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下館(羽黒神社の燈篭)洲崎遊廓の楼主が寄進。

今回は、下館(茨城県筑西市)の町並みを散歩します。
羽黒神社周辺は、大正のはじめごろ(1913)に待合や料理店ができ、稲荷町の繁華街が開発されまでの間、賑わいました。*1

羽黒神社の鳥居。

御大典記念。

洲崎遊廓楼主の小島長次郎*2 が寄進した燈籠。昭和天皇の御大典(昭和3年11月、即位の礼)のときです。

参考文献

*1 下館市史編纂委員会 下館市史 下巻 大和学芸図書 1982
P.363 下館の接客業 料理・待合 大正のはじめごろ(1913)羽黒神社を中心として十軒町、大町、薬師町に…
*2 警視庁史編さん委員会 警視庁史 大正編
P.598 洲崎遊廓の貸座敷長生楼の主人で、博徒の親分茨城長こと、国粋会幹事小島長次郎。

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下館(稲荷町の花街跡)崖の上からの遠望。

佐原(稲荷神社)佐原見番、色川八十八寄進の玉垣。

かつて佐原の花街があった周回する小路※1 にある稲荷神社。

玉垣に、花街の関係者の名が刻まれています。
色川八十八(いろかわ・やそはち)は、歴史家の色川大吉さんの祖父で、佐原の芸者屋「鹿島家(かしまや)」の経営者で、妻を7人も変えた男として知られていました。*1

佐原芸妓の開祖は、明治初年上仲町の「哥川」の「小よし」で、明治32~3年頃の成田鉄道開業の頃には、芸妓百数十名にのぼり、毎夜、賑わいました。*2

花街の関係者の名が刻まれています。

参考文献

*1 色川大吉 わが半生の裏街道 河出書房新社 原郷の再考から 2017
鹿島家 P.12-P.13 フー坊には、ハナハチという祖父がいた。実名は八十八、ヤソハチというのだが、子供に…
*2 篠塚猶水 佐原案内 中村写真館 1914
P.89-P.90 佐原芸妓の開祖は、明治初年上仲町の「哥川」に「小よし」と称して売り出し。千代川の今吉等は…

参考記事

※1 佐原(料理屋「寿茂登」裏の小路)旧花街。周回する小路。2019-08-22

成田(弁財堂)洲崎遊廓、キャバレー大宮の寄進。

成田山新勝寺脇にある弁財堂。

入口を入った塀に、洲崎遊廓の楼名が刻まれています。

こちらも「東京洲崎遊廓」と刻まれています。

船橋市、キャバレー大宮。

成田(歌舞伎役者奉納記念碑)楼名が刻まれています。

JR成田駅東口を出たすぐ北側。権現神社の裏側に高台のような土地があります。そこに石碑が集まった場所があります。

市川八百蔵(やおぞう)、市川高麗蔵(こまぞう)など、歌舞伎役者の名跡が刻まれています。
一番左側には、浅草雷門 三定。※1

石の塀には、楼名など、おびただしい数の名前が刻まれています。

高台の北側。

船橋(船橋大神宮)岩亀楼寄進の玉垣。横浜の廓業者の講。

京成電鉄大神宮下駅を下車。100mのところにある船橋大神宮。

船橋大神宮は、横浜の廓の業者たちが講をつくって詣でました。*1

岩亀楼 庄八と彫られた玉垣。

岩亀楼寄進の玉垣が残されています。

参考文献

*1 洲崎遊廓物語 青蛙房 P.276-P.279 1988
③洲崎名物・大火と大津浪
P.285 JR総武線の下総中山駅近くに建つ中山法華経寺は吉原遊廓の人々が崇拝していた。もっとも、ちゃっ…

浅草橋(石塚稲荷神社)江戸時代の創建。玉垣に料亭の名。

浅草橋のJR総武線高架の近く。

江戸時代の創建されたとされる石塚稲荷神社があります。

入口の門柱には、柳橋芸妓組合、料亭組合の名が刻まれています。

料亭の名が刻まれた玉垣。

人形町(金刀比羅宮)芳町芸妓組合、新田新作が寄進。

中央区日本橋中洲11−1にある金刀比羅宮。
江戸時代の明和8年(1771)に中流を埋め立て中洲ができ、天明7年(1787)に吉原が火事で焼けた後、ここが遊廓街となり大繁盛しました。*1

中洲の割烹が寄進した玉垣。

芳町芸妓組合。

元明治座社長の新田新作。
大相撲を廃業した力道山は、新田新作に引き取られました。*2

参考文献

*1 大野光政 *江戸百景今昔 本の泉社 江戸を楽しみ、大正を知り、現代を歩く 2009
みつまたわかれの淵
P.38 両国橋から大川を南へ下ると、新大橋の下流に大きな洲があった。南西には富士山がそびえ、その下に…
*2 大下英治 *力道山の真実 祥伝社 永遠の力道山 2004
プロレスに目覚める
P.38 プロレス王として力道山の海の親となる一代の侠客、新田新作と出会ったのは、昭和23年5月、小結に昇…

