大牟田(小料理「ガード」)三池炭鉱専用鉄道のガード下

大牟田市栄町の北側に三池炭鉱専用鉄道のガードが残っています。

三池炭鉱専用鉄道と鹿児島本線が交差するあたり。

「ガード」という屋号の小料理屋があります。

商店や飲食店が建ち並んでいたと思われる一画。写真奥に見える線路は鹿児島本線です。

大牟田(思案橋)近くに女性街がありました。

大牟田の繁華街の中心部を流れる大牟田川。

思案橋は、本町と栄町をつなぐ橋で、上流の五月橋と下流の大正橋に挟まれています。

橋名の由来は、昔この河岸に春をひさぐ女たちの店があり、男たちがこの橋を渡ろうか戻ろうかと思案したので、この橋の名があります。*1

古い橋台が残されています。

【参考文献】
*1 新藤東洋男:目で見る南筑後の100年(郷土出版社,2001)P.47

■カテゴリ 伝承 大牟田

久留米(池町川沿いの旅館)情緒豊かな太鼓橋

久留米駅近くの池町川沿いに古い木造の旅館の建物が残っています。

旅館「池街川」。川沿いの旅館らしい屋号です。

旅館の裏口に、情緒豊かな太鼓橋が架けられていますが、老朽化のため立ち入り禁止になっています。かつては、この橋を渡って旅館の裏口から男女が入っていったのでしょうか。

南側から見た旅館の全景(背後は九州新幹線の高架)。

■カテゴリ 久留米 旅館

久留米(浮世小路)日吉町

日吉町に残る「浮世小路」。
日吉町は、かつての花街の中心地でした。*1

現在は、休業中の店舗が多くなっているようです。

空き地越しに見た飲み屋街の建物。

小路は、L字型になっていて、すぐに出口に出ます。

【参考文献】
*1 都市計畫福岡地方委員會:大久留米市街地圖(都市計畫福岡地方委員會,1937)裏面

久留米(「新世界」のスナック店)昭和の時代にタイムスリップしたかのような光景

六ツ門町の「新世界」。昭和の時代にタイムスリップしたかのような光景です。

居酒屋などの飲食店に混じって、スナック店も営業しています。

路地の奥まった所に進むにつれ、スナック店が多くなります。

餃子店の隣のスナック店。

久留米(六ツ門町の「新世界」)再開発が計画されている路地裏

今回は、久留米(福岡県久留米市)の町並みと風俗を散歩します。
久留米市街の六ツ門町に「新世界」と呼ばれる路地裏があります。

国道209号線に面した飲食店街が「新世界」です。奥には、高層マンションが建ち、この界隈も開発の波が押し寄せているようです。

一歩足を踏み入れると、そこは、昭和のまま時間がとまったかのような路地裏が残っています。

一番北側の通り。

若松(ゑびす市場)市場が集まる一画

若松区浜町には、ゑびす市場、丸仁市場、大黒市場、共栄市場など、いくつかの市場が集まる一画があります。その中の一つ「ゑびす市場」。

市場の建物は大きく、奥行もあります。

新鮮な野菜や魚介類が並びます。

歴史を感じるトタンの建物(市場の建物を横から見たところです)。

若松(連歌町遊廓跡地)現在は商店街。

若松が日本一の石炭積み出し港だった頃、黒ダイヤ景気は盛り場の繁栄をもたらし、女性街も急ピッチで整備されていきました。その代表は市内の連歌町にあった古くからの遊廓でした。*1
遊廓は、明月楼、第一いろは楼、福柳楼、若戎楼、若楽楼、松月、福寿楼、大吉楼、大正楼、第二いろは楼、等がありました。*2

旧連歌調町一丁目のあたり。現在は、商店街になっています。

昭和11年の若松の市街図*3 を見ると、旧連歌調町一丁目と旧連歌裏町に挟まれた一画に、東側から、「メイゲツ」、「イロハ」、「フクヤナギ」、「ワカエビス」、「ワカラク」、旧連歌調町一丁目の北側の一画に、「フクジュ」、「ダイキチ」と、かろうじて判読できる遊廓の屋号が片仮名で記されています。

旧連歌裏町のあたり。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.40-P.41
*2 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)「全国遊廓案内」P.150
*3 北九州地域史研究会:北九州の近代化遺産(弦書房,2006)P.85

若松(若戸大橋)若戸渡船で約3分

今回は、若松(福岡県北九州市)の町並みと風俗を散歩します。
洞海湾によって隔てられた若松区と戸畑区を結ぶ若戸大橋が出来る以前は、若戸渡船(わかととせん)航路(渡し船)である。 若松渡場が両者を結ぶ航路(渡し船)でした。

渡し船に乗り込みます。

戸畑から若松までは、あっという間(約3分)に到着です。

若松側から見た若戸大橋と洞海湾。貨物船が行き来します。