明治32年、芸娼妓、貸座敷免許地として、現在の堀道が指定され、山見、井波、藤橋、北川に散在していた料理屋、貸座敷がこの地に集まり、以後、免許地遊廓として栄えました。*1
現在の堀道には、廃業したとおぼしきスナックに転用された建物、タイル張りの家屋が残っています。*2
遊廓の近くには、芝居小屋の八乙女座がありましたが、昭和11年に消失。その跡地に井波劇場(現井波郵便局の位置)が新築されました。*3
スナックの建物の隣の和風の建物
月: 2017年11月
井波の花街「堀道」(現在の表記は「堀通」)は、八日町通り(通称「瑞泉寺通り」)の参道の裏通りに位置し、おそらく観光に訪れる人々が足を踏み入れることのない場所です。*1
現在でも営業している大きな割烹。*1
「木彫りの里『井波』」らしい意匠。
坂道沿いに建っています。
参考文献
*1参考記事
今回は、井波(富山県南砺市)の町並みを散歩します。八日町通りは、瑞泉寺の門前町井波を象徴する通りです。
正面奥に見えるのは、八乙女山方面。
瑞泉寺から伸びる石畳の通りの両脇には、「井波彫刻」の工房や飲食店が軒を連ねています。
瑞泉寺。
参考文献
参考記事
建物の内部の調度品などについては、ガイドの方が詳しく説明してくれます。
天井から吊り下げられている灯りは、鹿鳴館時代のもので、金属のように重厚に見えますが、木材で何重にも漆を塗られて作られたものだそうです。
木材で精巧に作られた意匠。
2階の大広間の奥にある隠し部屋。客と芸妓(遊女)が情交するときの特別な部屋だそうです。見学コースの中では立ち入り禁止となっていて、部屋に入ることはできません。
同じく1階にある最高級の遊女が使用する部屋。こちらも立ち入り禁止です。
参考文献
参考記事
伝統的な町並みが残る小浜西組地区において、蓬嶋楼は、明治期に建てられた料亭で、当時の面影を現在も色濃く残している建物です。*1
2015年4月から建物内部が一般公開されています。
1階から2階へ上がる階段。
階段を登ったところにある芸者さんが出迎えてくれる場所。同じ場所から窓の外へ向かって芸者さんが手招きしてお客を呼び込みました。
2階の大広間。
参考文献
*1参考記事
泉商店街にある老舗の定食屋さん。
創業は、昭和2年。焼さばがお勧めです。
焼鯖定食を注文。
トイレは、奥の長い廊下を進んだところにあります。建物の大きさを実感できます。
参考文献
参考記事
今回は、小浜(福井県小浜市)の町並みを散歩します。鮮魚店などが建ち並ぶ小浜の泉商店街は、鯖街道の起点です。
鮮魚店が並ぶアーケード街。写真右手前に、鯖街道資料館があります。
若狭から京都へ至る多数の街道や峠道には、本来それぞれ固有の呼び名がありますが、近年、運ばれた物資の中で「鯖」が特に注目され有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになりました。(展示の案内板より)
鮮魚店。
アーケード街が長く続きます。
参考文献
参考記事
鯖江の寺町商店街にある老舗食堂。
中華そば、オムライス、カツ丼など、メニューが豊富です。
老舗店らしい雰囲気。
ケチャップで味付けされたオムライス。皿には、味見屋のロゴ。
参考文献
参考記事
旭町の料亭街の一本西側の通り。登録文化財の「料亭天狗楼」の建物が建っています。
貴重な料亭建築です。
玄関に掲げられた「天狗楼」の屋号。
外観は伝統的な町家の形式です。
参考文献
参考記事
鯖江の旭町。松阜神社の西側には、花街の名残と思われる料亭が現在も営業中です(写真右奥は、料亭中松)。
料亭「富士の家」。
落ち着いた佇まいです。
夜の様子。
鯖江の花街は、平成3年(1991年)まで続きました。*1
参考文献
*1弁天遊廓内。市橋楼があった場所の南側には、古い建物が残っています。
「当時の遊廓の町並み」*1 によると、この場所には、カフェがありました。
1971年の住宅地図*2 には、「三楽」と記されています。
2階部分。
参考文献
*1参考記事
「当時の遊廓の町並み」*1 によると、河和田街道(国道417号線)沿いの弁天橋の西側が遊廓への入口で、菓子屋、ヘンクツ屋食堂、クリーニング、うどん、そば、金花楼、以上東側(写真右側)、小間物屋、駄菓子屋、以上西側(写真左側)が並び、その奥に、市橋楼、弁天座、泉谷支店、開進楼がありました。
「弁天」の電柱番号札。
写真手前から、市橋楼、弁天座、泉谷支店、開進楼、と並んでいました。*1
現在は住宅地になっていて当時の面影はありません。
市橋楼の東側(写真右側)には、射的場、髪結、斡旋屋が並んでいました。*1
弁天遊廓を取り仕切っていた市橋楼(初代は福井からやってきた人)には、若い衆や女たちが沢山いました。*2
