すべてのジャンル > 遊興 > 遊廓・赤線 風俗店 1角海老 2アール形状の庇を持つ建物 3阪東橋付近 4栄町ソープ跡 5花街跡地 6トルコ風呂跡地 7明朗会計の店 8駅前の風俗街 9トルコ芳泉 10ちょんの間跡 11元ちょんの間地帯 12柴又キング跡 13トルコ風呂改名の舞台 14繁華街の無用看板 15風俗店 16駅北口の繁華街 17「浅草ニュートルコ」跡地 18駅前の歓楽街 19湯女風呂跡地 20横田トルコ跡地 21不倫クラブ 22仲通り商店会の風俗店 23リップスティック 24かつての旅館街 25湯房ふじさわ 26首相官邸裏 27東京温泉跡地
1.212057 大分類: 中分類:枝分類 folder:

茂原(リップスティック)軽食店併設の風俗(サロン)店。

房総横断道路沿い。

交差点脇に1軒屋の建物。

サロン(風俗店)と軽食が併設された店舗です。

現在は休業している模様です。

伊勢佐木町(アール形状の庇を持つ建物)赤線建築を彷彿させます。

曙町の親不孝通り。

2階部分がレトロな感じです。

赤線建物を思わせるアール形状の庇。

白い円柱。

常陸多賀(駅前の風俗街)スナックや風俗店が散在するエリア。

常陸多賀駅の駅前の商店街の裏側。この付近はスナックや風俗店が散在するエリアです。

レトロな感じの風俗店ビル。

入口。

道を挟んだ向かい側の店舗。

藤沢(かつての旅館街)現在はマンションが林立。

藤沢のかつての歓楽街は、現在は多数のマンションが林立する町並みに一変しています。

スナック街の「小鳥の街」※1、「湯房ふじさわ」※2などがあった場所は、駐車場になっています。

仙成旅館と和風スナックが建ちならんでいた場所※3 もマンションに建て替わっています。

かつての面影はありません。

大宮(明朗会計の店)電飾看板が残るビル。

大宮の南銀座*1 の裏通り(線路沿い)。かつては風俗店だったと思われる電飾看板が残るビルがあります。

その隣にある「明朗会計」の大看板。

ビルの脇の路地。

ビルの表側。このビル全体が明朗会計店です。

厚木(花街跡地)通りの両側には、料理屋が建ち並んでいました。

昭和30年代まで、厚木は、鮎漁と養蚕という観光・産業に支えられ、多くの料亭に出入りする芸者衆は、最盛期には100人近くを数えました。*1

昭和15年の花柳街の地図によると、この通りの両側には、料理屋が建ち並んでいました。*1

花柳街跡地の飲食店。

家紋が描かれた塀。

参考文献

*1 厚木市の昭和史編集委員会 厚木市の昭和史 : 変わりゆくまち・くらし 写真集 千秋社
P.169 鮎漁と花柳界 昭和30年代まで、鮎漁と養蚕は、厚木の観光・産業を支える大きな柱であった。多くの…

船橋(仲通り商店会の風俗店)中華食材や風俗店の看板が密集。

仲通り商店会の南側と北側を結ぶ通路。

飲食店に混じって風俗店も営業中です。

中華食材や風俗店の看板が密集しています。

短い路地なので、反対側の商店街へ出れます。

千葉(栄町ソープ跡)1階部分に、石垣のデザイン。

今回は、千葉(千葉県千葉市)の町並みを散歩します。
千葉都市モノレール栄町駅(写真左)の階段前に、7階建ての城郭のビル(写真右奥)があります。

1階部分には、石垣のデザイン。

「英国館」は、現在は閉店中です。

玄関付近。

浅草(「浅草ニュートルコ」跡地)現在は、マンション。

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みを散歩します。
花街があった浅草三丁目の東側のはずれ。このあたりまでくると、店舗はまばらになります。

昭和26年の火災保険地図*1 によると、この場所に「浅草ニュートルコ」の記載があります。
トルコ風呂と言えば、昭和26年に銀座に開業した「東京温泉」が第1号というのが、定説となっています。※1
これと、時を同じくして、浅草にも開業していたようです。

