遠野(山崎のコンセイサマ)陰陽石

遠野駅から340号線を北東へ7Kmほど行くと、「山崎のコンセイサマ」の入口を示す看板に行きつきます。

しばらく行くと、山崎のコンセイサマの案内板があります。

道の両脇には、陰陽石が置かれています。

山崎金勢茶屋にあった切株。

遠野(程洞のコンセイサマ)遠野市街の南側

遠野には、性神を多く見かけます。その一つ、「程洞のコンセイサマ」は、遠野市街の南側の丘陵にあります。
急峻な山腹を延々と昇るとようやく鳥居が見えてきます。さらにこの鳥居をくぐって石段を登った上に、ココンセイサマが安置されています。*1

コンセイサマが安置されている祠。

遠野物語の第16話に、「コンセサマを祭れる家も少なからず。(中略)石又は木にて男の物を作りて捧ぐる也。今は追々とその事少なくなれり。」と書かれています。*1

手前に、並べられている男根。

【参考文献】
*1 原左門:遠野のいまと昔(有志舎,2015)P.101-P.102

遠野(遠野遊廓跡地)裏町

 今回は、遠野(岩手県遠野市)の町並みと風俗を散歩します。
遠野の裏町(現在の仲町)に、遊女屋ができたのは、明治11年の滝田火事で裏町が全焼した後です。明治18年、当局者は町の復興のため、裏町を三業の指定地として茶屋(遊女屋)を集めました。当時の遊女屋は、大橋楼、菊一楼、三海楼、寿楼、朝日楼、吾妻楼、福田楼、それに通称三階といった恵比寿楼の8軒で、これに後で紫明館が加わりました。*1

昭和3年の市街図*2 によると遊女屋の紫明館はこのあたりにありました。

 

現在、仲町と呼ばれているあたりが、「裏町」でした。

 遠野物語拾遺二五二に、「青笹村の関口に、毎日毎日遠野の裏町に通って遊ぶ人があった。その遊女屋の名が三光楼であった故に、土地の者はこの人をも三光楼と呼ぶようになったが、しまいにはそれが屋号になって、今でもその家をそういっている。」とあります。*3
 しかし、裏町には、三光楼という遊女屋はなく、三階楼をもじって「三光楼」と言ったのだと思われます。*4

「南部ばやし」の案内板。当時の仲町(裏町)では、芸者衆が三味線や笛、太鼓を持って加わりました。

 

【参考文献】
*1 遠野市史編集委員会:遠野市史 第3巻(万葉堂書店,1976)P.547

*2 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)岩手懸
*3 柳田国男:新版 遠野物語(角川書店,2004)P.196
*4 遠野物語研究所:注釈遠野物語拾遺(遠野物語研究所,2013)P.156-P.157

北上(遊廓跡地)新穀町通り

「しんど」と呼ばれた新穀町通りは、かつては遊廓街(黒沢尻遊廓)でした。遊廓の入口にあたる賑橋の近くには、賛成楼がありました。*1

その向かい側にあった千花楼があった場所は、現在は大きな商業ビルが建っています。*1

遊廓街の西側から見た東方。写真の左手前(旧トップフード付近)に松月楼がありました。*1

商店街の中で、唯一、当時の屋号が残る米店の紙野屋。通りを挟んだ向かい側に、遊女の検査場と花月楼がありました。*1

【参考文献】
*1 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.55「明治30年代の新穀町の盛り場」

北上(「賑橋」跡)西の玄関口・新穀町

北上(旧黒沢尻町)の遊廓は、新穀町にありました。*1
新穀町は「西裏」と称され、小料理屋と遊廓が集中した新開地で、いわゆる赤線区域でもありました。新穀町の入口には、広瀬川にかかる「賑橋(にぎわいばし)」があって、この橋から西が遊廓の免許地で、馬喰、鉱山関係者などで賑わいました。*2

現在、賑橋はありません。

賑橋があったと思われる場所(駐車場脇)には、小さな水路が流れています。

かつて賑わい橋がかかっていた広瀬川の名残でしょうか。

【参考文献】
*1 全国遊廓案内(日本遊覧社, 1930)P.120-P.121
*2 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.57「西の玄関口・新穀町」

北上(大安楼)かつての花街「東裏」で現在も営業中

往時の黒沢尻町(現在の北上市街)の飲食街は「東裏」(花柳界)と「西裏」(遊廓街)に二分されてされていました。「東裏」は、本通りの東側にあたり、東京屋、大安楼、常盤木、観月、喜久乃屋、吉田屋、今野屋等に代表される料亭をを中心とする花柳界でした。*1
本通りの東側の諏訪町2丁目に、当時の屋号「大安楼」を引き継ぐ料理屋が現在も営業中です。

レトロな雰囲気の店内。

刺身定食、北上コロッケ、ビールを注文。

デザートに、トマトのレモン煮を注文。フルーツのように甘くておいしいトマトです。

【参考文献】
*1 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.57「西の玄関口・新穀町」

釜石(ハンバーガー自販機)平田

釜石駅から南リアス線の隣の駅、平田(へいた)駅で下車し、西へ2Kmほどのところに、「コインランドリー090」がありあす。*1

コインランドリー脇に、ハンバーガー自動販売機が設置されています。

残念ながら、チーズバーガーは売り切れでした。

バス停の形をした看板。遊び心があります。

【参考文献】
*1 越野弘之:昭和レトロ自販機大百科(洋泉社,2015)P.40

釜石(釜石遊廓跡地)浜町3丁目

釜石の遊廓は、現在の釜石市浜町3丁目のあたりにあって、北側から、気晴館、鈴木楼、黄金楼、布袋楼、花月楼、美芳楼、東楼、紺楼、三陸楼、福寿楼、東海楼、幸楼、と建ち並び、釜石貸座敷組合が組織されていました。*1

遊廓街の南端にあった幸楼と同じ屋号の料亭「幸楼」。*1

遊廓の北側。気晴館、鈴木楼、黄金楼があったと思われるあたり。

大正15年の「釜石案内」*2 には、「遠く望めば、さながら、阿房宮(あぼうきゅう、秦の始皇帝が建てた大宮殿)のようであった」と、記されています。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 岩手県(東京交通社,1925)
*2 伊藤天山:釜石案内(釜石町,1926)P.135