道後温泉駅前にある道後稲荷神社。
百度石。
大阪南地が寄進した玉垣。
南地は、1872年に指定された五花街(曽根崎新地、南地、新町、堀江、松島)の一つで、五花街のうちでも華やかで濃艶な花街でした。*1
他にも、料理屋が寄進した玉垣があります。
月: 2018年6月
道後温泉から瀬戸風峠※1 を超え、さらに北側(松山市下伊台町) へ進むと、住宅街の北側に「道後城」の城跡があります。西側は赤鯉池、東側は山に囲まれています。
五層の天守。
大規模な石垣。
城跡は、元ラブホテルの建物で、2009年に競売にかけられました。*1
参考文献
*1参考記事
※1道後(瀬戸風峠)松山市街地を見下ろす絶好の場所です今回は、道後(愛媛県松山市)の町並みを散歩します。
道後温泉の北側郊外。ため池の脇の山道を登ります。
1本道の山道が続きます。
道後温泉から歩きはじめて約1時間。ようやく瀬戸風峠に到着しました。
この峠は、標高210mで、松山市街地を見下ろす絶好の場所です。市街地の中心に位置する松山城から北東の方角に約3km離れていて、最も手前に見えるビル群は、かつて伊台・五明方面から道後や城下に通じる交通の要衝でした。(案内板より)
松山市祇園町にある銭湯の祇園湯。
タイルで装飾された入り口。中央の大きな円柱が特徴です。
最寄りの駅はいよ鉄のいよ立花駅ですが、松山市街からも徒歩で行ける位置です。
年季の入った感じの脱衣場。
三番町二丁目の「キャバレームーン」のある通り※1 の北側の通り。
キャバレー三昧。
夜になると開店します。
赤と緑のネオン看板。
今回は、松山(愛媛県松山市)の町並みを散歩します。
三番町二丁目の南側の歓楽街。飲食店が立ち並びます。
キャバレー「ムーン」。昭和40年の市街図*1 にも記載されている老舗です。
クラブムーンの大看板。
ハワイの看板。付近にハワイの店舗は見あたりません。
参考文献
*1参考記事
この記事を参照している記事
多度津の東浜。多度津港近くにある大衆食堂の水田食堂。
昭和を感じさせる店内。
なべ焼きうどんを注文。
年代物の栓抜き。
参考文献
参考記事
多度津町の市街を流れる桜川。川沿いにマッサージ店があります。
あん摩やの大看板。
マッサージ店。
あん摩やの暖簾。
参考文献
参考記事
多度津は、木製牛乳箱が豊富です。
らくれん牛乳。
縦に2つ。
横に2つ。
参考文献
参考記事
多度津市街には、コンクリゴミ箱が多数残っています。
写真は、旧花街の路地の入口のゴミ箱。
駅近くの住宅地。
木製の蓋のゴミ箱。
地蔵堂脇のコンクリゴミ箱。
参考文献
参考記事
明治三十七、八年頃の内湛浦と附近の略図*1 には、稲荷神社下の通り※1 から西浜の港に面した通りに「廓街」の記載があり、「廓街」はL字型に伸びていたと思われます。
西浜の遊廓街の入り口のあたりには、大島楼、岡本楼、朝日楼がありました。※2
旧開化楼と思われる建物。※2
すぐ後ろには、崖が迫っています。
当時の風格を残しています。
参考文献
*1参考記事
※1多度津(多度津町住宅明細地図)多度津町立資料館※2多度津(翁座)花柳町の真ん中にあった劇場多度津町住宅明細地図※1 によると、稲荷神社の下のこのあたりに、芝居小屋の辨天座(旧翁座)がありました。
歓楽街の中心部だった通り。
旧「カフェミステ」。
大型の建物です。
多度津町立資料館に昭和年発行の「多度津町住宅明細地図」が展示されています。
当時の市街の様子の詳細をうかがい知ることができる貴重な資料です。
花街があったあたり。
稲荷神社(辨天社)の坂を下ったあたりに、芝居小屋の「辨天座(旧翁座)」銭湯の柳湯の名が見えます。同じ通り沿いに、小松楼、カフェミステなどの屋号があり、この付近が歓楽街であったことがわかります。
西浜の海岸沿い。海岸沿いの通りに、大島楼、岡本楼、朝日楼、開化楼、久永楼、石川楼などの屋号が確認できます。
今回は、多度津(たどつ、香川県仲多度郡多度津)の町並みを散歩します。
多度津町立資料館には、多度津にゆかりのある文化財等の資料が収集されています。*1
「多度津のくらし」の展示コーナー
芝居小屋翁座の模型。