弁天遊廓が出来て以来、町が賑やかに栄えたので、人々は弁天様を敬って、弁天通りとか、弁天橋、弁天川、弁天湯などと呼ぶようになりました。*1
旭町の交差点から北陸本線のガードをくぐり、東へ100m進んだ柳町。国道417号線と弁天川が交差する場所に弁天橋がかかっています。
弁天橋から北へ100m。橋を渡った西側が遊廓がった場所です。*1*2
弁天川を沿い。遊廓の北側に弁天湯がありました。*3
鯖江市旭町2丁目にある弁財天(弁天堂)。
江戸時代中期に鯖江藩ができて、街道沿いの鯖江の町には、武士や用人たちをはじめ人々が集まり、町は栄えました。*1
やがて、清水の湧き出る弁天様の境内には、夜な夜な弁財天のような美しい夜鷹が出没し、賑わいだしました。すると、これは風紀上良くないと、そのわずか東の清水町の外れの今の柳町の一角に通称「弁天」と呼ばれる鯖江の遊女街が造られました。*1
弁財天の前は、「弁天パーク」と名付けられた駐車場のスペースになっています。
本堂。
今回は、鯖江(福井県鯖江市)の町並みを散歩します。JR北陸本線の鯖江駅構内。
ゴミ箱に並んで白ポストが設置されています。
赤文字で「有害図書」。解りやすい表記です。
小さな文字で、「紙くず等は入れないでください」の注意書き。
参考文献
参考記事
大野市街の北側の錦町は、周囲に寺院が林立する静かな町です、ここにスナックや理容室が入居する長屋の建物が佇んでいます。
風情のある理容室。
玄関部分はアーチで装飾されていて、モダンな雰囲気です。
2階部分。
参考文献
参考記事
日吉神社の北西側。大野市元町にある銭湯の鳳湯。
木造の重厚な建築です。
屋根からは櫓のようなものが突き出ていますす。
煙突。
参考文献
参考記事
大野町では、二度続いた大火の後、それまで悪所とし町の裏通りに散在していた家々を一ヵ所に集めることを決定され、その場所として、上寺町の瑞祥寺、岫慶寺、恵光寺、蓮光寺の裏地と、それに神明神社、日吉神社(山王さん)付近の畑地などが選ばれ、大野の新明町は、貸座敷業(遊廓)の繁栄によって賑わいました。明治39年の県税納税者の上位ランクには、面影楼、開運楼、松清楼、永楽楼などの名前がありました。*1
日吉神社付近(写真左奥)は、料亭と貸座敷が林立していたところですが、今は往時の姿はありません。*2
当時、「さんのうへ、行ってこかや。」という短い言葉は、貸座敷での遊びの誘いの意味になっていました。*1
堀の石垣。
参考文献
*1参考記事
今回は、大野(福井県大野市)の町並みを散歩します。
福井駅からJR九頭竜線に乗り約1時間。越前大野駅に到着です。木材がふんだんに使われた豪華な駅舎です。
「越前大野」のレトロなプレートの脇に白ポストが置かれています。
白いポスト。
壁と柱に囲まれたスペースに設置されています。
参考文献
参考記事
本町2丁目の交差点近く。館林の中心街です。
風俗店だったと思われる建物。
現在は休業しているようです。
駐車場の看板。
参考文献
参考記事
旧花街の肴町の南側に「昭和初期の肴町にあった商店」*1 にも掲載されている寿司店があります。
地元の方の話によると、明治時代の創業だそうです。
歴史を感じさせる店内。
並寿司とビールを注文。
肴町の花街の南端にある初引稲荷神社。玉垣には、花街の関係者の名が刻まれています。
大きな文字で「町子」と刻まれています。
料理屋の屋号が刻まれています。
芸妓屋寄進の玉垣。
参考文献
参考記事
旧二業見番の建物が残る通りは、かつては、肴町と呼ばれ、置屋やカフェーが建ち並ぶ通りでした。
現在、花街の面影は残っていません。
清龍神社の隣には、カフェーが2軒ありました。*1
県道57号線(写真手前、左右)が建設される前は、この付近までが肴町でした。*1
館林の見番は、明治42年、堅町(たつまち)に設置され、その後、大正7年に谷越町の青梅天神裏に新築移転。さらに、昭和13年、館林町字肴町(現在の本町二丁目)に新事務所が建設され、見番が移転しました。*1
旧二業見番事務所。
平成28年、国指定登録有形文化財に指定されました。
木造瓦葺二階建ての純日本式建築です。
【参考文献】
*1 館林市史編さん委員会:館林の民俗世界(館林市,2012)p.60-p.69
参考文献
*1参考記事
今回は、館林(群馬県館林市)の町並みを散歩します。
館林の花街の歴史は、明治初期に邑楽織物同業組合が出来た頃、料理・旅籠屋が開店したことに始まります。その後、明治四十年代の織物市場が開設、東武鉄道の開通や上毛モスリン・日清製粉の躍進、機業界の発展が花街の興隆へとつながりました。*1
落ち着いた佇まいの旧割烹旅館「福志満」。*2
昭和7年建築。*2
木造三階建てです。