋」と書かれたの看板。
奥(反対側)から見たところ。
高岡駅前ビルの内部は、まさに異空間そのものです。
建物は、環状に配置され、共用の廊下や通路、階段が設置されています。
1階と地下1階を結ぶ通称「丸階段」。
地下まで達する吹き抜けの共同の中庭が設けられ、地下1階は飲食街になっています。
中庭は、地階店舗の利用価値や2、3階の住宅部分の住環境を高める効果をもたらしていて、中庭は、駅の地下街ともつながっています。*1
【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.285-P.286
今回は、高岡(富山県高岡市)の町並みと風俗を散歩します。
近年、再開発が進む高岡駅周辺ですが、その中で、高岡駅前ビルは、昭和の香りが色濃く残っている数少ない建物の一つです。地下及び1階は、商店、飲食店、理容室などの商業施設が入居し、2階と3階は居住スペースになっています。
1952年に制定された耐火建築促進法により、全国の都市中心部で防火建築帯が建設され、これらは「商店街共同建築」と呼ばれました。「高岡駅前ビル」は、1962年に建設された「商店街共同建築」で、街区全体を再開発する手法として、当時大きな注目を浴びました。*1
共同の通路の入口にある鳥居。
ビルの中に通路の途中に稲荷神社があります。その向こう側(ピンク色の壁面のところ)は風俗店(ピンサロ)です。
【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.253,P.285-P.286
伏木港に近い伏木湊町。
今回は、伏木(富山県高岡市)の町並みと風俗を散歩します。
伏木の玉川町(現在の伏木中央町)には、かつて遊廓がありました。旧町名「玉川町」のことを記した石柱には、「遊廓明治9年に貸座敷営業免許地に指定され、町内を流れる玉川にちなんで玉川町と命名され、遊郭が軒をつらねた。」と解説されています。
荻窪駅の大田黒公園周辺地区には、昭和初期に建てられた建築が現在も残っています。昭和5年、モダンな洋風下宿とした改行した「西郊ロッヂング」は、全室洋間。造り付けのベッドとクローゼット、内線電話までついていました。入居したのは地方の名士の子弟や高級サラリーマンだったそうです。*1
昭和12年に竣工した新館はドーム型の屋根のある塔が異彩を放っていますが、これは技術者だったご主人が設計にかかわった荒玉水道の排水塔を模したものです。*1
奥の建物は、和風の旅館になっています。
モダンなデザインの丸窓。
駅前の荻窪銀座の隣に、「アサヒ通り」と名づけられた通りがあります。
飲食店が建ち並んでいます。
ところどころ空き地があり、ちょっと寂しい感じです。
空き地になった場所からは、建物の裏側のトタン部分が見えます。
荻窪銀座の入口の近く。
一見、何の変哲もない路地(ビルの隙間)ですが、ここが共同便所への入口です。
大人一人がかろうじて通ることができる狭い路地が直角に曲がった先に、共同便所があります。
小便用は、仕切り板が無いタイプです。衛生状態はあまり良くありません。
荻窪銀座には、現在も当時の生活用水であった井戸が商店街の裏通 りに3ケ所残っていて、 杉並区の非常用防災井戸として指定されています。*1
荻窪銀座の飲食店などの方々が共同で利用しています。
メインの通りに面した井戸。
井戸は全部で3基あります。
【参考URL】
*1 荻窪銀座商店街:公式ホームページ
今回は、荻窪(東京都杉並区)の町並みと風俗を散歩します。
JR荻窪駅の北口を出ですぐのところに、「荻窪銀座」商店街があります。
荻窪銀座商店街は戦後いち早く商店会を結成し、結成されたばかりの商店街は、バラック建てのマーケットでガスも水道もなく食する事も困難な時代でした。*1
入口には、風情のある手書きの案内板があります。店の屋号だけでなく、共同井戸や共同トイレの位置までが記されています。
居酒屋などが密集する味わいのある路地。
もう一本、隣の路地。
【参考URL】
