芳和荘の1階のお風呂場へ向かう廊下。




町並み・歓楽街、大衆文化・風俗
芳和荘の1階のお風呂場へ向かう廊下。
旧遊廓の芳和荘。8年前の宿泊しましたが、今回2回目の宿泊です。
五軒町のスナック街。
今回は、萩(山口県萩市)の町並みと風俗を散歩します。
萩市の繁華街は、東田町と五軒町に集中しています。
340号線から山道に入り、案内に従って奥へ進むと、金勢精神社の境内に到着します。
遠野駅から340号線を北東へ7Kmほど行くと、「山崎のコンセイサマ」の入口を示す看板に行きつきます。
しばらく行くと、山崎のコンセイサマの案内板があります。
道の両脇には、陰陽石が置かれています。
山崎金勢茶屋にあった切株。
遠野には、性神を多く見かけます。その一つ、「程洞のコンセイサマ」は、遠野市街の南側の丘陵にあります。
急峻な山腹を延々と昇るとようやく鳥居が見えてきます。さらにこの鳥居をくぐって石段を登った上に、ココンセイサマが安置されています。*1
コンセイサマが安置されている祠。
遠野物語の第16話に、「コンセサマを祭れる家も少なからず。(中略)石又は木にて男の物を作りて捧ぐる也。今は追々とその事少なくなれり。」と書かれています。*1
手前に、並べられている男根。
【参考文献】
*1 原左門:遠野のいまと昔(有志舎,2015)P.101-P.102
この日は、旅館福山荘に宿泊。昔ながらのレトロな旅館です。
広くて豪華な部屋。
夕食は、お膳に置きくれないくらいの皿数の多さです。
コップ一杯のどぶろくがサービスでつきます。プチプチと音をたてて泡が出ていました。
遠野駅前のスナック。木造母屋を改造した看板建築の建物が多く見られます。
ネオン看板の痕跡。
2階建てに見えるスナックの建物。
後ろから見ると1階建てであることが解ります。
遠野駅前の歓楽街。ネオン看板の枠のみが残っています。
壁面に「パチンコ」と書かれた建物。
緩やかにカーブを描いてスナック街が続いています。
飲み屋街の東端。Y字路になっています。
昭和3年の市街図*2 によると遊女屋の紫明館はこのあたりにありました。
現在、仲町と呼ばれているあたりが、「裏町」でした。
「南部ばやし」の案内板。当時の仲町(裏町)では、芸者衆が三味線や笛、太鼓を持って加わりました。
【参考文献】
*1 遠野市史編集委員会:遠野市史 第3巻(万葉堂書店,1976)P.547
「しんど」と呼ばれた新穀町通りは、かつては遊廓街(黒沢尻遊廓)でした。遊廓の入口にあたる賑橋の近くには、賛成楼がありました。*1
その向かい側にあった千花楼があった場所は、現在は大きな商業ビルが建っています。*1
遊廓街の西側から見た東方。写真の左手前(旧トップフード付近)に松月楼がありました。*1
商店街の中で、唯一、当時の屋号が残る米店の紙野屋。通りを挟んだ向かい側に、遊女の検査場と花月楼がありました。*1
【参考文献】
*1 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.55「明治30年代の新穀町の盛り場」
北上(旧黒沢尻町)の遊廓は、新穀町にありました。*1
新穀町は「西裏」と称され、小料理屋と遊廓が集中した新開地で、いわゆる赤線区域でもありました。新穀町の入口には、広瀬川にかかる「賑橋(にぎわいばし)」があって、この橋から西が遊廓の免許地で、馬喰、鉱山関係者などで賑わいました。*2
現在、賑橋はありません。
賑橋があったと思われる場所(駐車場脇)には、小さな水路が流れています。
かつて賑わい橋がかかっていた広瀬川の名残でしょうか。
【参考文献】
*1 全国遊廓案内(日本遊覧社, 1930)P.120-P.121
*2 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.57「西の玄関口・新穀町」
往時の黒沢尻町(現在の北上市街)の飲食街は「東裏」(花柳界)と「西裏」(遊廓街)に二分されてされていました。「東裏」は、本通りの東側にあたり、東京屋、大安楼、常盤木、観月、喜久乃屋、吉田屋、今野屋等に代表される料亭をを中心とする花柳界でした。*1
本通りの東側の諏訪町2丁目に、当時の屋号「大安楼」を引き継ぐ料理屋が現在も営業中です。
レトロな雰囲気の店内。
刺身定食、北上コロッケ、ビールを注文。
デザートに、トマトのレモン煮を注文。フルーツのように甘くておいしいトマトです。
【参考文献】
*1 街きたかみ編集委員会・みちのく民芸企画:きたかみの今昔(トリョーコム,1980 )P.54-P.57「西の玄関口・新穀町」
青柳町2丁目の歓楽街。広い通りに長屋風のスナックの路地が交差します。
青色のスナック店。
長屋風のスナックの建物。
両側にスナック店。
青柳町2丁目の歓楽街。スナックが密集するエリアです。
小料理、おでんの「あいこ」。
レトロな店の入口。
あいこ。
今回は、北上(岩手県北上市)の町並みと風俗を散歩します。
北上の繁華街の青柳町。
楽天小路と名付けられた横丁があります。
両側に居酒屋やスナックが建ち並びます。
ゲートの裏側は、破損が少なく、店名が確認できます。
釜石駅から南リアス線の隣の駅、平田(へいた)駅で下車し、西へ2Kmほどのところに、「コインランドリー090」がありあす。*1
コインランドリー脇に、ハンバーガー自動販売機が設置されています。
残念ながら、チーズバーガーは売り切れでした。
バス停の形をした看板。遊び心があります。
【参考文献】
*1 越野弘之:昭和レトロ自販機大百科(洋泉社,2015)P.40
釜石市街になる銭湯の「鶴の湯」。
油田型の煙突。
入口には、アジサイが咲き誇っています。
「鶴女湯」「鶴男湯」と表示されています。
釜石の遊廓は、現在の釜石市浜町3丁目のあたりにあって、北側から、気晴館、鈴木楼、黄金楼、布袋楼、花月楼、美芳楼、東楼、紺楼、三陸楼、福寿楼、東海楼、幸楼、と建ち並び、釜石貸座敷組合が組織されていました。*1
遊廓街の南端にあった幸楼と同じ屋号の料亭「幸楼」。*1
遊廓の北側。気晴館、鈴木楼、黄金楼があったと思われるあたり。
大正15年の「釜石案内」*2 には、「遠く望めば、さながら、阿房宮(あぼうきゅう、秦の始皇帝が建てた大宮殿)のようであった」と、記されています。
【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 岩手県(東京交通社,1925)
*2 伊藤天山:釜石案内(釜石町,1926)P.135