隣の歯科医院は、当時も同じ場所にありました。*1

現在は、マンションが建っています。

参考文献

*1 佐藤洋一 あの日の浅草 武揚堂 昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語) 2007
あの日の浅草(昭和26年 火災保険地図)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

※1 銀座(東京温泉跡地)元祖トルコ風呂。延べ1,600坪の建物。2007-10-09

津田沼(駅北口の繁華街)飲食店と風俗店が混在

今回は、津田沼(千葉県習志野市)の町並みを散歩します。
JR津田沼駅北口の大通りから西へ入ったところに、小規模ながら飲食店や風俗店が連なる繁華街があります。

1階が焼肉店。2階は風俗店。

繁華街の北側の奥まったあたり。

サロンの看板

福生(横田トルコ跡地)東福生駅への五差路。

福生駅から東福生駅へ向かう五差路。

交差点の角には、かつて横田トルコがありました。現在は駐車場になっています。

1970年の住宅地図*1 によると、横田トルコには、「トルコレストラン」が併設されていました。

横田トルコの西隣には、横田ニューゲストホテルがありました。*1

参考文献

*1 公共施設地図航空 福生市 1970年度版 1970
武蔵野台二丁目の交差点(五差路)に、「横田トルコ」「トルコレストラン」「横田ニューゲストホテル」の…

武蔵小山(風俗店)ハートマークがデザインあれています。

武蔵小山飲食街「りゅえる」の飲食街を進むと、ピンクサロンと思われる風俗店の建物があります。

入口の電飾。

水色の風俗看板。

「サロン」のロの字の部分はハートマークがデザインされています。

相模原(駅前の歓楽街)JR相模原駅前。キングコース。

今回は、相模原(神奈川県相模原市)の町並みと風俗を散歩します。
JR相模原駅前には、小規模な歓楽街があります。

風俗店の看板。

レトロな看板もあります。

キングコース、¥10,000.-です。

神田(湯女風呂跡地)井原西鶴が描いた勝山がいた場所。

江戸には、湯女を置いている風呂屋が200軒余あったといわれ、優れた湯女も出ました。代表的なのは、井原西鶴が「好色一代男」の中で描いた勝山でした。勝山がいた湯女風呂は、神田佐柄木町(現在の神田淡路町交差点の近く)にあった旗本堀丹後守の屋敷前にあり、男たちがここに集まり派手な風俗を競いあったので、その風俗を歌舞伎にうつして丹前風と呼ばれました。*1

佐柄木町周辺にあった湯女風呂は俗に「丹前風呂」と呼ばれました。*1
淡路町の町名由来看板に江戸時代の古地図が掲載されています。佐江木町は、淡路町交差点の南側にあったことが解ります。

淡路町の町名由来看板に、丹前風呂のことは書かれていませんでしたが、淡路町からは少し離れた美土代町(みとしろちょう)」の町名由来板に、丹前風呂のことが書かれています。

この付近に丹前風呂がありました。

【参考文献】
*1 神保五弥:浮世風呂(毎日新聞社,1977)P.20-P.25

吉原(トルコ風呂跡地)昭和33年、吉原第一号。

吉原の京町一丁目。

 明治時代の錦絵には、吉原のシンボルのように大きな時計台のある欧風の「角海老楼」の建物が描かれていますが、戦後の店も凝った高塀を巡らせた立派な建物でした。角海老は、老舗の風格のあった大籬(おおまがき)=大見世で、明治時代から昭和33年の売春防止法施行までの間、京町一丁目の同じ場所(現在の台東区千束4-29)にありました。売春防止法施行後は、サッポロビールの倉庫となり、現在はマンションに建て替わっています。*1*2

 昭和27年、「ロビン」は「一晩1万円」で名を売ったデラックス・キャバレーの「ロビン」がオープンしました。「ロビン」は、「角海老」、「大華」などの大見世とは異なる意匠のキンキラキンの戦後派の大店でした。1階がダンスフロアで、千属バンドの演奏にのって100人以上の客とダンサーが踊れる広さで、2階がいわゆる”遊興の部屋”になっていました。*1

