茂原(リップスティック)軽食店併設の風俗(サロン)店。

房総横断道路沿い。

交差点脇に1軒屋の建物。

サロン(風俗店)と軽食が併設された店舗です。

現在は休業している模様です。

タクソノミー(分類)

風俗店 茂原

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茂原(リップスティック)軽食店併設の風俗(サロン)店。

上野(ビル街のラブホテル)仏壇店街近くの路地。

東上野三丁目のビル街。通り沿いには、仏壇店が連なっています。(写真の左右の店舗はいずれも仏壇店です。)

通りを南へ入ったところにあるラブホテル。

モダンなデザインの入口。

反対側(南側)から。

幕張(UFO)宇宙船の丸窓がデザインされた外観。

今回は、幕張(千葉県千葉市花見川区)の町並みを散歩します。
JR幕張本郷駅の南側。京葉道路幕張インターの東側にラブホテル街に、宇宙船の形をしたラブホテルがあります。

正面入口。

入口のゲートには、ロケットを模したオブジェ。

宇宙船の丸窓。

新小岩(住宅街のラブホテル)児童公園の隣の大ゲート。

今回は、新小岩(東京都葛飾区)の町並みを散歩します。
新小岩二丁目の住宅街。

児童公園の隣に大ゲートが出現します。

住宅街の中のラブホテル。

L字型の小路を抜けると反対側にもゲートがあります。

鶯谷(ラブホテル街)言問い通りの北側。敷地内に祠。

鶯谷のラブホテル街は、駅前の言問い通りの南側が中心ですが、言問い通りの北側にも大規模なホテル街が立地しています。

敷地内に祠のあるラブホテル(写真中央に祠の屋根が見えます。)

メインの通り。

西側には、高層階のホテルが建ち並んでいます。

上野(レンタルルーム)繁華街で多く見かける業態。

上野6丁目の繁華街にはレンタルルームが数軒点在しています。最近、繁華街で多く見かける業態です。

1階がラーメン店。2階がレンタルルーム。

赤い看板のレンタルルーム

英語と中国語の看板。

真金町(旧遊廓街のホテル)旧遊廓街の北側。

真金町2丁目の旧遊廓街の北側の通り。中央に緑地帯を持つ道幅の広い道路です。

ラブホテルの建物。

入口には、フリータイムとSTAYの2つの看板。

古い看板。

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 真金町2丁目

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真金町(旧遊廓街のホテル)旧遊廓街の北側。

伊勢佐木町(アール形状の庇を持つ建物)赤線建築を彷彿させます。

曙町の親不孝通り。

2階部分がレトロな感じです。

赤線建物を思わせるアール形状の庇。

白い円柱。

石川町(ホテル街)マンションのような外観。

JR石川町駅前の高速道路の向こう側は、ラブホテル街です。

まるでマンションのような外観のホテル。

老朽化が進んでいますが、近日中に建て替えが計画されているようです。

最近建てられたと思われる上層階に露店風呂が設置されたホテル。周囲はマンションが建ち並んでいますが、ホテルもマンションと同じような外観です。

野毛(繁華街のホテル)哀愁を帯びた板塀の裏口。

野毛の繁華街の中心部。四つ角にホテルがあります。ホテルのビルの1階には、串カツ店などの飲食店舗が入っています。

入口。

西側の小路のホテル側は、木製板塀になっていて、そこには昭和を感じさせるホテルの裏口があります。

ホテルの裏口。

信濃町(権田原公衆便所)かつてのハッテンバ第一エリア。

権田原バス停の近く。

権田原のハッテンバの第一エリアだった公衆トイレは、最近リニューアルされたようです。

権田原の地名を冠した公衆便所です。

JR信濃町駅前の歩道橋から、権田原公衆便所方面への遠望。

信濃町(権田原の小公園)消滅したハッテンバ。

JR信濃町駅を下車し、外苑東通りを南へ進むと、「権田原(ごんだわら)」の交差点があります。交差点の角には交番があって、交差点の北東側に、明治記念館。南東側に東宮御所、西側に明治神宮外苑が立地しています。

