舎人町(料理屋の建物)祇園街

舎人町の「とみや」の屋号が残る建物。

当時の住宅地図によると、「とみや」の隣に「春日寮」、その隣に「中京祇園会館」(写真左奥のマンションのあたり)がありました。*1

同じ通り面して建つ料理「市松」。独特の意匠の建物です。

当時の電話帳*2 の”料理”の項を見ると、「市松」「若松」「小山料理店」「松月」「九十九」「久和」「よこい」などの料理店の所在地は、東区、”舎人”もしくは”祇園街”と記載されています。同様に、”芸ぎ”の項にも、”舎人”もしくは”祇園街”の記載があり、この一帯の花街は、「祇園街」もしくは「中京祇園街」と呼ばれていたようです。

【参考文献】
*1 善隣出版社:名古屋市東区(善隣出版社,1972)P.52
*2 東海電気通信局:名古屋電話番号簿(東海電気通信局,1968)P.412-P.414

舎人町(芸者屋街)トンネル芸者

今回は、舎人町(愛知県名古屋市東区)の町並みと風俗を散歩します。
舎人町は、戦災をまぬがれたおかげで、戦後の立ち直りは早く、戦後さらに名声を加えました。社用族の二次会どころの故に客足が遅く、十時頃からの客が多く、ついでに寝ていく客も多かったことから、昔から舎人町のトンネル芸者という変なダジャレのあだ名をつけられていました。*1

現在の舎人町は、閑静な住宅街ですが、ところどころに、当時の面影を残す建物が建っています。

こちらのお宅は、料理屋だったようです。

「若房」の屋号が残っています。昭和51年の住宅地図*2 には、料理「若房」その東隣に割烹「久和」、西隣に割烹「岩松」があり、この付近は料亭街でした。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.29
*2 日本住宅地図出版:名古屋市東区(日本住宅地図出版,1976)P.52

丸の内(長者町繊維街)看板が連なります。

長者町繊維街は、丸の内から錦までを南北に貫く長い通りです。大きな看板が連なります。

主人が先頭に立って働く”現金取引”、”薄利多売”の商法は、長者町を日本有数の問屋街へと発展させる原動力となり、大正末期から昭和にかけての繊維卸問屋街時代を迎えました。*1

現在も繊維問屋が建ち並びます。

洋服の専門問屋。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127

丸の内(料亭「河文」)葵の紋

長者町のレストラン「ザ・カワブン・ナゴヤ」の南側を東西に魚ノ棚通りが交差しています。
魚ノ棚通りを東側に入ったところに老舗料亭の「河文」が昔の佇まいそのままの姿で建っています。

登録有形文化財に指定されている建物。

建物の壁面に、「魚ノ棚通り」の説明が書かれています。江戸時代(元禄年間)は、料亭がありました。

玄関の奥には、葵の紋。
当時は、お昼から三味線の稽古の音がして、このあたりは大変賑やかでした。夜は芸妓さんを呼んで、本当に線香を立てていたそうです。「花代(線香代)」は、一本十二銭でした。*1

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127

丸の内(レストラン「ザ・カワブン・ナゴヤ」)老舗料亭が運営

南北に長く延びる長者町の通りは、北側(丸の内2丁目)は上長者町、南側(錦2丁目)は下長者町と呼ばれています。
丸の内の長者町の歴史は、名古屋城築城の慶長15年(1610年)までさかのぼります。戦前までは料亭と芸者の街でした。戦後は大正末期から増えてきた繊維卸問屋の街として再出発しました。*1

「THE KAWABUN NAGOYA(ザ・カワブン・ナゴヤ)」は、老舗料亭「河文」が運営しているレストランです。

入口脇の案内板には、明治時代は、西洋料理店が建ち並ぶ歓楽街であったことが紹介されています。

夜の様子。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127

丸の内(駅の貼り紙)後方注意

今回は、丸の内(愛知県名古屋市中区)の町並みと風俗を散歩します。
地下鉄鶴舞線の丸の内駅。

出口へ向かう途中の「変質者」「後方」「注意」の貼り紙。

エスカレーターを登っていく途中。「盗」「撮」「注」「意」の貼り紙。

後ろを振り返ると急角度のエスカレータであることを実感できます。

川崎大師(料亭「恵の本」)かなまら巻

川崎大師の門前にある料理屋の「恵の本」。
かつて、このあたりは、名物の江戸前もの地ハマグリを使った蛤鍋を扱う料亭が、江戸時代に27軒、昭和でも16軒がこの界隈に賑わっていましたが、今は創業350年の「恵の本」)だけです。

かなまら祭コラボ企画の「かなまら巻」。

かなまら巻は、太巻き1本とお稲荷さん2個のセットです。日本酒も注文しました。

太巻きの断面。

川崎大師(子宝飴)仲見世通り

 松屋総本店は、川崎大師仲見世「とんとこ飴きり」でお馴染みの老舗です。軽快な飴きりの音が聞こえてきます。

がかなまらキャンディ。

「松屋の飴総本舗」の子宝飴。男性器と女性器の飴が1本づつ入ったセットです。

縁起物ですので、1セット購入しました。

川崎大師(ピンクの男根)エリザベス神輿

かなまら祭の名物。エリザベス神輿。

かなまら祭のメイン行事である面掛行列(男性器の神輿が町内を練り歩く行事)は、12:00頃から始まります。

エリザベス神輿については、前々回(2104年)、地元の警察から「もう少し何とかならないのか。」との注文がつき、前回(2015年4月5日)は、白いレースで神輿を飾る工夫を凝らし、少しは隠れるようにしました。*1
しかし、今年は大きな変化がありました。女装をした人たちが神輿を担ぐ行為*2 が無くなり、台車の載せて運ぶだけになりました。
また、前回、男根を隠した白いレースは、「レースが雨に濡れてかえっていやらしく見えた」*1 ことからでしょうか、白い布に変更されています。