 昭和33年、吉原にトルコ風呂第一号の「東山」がそして第二号の「山陽」がオープンしました。トルコ風呂の元祖とされる銀座の「東京温泉」は、健全なお風呂でしたが、「東山」や「山陽」では、「オスペ」と呼ばれる特殊マッサージが定着しました。「東山」があった場所は、現在もソープランドが営業中です。*3

【参考文献】
*1 吉村平吉:吉原酔狂ぐらし(筑摩書房,2003)P.17-P.18,P.99-P.100
*2 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,2003)
*3 広岡敬一:戦後性風俗大系(朝日出版社,2000)P.83-P.84,P.146,P.158,P.210

歌舞伎町(繁華街の無用看板)ファッションヘルス跡。

新宿駅南口近くの通り。ポルノ映画館や飲食店が建ち並ぶ繁華街です。

ファッションヘルス「クリスタル」の看板があります。

付近を捜してもヘルスらしい店はありません。

閉店後、看板だけが残ったものと思われます。

新宿(トルコ芳泉)日本最初のトルコ風呂。

昭和初期、新宿5丁目交差点の南東側に、「トルコ芳泉」がありました。*1

「トルコ芳泉」は、公衆浴場とサウナ風呂として昭和25年にオープンした日本最初のトルコ風呂でした。サウナ風呂には、一人の個室と三人一部屋の個室があって、それぞれ一人づつサウナ嬢が白いパンツにブラジャー姿で首だけ出るサウナボックスに入れ、汗が出ると冷たいタオルで拭いてくれました。時間がくるとボックスから出てベッドに横たわりマッサージをしてくれる健康的なもので、大体1時間ぐらいでした。初めての人は友人と連れ立って三人部屋を希望しますが、何故か二回目には一人個室を求め常連となる人が多かったそうです。その後トルコ風呂は大流行し、競争が激しくなり、スペシャルサービスを行うようになって、健全なサウナは風俗営業になってしまいました。*2

現在は商業施設のビルに建て替わっています。

当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 住宅協会:新宿区東部(住宅協会,1960)P.35
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

赤坂(首相官邸裏)トルコ風呂計画跡地。佐藤栄作首相が激怒。

赤坂の東側。永田町にある首相官邸は、日本の政治の中枢です。
昭和41年、この首相官邸の裏にトルコ風呂の建設が申請されました。当時、トルコ風呂の営業地域は特定されておらず、許可さえ受ければどこでも開業できた時代だったため、トルコ風呂業者が永田町の首相官邸の近くでの営業を申請したわけです。ところが、それを知った佐藤栄作首相が大激怒。関係省庁にハッパをかけ、第15回国会に「風俗営業等取締法の一部改正」を上程して通過させ、開業を阻止しました。風俗ジャーナリストの広岡敬一さんは、どこの誰による開業申請かを探るため、所轄と思われる麹町保健所で申請書を探しましたが、書類は破棄されて不明だったそうです。*1

トルコ風呂の建設が申請された「官邸裏」とはどこだったのか、手がかりが無く不明ですが、この問題を議題としてとりあげた昭和41年6月27日の参議院地方行政委員会*2 で、市川房枝議員は「総理官邸の下」と表現しています。おそらくトルコ風呂は、官邸のある高台よりも地形的に低い場所に計画されていたのでしょう。首相官邸の南東側は崖になっていて、現在、この付近には、東横イン官邸南店などの民間のビルが建ち並んでいます。

また、同委員会で、松澤兼人委員は、「参議院会館の窓からのぞくと、大きなたれビラが、屋上から下に下がっていて、『サウナ・バス、八月一日オープン』と書いてあった。」とこのときの状況を国会で説明しています。*2