*1 荻窪銀座商店街:公式ホームページ
日暮里駅周辺は、最近になって再開発が行われた結果、高層ビルや高層マンションが林立する町並みとなりましたが、西日暮里方向には、昔からあるラブホテル街が健在です。
日暮里駅北側。
日暮里のラブホテル街は高架沿いに発達しています。
「風俗デリバリーの利用OK」。
舎人ライナーの高架が横切る日暮里駅前の近代的な町並みに混じって、古びた旅館の建物が1軒あります(写真奥)。
繊維街として発展した頃の日暮里には、このような旅館がたくさんあったのかもしれません。
モルタル造りの建物。
玄関付近は、竹で装飾されています。
JR日暮里駅前の放射11号線から三河島通り(尾竹橋通り)に交差する付近までの日暮里中央通りの両側は、日暮里繊維問屋街と呼ばれ、ここは、大正から昭和初期にかけて「東の日暮里、西の吹田」と呼ばれた繊維ウエイスト工業の中心地でした。繊維ウエイスト工業というのは、古繊維、つまりボロ繊維を専門に集めて加工し再製品化するリサイクル業のことで、再生工場はそのまま問屋としての機能を持っていました。最近のヤングたちの古着志向はリサイクルへの希望と言えます。*1
さらに、近年のコスプレ人気により、コスプレ用素材を専門に扱う店も現れ、秋葉原から近いこともあり、活況を呈しています。下の写真は、ステージ衣装やよさこい衣装などを専門に扱う「奥山」さんです。
日暮里駅前の店。
日暮里繊維問屋街は学生やミセスが足しげく通う町です。
ダンス用衣装専門の店もあり、艶めかしい雰囲気が漂います(西日暮里にて)。
【参考文献】
*1 婦人画報社:のぞいてみたい東京の六大問屋街(婦人画報社,1998)P.25-P.34
谷中のおせんべい屋さん。下町ではよく見る風景です。
おせんべい屋さんの脇には、ラブホテルの看板。
カーブを描く路地の奥にラブホテルがあります。
古い煉瓦塀が周囲を遮断していて、隠れ家的な雰囲気を醸し出しています。
今回は、日暮里(東京都荒川区)の町並みを風俗を散歩します。
JR日暮里駅の西側にある「夕焼けだんだん」は、谷中では有名な夕焼けの絶景スポットです。
夕焼けだんだんの階段の上に、「富士見ホテル」の大看板があります。
細い路地をいくと、奥に富士見ホテルがあります。
ひっそりとしたホテルの入口。
本町商店街から、北側に入ると、飲食店で賑わっていた頃の痕跡を随所に見かけることができます。
風情のあるお好み焼き専門店。
丸窓のある料亭風の建物。
軒下には、十八歳未満立ち入り禁止のプレートがありました。
本町商店街から、北側に路地を折れると、旅館の建物が見えてきます。
現在は、休業中のようですが、昭和初期のものと思われる建物です。
趣きのある木製の看板。
旅館の周囲の路地には、当時の雰囲気が残っています。
墨俣町本町の商店街に古い銭湯の建物が残っています。
めずらしい洋風建築の銭湯です。建物は、大垣市景観遺産に指定されています。
まるで赤線建物を思わせるカラフルなタイル建築です。
正面玄関に描かれた美しいタイル絵。
墨俣の町の入口には、商店街らしいアーチがあります。
北側の通り(墨俣一夜城跡近く)は、かつては料亭などが建ち並ぶ花街だった場所です。
現在は、花街の面影はありません。
現在の本町商店街。昭和54年の商業統計によれば、墨俣町には、小売業124軒、飲食料品小売業29軒、飲食店37軒などがあり、料理屋、歯科医院が多いことが、他の町村では見られない墨俣町の特徴でした。*1
【参考文献】
*1 すのまたのあゆみ編集委員会:すのまたのあゆみ(墨俣町教育委員会,1982)P.208-P.209
今回は、墨俣(岐阜県大垣市)の町並みと風俗を散歩します。
墨俣一夜城跡は、歴史資料館になっていて、墨俣の歴史を知る資料が展示されています。
墨俣の町並みの展示。
昭和11年たまり水の被害を少なくするため、長良川堤にそって水路が作られました。そのため、多くの家々が移転し、墨俣宿ををしのぶ町並みの一部消えてしまいました(地図に赤線で示されているのが現在の堤防です)。
天守閣から見た墨俣の町並み。