祇園町のバス停。
バス停の待合わせ用の椅子の隣にちかん注意看板。
赤文字で強調されています。
裏側から。
月: 2018年1月
日清・日露戦争により、海軍と佐世保市は大きくなり、明治42年頃になると、新たに名切遊廓(花園遊廓ともいった)ができました。*1
現在は、公共施設と道路になり、当時の面影はありません。
名切川の川の流れは現在も残っています。川と道路が交差するあたりには、松月楼、開明楼、本家高砂楼などがありました。*2*3
遊廓の中心部だったと思われる場所には、市民会館の近代的な建物が建っています。
参考文献
*1参考記事
高天原の住宅街にひっそりと建つラブホテル。
この付近には、戦後、外国人相手の貸席(ハウス)が分布していました。*1*2
当時の名残かもしれません。
広い通りに面した場所にあるホテル。
路地を入った奥まった場所に入口があります。
参考文献
*1参考記事
終戦後、佐世保の高天原から祇園町にかけては、外国人相手の貸席(ハウス)が分布していました。*1
1954年の住宅地図*2 によると、現在の新公園の北東側には、「〇〇ハウス」と記載されたホテルが密集していました。
現在、ビジネスホテルがあるあたり。この付近にも数軒のハウスがありました。*2
割烹店があるあたり。「ホテルヴィナス」などのホテルがありました。*2
1本北側の通り。道路沿いにハウスが建ち並んでいました。*2
参考文献
*1参考記事
佐世保の高天町の住宅街の木造家屋。
コンクリゴミ箱が残っています。かなり大型です。
上部は山形になっていて、凝った造りです。
開口部には、鍵がかけられています。
参考文献
参考記事
松浦鉄道西九州線は、始発の佐世保駅から市街を通って平戸方面へ向かいます。途中、佐世保中央駅、中佐世保駅の間は高架になっていて、高架下には、飲食店などが連なっています。
和風の料理店。
高架下の飲食街は奥まで続きます。
松浦鉄道から見た高架部分。
参考文献
参考記事
今回は、佐世保(長崎県佐世保市)の町並みを散歩します。佐世保市街の山県町。塩浜町の繁華街12 の北側に続くスナック街です。
おくまん。
大使館。
看板が密集しています。
早岐市街を流れる早岐川沿い。護岸は石垣で整備され、古くからの町並みの景観が残っています。
川沿いのコンクリゴミ箱。
金属製の上蓋。
前面の開閉部分。
参考文献
参考記事
田子ノ浦バス停近くの道路脇。
コンクリート製ゴミ箱が残っています。
金属製の上蓋もしっかりとついています。
全面の開口部分の木材の取っ手部分も残っています。福井県立博物館のコンクリゴミ箱※1 と同等の保存状態です。
月見町遊廓の入口の門※1 を入ったところにあるスナック店。
2階建ての木造家屋の1階部分がスナックです。
看板。
背後から見ると、料亭のような造りの立派な木造建築であることが解ります。
今回は、早岐(はいき、長崎県佐世保市)の町並みを散歩します。
現在の田子ノ浦バス停奥には、月見町遊廓があって、4軒の貸座敷があり、小さいながらも遊廓を形成し、30人ほどの娼妓(酌婦)が抱えられていました。*1
遊廓の入口。*1
入口には門柱が建っていました。(現在は撤去されています。)*1
遊廓の入口からはいると、田子ノ浦バス停奥からの道に合流します。
参考文献
*1相浦橋近くにある飯盛神社。鳥居の脇には、狛犬が置かれています。
向かって右側の口を開けた阿(あ)像の狛犬。股間に男根と思われる突起が描かれています。
男根を持つ狛犬は、福岡県行橋市でも見かけたことがあります。※1
はっきりと確認できます。
一方、向かって左側の吽(うん)像(口を閉じている方)の股間には何もありません。