さらに、松澤兼人委員は、「きのうヒルトンホテル(現在のキャピトル東急ホテル)に参りましたら、あの角のところに何とかというビルがある。そこにサウナ・バスとかいう大きなたれビラがたれまして、八月一日オープンと、こう書いてある。」と述べています。*2
「大きなたれビラ」があったと思われる場所は、首相官邸からは少し離れていますが、官邸の北西に位置し、地形的にも低い場所にあります。この付近にトルコ風呂が計画されていた可能性もあります。

【参考文献】
*1 広岡敬一:戦後性風俗大系(朝日出版社,2000)P.211-P.212
【参考URL】
*2 国会会議録検索システム:第051回国会地方行政委員会第32号(1966.6.27)

歌舞伎町(トルコ風呂改名の舞台)実在したトルコ風呂「大使館」。

靖国通りから北側に1本入ったソープランド街。数年前と比べるとヘルスに転業している店舗もあって、時代の移り変わりを感じます。

歌舞伎町は、トルコ風呂改名(1984年)にまつわる都市伝説の舞台にもなりました。1975年11月14日の毎日新聞(夕刊)のコラム記事「赤でんわ」によると、当時、歌舞伎町に「大使館」という名のトルコ風呂がオープンしましたが、それ以来、毎夜、大使公邸に「いま、すいてますか。」「Aちゃんいる?」といった調子で、怪しげな電話がかかってくるようになり、職員は夜も眠れないありさまとなりました。104番にトルコ大使館の電話番号を問い合わせたのを交換嬢が「トルコ風呂大使館」としばしば間違え、トルコ大使館の番号を教えたのが真相ですが、たまりかねたトルコ大使館は、1975年6月に外務省を通じ大使名で正式に電話番号の変更を申し入れ、トルコ風呂「大使館」は、「古城」と名を変えることになりました。*1

「わが国にはこの種のトルコ風呂はありません。まぎらわしい名前を使われては国のイメージにかかわるので」と大使館。「外務省から圧力があったから変えたわけではないですよ」とすました顔のトルコ風呂側。まずは、国際問題にもならず、メデタシというお話でした。*1

1975年版(昭和50年版)の電話帳で確認してみると、歌舞伎町に「ルームサウナ『大使館』」の電話番号が掲載されています。場所は、歌舞伎東京第18ビルで、電話番号は、209-1645となっています。それが、1976年版(昭和51年版)の電話帳では、「ルームサウナ『大使館』」の名は無く、「トルコ『古城』」の名前があり、場所は同じ歌舞伎東京第18ビルで、電話番号は、208-9774に変更になっています。*2*3*4
毎日新聞の記事の「トルコの大使館」の舞台は、この場所だったと考えられます。
1984年にトルコ人留学生の働きかけがきっかけとなって、「トルコ風呂」が「ソープランド」に改名*5 されましたが、それより10年も前に、すでに改名の働きかけあったわけです。

【参考文献】
*1 毎日新聞社:毎日新聞夕刊(1975.11.14)P.8「赤でんわ『トルコの大使館』 」
*2 日本電信電話公社:東京23区電話帳 職業別(生活篇 下)昭和49年12月1日現在(1975,東京電気通信局)P.404
*3 日本電信電話公社:東京23区電話帳 職業別(生活篇 下)昭和51年6月1日現在(1976,東京電気通信局)P.429
*4 日本住宅地図出版:ゼンリンの住宅地図 新宿区(1976,日本住宅地図出版)
【参考記事】
*5 風俗散歩(原宿):トルコ共和国大使館(2010.10)

柴又(柴又キング跡)入口に看板がありました。

「男はつらいよ」の撮影にも使われた団子屋の「とらや」に裏手に、数年前までソープランドがありました。音楽家の戸塚省三さんの著書「東京路地裏観光」によると、ここには、「特殊浴場ソープランド『柴又キング』入口」と書かれた看板がありました。*1

ソープランドが普通の住宅の中にポツンと一軒だけ建っていて、田舎の湯治場のような雰囲気の建物でした。*1

「入口を入ると左手に洗濯機が置かれた物置みたいな部屋があって、その脇の通用口のような通路を通り抜けると、昭和三十年代の喫茶店で流行ったようなオレンジ色のアクリル扉が半開きになっていてそこが待合室だった。*1」と戸塚省三さんは当時の様子を語っています。

