名鉄線の豊川駅の隣の駅、稲荷口駅から約500m。住宅街の中に大衆食堂の「大善食堂」があります。
壁に書かれた「めし」の文字。
大衆食堂らいしい雰囲気です。
オムライス(大盛)とビールを注文。巨大なオムライスに驚愕しました。
名鉄線の豊川駅の隣の駅、稲荷口駅から約500m。住宅街の中に大衆食堂の「大善食堂」があります。
壁に書かれた「めし」の文字。
大衆食堂らいしい雰囲気です。
オムライス(大盛)とビールを注文。巨大なオムライスに驚愕しました。
名鉄豊川線の豊川駅から2つ目の諏訪町駅近くにあるキャバレーの建物。
複雑な形をしています。
赤と白。
1階と2階があるようです。
昭和の雰囲気漂う看板。
飲食店「みほ」がある小路※1 の1本西側の小路。
料理屋が2軒並んでいます。
料理屋の「小松屋」。
レトロな佇まいです。
小路(写真左側)の裏側は広い駐車場になっています。写真の右側は、飲食店「みほ」※1 がある小路に連なる建物の裏側。
豊川の駅前通り。商店街の南側に細い路地が続いています。
飲食店「みほ」。
斜めドア。
かつては、賑やかな通りだったのかもしれません。
今回は、豊川(愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
豊川稲荷の開帳(昭和29年)や豊橋博以降、昭和30年代、豊川の参拝客はうなぎのぼりに増加し、昭和38年には自動車時代を迎え、豊川稲荷の観光化が目立つようになりました。*1
豊川稲荷の門前通りには、レトロな飲食店やみやげもの屋が軒を連ねます。
こちらの飲食店は、現在はかき氷などの甘味類の店になっています。
駅前の西本町通り沿いの飲食店。
バーの看板。
旧御油宿から、「御油の松並木」を過ぎると旧赤坂宿です。その間約500mです。
長福寺近くにあるうなぎ屋さん。
江戸時代、この付近は、女郎置屋が建ち並ぶ一画でした。*1
井戸水の中で泳がせた国産のうなぎを使用しているそうです。(張り紙より)
うな丼と缶ビールを注文。
東海道五十三次宿時代の御油※1 は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めました。遊女屋は、中町、中上町、伝馬町に全盛の頃は30軒余りありました。*1
現在は、当時の面影を残す建物は少なくなってきています。*1
イチビキ醤油手前の元女郎屋の建物。*1
中町の銭屋(女郎屋)があったあたり。*1
今回は、御油(ごゆ、愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
御油は、江戸時代、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡われるほど、飯盛で街道筋に聞こえた遊興の宿場でした。*1
写真は、かつての御油宿の入口にあたる旧御油橋です。
江戸時代の御油宿の様子は、歌川広重の木版画「東海道五拾三次之内36御油《旅人留女》」に描かれています。
御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんでした。『東海道中膝栗毛』には「両がはより出くる留女、いずれもめんをかぶりたるごとくぬりたてるが・・」とあります。*2
明治に入ると交通手段の主役が鉄道に移り、それについれて旧御油宿は次第にさびれていきました。御油橋を渡る旧東海道沿いは裏通りとして利用されています。*1
拳母(現在の豊田市のこと)には、カフェー(いわゆる特殊飲食店)が集団的に一画を形成していました*1。
特殊飲食店街は「観月境」と呼ばれ、昭和33年の赤線廃止まで続き、最盛期には、80~90人ほどの女性が働き、午前1時ころまで営業していました。現在では月見町という地名にその名残があります。*2
現在の月見町。
当時の屋号*3 を引きつぐビジネスホテル。
