川崎南町カフェー街

池上(特飲街跡地)1950年に出現した歓楽街。

昭和25年(1950)に池上本門寺前(現池上四丁目)に11軒の歓楽街が出現したことに対し、地元PTAを中心とした反対運動が起こり、全都的な問題に発展。参議院厚生委員会がこれを正式にとりあげるなどした結果、2ヶ月に及んだ反対運動が結実し、業者側は自主的な建設中止に追い込まれました。*1
特飲街があったあたり*2は、現在は住宅街となっています。

その後、特飲街の建物は東京都教職員互助会の所有となり、教員寮となりました。
現在その場所は駐車場になっています。*3

特飲街の東側のエリア。

かつての特飲街の東南の一画。現在は飲食街になっています。

参考文献

*1 大田区史編さん委員会: 大田区史 (東京都大田区,1951)
P.700-P.701 池上特飲街建設をめぐって 事件は、昭和25年(1950)に池上本門寺前(現池上四丁目)に1…
*2 時事通信社: 時事通信 (1510) 時事解説版 (時事通信社,1950.11)世論にゆらぐ歓楽街――池上の場合
P.2241-P.2242 「池上特飲街付近」に、特飲街の場所の記載。 住宅地域に割り込んできた新しい”湯の街”特…
*3 日本住宅地図出版: 大田区 北部 (日本住宅地図出版,1973)
P.4 「教員住宅」の記載

この記事を参照している記事

高田馬場(“湯の街”計画跡地)昭和25年、特飲街騒動。2019-04-18
池上(特飲街跡近くの飲食街)雰囲気のある飲み屋小路。2019-01-29

武蔵新田(旧カフェー街)現在は閑静な住宅地になっています。

武蔵新田の商店街にある食品スーパーのマルエツ。このマルエツの裏側にカフェー街がありました。*1
終戦直前の昭和20年7月。当時の警視庁、憲兵隊、区長、区議会が中心となって、軍需工場で働く産業戦士相手の慰安所をつくろうと、羽田の穴守で戦災にあった業者たちに呼びかけてつくらせたのがはじまりでした。*2
昭和27年刊行の風俗雑誌*3 には、「ここの特色は、1軒の大きなアパートのような店の中に27軒の店がそれぞれに商売をしている集団的売春の家である。」と、武蔵新田の特徴が述べられています。

北西の方向から見た旧武蔵新田カフェー街全景。*1

腰廻りに石材を配しています。*1
「赤線跡を歩く」*1 に写真が掲載されていたお宅は(写真右側)は、建て換わっていました。

現在は閑静な住宅地になっています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.44-P.45
*2 小林大治郎,村瀬明:みんなは知らない(雄山閣出版,1961)P.114
*3 人情講談(睦書房,1952.8)P.164 「東京赤線地帯・現地ルポ」

小岩(東京パレス跡)現在は、郵政公社の宿舎です。

JR小岩駅南口からのびるフラワーロードを行くと国道14号線に出ます。右折して進むと二枚橋の交差点に出ます。

二枚橋の東側に郵政公社の宿舎がありますが、ここは、終戦直後に進駐軍相手の慰安所「東京パレス」が作られた場所です。

「東京パレス」の仕組みは次の通りです。まず、五十円の入場料を払って中へ入るとダンスホールがあります。ここでチケットを買うと、専属バンドのジャズ演奏をバックに女性と踊ることができます。夜9時になってダンスホールが終わると、2階の喫茶店街へ移動し、そこには、女性の部屋もありました。*1
アメリカ人記者が、占領下の日本の様子を書いた「ニッポン日記」*2 によると、ダンスホールの女性は、西洋のガウンを着て、下には何も着ていなかったとそうです。

宿舎の敷地の裏側(北側)には、親水緑道があって閑静な住宅街となっています。

【参考文献】
*1 人情講談(睦書房,1952.8)P.163
*2 マーク・ゲイン:ニッポン日記 上(筑摩書房,1951)P.186

東向島(赤線建物)独特の意匠。2階にバルコニー。

玉の井を象徴する赤線跡の建物。※1

2階のバルコニー部分。ここから客を見送ったのだと思います。

入口。

軒下の意匠。

東向島(戦前の玉の井)永井荷風の「墨東綺譚」の舞台となりました。

戦後の玉の井は、いろは通りの北側にありましたが、永井荷風の「墨東綺譚」の舞台となった戦前の玉の井は、いろは通りの南側にありました。
戦前の玉の井は、改正道路(現在の水戸街道)を挟んだ両側にありました。*1

