盛岡市街の中ノ橋通。写真奥が中ノ橋交番があるあたり。
スナック「あじさい」。
スナック「オーロラ」。
紺色と黄色の配色は斬新です。
盛岡市街の中ノ橋通。写真奥が中ノ橋交番があるあたり。
スナック「あじさい」。
スナック「オーロラ」。
紺色と黄色の配色は斬新です。
盛岡市街の宮古街道(盛岡市と宮古市を結ぶ国道106号線)周辺は、商店街が連なる繁華街です。
通りから南側へ入ると、スナック店が入る雑居ビルや住宅地が混在します(写真は南大通り1丁目)。
場末感漂うミニクラブ(中ノ橋通一丁目の路地)。
ネオン看板。
現在は、休業している模様です。
盛岡の激渋銭湯の「菊の湯」。駅からは少し離れている(茶畑2丁目)ので、バスで行くのが無難です。
珍しい、朝風呂営業中の銭湯です。
裏へ回ると、立派な煙突が見えます。
脱衣場には、主人の趣味でしょうか。動物の人形がたくさん並んでいます。
盛岡市紺屋町にある「平興酒店」。店の中にテーブルが見えます。
「コップ酒やってます。」の貼り紙。いわゆる「かくうち」です。道路を挟んだ向かい側には、酒蔵の「菊の司」があって、ここでは、菊の司が飲めるようです。
酒屋の店内。菊の司をはじめ、いろいろなお酒があって、「菊の司辛口」210円、「にごり酒」220円、など10種類から選べます。おつまみは、豆腐、おでん、味噌でんがく、せんべい、チーズ、ソーセージ、缶詰類から選べます。お酒以外は持ち込み可だそうです。
「菊の司辛口」を注文。
市街の中心部にある盛岡バスセンター。
昭和レトロなビルディングです。
営業している店舗が少ない中、ラーメン屋だけが営業中です。
中華そば(550円)を注文。
桜山神社の門前の桜山神社前商店街(東大通商店街)は、戦後、大陸から引き揚げてきた人たちが、この境内にバラックを建てて住みつき、生計を立てるために店を出したのが始まりと言われ、一時は闇市として賑わいました。*1*2*3
開町当時は、160区画で始まり、盛岡厚生市場協同組合というのを作って団結しました。*1
昭和44年、お城側に並んでいた30数軒の桟橋店舗はすべて移動し、歩道から亀ヶ池やお城の石垣が眺められるようになりました。*2
盛岡の三大麺(わんこそば、盛岡冷麺、盛岡じゃじゃ麺)の一つである「じゃじゃ麺」の元祖の店「白龍(ばいろん、写真右)」は、桜山商店街にあります。*3
建物と建物の間の風景。
【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語9 内丸・大通かいわい(熊谷印刷出版部,1979)P.60-P.64
*2 真山重博:もりおか歴史散歩(東北堂,2009)P.195-P.196
*3 松田十刻:めん都もりおか(もりおか暮らし物語読本刊行委員会,2010)P.116-P.117
八幡町から盛岡劇場へ向かう通りに、料亭の「喜の字」があります。
建物の前に設置されている案内板に、「創業者の盛田キノはいろは楼で生まれた売れっ子芸妓」と説明があります。
「いろは楼」は、「喜の字」の隣にあった遊廓で、いろは楼の主人の盛田六太郎の娘さんが、「喜の字」をやっていました。*1
歴史を感じさせる佇まいです。
ちょうど、人力車が通りかかりました。
【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語第2集 八幡町かいわい(熊谷印刷出版部,1974)P.124
今回は、盛岡(岩手県盛岡市)の町並みと風俗を散歩します。
現在も繁華街となっている八幡町の始まりは、八幡宮に参詣する人たちに飲み食いさせるためのお茶屋からでした。八幡町が賑わい、町並みが整う頃には、津志田からの遊廓の移転もあり、明治時代になると、八幡は花柳街として繁栄しました。「明治末期の八幡町かいわいの町並み」を見ると、遊廓(貸座敷)と料亭が混在していたことがわかります。料亭と遊廓は、はっきりと区別されていました。*1
八幡宮には、盛岡の納札(千社札)の同好者の集まりの「万札会」が奉納した額が残されています。*1
その額を見ると、八幡町の遊廓の妓楼名がたくさん出ています。*1
八幡宮に設置されている案内板。八幡町が歓楽街として繁栄した経緯が書かれています。
【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語第2集 八幡町かいわい(熊谷印刷出版部,1974)P.30-P.31,P.90-P91,P.124,付図「明治末期の八幡町かいわいの町並み」
大沢温泉にある金精神社。
ここには、男根が2体祭られています。
金勢神社の御神体。重さ150kg、長さ1.4mのケヤキの金勢様と呼ばれる男根です。
こちらには、石でできた男根が祭られています。
今回は、大沢温泉(岩手県花巻市)の町並みを風俗を散歩します。
JR花巻駅からバスに乗って約30分。大沢温泉に到着します。温泉地の名前そのものが旅館の名前になっている大沢旅館。
玄関を入ったすぐ左側に、懐かしい雰囲気の売店があります。