赤線廃止直後の1965年の住宅地図*4によると、旅館小楽があったのは、現在のビジネスホテルがある場所の1本北側の通りでした。
喜楽亭※1 は、内部を見学(無料)することができます。
庭園。
1階の渡り廊下の意匠。
2階の大広間。
豊田産業文化センターの敷地に喜楽亭建物が建っています。新明町にあった喜楽亭※1 が閉店後、移築されたものです。*1
創業は明治時代。贅を凝らした料理屋の建築を間近に見ることができます。*1
2階部分。
建物の前の庭園を含め、周囲を一周できます。
今回は、豊田(愛知県豊田市)の町並みを散歩します。
昭和40年頃の拳母(現在の豊田市街)には「喜楽亭」「魚十」「澤屋」「福好」「喜多善」「大見屋」「魚兼」「住吉」「くろ猫」「清こま」などの料理屋がありました。*1
豊田市街の神明町には、小料理屋、小料理屋兼旅館が軒をつらね、格子づくりの置屋が何軒もありました。*2
喜楽亭があったあたり。*3*4
いちらく(一楽)、タクシーの黒船などがあった新明町の通り。*2*4
袋小路には、数えきれないほどの芸者置屋、稽古場があったそうです。*2
町の商店街の四つ角のたばこ屋。
たばこの自販機の上半分のシャッターが開くと有人のたばこ屋さんに変わる仕組みです。
ディスプレイ部分。
芝浦のマーク。
かつては、波止浜の中心街だった本町の通り。通りの中ほどに、美容院の建物があります。
1階はタイル貼りのバーが併設されています。
2階は紫色です。
カラフルなタイル。
波止浜の本町通り。
昭和30年代の終わりころには、本町は、波止浜の町の中心でした。*1
洋酒の店。
2階にスナックが入っているビル。
1階は、飲食店だったようです。
波止浜の仲之町の通り沿いに、タイル貼りの理容室の建物があります。
建物の全面がタイルで覆われています。
ひさし部分。
水色にピンクのライン。
今回は、波止浜(はしはま、愛媛県今治市)の町並みを散歩します。
江戸時代の波止浜は、製塩の町で、同時に瀬戸内海航路の潮待ち・風待ちの港町としても発展しました。*1
小高い山の上(写真左上)には、戦前、一茶亭というわら屋根の旅館があって、町や港を見渡すことができる旅館なので、船で波止浜に来た人や芸者さんと遊んだりする人がここに泊まったそうです。*2
現在、丘の上は、駐車場になっています。
駐車場から造船所のドックのクレーンが見えます。
井戸。波止浜の町は埋め立てて造成されたたため、飲料水や生活用水を確保することは重要でした。*3
今治市の本町六丁目。海に近いあたりに銭湯の大黒湯があります。
道路沿いの銭湯。
入口の円柱は、松山の祇園湯※1 と同じ特徴です。
見ていると目が回りそうなタイルの装飾。
栄町の歓楽街の隣の通り(今治市室屋町2丁目)。ここにかつてのキャバレーの建物が残っています。
「明星観光」と大きな文字で書かれた商業ビル。黒とオレンジのコントラストが強烈です。
現在は、「カラオケランド明星」が営業中です。
入口には、キャバレーの看板。かつての栄華が偲ばれます。
今治市街の歓楽街、共栄町に残る今治ラヂウム温泉本館。その特異な外観の建物は、今治で戦前より残るランドマーク的な存在です。*1
ホテルと温泉が一体となった娯楽施設です。現在は閉館している模様です。
レンガ造りの煙突。
売店。
今治駅前にある台湾料理・飲茶店の「碧空」。
古風な佇まいの店です。
地元の方の話によると、戦後まもなく開業し、当時の流行の先端をいくバーだったそうです。
ビールとおつまみを注文。
今治駅前の青線跡の建物。※1 木造二階建てです。
18歳未満お断りのプレート。
年季の入ったスタンドの入口。
窓が壊れた廃屋は、内部が露出している状態です。水着の女性のポスターが貼られています。
今回は、今治(愛媛県今治市)の町並みを散歩します。
今治駅前に残る長屋建物。地元の方の話によると、かつては数軒の旅館があって、非公認の女性街だったそうです。
南側から。
営業中のスナックもあります。
北側にももう一軒あります。