かつて、このエリアは、「権田原」という名のハッテンバでした。ハッテンバとは、ある一定の場とか施設が時間帯によってその機能を変質させられ、男性の同性愛者の性行動をうながす場となっているところを指しています。そこは、公園であり、公衆便所なのですが、夜になるとどこからともなく集まってくる男たちによって、開放的な性行動の場に変質させられました。権田原のハンテンバのエリアは、第一エリアから第三エリアと呼ばれる三ヶ所があって、その最盛期は、1961年から1971年までの10年間でした。第一エリアは、権田原バス停近くの公衆便所、第二エリアは、明治神宮外苑の森の入口の公衆便所で、第三エリアは、第二エリアの南側の前方の小公園でした。*1

1964年、東京オリンピック開催のため、第一エリア周辺が道路整備事業の対象区域となると、人々は向かい側の第二エリアに移動しました。やがて第二エリアも柵がめぐらされ、入口が閉ざされてしまうと、人々は第三エリアに移動しました。
ところが、第三エリアに隣接した都営住宅の住民の騒音拒否運動の抵抗にあい、住民の都への働きかけによって、東京都公園管理事務所は、夜間は閉門の措置をとったため、権田原のハッテンバは消滅しました。*1

現在も、そのためか、夕方16:30以降、公園の門は閉ざされます。

【参考文献】
*1 現代風俗研究会:現代遺跡・現代風俗91(リブロポート,1990)P.168-P.175

常陸多賀(駅前の風俗街)スナックや風俗店が散在するエリア。

常陸多賀駅の駅前の商店街の裏側。この付近はスナックや風俗店が散在するエリアです。

レトロな感じの風俗店ビル。

入口。

道を挟んだ向かい側の店舗。

タクソノミー(分類)

千石町一丁目 風俗店

藤沢(かつての旅館街)現在はマンションが林立。

藤沢のかつての歓楽街は、現在は多数のマンションが林立する町並みに一変しています。

スナック街の「小鳥の街」※1、「湯房ふじさわ」※2などがあった場所は、駐車場になっています。

仙成旅館と和風スナックが建ちならんでいた場所※3 もマンションに建て替わっています。

かつての面影はありません。

津田沼(線路脇のホテル)突端部分に狭小建物の特徴。

今回は、津田沼(千葉県習志野市)の町並みを散歩します。JR津田沼駅の西側。JRの線路と御成街道ど斜めに交差する地点に、ラブホテルが建っています。ビルの前面が広告スペースになっている狭小建物です。

