神田(湯女風呂跡地)神田淡路町

江戸には、湯女を置いている風呂屋が200軒余あったといわれ、優れた湯女も出ました。代表的なのは、井原西鶴が「好色一代男」の中で描いた勝山でした。勝山がいた湯女風呂は、神田佐柄木町(現在の神田淡路町交差点の近く)にあった旗本堀丹後守の屋敷前にあり、男たちがここに集まり派手な風俗を競いあったので、その風俗を歌舞伎にうつして丹前風と呼ばれました。*1

佐柄木町周辺にあった湯女風呂は俗に「丹前風呂」と呼ばれました。*1
淡路町の町名由来看板に江戸時代の古地図が掲載されています。佐江木町は、淡路町交差点の南側にあったことが解ります。

淡路町の町名由来看板に、丹前風呂のことは書かれていませんでしたが、淡路町からは少し離れた美土代町(みとしろちょう)」の町名由来板に、丹前風呂のことが書かれています。

この付近に丹前風呂がありました。

【参考文献】
*1 神保五弥:浮世風呂(毎日新聞社,1977)P.20-P.25

神田(ビデオ店)憾娼

千代田区内神田1丁目。このあたりはオフィス街ですが、突然アダルトビデオに遭遇します。

1階は酒屋などの商店ですが、2階がビデオ屋になっているようです。

「憾娼」。「鑑賞」と書くべきところ、この字をあてはめたのでしょうか。

酒屋の雰囲気も残っていますが、現在は「憾娼」の看板が目立っています。

■カテゴリ 売店 神田

丸の内(料亭「河文」)葵の紋

長者町のレストラン「ザ・カワブン・ナゴヤ」の南側を東西に魚ノ棚通りが交差しています。
魚ノ棚通りを東側に入ったところに老舗料亭の「河文」が昔の佇まいそのままの姿で建っています。

登録有形文化財に指定されている建物。

建物の壁面に、「魚ノ棚通り」の説明が書かれています。江戸時代(元禄年間)は、料亭がありました。

玄関の奥には、葵の紋。
当時は、お昼から三味線の稽古の音がして、このあたりは大変賑やかでした。夜は芸妓さんを呼んで、本当に線香を立てていたそうです。「花代(線香代)」は、一本十二銭でした。*1

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127

神田(ガード下)山の手線の高架下

今回は、神田(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
神田の魅力は、何と言ってもガード下です。

通常の高架下建築とは異なり、山の手線の高架と道路が交差する部分のガード下に飲み屋が集中していて、独特の雰囲気をかもしだしているのが、神田駅前の特徴です。

昼、なお暗いガード下。

夜の飲み屋街の雰囲気です。

九段(昭和館)「働く女性」企画展

皇居の北の丸公園から見ると、堀の向こう側に「昭和館」の巨大な建物が見えます。

昭和館は、戦中、戦後の国民生活を中心とした資料を 展示している博物館です。

「働く女性」に焦点をあてた企画展が開催中です。

初代、スチュワーデスの制服の展示もあります。

九段(花街跡地)九段南二丁目

九段南三丁目の東側の九段南二丁目の区画も、花街でした。

こちらには、現役の料亭などは無く、住宅街となっていますが、かつての花街を思わせる住宅がいくつか残っています。

料理屋だった建物。*1

料理屋だった頃の屋号が残っています。

【参考文献】
*1 都市整図社:火災保険特殊地図(戦後分)千代田区 九段坂上方面・靖国神社方面(都市整図社,1954年)

九段(花街跡地)九段南三丁目

今回は、九段(東京都千代田区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の九段三丁目は、旧町名で「上三番町」と呼ばれ、料亭などが集まって発展した町でした(掲示板より)。

かつての料亭街の中心部。道の両側に料亭が建ち並んでいました。*1

三業会の事務所があった場所*1 は、チュニジア大使館になっています。

唯一、当時の屋号で営業中だった、「酒亭田むら」は、閉店して跡地は駐車場になっています。

【参考文献】
*1 都市整図社:火災保険特殊地図(戦後分)千代田区 九段坂上方面・靖国神社方面(都市整図社,1954年)

飯塚(だるま湯)木製のロッカー

新飯塚駅西側のバスセンター前の大通りを西へ進むと、細い路地が斜めに交差する場所に行き当たります。

路地を下ったところに、銭湯のだるま湯があります。

大きな暖簾。

脱衣場のロッカーは木製です。扉には、漢字で番号が書かれています。

■カテゴリ 銭湯 飯塚

直方(駅前共同ビル)商店街共同建築

直方駅前にある古い駅ビル。1階は商店街。2階と3階は居住スペースになっています。
戦後に建てられた防火建築帯(商店街共同建築)*1 と思われます。現在でも残っているのは、貴重です。

居住スペースへの入口階段。

2階から3階へ登る階段。

眼下に、すさき商店街のゲートが見えます。

【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.253

直方(二字町遊廓跡地)尾崎溜池の東側

二字町遊廓は、現在の尾崎溜池の東側にありました。

旧二字町遊廓全景。この通りが遊廓のメインの通りと思われ、右側手前から、松月楼、源開楼、敷島楼、大正楼、左側に、曙楼、新玉楼、三笑楼、喜鶴と妓楼が建ち並んでいました。*1

「赤線跡を歩く2」*2 に掲載されている写真と同じアングル。

八千代楼跡地。*1

【参考文献】
*1 直方市史編さん委員会:直方市史 下巻(直方市,1978)P.516
*2 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.52-P.53