現在の水戸街道から東向島駅への道。戦前は、この細い道に「玉の井駅近道」の看板がありました。*1

「墨東綺譚」で主人公の老作家がお雪さんと出会った場所。*2

「墨東綺譚」に出てくる銭湯の中島湯。現在はマンションになっています。*1

【参考文献】
*1 文芸散策の会:永井荷風の愛した東京下町(日本交通公社出版事業局,1996)P.115-P.117
*2 川本三郎,湯川節子:図説永井荷風(河出書房新社,2005)「墨東綺譚」文学散歩の玉の井概要図

東向島(窓枠に装飾のある建物)隣は空き地になっていました。

メインの通りから路地を入ったところ。前回の散歩のときにあったカラフルな円柱を持つ赤い壁の建物*1 は無くなっていました。

建物が無くなったおかげで、対面にあった装飾された窓枠を持つお宅*2 の概観が見渡せるようになりました。

窓枠には、こんな装飾がほどこされています。

建物の側面から空き地の方向を見たところ。

【参考記事】
*1 風俗散歩(玉の井):赤い壁の建物(2006.3)
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.76

東向島(目抜き通りに面したお宅)赤と緑の木造住宅。

今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
玉の井の目抜き通り。前回、散歩した古いスナックが建ち並ぶ一画*1。

2階にバルコニーがあります。

赤と緑に統一された木造住宅です。

建物の角の部分の柱が赤で強調されています。

【参考文献】
*1 風俗散歩(玉の井):色街だった頃のメインストリート

吉原(伏見通り)旧金よしは、さら地になっていました。

伏見通りは、転業アパートが連なる通りですが、半年前に散歩したときに、この場所にあった旧「金よし」*1 は取り壊され、さら地になっていました。赤線時代の名建築がまた一つ消えました。

以前は、旧「金よし」とT字路に向かい合うようにして、建っている旧「プリンセス」の建物。

独特のデザインの建物です。

遠くから眺めても、ひと目でそれと解ります。

【参考記事】
*1 風俗散歩(吉原):旧「金よし」(2006.4)

吉原(旅館)売春防止法施行後の転業旅館。

昭和33年の売春防止法施行後、吉原の赤線業者は旅館に転業し、ひところは修学旅行の学童も泊まりました。*1

旅館「喜久本」の建物が残っています。吉原今昔図*2 によると、この場所には赤線時代、「新久喜」という屋号の店がありました。

入口には、「吉原観光旅館組合員」と書かれたプレートが貼られています。

旅館「稲本」。稲本楼の関係者が開業した旅館でしょうか。

参考文献

*1 葭之葉会: 吉原今昔図 吉原現勢譜 (葭之葉会,1993)
*2 口絵解説: *国家売春命令 : みんなは知らない (口絵解説,1992)
口絵解説

小田原(浜町旅館街)現在は、静かな住宅地です。

渋取川の暗渠のあるあたり抹香町(まっこうちょう)(現在の浜町2丁目)は、かつて旅館街でした。

壁の装飾の美しい旧旅館の建物が並びます。現在は、静かな住宅街です。

このような木の壁が景観を特徴づけています。

縦横に走る路地。

吉原(京町二丁目と角町の間の通り)昔の建物が残っています。

京町二丁目と角町の間の通り。こちらにも、昔の雰囲気を残す建物が残っています。

アパートに転業した建物。

円柱と石材が調和しています。

ソープランド「天女」の近くにある、飲食店だったと思われる建物の入口。

吉原(旧「金よし」)転業アパートが軒を連ねます。

今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原の江戸町二丁目(伏見通り)。大門に近いあたりに、戦後のカフェー街の名残の建物があります。

角が丸みを帯びた、転業アパートの金井荘。1階がモルタルで2階が羽目板張りになっています。いつも選挙用のポスターが貼られているのも特徴です。
吉原今昔図*1 によると、赤線時代は「金よし」という屋号でした。

正面から見たところ。

ここのT字路は、転業アパートが向き合っていて、いい雰囲気です。

【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)

東向島(赤い壁の建物)路地を抜けるといろは通りに出ます。

玉の井のメインの通りから路地にはいると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されている赤い壁の建物があります。