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池上(力道山の墓)大相撲からプロレスに転身。

蒲田(御園神社)石原慎太郎氏、ホテル王城、寄進の玉垣。

西蒲田7丁目にある御園神社。

玉垣に蒲田の地元企業など寄進者の名前が刻まれています。

元東京都知事の石原慎太郎氏。

ホテル王城。
ホテル王城は、当時でも数少なかった回転ベッドを備えた昭和のエロスが色濃く漂う老舗ホテルでした。*1
現在、ホテル王城は、別のホテルに建て替わっています。

参考文献

*1 鉄人社 東京裏地図 裏モノJAPAN8月号別冊 行かなきゃ損する都内B級スポット200選 2007
⑮蒲田・大井町駅付近 ホテル「王城」
今でではすっかり見ることのなくなった回転ベッドを、今でも楽しめることができる。ベロアの貼られたカベ…

根岸(不動尊)根岸三業会、料亭寄進の玉垣。

正岡子規文学碑(お行の松)がある場所にある不動尊。

寄進者の名が刻まれた玉垣。

根岸三業会の名が残っています。

料亭らしき屋号。

鶯谷(元三島神社)玉垣に鶯谷旅館組合、大塚角萬。

鶯谷の元三島神社。

ラブホテル街の中にあります。

神社の玉垣に鶯谷旅館組合の名前があります。

大塚角萬。テレビCM「おおつかあ かどまーん。」を思い出します。

府中(飯盛旅籠寄進の天水桶)大国魂神社の拝殿前。

大国魂神社の拝殿前。

飯盛旅籠だった杉嶋屋が寄進した天水桶が残されています。*1*2

大国魂神社の末社の巽神社。

神灯の右側の一基に、「福本屋内喜以」とあり、田中屋、杉島屋の抱女と連名になっています。寄進者の福本屋源太郎は、安政年間より幕末まで飯盛旅籠をやっていました。*2
福本屋源太郎は、旅籠「福本屋」を開業した八九三(やくざ)でした。府中宿は、大国魂神社の祭礼と飯盛旅籠があったことが、八九三(やくざ)の発生を促進しました。*3

【参考文献】
*1 府中文化振興財団府中市郷土の森博物館:甲州街道府中宿 府中宿再訪展図録 改訂(府中文化振興財団府中市郷土の森博物館,2008)P.45
*2 比留間一郎:府中市立郷土館紀要 第2号 P.20-P.29「府中宿の飯盛旅籠ノート」
*3 比留間一郎:府中史談第10号(府中市史談会,1983)P.34-P.45「府中宿の八九三」

荒木町(お岩稲荷陽運寺)カフェー寄進の玉垣。

東京四谷三丁目にある「お岩稲荷陽運寺」。四谷怪談で有名な「お岩さん」 を祀っています

「新宿二丁目カフェー事業..」寄進の玉垣。隣には、荒木町三業の名前もあります。

新宿二丁目「遊楽」「初夢」。

新二、メリー、うらら、ひとみ..。

池袋(三社稲荷神社)三業組合の関係者によって奉られた神社。

池袋の三業地の中心部。写真の右側が料亭「寿々代」です。通りの奥に三社稲荷神社の鳥居が見えます。

三社稲荷神社は、三業組合の関係者によって奉られています。*1

稲荷神社の灯籠。

寄進者と思われる料亭の屋号が確認できます。

【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.189-P.193

長崎丸山(中の茶屋稲荷社)遊女・冨菊の銘。

江戸中期、寄合町の遊女屋築後屋は、次第に勢力をのばし「角の築後屋」「中の築後屋」「新築後屋」「築武築後屋」と4軒もの店を構えるようになりました。うち、「中の築後屋」は、中の茶屋を開き、引田屋の花月楼とともに丸山を代表する茶屋(料亭)となりました。明治時期に入り築後屋は廃業。昭和46年に類焼、庭園だけになりました。*1

中の茶屋の庭園奥には、小さな祠があって、稲荷神をお祀りしています。中の茶屋の鎮守で、鳥居には「保食大神(うけもちのおおかみ)」記され稲荷神を表しています。*1

寛政2年(1790年)に奉納された手水鉢。 *1

築後屋の抱え(所属)の遊女・冨菊(とみぎく)の銘を見ることができます。*1

【参考文献】
*1 長崎文献社:長崎丸山に花街風流うたかたの夢を追う(長崎文献社,2007)P.26

板橋(観明寺)柏木楼、芸妓一同が寄進した玉垣。

観明寺は、板橋の仲宿の商店街に面した場所にあるお寺です。

境内に鎮座する稲荷神社。

遊廓の柏木楼が寄進した玉垣があります。

「芸妓一同」の名が刻まれた玉垣。

板橋(遍照寺)遊女道中の扁額。商店街沿い。

板橋仲宿にある遍照寺。入口は商店街沿いにありますが、注意して見ないと通りすぎてしまいそうです。

板橋遊廓の千代本楼の遊女道中の扁額が納められています(案内板より)。

石畳の路地がしばらく続きます。

奥にはお堂がありますが、中の様子をうかがい知ることはできません。

上野(五條天神社の奉納額)に待合の店名。大正十五年。

上野公園にある五条天神社。不忍池がすぐそばにあります。

大きな奉納額(大正十五年と記されています。)

