国道14号(千葉街道)の鷺沼1丁目の交差点にある樋ノ口弁財天。後ろに見える煙突は銭湯の鷺沼温泉※1 です。
樋ノ口弁財天は、歌手の中村晃子が再建したそうです。中村晃子は、1968年に「虹色の湖」にてレコードデビューし、80万枚を超える大ヒットを記録した地元出身の歌手です。生家もこの近くにあるそうです。
樋ノ口弁財天には、鳥居と祠の他に立派な庭園があります。大きく育った錦鯉が数匹泳いでいます。
周囲は住宅街です。
国道14号(千葉街道)の鷺沼1丁目の交差点にある樋ノ口弁財天。後ろに見える煙突は銭湯の鷺沼温泉※1 です。
樋ノ口弁財天は、歌手の中村晃子が再建したそうです。中村晃子は、1968年に「虹色の湖」にてレコードデビューし、80万枚を超える大ヒットを記録した地元出身の歌手です。生家もこの近くにあるそうです。
樋ノ口弁財天には、鳥居と祠の他に立派な庭園があります。大きく育った錦鯉が数匹泳いでいます。
周囲は住宅街です。
国道14号線(千葉街道)沿いの歩道にある「鷺沼温泉」。
昭和4年から80年間営業している銭湯です。
映画のセットでも見ているかのような脱衣場。
浴場は、さらにレトロです。
銭湯の裏側。地元の方の話によると、昔は重油で沸かしていたが、最近は供給が多い廃材で沸かしているとのことです。
今回は、津田沼(千葉県習志野市)の町並みを散歩します。
JR津田沼駅北口の大通りから西へ入ったところに、小規模ながら飲食店や風俗店が連なる繁華街があります。
1階が焼肉店。2階は風俗店。
繁華街の北側の奥まったあたり。
サロンの看板
根岸柳通りは、古い町並みが残る商店街です。
商業ビル※1 の対面に残る看板建築の建物。
1階は美容室。
ドア横にある凝った意匠の小窓。
根岸柳通りにある商業ビル。1階が店舗で2階が居住部分です。中央には、「婦人倶楽部」の看板のある商店。「婦人倶楽部」戦前・戦後を通じて発刊された婦人雑誌です。
女のよろこび・・・・・妻のしあわせ
建物の紋章。スッポンのように見えます。
建物の裏側、表側は、複数の店舗が一体感のある商業ビルに見えますが、裏側の構造は複雑です。
正岡子規文学碑(お行の松)がある場所にある不動尊。
寄進者の名が刻まれた玉垣。
根岸三業会の名が残っています。
料亭らしき屋号。
今回は、根岸(東京都台東区)の町並みを散歩します。
台東区根岸の根岸柳通り周辺には、かつて花街がありました。
往時の面影を残す「浜本」という料亭だったお宅。*1
根岸の花街は、通人の隠れ家遊び場所として流行った花街で、客筋は根岸、金杉、坂本など近隣の旦那衆が多く、人力車で遊びに来る者もいました。*1
2階部分に花街だった頃の風情が残っています。
言問い通りから北へ入ったところに建つ洋館の建物。旧陸奥宗光邸です。陸奥宗光は、明治時代に活躍した外交官です。
陸奥宗光は、坂本龍馬、伊藤俊輔(伊藤博文)などと交友を持つ頃から、花柳界にも名を震わし、大阪の判事にとばった頃、堀江の唄女を正妻としました。神奈川県知事となった頃、正妻が死没し、亮子夫人が後妻となりました。亮子は、元新橋の名妓「小兼」で、板垣退助に愛された「小清」と並んで新橋の双美人と称されていました。*1
この屋敷は、陸奥宗光が1884年から1886年のロンドン留学中、「鹿鳴館の華」と称された妻の亮子夫人とその子供たちが暮らしました。(案内板より)
陸奥宗光と亮子夫人。(案内板より)
鶯谷の居酒屋「鍵屋」は、江戸時代創業の居酒屋です。明治時代の建物は、江戸東京建物園に移築保存されています。※1
黒板塀に鍵屋の徳利。
熱燗を頂きました。
鍵屋の暖簾。
鶯谷の元三島神社。
ラブホテル街の中にあります。
神社の玉垣に鶯谷旅館組合の名前があります。
大塚角萬。テレビCM「おおつかあ かどまーん。」を思い出します。
鶯谷のラブホテル街の中にある無料案内所。12年前(2006年)のとき※1 と変わらず盛況です。
ビルの1階に2軒が建ち並んでいます。左側の店舗は、セルフ案内所。
駅近くの食堂「信濃路」近くにある無料案内所
無料案内所の看板。
