長者町9丁目。福富町の歓楽街の中心部からは少しはずれたエリアです。
ラーメン店の隣にアダルトショップがあります。
隣は風俗店です。
アダルト館。
長者町9丁目。福富町の歓楽街の中心部からは少しはずれたエリアです。
ラーメン店の隣にアダルトショップがあります。
隣は風俗店です。
アダルト館。
福富町のGMビル。外国人専門の高級娼婦だったメリーさんが客を引いていた雑居ビルです。*1
GMビルのエントランス。
夜になると、ピンク色の看板にあかりが灯ります。
クラブなどの店舗が入居しています。
【参考文献】
*1 檀原照和:消えた横浜娼婦たち(データハウス,2009)P.153-P.156
*2 中村高寛 (監督) :ヨコハマメリー [DVD]
福富町の飲食ビル「エイトセンター」。
31の酒の店が集まる夜のコーナーです。
入口から一直線に延びる階段。
夜の様子。
長者町の通りに面して建つ長者町八丁目共同ビル。
戦後に建設されたと思われる大規模な商店街共同建築です。
マッサージ店の看板。
長者町の町並みが見渡せます。
今回は、福富町(神奈川県横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。福富町は、「商店街共同建築」が多く見られる町です。
中心部にある福仲ビル。中心部にある福仲ビル。
2階と3階は居住部分です。
ビルの裏側。
和田町駅の南側。和田町商店街沿いの横丁。
1階は、居酒屋や料理店が入居する店舗。2階が居住スペースです。
スナックやカラオケパブ。
西側から。
今回は、和田町(神奈川県横浜市保土ヶ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
和田町の楽天地は、昭和6年に町の発展を促進するためにできました。はじめはカフェー(現在の喫茶店)として許可を受け、その後風俗営業として、嘆願書が提出され同年夏に許可されました。
楽天地の設立により和田町の名声と繁栄は浅間町の新天地と趣をかえ、田の中の不夜城となりました。一軒あたりの接客婦は4名程度で客室は3室でした。
現在の和田町商店街付近が、楽天地があった場所です。
「楽天地」の電柱番号札。
当時の略図*1 によると、「きらく」「さわ久」「金港」「みかさ」「わか梅」「かとり」「らくゆう」「いろは」「ちどり」等が軒を連ねていました。
【参考文献】
*1 青木正晴:和田町思考(青木正晴,1971)P.42-P.46
*2 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1960)P.78
和田町駅の西側の仏向町にある横浜温泉黄金湯。
「天然化石海水型」と看板に書かれています。
落ち着いた感じの脱衣場。
風呂釜。
天王町の橘樹(たちばな)神社近くの居酒屋。大人のおもちゃ店が併設されています。
店の入口。
上部の大看板。
風情のある木造母屋です。
天王町駅前から旧東海道を北へ進み、国道16号を渡ると横浜洪福寺松原商店街の入口です。
商店街は、歩行者天国になっています。
生鮮品のマーケットが建ち並びます。
朝獲れの鮮魚。
【参考URL】*1 横浜洪福寺松原商店街:公式
新天地カフエー街の中心部にある稲荷神社*1 玉垣は、新天地カフエー組合が寄進したものです。
第二千鳥、二葉、高砂、ハトバの屋号が刻まれいます。
大和、三笠、三ツ和、ラッキー。
若松、笹本、スカイ。
稲荷神社*1 の脇の路地にはカフエーが密集していました。左側に「ユカイ」「さつき」「はとば」「三笠」、右側に「ちどり本店」「高砂」「ラッキー」がありました。
現在の岩本ビルの場所には、「岩ふじ」その奥に「いろは」がありました。
北西側の一画。左側に、「第二ちどり」「三好」」「紅梅」、右側に、「岩松」がありました。
「カフエーラッキー」があったあたり。
今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。 かつての新天地カフエー*1 の西側。
カフエー時代の名残と思われる「新天地」と書かれた電柱番号札があります。