解説文によると、翁座は、西浜の稲荷神社下の花柳町の真ん中にあって、道頓堀の一流の劇場を模倣して建立されたそうです。
明治37,8年頃の市街図には、正一位稲荷大明神の下(妙應寺の西)に翁座の記載があります。*2
参考文献
*1参考記事
この記事を参照している記事
坂出の商店街「サンロード」沿い(坂出市本町2丁目)にある「どんや食堂」。
昔ながらの大衆食堂です。
メニーは、うどん、寿司、そば、そうめん。
うどん、ちらし寿司、缶ビールを注文。
参考文献
参考記事
坂出港の南側(坂出市西大浜北)はビジネスホテルとラブテホル混在して立地するエリアです。
築地橋南交差点近くにある巨大ラブホテル。
長大な入口のゲート。
坂出プラザホテル近くにある巨大ラブホテル。
坂出プラザホテルの大きさに負けていません。
参考文献
参考記事
沖湛甫南岸にある金刀比羅宮。かつての栄華をしのばせる神社です。*1
右側の像。
小さいですが、男根が刻まれていますので、雄ということでしょうか。
反対側の像には、シンポルらしきものはありません。
参考文献
*1参考記事
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坂出には、売春防止法が施工される昭和33年(1958)まで沖湛甫に遊廓がありました。日の出・奴・新栄などの店があり、外国の船員さんも来ていました。*1
遊廓は、沖湛甫の南岸に建ち並んでいました。
奥行のある古い建物。
旅館「潮風」。
今回は、坂出(香川県坂出市)の町並みを散歩します。
坂出市郷土資料館の建物は、大正8年に建設された坂出商業学校の建物で、大正初期の建築様式をとどめています。*1
資料館前の庭に白ポストが設置されています。駅前に設置されているケースが多い白ポストですが、資料館前の庭に設置されているのは珍しいです。
古新聞、家庭ゴミ等を入れると、刑法「偽計業務妨害罪」若しくは軽犯罪法「不法投棄罪」違反として処罰されます。
丸型ポスト。
高松市街の片原町駅近く。フェリー通りに面したところに、大きな建物の風俗店があります。
建物とほぼ同じ大きさの大看板。
看板を取り付ける支えも重厚です。
夜になるとネオンが輝きます。
参考文献
参考記事
高松市御坊町の西福寺近くの道路。歓楽街の中心部からは外れたエリアです。
下からは到底見ることができない場所にそれは有ります。
最上段のビデオ店の看板脇の貼り紙。
18才未満の方の利用はお断りします。青少年の福祉を阻害する行為(淫行等)をした者は、条例により罰せられることがあります。
と書かれています。
通常の位置から眺めると、肉眼で読むことは困難です。;
参考文献
参考記事
高知の中心街「ライオン通り」と交差する「古馬場通り」。看板が密集しています。
この付近が歓楽街の中心です。
「女学院」の看板。
付近に「女学院」という名の店舗は見当たりません。看板だけが取り残され、“無用看板”となっています。
参考文献
参考記事
華下天満宮脇の小路に掲示されている「古天神味の店」の案内図。トイレの場所を教えてくれています。
呑み屋横丁のトイレ。
綺麗に掃除されています。
ドアに貼られた堀北真希さんのシール。虫歯予防ハミガキのCM当時のものです。
参考文献
参考記事
百閒町の華下天満宮の小路「古天神味の店」※1 に残る大人のオモチャ屋さん。
大人のオモチャ「ポルノショップ」百閒町店。
現在は、閉店しているようです。
張形(はりかた、おとなのオモチャ)は、さかのぼれば古代ギリシアでも象牙、革製のものが使われていて、日本でもリップスティック状のものはありましたが、電動バイブのようなものとしては、「熊ん子」が元祖で、大阪万博の頃に登場しました*1。
クリバイブから伸びる舌のような突起が、熊の口のデザインになっています。本体うねりの部分には顔が刻まれ、「民芸品」の「電動こけし」として、昔は、温泉街の路地裏のお店などで販売されていました。*2
参考文献
*1参考記事
※1高松(古天神味の店)華下天満宮の小路今回は、高松(香川県高松市)の町並みを散歩します。
高松市街の百間町にある「華下天満宮」前の小規模な飲み屋街「古天神味の店」。
居酒屋やスナックが建ち並ぶメインの通り。
裏側の通り。
古びたスナックの入口。