浅草(焼肉店の路地)ひさご通りの西側

ひさご通りの西側。喫茶ブラザー脇の細い路地を進むと、路地の奥には、焼肉屋や居酒屋が散在しています。

路地が交差するあたり。焼肉店が密集しています。

ビートたけしさんなどの有名人も訪れた店です。

ひさご通りへ通じる路地。ここにも焼肉店が建ち並びます。

浅草(ひさご通り)かつら屋さん

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
ひさご通り商店街は、昭和30年に、当時都内で第一号のアーケードを造った商店街でした。平成2年に解体工事が行われ、「現代に生きる江戸の街」をテーマに生まれ変わりました。*1

ひだご通りで、異彩を放っているのが、かつら屋(帽子屋)さんです。

多数のかつら、帽子、おめん、が陳列されています。

ヘアーの色もさまざまです。

【参考文献】
*1 浅草観光連盟創立五十周年記念誌編集委員会:浅草繁栄の道 -浅草観光連盟半世紀の軌跡-(浅草観光連盟,1997)P.193

新丸子(料亭「丸子園」跡地)現在はラブホテル

中原街道の丸子橋近くに大きなラブホテルの看板があります。

Y字路を右に入るとホテルの入口です。

道路に面して、菓子卸の企業の建物があり、ホテルは、その向こう側に建っています。

裏側の入口から。付近は閑静な住宅街です。

この場所には、料亭「丸子園」がありました。「丸子園」は、多摩川を利用した川遊び(たから船)の料亭として、大正13年に開店しました。約三千坪の敷地を持つ「丸子園」の開業は、新丸子三業地のきっかけを作りました。百畳敷の大広間と大浴場があり、広々とした庭には、離れが点々と建っていて、それぞれ風呂がついていて「へちま風呂」という名前で呼ばれていました。しかし、戦争のため、昭和16年に日本電気に買収され「丸子園」は姿を消しました。*1
その後は、日本電気の女子寮「千草寮」として使われました。*2
料亭→女子寮→ラブホテルという変遷をたどったこの土地は、女性に縁の深い土地と言えそうです。
【参考文献】
*1 羽田猛:写真で見る中原街道(羽田猛,2000)P.36-P.39
*2 経済地図社:中原区明細地図(経済地図社,1973)P.76,P.79

新丸子(線路沿いのラブホテル)旅館があった場所

東急線の高架近く。

ラブホテルの立地の原則通りとでも言えそうな、線路沿いの場所のラブホテルです。

このあたりも、新丸子三業地の一画で、この場所は、旅館「こまどり」があった場所です。*1

ホテルの東側を回り込んだ路地の両側には、旅館「くるみ荘」や料亭「丸子荘」などがありましたが、現在は面影はありません。

【参考文献】
*1 経済地図社:中原区明細地図(経済地図社,1973)P.76,P.79

新丸子(新丸子三業跡)料亭通り

今回は、新丸子(神奈川県川崎市中原区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の新丸子東と上丸子八幡町の町界あたる通りは、かつては、新丸子三業として栄えていた「料亭通り」でした。この付近には、「新丸子料亭組合」と書かれたアーチがあり、丸子荘、吉田家、よね家、一直、繁の井、錦水、伏見などの料亭の名が掲げられていました。*1

割烹「錦水」があったあたり。

「花本」の名が刻まれた電柱の標識。
昭和20年4月、5月の大空襲により新丸子三業地一帯は、4~5軒を残すのみで全焼しました。戦後、一時営業を中止していましたが、「花本」は、昭和20年12月に開店しました。許可不明のまま喫茶店として、温泉マークを付けて営業を始めましたが、昭和23年に許可がおり、昭和36年頃まで繁栄しました。しかし、昭和51年(1976年)頃には、「一直」、「丸子荘」、「伏見」等3軒となり、芸妓も10名ほどとなり、次第にさびれ、姿を消していきました。*1