昭和31年の住宅地図*2 によると、この道路の左側に「カフエーささもと」「カフエー㐂久芳」、右側に、「カフエーちどり本店」「カフエーユカイ」がありました。
「チドリ荘」の電柱番号札。電柱番号札の名称に店の屋号が使われるのは珍しいケースです。
【参考文献】
経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1956)P.64
上大岡駅前の国道21号線沿い。旧道と合流する三角形の部分に巨大なラブホテルが建っています。
先端の緑地帯部分の看板。
京急線の高架と交差する場所にある狭小ラブホテル。
男女の看板。
花街だった大久保地区の通り。
スナック店が連なっています。
かつては料亭街だったあたり。
派手な外装のスナック店。
今回は、上大岡(奈川県横浜市港南区)の町並みと風俗を散歩します。 大正の終わり頃から戦後の昭和33年まで、上大岡駅から大岡川を挟んだ大久保(旧久保村)の地に花街がありました。その発端の記録は、大正11年に久保地区から神奈川県に真金町遊廓の移転先として提出された請願書で、その後、正式に「三業地」として指定され、昭和10年頃には芸妓屋、待合、料理屋が30数件もできて大いに賑わいました。花街は、戦局の悪化に伴って営業停止となりましたが、終戦後は米兵も出入りし再び賑わいを取り戻しました。大久保の花街は、昭和33年の売春防止法により、街の灯が消えました。*1
現在、花街があった大久保地区は、スナックが散在する住宅街になっています。
料亭「君の星」があったあたりは、現在は駐車場になっています。*1
料亭「竹の家」があったあたり(現在の佐藤歯科)。*1
【参考文献】
*1 港南歴史協議会:こうなんの歴史アルバム(港南歴史協議会,2010)P.30-P.31
浜マーケットの頭上に「TOIRET」の看板。
トイレへは狭い通路を進みます。
同じ形のトイレが二つ。まるで鏡に写したように対峙しています。
天井部分。
国道16号線沿い、バス停「浜」の近くに、浜マーケットがあります。 浜マーケットは、戦後の闇市が発展してできました。 戦後まもなくの昭和20年(1945年)の暮れ頃、戦時中に戦車が通れるように作ってそのまま空地になっていた 「疎開道路」の一部分に、10軒ほど店が並んだのが、浜マーケットの始まりでした。*1
食料品や日用品の店が並んでいます。
闇市の頃の雰囲気が残っています。
反対側の出口。
磯子の花街は、今のバス停「浜」から磯子区役所の南まで海浜に沿って料亭が並び、独自な風情がありました。旧芦名川河口(現在の芦名橋公園)近く。16線から東へ入ったあたり。現在のマンション「ナイスアーバン磯子」のあたりに磯子検番がありました。*1
料理屋「磯川」があったあたり。*1
この付近には、料亭「竹みどり」「浜の家」がありました。
料亭「中志満」があったあたり。
【参考文献】
*1 葛城峻:やぶにらみ磯子郷土誌(2014,磯子区郷土研究ネットワーク)P.113-P.117
磯子の葦名橋近く。かつての磯子の花街の入口にあたる場所に、レトロ電柱が1本だけだけ残っています。
しっかりと建っています。
街路灯として、現在も使用されているようです。
電柱の中央部のプーレート部分。何と書かれていたのでしょうか。
八幡橋近くの長屋の建物。
レトロ屋中華屋さん。
中華屋の隣にあるジュータンスナック。
その隣には、和風スナック。
磯子区久木町の住宅街。
レトロな理容室。
鮮やかな水色の看板に、サインポールが映えます。
店の前に置かれている鉢植えも水色に統一されています。
磯子の八幡橋から横須賀街道を北上した横浜市電保存館の近くに丸山市場があります。
小規模な市場ですが、昭和の雰囲気が色濃く残ります。
歌手の美空ひばりさんの生家は、この付近にありました。*1
東側の入口。
【参考文献】
葛城峻:やぶにらみ磯子郷土誌(2014,磯子区郷土研究ネットワーク)P.220
今回は、磯子(神奈川県磯子区)の町並みと風俗を散歩します。 JR根岸駅から東へ約500m。八幡橋近くにある八幡神社。
境内にある大きな石碑。上部に鉄球が載っている奇妙な形のです。
磯子「二業組合」「芸妓組合」の名が刻まれています。
磯子二業組合の組合長の葦名金之助などの名前が刻まれています。