突端部分に入口。狭小建物の特徴※1 です。

入口を廻り込むようにして裏側へ回る通路があります。

地元の人のみが利用するホテル裏側の通路。写真右側のフェンスの向こう側はJRの用地です。

大宮(明朗会計の店)電飾看板が残るビル。

大宮の南銀座*1 の裏通り(線路沿い)。かつては風俗店だったと思われる電飾看板が残るビルがあります。

その隣にある「明朗会計」の大看板。

ビルの脇の路地。

ビルの表側。このビル全体が明朗会計店です。

下北沢(商店街のラブホテル)閑静なたたずまいの割烹店。

今回は、下北沢(東京都世田谷区)の町並みを散歩します。
「若者の街」として紹介されることが多い駅前の商店街。

商店街の中にひっそりとラブホテルが佇んでいます。

商店街の西側(小田急線の線路沿い)。閑静なたたずまいの割烹店。

割烹店が入っているビルは、ホテルです。

登戸(和風旅館)休憩有り。落ち着いた感じの佇まいです。

登戸駅の北西側にある旅館「新雪」。

落ち着いた感じの和風旅館の佇まいです。

「ご休憩」もあります。

もう一つの入口。

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 登戸新町

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登戸(和風旅館)休憩有り。落ち着いた感じの佇まいです。

厚木(花街跡地)通りの両側には、料理屋が建ち並んでいました。

昭和30年代まで、厚木は、鮎漁と養蚕という観光・産業に支えられ、多くの料亭に出入りする芸者衆は、最盛期には100人近くを数えました。*1

昭和15年の花柳街の地図によると、この通りの両側には、料理屋が建ち並んでいました。*1

花柳街跡地の飲食店。

家紋が描かれた塀。

参考文献

*1 厚木市の昭和史編集委員会 厚木市の昭和史 : 変わりゆくまち・くらし 写真集 千秋社
P.169 鮎漁と花柳界 昭和30年代まで、鮎漁と養蚕は、厚木の観光・産業を支える大きな柱であった。多くの…

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風俗店 寿町一丁目

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厚木(花街跡地)通りの両側には、料理屋が建ち並んでいました。

西船橋(駅前のホテル)休憩専用?簡易なホテル。

今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します・
JR西船橋駅(北口)。写真奥は、西船橋駅です。

飲食店などが多い通りですが、雑居ビルの中に簡易なホテル。質素な看板です。

少し離れた場所にもう一軒。

レストホテル。休憩専用のホテル、という意味でしょうか。

船橋(仲通り商店会の風俗店)中華食材や風俗店の看板が密集。

仲通り商店会の南側と北側を結ぶ通路。

飲食店に混じって風俗店も営業中です。

中華食材や風俗店の看板が密集しています。

短い路地なので、反対側の商店街へ出れます。

船橋(旅館「妙泉」跡)海老川沿いの住宅街。

船橋市の海老川沿いの住宅街。このあたりは、道幅の狭い昔ながらの路地が残っています。

立派な門構えの家。

木が生い茂る中に残る「旅館妙泉」の看板。

裏口付近。

千葉(栄町ソープ跡)1階部分に、石垣のデザイン。

今回は、千葉(千葉県千葉市)の町並みを散歩します。
千葉都市モノレール栄町駅(写真左)の階段前に、7階建ての城郭のビル(写真右奥)があります。

1階部分には、石垣のデザイン。

「英国館」は、現在は閉店中です。

玄関付近。

タクソノミー(分類)

風俗店 栄町

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千葉(栄町ソープ跡)1階部分に、石垣のデザイン。

新小岩(商店街「一番街エステ・健康マッサージの看板。

新小岩駅南口の繁華街は、街全体が碁盤の目のように区画されていて、それぞれの街路が商店街となって南東方向へ続いています。
ルミエール商店街の1本隣の商店街「一番街」もそのうちの一つです。

この通りは、エステが多いです。

さらに南東へ行ったところにもピンク色の看板。

健康マッサージ。

小岩(駅裏のホテル街)昭和レトロなホテルが建ち並んでいます。

JR小岩駅の北側の路地。

お城。

昭和レトロなホテルが建ち並んでいます。

ホテルの隣に質屋。※1

高田馬場(ホテル街)卓球場の角に建つホテルの電柱看板。

高田馬場の繁華街「さかえ通り」を100mほど進んだあたり。南側に細い路地があります。

卓球場の角に建つホテルの電柱看板。

この付近は、小規模なホテル街になっています。

逆方向から。

浅草(韓国エステビル)看板だけが残っています。

浅草の国際通り沿い。

韓国焼肉&エステの看板。韓国といえば、焼肉とエステですが、同じビルの中で両方を味わうことができるようです。

健康マッサージの看板。看板だけが残されていて、店舗は無い模様です。

火花。

浅草(一富士旅館)浅草寺の東隣。手書き看板。

浅草の浅草寺の東隣にある旅館「一富士」。

落ち着いた佇まいの和風旅館です。

白い塀に、一富士の看板。

一富士旅館。

浅草(「浅草ニュートルコ」跡地)現在は、マンション。

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みを散歩します。
花街があった浅草三丁目の東側のはずれ。このあたりまでくると、店舗はまばらになります。

昭和26年の火災保険地図*1 によると、この場所に「浅草ニュートルコ」の記載があります。
トルコ風呂と言えば、昭和26年に銀座に開業した「東京温泉」が第1号というのが、定説となっています。※1
これと、時を同じくして、浅草にも開業していたようです。