年代を感じさせる廊下。
古い道具たちに囲まれた帳場待合。売店で買ったものであれば持ち込みOK。お風呂につかった後にのんびり休憩できます。
戦後の闇市の展示コーナー。
「代用うどん」の貼り紙が見えます。
「代用うどん」の説明。小麦粉の代わりに、穀物やところてんなどが使われていました。闇市では、このような代用品が数多く出回りました。
三味線。うどんが3本のみです。
昭和の歓楽街が再現されたコーナー。
カフェーでしょうか。「女給募集」などの貼り紙が貼られています。
「衛生サック」「最新リン病治療薬」などの貼り紙が貼られた薬局。
「花柳病科」。
「性」の管理・身体の管理の展示コーナー。生理用品の普及や政府の産児制限に関する展示が行われています。
佐倉城趾の一角にある国立歴史民俗博物館は、多数の特色のあるコレクションが展示されています。
日清・日露戦争のコーナー。日本が富国強兵を推し進めた時代です。
佐倉遊廓が作成した凱旋歓迎ハンカチ。
佐倉遊廓の名前が書かれています。
戦争と遊廓が密接な関係を持っていたこと示しています。
佐倉市街の成田街道沿いは、明治時代の古い町並みが保存されています。
明治時代の呉服屋の旧駿河屋。建物内部が公開されています。
「千葉県佐倉町鳥瞰」が展示されています。
弥勒新地付近。遊廓の若葉楼の名が確認できます。
今回は、佐倉(千葉県佐倉市)の町並みと風俗を散歩します。
佐倉市弥勒町の妙経寺の隣には、遊廓がありました。当時の町並みを再現した市街図によると、遊廓があった場所は、と妙経寺の境内の裏手で、三谷屋ふとん店(写真奥)の手前です。
当時は、道路(弥勒通り)から入ったところに、大門がありました。*1
「弥勒新地」と呼ばれた遊廓がいつごろ開かれたかについての詳細は不明ですが、佐倉に歩兵部隊が屯営するようになった頃(明治16年頃)だと伝えられています*1
荒川(若葉)楼、成田楼、志村楼、弥勒楼、日暮楼、東楼がありました。
【参考文献】
*1 新佐倉真佐子を作る会:佐倉お茶の間風土記(新佐倉真佐子を作る会,1979)P.96-P.97,附図
深谷駅前にあるレディースファッション店。
バニーガールの写真。
建物の北側の側面には、ドレスを着たマネキンが陳列されています。
同じビルに入居しているのでしょうか。ランジェリーパブの看板がありました。
食堂の「伊勢屋」の隣にある銭湯の「姫の湯」。
深谷の激渋銭湯です。
脱衣所のロッカーは、大き目で使いやすいです。中庭もあります。
入口の石畳。風情があります。
昭和の雰囲気が残る大衆食堂です。
食堂の中の様子。
カレーと生ビールを注文。昔懐かしい黄色のカレーです。
深谷駅前の西島町3丁目にある割烹料理屋。この通りは、「ちょうちん横丁」と呼ばれる昔からの繁華街です。
「見返りの松」は国道17号(写真右側)と旧中山道(写真左側)の交差点(深谷市原郷)に現存しています。江戸時代、深谷宿では「飯盛り女」と呼ばれる遊女が置かれ、宿場のはずれにあるこの松のから宿場の方を振り返り、前の晩の遊女との別れを惜しんだ旅人も多かったことから、「見返りの松」と呼ばれたようです。*1
「見返りの松」の石碑。
石碑の裏側には、青楼華やかな頃の様子が書かれています。
江戸時代、深谷宿のはずれに、松、杉あわせて400本があり、並木道となっていました。
【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.15-P.22
今回は、深谷(埼玉県深谷市)の町並みと風俗を散歩します。
今は昔、大正末期まであった深谷の遊廓、「深谷と云えば女郎屋、女郎屋と云えば深谷」と知れわたり、近在は元より、相当遠隔の地からも遥々毎日毎夜多くの人たちが遊びにきました。大正の頃の遊廓は、相生町に9軒、本町に1軒、稲荷町に6軒ありました。*1
明治35年の市街図*2 によると、相生町の安中商店付近には、貸席(貸座敷)の関口楼がありました。
松本楼があったあたり。
酒蔵の田中藤左衛門のあたり、須藤染物店の隣には、芸妓屋と貸席がありました。*2
貸席(貸座敷)があったと思われる場所は、駐車場になっています。
【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.15-P.22
*2 田口浪三,高柳鶴太郎:埼玉県営業便覧(全国営業便覧発行所)P.49
国分町にある銭湯の駒の湯。
1階にコインランドリーが併設されたビル型の銭湯です。
1階の入口から階段で浴場のある2階へ向かいます。
2階には券売機とレトロな公衆電話。
国分町の勾当台公園駅近くにある東一市場。入口には、赤色のゲートがあります。
居酒屋などの飲食店が軒をつらねます。
夜の様子。
東一市場の反対側(西側)は商店街になっています。
今回は、国分町(宮城県仙台市青葉区)の町並みと風俗を散歩します。
仙台一の歓楽街、国分町の中心街に、ストリップ劇場の「仙台ロック」があります。
入口付近。
夜の「仙台ロック」の看板。
入口には、ヌード劇場の看板がたっています。