派手な色の円柱。上部は茶色。中央部分は緑色です。

円柱の下部は、青と白で塗装されています。

路地を抜けるといろは通りに出ます。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.78

東向島(赤線時代の建物)当時のままの原型を留めています。

いろは通りの路地裏には、昔の面影を残す建物がいくつかあります。
散歩の雑誌等でおなじみのお宅。

当時のままの原型を留めており、迫力があります。

左側から見たところ。2階のバルコニーに特徴があります。

右側を見たところ。

東向島(色街だった頃のメインストリート)車ぬけられません。

玉の井が色街だった頃のメインストリートであったと思われる通り。

現在はスナック街になっています。

一階がスナック、二階にバルコニーがある家が並んでいます。

スナックの入口付近。当時の玉の井には、「抜けられます。」と書かれた看板があったそうですが、現在は、「車ぬけられません」と書かれた標識があります。

船橋(船橋新地跡)1軒だけ残っている妓楼跡。

若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。

木の温もりが感じられる建築です。

奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。

玄関の明かり取り。

曳舟~鳩の街(商店街裏の路地)水色の円柱のお宅。

鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。

家の左側に水色の大きな円柱。

水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。

株は緑色です。

鳩の街(赤線跡)美しい黄緑色のタイル。黄緑、水色、赤(ピンク)。

鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。

赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。

赤いタイルの円柱もあります。

黄緑、水色、赤(ピンク)。

藤沢(赤線跡)豆タイルで装飾された円柱の柱。斜めに通した二重の取って。

風俗街の中、旅館の隣に遊郭建築の特徴を残した建物があります。

豆タイルで装飾された円柱の柱が全部で5本(写真の左側にもう1本)あります。

美しい入口の扉。

扉には斜めに通した二重の取ってがついています。金属部分も綺麗です。

成田(旧カフェー街らしき場所)古い家と狭い路地。

成田山への近道を下りきったあたりに、ちょっとした広場のような場所があり、そこに旅館の看板を掲げた古い家があります。

裏の路地へ回ると入り口があります。

風情のある木造の古い家です。

狭いが路地が縦横に入り組んでいます。

川崎南町(カフェー「金鶴」跡)彫りぬかれた屋号。

料亭だったと思われる家。

お茶漬け屋のある緑色の壁。

緑色の壁は路地の奥まで続いています。

赤線跡を歩く*1 に掲載されていた彫りぬかれた屋号の家紋。家紋の部分は消失しています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61

川崎南町(路地裏の料理屋街)未舗装の砂利道。

川崎南町には組事務所が集中するあたり。裏手の路地を入ると、まるで時間がとまってしまったかのような空間があります。

反対方向から。

小料理「あわじ」。

長屋風の飲み屋。

川崎南町(「酒亭かの子」)菱型の窓を持つ旅館風の建物。

住宅街の中の一画。

赤線跡を歩く*1 に掲載されている「酒亭かの子」の建物。

同じ通り沿いにある旅館風の建物。

菱型の窓。


【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61

川崎南町(カフェー「スエヒロ」跡)正面に4本の円柱。

赤線跡の特徴を残す建物があります。正面の概観は、4本の円柱と洋瓦で装飾されています。

これほど大規模に残っているのは貴重存在だと思います。

横から見たところ。

1階の入口のところに、屋号の「スエヒロ」の文字が残っています。

伊勢佐木町(親不知通り)丸い円柱のある和風スナック。

親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。

1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。

緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。

スナックの横は路地になっています。

伊勢佐木町(路地裏に残る赤線跡)バルコニー付きの建物。

横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。

それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。

写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。

バルコニー付きの建物。

北千住(千住柳町赤線跡)わずかに残る昔の建物。

千住柳町の赤線跡(遊廓跡)は大門商店街の隣の路地にわずかに残っています。

二軒続きの家があります。

一階の窓に特徴があります。

二階の窓にはひさしがついています。

吉原(赤線跡)装飾が美しい建物です。軒下にランプ。

角町二丁目に赤線跡の建物があります。表通りはソープランド街です。

路地の十字路の角にあります。

外壁の装飾が独特です。

軒下にランプがあります。

吉原(坂井旅館)吉原観光旅館組合員のプレート。

ソープランド街の中には、旅館もあります。ソープランド「ワールド」の近くにある旅館。雰囲気があります。

正面から見るとかなり大きな立派な建物であることがわかります。

堺町の通りから旅館の側面を見たところ。

入口にあった吉原観光旅館組合員のプレート。

吉原(マスミ)屋号が大きく書かれています。伏見通り。

伏見通りは、古い建物が多く残る通りです。

赤茶色が印象的な建物があります。

正面上部には、「マスミ」という屋号が大きく書かれています。

「マスミ」は吉原今昔図*1 にも記載されています。

【参考記事】
*1 吉原神社の吉原今昔図(風俗散歩,2005.9)

洲崎(旧「大賀」)赤線建物の遺構。当時のままの姿で現存。

洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。

建物には、屋号が外壁に残っています。

現在は、共産党の事務所として使用されています。

タイルで装飾された大型の丸い円柱。

洲崎(赤線跡)青いタイルの八百屋の建物。かにや。

弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。

通りに入って横から見たところ。

青いタイルが綺麗です。

この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。