隣の歯科医院は、当時も同じ場所にありました。*1

現在は、マンションが建っています。

参考文献

*1 佐藤洋一 あの日の浅草 武揚堂 昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語) 2007
あの日の浅草(昭和26年 火災保険地図)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

※1 銀座(東京温泉跡地)元祖トルコ風呂。延べ1,600坪の建物。2007-10-09

タクソノミー(分類)

風俗店 浅草三丁目

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上野(ビル街のラブホテル)仏壇店街近くの路地。
鶯谷(ラブホテル街)言問い通りの北側。敷地内に祠。
上野(レンタルルーム)繁華街で多く見かける業態。
浅草(韓国エステビル)看板だけが残っています。
浅草(一富士旅館)浅草寺の東隣。手書き看板。
浅草(「浅草ニュートルコ」跡地)現在は、マンション。
浅草(ラブホテル)隠れ家的ホテル。ピンク色の光。
浅草(ホテル「幸和」)和風。1席、2席、...。
浅草(西浅草のラブホテル街)同じ屋号のカラオケボックス。
上野(不忍池)中島のまわりにあった出会茶屋。
日暮里(ラブホテル)おせんべい屋の路地。
浅草(ビジネスホテル)大看板と提灯。ひさご通りの西側。
吉原(トルコ風呂跡地)昭和33年、吉原第一号。
浅草(旅館)和風の味を残しています。戦後の旅館(旅荘)ブーム。
鶯谷(ホテル「石秀」)岩風呂。根岸の里。入口に庭園。

王子(ホテルあすか)レトロな看板が残っています。

飛鳥山公園(写真奥)の南に建つゲストハウス。

ゲストハスウスの全景。

屋上に「ホテルあすか」の看板が残っています。

飛鳥山公園から音無川方面の遠望。

大井町(住宅街の中のホテル)仙台坂上の交差点近く。

大井町の池上通りの仙台坂上の交差点から、西へ入ったところ。閑静な住宅街が続きます。

大井町に1軒だけあるラブホテル。

シンプルな入口。

午前と午後はフリータイム制です。

津田沼(駅北口の繁華街)飲食店と風俗店が混在

今回は、津田沼(千葉県習志野市)の町並みを散歩します。
JR津田沼駅北口の大通りから西へ入ったところに、小規模ながら飲食店や風俗店が連なる繁華街があります。

1階が焼肉店。2階は風俗店。

繁華街の北側の奥まったあたり。

サロンの看板

駒込(旅館「江戸駒」)昭和30年代のオールドファッションスタイル。

今回は、駒込(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
駒込駅の南側。線路沿いの坂道の途中に建つ旅館「江戸駒」。昭和30年代のオールドファッションスタイルです。


和風の佇まいは癒されます。


全室和室で、数寄屋造り。次の間付きです。


懐かしのスタイル。価格も安価です。

錦糸町(ラブホテル街)竪川第一公園沿いの通り。

錦糸町駅の南側。錦糸堀公園裏から首都高速7号線にかけて、錦糸町のラブホテル街が広がっています。中でも竪川第一公園沿いの通りは、高級感のある建物が建ち並びます。

北側の通り。ホテル街のメインの通りです。

錦糸町には、珍しい和風の店。

夜の様子。

四谷大木戸(旅荘)旅荘への入口看板。旧大木戸花街の東側。

四谷四丁目の外苑西通り。旧大木戸花街の東側に、旅荘への入口があります。看板には、旧花街※1 にある2つのホテルの位置も示されていますので、経営が同じなのかもしれません。