大師公園に到着したピンクの男根は、全体を白い布で隠されたままです。多くの人が周りを取り囲んでいましたが、2度と姿を見せることはありませんでした。

*1 園田寿,臺宏士:エロスと「わいせつ」のあいだ(朝日新聞出版,2016)P.151-P.157
【参考記事】
*2 風俗散歩(川崎大師):ピンクの男根(2007.4)

川崎大師(境内でのグッズ販売)金山神社

境内には、男性器や女性器をかたどったグッズが売られています。
例年は、境内の中央に男性器をかたどった木製のモニュメントが置かれ、これに馬乗りになり記念撮影をする若い女性とその様子を撮影しようとする大勢の人だかりができます。*1*2
しかし、2015年は、その場の雰囲気に悪乗りして上半身を脱ぐ女性やふんどし姿の大学生が現れるなどのトラブルがあり、このため、2016年は、このモニュメントは設置しないことになりました。*3

「かなまら祭Tシャツ」を販売する女性販売員。

「まらキャンドル」。

ポスターもあります。

【参考記事】
*1 風俗散歩(川崎大師):かなまら祭での撮影風景(2007.4)
*2 風俗散歩(川崎大師):かなまら祭での撮影風景(2008.4)
【参考文献】
*3 園田寿,臺宏士:エロスと「わいせつ」のあいだ(朝日新聞出版,2016)P.151-P.157

川崎大師(かなまら祭の行列)金山神社を1周

今回は、川崎大師( 神奈川県川崎市川崎区)の町並みと風俗を散歩します。4月の第一日曜日は、「かなまら祭」の日です。多くの人で賑わっています。

訪れる人が多いため、入場規制が行われています。

入場を待つ行列は、隣の宮川医院を回り込み、さらに続いています。

列の最後尾は、金山神社を1周回ったところまで伸びています。

円頓寺(中央菓子卸市場)残念ながら取り壊し予定

駄菓子屋街*1 の西側。高速道路の明道町JCTの近くに、中央菓子卸市場のレトロな建物が建っています。

残念ながら取り壊し予定だそうです。*2

反対側の入口。

大量の菓子が並べられています。

【参考記事】
*1 風俗散歩(円頓寺):駄菓子屋街(2016.4)
【参考文献】
*2 谷充子:休みをとってでも行きたい問屋街さんぽ(G.B.,2016)P.126-127

円頓寺(菓子問屋街)「嫁入り菓子」をここで買えます。

円頓寺商店街の北側。西区新道は菓子王国名古屋を象徴する問屋街です。幕末には、駄菓子製造地として知られ、日露戦争後、小資本の家内工業として本格的に発展し、最盛期には、お店が500軒余ありました。*1

子供が小遣いで買える10円~の菓子が主流です。*2

駄菓子は、単価が安いので、冠婚葬祭はもとより、子供会や地区のイベントなど幅広いニーズで利されます。名古屋では「嫁入り菓子」を結婚式で配るそうですが、それをここで買えます。*2

石原さとみさんの「果汁グミ」のCMポスターが貼られた菓子問屋。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.144
*2 谷充子:休みをとってでも行きたい問屋街さんぽ(G.B.,2016)P.126-127

円頓寺(勝利亭)洋食文化の草分け

円頓寺商店街にある洋食店の「勝利亭」。創業百年と名古屋の洋食文化の草分けとして親しまれた老舗です。店名は、日露戦争の勝利を祝って付けられました。初代の主人は、カゴメ(名古屋市中区)の創業者が日本で初めて発売したトマトソースの開発にも携わったと伝わっています。*1

歴史を感じるレトロな店内。

テーブルには、トマトケチャップのボトルが置かれています。

チキンオムライス(大盛り)とビール(大瓶)を注文。オムライスの中身はケチャップライスですが、さらにトマトケチャップをかけてみました。

【参考文献】
*1 中日新聞(2009.1.28夕刊)「円頓寺の老舗2代目・野口さん 93歳 伝統の味 守り死去」

円頓寺(開慶座跡地)ストリップ劇場跡

今回は、円頓寺(えんどうじ、愛知県名古屋市西区)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代末期から、長久山円頓寺を中心に発展した円頓寺商店街は、庶民的な佇まいが最大の魅力です。*1

名古屋では数少ない寄席として人気だった「開慶座」の跡地。昭和28年に秋に赤字打開策としてスリップ劇場に転身しました。*1

「開慶座」の跡地の西側に、慶栄寺が見えます。

「開慶座」の跡地から見る円頓寺商店街。写真奥の「喫茶まつば」は、昭和25年の「円頓寺新地図」*2 にも記載されている老舗の喫茶店です。

*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.14-P.17
*2 名古屋タイムズ(1953.1.28)P.6「円頓寺新地図」

堀田(海上寺)オッパイ神社

名古屋市の瑞穂区直来町にある海上寺。

海上寺は、乳花(ちばな)薬師とも呼ばれ、お堂の前にかかっている絵馬は、平面的なオッパイが描かれています。*1

立体的なオッパイもあります。

おっぱいがたくさん出ますように。

【参考文献】
*1 永谷正樹:大名古屋大観光(イースト・プレス,2005)P.122