当時の名残と思われるプレートが残っていました。

【参考文献】
*1 戸塚省三:東京路地裏観光(二玄社,1996)P.235-P.239

亀有(角海老)看板が、町並みと電車に溶け込んでいます。

JR線のガード近く、ソープランドの「角海老」があります。
店の建物の上に角海老の大看板があります。JRの電車から見えるように、看板は電車の側を向いています。

建物の壁面に立て看板が並びます。

落ち着いた感じの入口。

「角海老」の看板が、町並みに溶け込んでいます。
松戸の「角海老」も線路沿いにあったことを思い出しました。*1

【参考記事】
*1 風俗散歩(松戸)2006.6

銀座(東京温泉跡地)元祖トルコ風呂。延べ1,600坪の建物。

昭和26年は、わが国の風俗界に新しい風が吹いた年でした。日本で最初のトルコ風呂(現在のソープランド)が東銀座に開店しました。
「戦後性風俗体系」*1 に掲載されている写真によると4~5階建ての建物ですが、現在は新しいビルに建て替わっています。

東京温泉は、延べ1,600坪の建物で、蒸し風呂付の大浴場や30の個室、レストラン、喫茶の設備がある、豪華を極めるレジャー施設でした。東京温泉は、正統マッサージだけでしたが、ミス・マッサージは美人揃いでした。*1
開業前に、トルコ風呂のサービスガールを公募。水着審査のコンテストが行われました。*2

「東京温泉」を「トルコ風呂」と名付けたのは、内外タイムスの整理部の記者でした。トルコ協和国の蒸し風呂を連想したため、記事に「日本で初めてトルコ風呂が」と見出しをつけたことがきっかけです。結果、「東京温泉」に対しては、迷惑を及ぼしました。後になって、広岡敬一さんが「東京温泉」の二代目社長を取材したところ、「冗談じゃないですよ。うちがトルコ売春の元祖のように思われて」と憤慨していたそうです。*1

現在は、カラオケボックス等の店舗が入っています。

【参考文献】
*1 広岡敬一:戦後性風俗体系(2000,朝日出版社)P.83-P.84
*2 井上章一:美人コンテスト百年史(新潮社,1992)P.119

藤沢(湯房ふじさわ)奇抜なデザインの建物。

藤沢の風俗街。「小鳥の街(写真左奥)」※1 の建物のある通り。

奇抜なデザインの建物。

めずらしい「湯房」というネーミング。

入口の看板には、「ご入浴料金¥5,000、サービス料金¥2,500」と書かれています。

伊勢佐木町(阪東橋付近)ヘルス店が乱立する通り。

風俗店の大看板が乱立する通り。写真は曙町二丁目北交差点。

目立つ看板。

ファッションブティックのような外観。ここもヘルス店です。

ヘルス店の前にあるオブジェ。ぐるぐると回っていて360度いろいろな角度から楽しめますが、やはりこの角度が一番です。目線も刺激的です。

秋葉原(不倫クラブ)全フロアがほぼ風俗店のビル。

秋葉原駅昭和通り口は、ビデオボックスなどが散在する小規模な歓楽街です。

こちらのビルは、全フロアがほぼ風俗店です。

不倫クラブの看板。

入口の看板。

日ノ出町(ちょんの間跡)現在は休業中です。大岡川沿いの通り。

かつての黄金町のちょんの間跡は、現在は営業休止の状態です。

大岡川沿いの通り。

大岡川佐倉通りのゲート。

わずかに飲食店として営業している店舗があるようです。

日ノ出町(元ちょんの間地帯)初黄商店街。初音町と黄金町。

黄金町の京浜急行ガード下は、かつてのちょんの間地帯でしたが、現在は、ガード下に鉄板の囲いがされています。

ガード下の隣の通りでは、営業を続ける小料理屋や居酒屋が建ち並んでいます。

初音町と黄金町。「初黄商店街」と呼ばれていました。

ガード下から1本路地を入ったところの飲み屋。