丸子芸妓組合の事務所があった場所のあたり。*2

【参考文献】
*1 羽田猛:写真で見る中原街道(羽田猛,2000)P.36-P.39
*2 経済地図社:中原区明細地図(経済地図社,1973)P.76,P.79

洲本(謎のバラダイス)ちんちん音頭発祥の地

謎のバラダイスは、淡路島の観光名所水仙郷の一角にある秘宝館です。*1*2
道路から急な坂道を下ったところのくぼ地が、秘宝館の敷地です。

チンチン音頭発祥の地。*3

テレビで有名になった経緯が書かれています。

入口には、「おしべとめしべのことをまなぶところ」と書かれています。

【参考文献】
*1 酒井竜次:I love秘宝館(八画,2009)P.186-P187
*2 都築響一:珍日本紀行西日本編(筑摩書房,2000)P.816-P.819
*3 宝島社:VOW王国ニッポンお笑い世界遺産(宝島社,2004)P.48-P.49

洲本(箪笥横丁)2階は「文化住宅」

内通町4丁目商店街の新開地入口の東側に、瓢箪(ひょうたん)横丁があります。戦後、元大黒屋旅館を含む一画で、故高平氏がキャバレー・ハリウッドを経緯していたが、現在は改造されて9軒のスナックが入居する「箪笥横丁」になっています。細い路地の奥は新開地に通じています。*1

階上(2階)は、「文化住宅」のスペースになっています。

「文化住宅」の廊下。

レトロな「瓢箪横丁」のネオン看板。都美人は、淡路島の地酒です。

【参考文献】
*1 コモード56商店街の資料館の資料

洲本(弁天横丁)戦前のカフェーの名残

弁天横丁は、戦前、弁天座の南隣にあった大きなカフェー「灘政」を一族の故高平正一氏が譲り受け、戦後の一時期ダンスホールにしていたが、旅館「光陽荘」に衣替え、のち改造して2、3階をマンションに、1階をスナック街にして「弁天横丁」と名付けられました。*1

おでん屋とエステ

1階のスナック街。

「弁天」は旧字で「辨天」と書きます。

【参考文献】
*1 コモード56商店街の資料館の資料

洲本(弁天銀座)新開地

今回は洲本(兵庫県洲本市)の町並みを風俗を散歩します。
本町4丁目の厳島神社近くの弁天銀座は、洲本の中心街です。

弁天銀座から東側へ入った幅3メートルほどの小路は、新開地と呼ばれています。

スナック、寿司屋、料理屋、風俗店がひしめく夜の街です。

「カフエー」のプレート。

徳島(公園前のホテル)鷹匠町3丁目

徳島県徳島市鷹匠町3丁目の交差点。ラブホテルへの入口を示す看板があります。

通りを進むと住宅街に混じってラブホテルの建物があります。

隣の民家の塀にあった「18歳未満の者の出入を固く禁じます」と書かれた看板。何かの店舗なのでしょうか。

ホテルの前は公園です。

■カテゴリ ホテル 徳島

徳島(南新地)遊廓跡地

今回は、徳島(徳島県徳島市)の町並みと風俗を散歩します。
徳島市の二軒屋町駅近くには秋田町遊廓がありました。昭和11年発行の市街図には、現在の秋田町6丁目付近に「遊廓」の文字が記されています。*1
秋田町遊廓は戦後は赤線に移行して、「南新地」と呼ばれるようになりました。*2
1953年の住宅地図*3 には、この付近に「南新地」の記述があります。

バス停近くにある飲み屋(スタンド初菊)跡*3。

タイルで装飾された旅館の建物。

古い住宅地図*3*4 には「さがのや旅館」と記載されています。

【参考文献】
*1 日下伊兵衛:徳島市街全圖(日下伊兵衛,1936)
*2 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)
*3 善隣出版社:ゼンリンの住宅地図 徳島市・鳴門市(日本住宅地図出版株式会社, 1960)
*4 日本精密地図出版社:徳島精密市街地図(日本精密地図出版社,1953)

高松(吉野湯)城東町

高松市城東町の吉野湯。

歩道にせり出した吉野湯の看板がいい雰囲気です。

大きめでカラフルな暖簾。「男」「女」と大きく書かれています。

コインランドリーが併設されています。

■カテゴリ 銭湯 高松

高松(古びた旅館)出張員

兵庫町商店街の1本裏手の路地。古い町並みの雰囲気が残っています。

古びた旅館の看板。「出張員」という聞きなれない言葉が使われています。仕事で出張にきて宿泊する人のことを「出張員」と呼んでいるのだと思います。

瓦町駅近くのフェリー通りから、西へ入ったところに、昔ながらの旅館があります。

夜の様子。

■カテゴリ 旅館 高松