椎野善助 茂原市東南部発達史 長生新聞社 1969.1

特殊営業

茂原グリーンセンター・鈴木音三郎氏談

P.288 昭和18年より土地の整備、翌19年2月中に軍の協力により、突貫昼夜兼行工事にて進行し、3月15日斎藤部隊出発に間に合わす様に努力の結果、一応斎藤部隊の壮行会が盛大に行われ、引き続き同業6軒とも共竣工し、早野新田海軍慰安所が出来上がった。其間地元の農家諸氏からなみなみならないご援助を受け、当時思い出の白い米のご飯も度々届けて頂いた事も思い出の一つです。其後、戦は刻々悪化し、ご承知の如く茂原航空隊は特攻基地故に、終戦間際は毎日の如く、台湾沖へ若鷲が出発し、明日の出発時は必ず挨拶酒宴と同時を思い出すと涙が出ます。 20年いよいよ終戦となりました。進駐軍が茂原に進駐してくる故に、若い婦女は茂原を立ち退かねば、と非常なるさわぎでした。私は立川航空隊進駐軍慰安所の経験もあり、お引き受け申し組合員も共に同意をいたし、協力しましたが、進駐軍も割合早く引き上げ「約6ヶ月」。婦女子の防波堤として御務め致した心等であります。 昭和22年1月27日の内務省の指示により、特殊飲食店は即時廃止す可しとの御達しあり、28日茂原新地転業対策協議会なるものを造り、女中は全員故郷に送り返す様に仕末をしました。