相浦の北松の炭坑が開発されたため、大正末期から、昭和十年頃までは、石炭積み込みのための船が相浦港から佐々浦、臼ノ浦に至るまで待機しない日はなく、この景気で、昭和のはじめから、12、3年頃まで、相浦には料理屋兼芸妓屋が15、6軒あり、芸妓も102、30人くらいました。*1
2006年頃までは、相浦港に通じる県道佐世保鹿町線沿いにはかつての遊廓や料亭、旅館の建物が残っていました。*2
遊廓があった場所*2*3は、現在は駐車場になっています。
煉瓦が残る脇道。
参考文献
*1参考記事
相浦港から相浦橋(上相浦駅方面)へ向かう通りが相浦市街の中心部です。古い旅館の建物が残っています。
旅館「楽楽」の建物。*1
奥行のある立派な建物です。
旧入船旅館*1
圧巻の木造三階建てです。
松浦鉄道西九州線の高架下近く。
脇道を入ったところに残る、コンクリート製ゴミ箱。
ゴミ箱の蓋の上にはコンクリートブロックが置かれています。
隣には、焼却炉。
参考文献
参考記事
今回は、相浦(あいのうら、長崎県佐世保市)の町並みを散歩します。
相浦は、佐世保駅から松浦鉄道西九州線で約30分。江戸時代からの港町です。
相浦港は、昭和に入ってからは石炭積み出し港として繁栄しました。
港の近くに、飲食店舗が入る共同建物があります。
スナックの看板。
参考文献
参考記事
三宜楼の内部は一般公開されています。一階は、当時の資料などの展示室になっています。
2階の大広間。
女中部屋。
2階からの眺望。
参考文献
参考記事
門司の清滝地区にある三宜楼は、この付近が花街でった頃の料亭でした。*1
五メートルほどの高い石垣の上に築かれた木造三階建ての和風建築です。*1
最近になり建物が改築され、一般公開されています。
入口付近。
参考文献
*1参考記事
門司区栄町のスナック横丁。
入口に、呑み屋とスナックの看板。
長い横丁が続きます。
反対側の入口。横丁はL字型になっています。
参考文献
参考記事
門司市街の南部。背後に山が迫った場所にある清滝地区に、風情のある旅館があります。
入口は、坂を上った奥です。
一度、ぜひ泊まってみたい旅館です。
南側。
参考文献
参考記事
門司区栄町5丁目の「味の名所 有楽街」。
入口の看板。サッポロビールのレトロポスターが雰囲気を醸し出しています。
入口を入ると、通路は二股に分かれています。
スナックが建ち並んでいます。
参考文献
参考記事
門司の栄町銀天街の近く。
現在は、休業中となっている横丁ビル。
栄小路と呼ばれていたようです。
スナックなどが入居していたようです。
参考文献
参考記事
今回は、門司(北九州市門司区)の町並みを散歩します。
門司区本町にある錦町公民館。
錦町公民館は、かつての双葉券番の建物でした。12
歴史を感じる玄関。
内部の様子。
参考文献
*1参考記事
井土ケ谷上町付近の住宅街は、曲がりくねった路地の先に五差路があります。
五差路の角にあるスナック。
スナックの隣は居酒屋です。
五差路の西側部分。
参考文献
参考記事
旧見番のある通りに、かつての花街の雰囲気を感じさせる建物が残っています。
奥行のある立派な建築です。
旧見番近くの住宅街。
貸席「ゆたか」の建物。*1
今回は、井土ヶ谷(神奈川県横浜市南区)の町並みを散歩します。
「横浜市史稿(風俗編)」*1 によると、井土ヶ谷町には、芸妓屋組合事務所(見番)がありました。
現在は、閑静な住宅街となっている場所に、かつての見番の建物が残されています。*2
1937年建築の木造2階建て。見番の建物は、横浜市の歴史的建造物に登録されています。*2
現在は、井土ヶ谷上町第一町内会館になっています。