今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR鶯谷駅は、吉原ソープランド街への最寄り出来です。南口の駅前ロータリのタクシー乗り場は、吉原からの送迎者が発着する場所でもあります。
北口の駅前。こちらも待ち合わせ場所としてよく利用されます。
富士銀行前の交差点も送迎者の発着場所として利用されているようです。
張り紙。
三沢市中央町の歓楽街近くにある第一食堂
1軒屋の大衆食堂です。
なべやきうどん、ラーメン、丼もの、カレーが中心です。
なべ焼きうどんとビールを注文。
三沢の歓楽街の中で、ひときわ目をひく建物の「道頓堀」
道頓堀。
2階部分にもスナックが入居しています。
某スクリームチェーンと同名のスナック店。
三沢の飲食街「狸小路」。※1
飲食街の中心部を曲がったところに、公衆トイレがあります。
飲み屋街には必須の公衆トイレ。ドアはピンク色です。
綺麗に清掃されたトイレ。
三沢市中央町には、大規模な飲み屋小路が密集しています。中でも狸小路は、入口のゲートが昭和の雰囲気を醸し出しています。
狭い小路の両脇にスナックが連なります。
逆方向から。
小路の奥まったあたり。
三沢空港前の道路。コスモスロードと名付けられている道路を東へ向かいます。
ホテルの電光掲示板。
入口には、18歳未満立ち入り禁止の張り紙。
西側から。
三沢は基地の町です。基地の入口には、「U.S. AIR FORCE(アメリカ空軍)」と「航空自衛隊三沢基地」の2つの看板が並んでいます。
基地近くには、アメリカ村と呼ばる外国人のお客さんが多く集まるバーが点在している一画があります。
高層マンションのような外観の基地の宿舎。
米軍基地専用線跡。
十和田観光電鉄線三沢駅の駅舎の中では、駅そばが営業中です。
十和田駅※1 と同じ、スペシャルそばがお勧めです。
味付けこんにゃく(50円)は、三沢駅のオリジナルメニューでしょうか。
スペシャルそば(天ぷら、山菜、月見)とビールを注文。さらに、味付けこんにゃくを注文。ビールのつまみに、山菜と味付けこんにゃくが良く合います。
今回は、三沢(青森県三沢市)の町並みを散歩します。
青い森鉄道線三沢駅の西側に、2012年に廃線となった十和田観光電鉄線の三沢駅の駅舎が残っています。
北側の入口。
現在も残る切符売り場
現在は、使われていないプラットホーム。
北野辺地駅へ向かう道路の途中にある若葉温泉。
温泉地が多い青森県の大衆浴場です。
昭和の雰囲気を満喫できます。
煙突。
野辺地町助佐小路の交差点にレトロな美容室があります。
交差点の角に建っています。
隣の建物と繋がっていて、長屋の構造になっているようです。
ショーウィンドウ。
野辺地町役場の北側の通りは、飲食店やスナックが連なる歓楽街です。
「銀座館」という名の商業ビル。
小路の奥まった場所にあるカラフルな建物。
1階が、美容室。2階がカラオケスナック店。
大万旅館のある旧金沢町の旅館街。*1※1
木造建築の旅館がもう一軒あります。
旅館「福よし」。
1階部分は、洋風の佇まいです。
建物は、L字型に連なっていて、かなり大型です。
明治時代以降、北海道のニシン漁などで働くため、野辺地湊から多くの人が海を渡りました。野辺地の旧金沢町には旅館街があって、北海道に渡る人たちでにぎわいました。*1
野辺地には、かつて、大万楼、旭楼、恵比寿楼、満月楼、柏楼、大黒楼、雲月楼、来盛楼、いろは楼等の遊廓がありました。*2
大万旅館は遊廓(屋号から「全国遊廓案内」に記載の大万楼と思われます)でした。*3
玄関バルコニー。和洋折衷の木造建築です。
大萬旅館は、1988年のフジテレビのドラマ「飢餓海峡」の撮影現場ともなりました。*1
玄関。
今回は、野辺地(のへじ、青森県上北郡)の町並みを散歩します。
野辺地の中心街は、駅からは1km近く北東へ向かった、かつて本町と呼ばれたエリアですが、野辺地駅前にも小規模な商店街があります。
ラーメンと丼物、定食が中心です。
駅前のさかもと食堂。
薬草茶「カワラケツメイ」を麺に練り込んだ「のへじ北前ラーメン」を注文。