奉納額の右側のほとんどは、待合の店名です。

江戸時代から明治時代にかけて、不忍池畔には、待合茶屋がありました。「東京新繁盛記」には、「名はすなわち茶店にして、その実はみずから酒肉を売るものあり。これを呼んで酔茶店と謂うもまた可なり。あるいは妓と客とを宿し、比翼の枕を貸すものあり。」との記述があり、こうした宿泊は、明治8年頃から盛んになりました。*1

左側には、見番や料理屋の名が書かれています。

【参考文献】
*1 遠藤鎮雄:百年前の東京風俗探訪(学芸書林,1976)P.78-P.79

新宿(大宗寺)新宿遊廓の楼名の玉垣。内藤新宿の遺構。

今回は、新宿の町並みと風俗を散歩します。
新宿2丁目に大宗寺(だいそうじ)があります。江戸時代の内藤新宿の数少ない遺構の一つです。近くには新宿遊廓がありました。

新宿遊廓の楼名の玉垣があります。

不二川楼本店、第一港楼の名前があります。

新港楼。

吉原(吉原神社)松葉屋の庭にあった久保田万太郎の句碑。

仲之町を裏門に向かって進むと、吉原神社*1 に行き着きます。

普段は人影まばらな吉原神社ですが、浅草名所七福神の一つであるため、初詣の人たちで賑わっています。

料亭松葉屋の取り壊しに伴い、松葉屋の庭にあった久保田万太郎の句碑が、吉原神社に移されました。*2
久保田万太郎は、浅草田原町の生まれの文人で、浅草の雷門の近くにも句碑があります。おそらく料亭の松葉屋に頻繁に遊びにきていたのでしょう。

「この里におぼろふたたび濃きならむ」と刻まれています。普段は見えず、水をかけると白く細い文字が黒い石肌に浮かびあがる「白粉彫り」という技法で彫られています。*1
この日は、すでに水がかけられていたのでしょうか。最初から白い文字がくっきりと現れていました。右下に小さく、「万」の一字があります。

【参考記事】
*1 風俗散歩:入谷~吉原(2005.9)吉原神社
【参考文献】
*2 石井妙子,渡辺憲司:東京人(都市出版,2007.3)P.46 「遊女の残り香を探して」

門前仲町(深川不動尊)洲崎パラダイスの額。

根津遊廓や洲崎遊廓では、成田不動尊(千葉県成田市)の信仰が盛んでした。明治2年、成田山の出張所が吉祥寺の境内に設けられ、明治11年には、不動堂が建設され、遊廓を含めた花街関係者の間で深川不動尊信仰が浸透していきました。*1

不動尊の本堂内を見回すと右手に大きな額があり、洲崎パラダイスの講中の名前が刻まれています。

額の中央には、奉納成田山 内陣五講....」、額の右側には、店の名が記述されています。

額の左側には、遊廓の関係者の名前が記されています。

【参考文献】
1* 岡崎征男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1978)P.285-P.295

門前仲町(牡丹住吉神社)玉垣に洲崎の名前が刻まれています。

門前仲町の東寄り。巴橋をわたったあたりに牡丹住吉神社があります。

ビルとビルの間に住吉神社があります。案内板によると、このあたりは、深川七場所のひとつである佃があり、後に、辰巳花街として栄えました。

玉垣には、寄進した料理屋などの名前が刻まれています。

洲崎、二楽の名前があります。洲崎の人たちが信仰していたようです。

【参考文献】
*1 中沢けい:私だけの東京散歩 下町・都心篇(作品社,1995)P.31

浅草橋(篠塚稲荷神社)玉垣に料亭の名前が刻まれています。

神田川から通りを一本入ったところに、篠塚稲荷神社があります。

正面の石柱。東京柳橋組合の名前があります。

側面の玉垣。両国花火組合、料亭の「いな垣」、「田中屋」の名前が刻まれています。

両国花火は江戸の年中行事になり、主催者である柳橋の名前は全国に知れわたりました。両国花火は、柳橋の広告塔のようなものでした。*1

【参考文献】
*1 牧太郎:東京人(2000.6)「柳橋」江戸からの芸者町の灯が消えた (特集 芸者さんに会いたい 新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、東都五花街探訪) P.72-P.73

人形町(末廣神社)400年以上の歴史を持つ神社。

人形町2丁目に末廣神社があります。

末廣神社は400年以上の歴史を持つ神社です。元吉原の総鎮守社として信仰されてきました。

神社に日本酒が奉納されています。末廣酒造という会社があるようです。

吉原移転後は、花街として繁栄したようです。