現在も「旅荘」という呼び名で営業中です。

北側の入口。

閑静な住宅街(写真右手は、大木戸子ども園)の中にあります。写真の奥の鳥居は、田安稲荷神社。

福生(ホテル徳川跡)近代的なホテルに生まれ変わっています。

福生のスナック街の東側。古いホテルが建っています。神社が隣にある不思議な空間です。

「ホテル徳川入口」の看板。

神社から逆方向を見たところ。ホテルの裏側は段丘になっていて、建物は連続しています。

丘の上のホテルは、近代的なホテルに生まれ変わっています。

福生(横田トルコ跡地)東福生駅への五差路。

福生駅から東福生駅へ向かう五差路。

交差点の角には、かつて横田トルコがありました。現在は駐車場になっています。

1970年の住宅地図*1 によると、横田トルコには、「トルコレストラン」が併設されていました。

横田トルコの西隣には、横田ニューゲストホテルがありました。*1

参考文献

*1 公共施設地図航空 福生市 1970年度版 1970
武蔵野台二丁目の交差点(五差路)に、「横田トルコ」「トルコレストラン」「横田ニューゲストホテル」の…

タクソノミー(分類)

風俗店 武蔵野台2丁目

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福生(ホテル徳川跡)近代的なホテルに生まれ変わっています。
福生(横田トルコ跡地)東福生駅への五差路。

東伏見(伏見ホテル)広大な庭園。レトロな電飾看板。

東伏見4丁目交差点の看板※1 に導かれて、青梅街道を西へ進み、東伏見稲荷神社近くが、ホテルへの入口です。

広大な庭園を持つホテル。
かつては、モーテルだったようです。*1

レトロな電飾看板。

「旅荘」と書かれています。

参考文献

*1 住宅地図出版社 保谷市 1972
P.39 西東京市柳沢2丁目7−7に「モーテル伏見」の記載

参考記事

※1 東伏見(謎のホテル看板)十字路の矢印。Uターン。2018-04-19

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 柳沢2丁目

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東伏見(伏見ホテル)広大な庭園。レトロな電飾看板。

吉祥寺(駅前のホテル)コリント式オーダー。

今回は、吉祥寺(東京都武蔵野市)の町並みを散歩します。
吉祥寺駅北東側の繁華街の狭い通り。「ニューヨーク」と書かれたラブホテルの看板が確認できます。

交差点の角に面した大きな建物です。

JR中央線の高架を挟んだ南側。ギリシャのコリント式オーダー(建築様式)の円柱を持つ建物が現れます。

以前は、駐車場でしたが、ホテルが出来たことにより、通り抜けできなくなっています。

上大岡(駅前のラブホテル)国道21号線沿い。

上大岡駅前の国道21号線沿い。旧道と合流する三角形の部分に巨大なラブホテルが建っています。

先端の緑地帯部分の看板。

京急線の高架と交差する場所にある狭小ラブホテル。

男女の看板。

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 上大岡西一丁目

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上大岡(駅前のラブホテル)国道21号線沿い。

名駅(堀川沿いのホテル街)天王崎橋近く。

天王崎橋から、堀川沿いの西側の通りへ入るとラブホテルが密集する一画があります。

ピンク色の外壁。

夜の様子。

ライトアップされて華やかです。

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 名駅南1丁目

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名駅(堀川沿いのホテル街)天王崎橋近く。

府中(商店街裏のラブホテル)隠れ家的な雰囲気の路地。

宮西国際通り商店街近くの細道。

細道を抜けると、商店街の裏側に出ます。

いっそりと佇むラブホテル。昭和50年の住宅地図*1 によると、この場所には「旅館玉栄」がありました。

隠れ家的な雰囲気の路地です。

【参考文献】
*1 日本住宅地図出版:府中市(日本住宅地図出版,1975)P.51

浅草(ラブホテル)隠れ家的ホテル。ピンク色の光。

浅草には、ラブホテルが散在しています。ひさご通りの商店街から脇道に入ると、ピンク色の光を放つラブホテルがあります。

さらに進むと、花やしきの裏手に出ます。ここにもラブホテル。

言問通りからの遠望。

浅草寺の東側にある隠れ家的ラブホテル。

蒲田(ビジネスホテル?)多摩堤通り。隠れ家的な雰囲気。

西蒲田6丁目。通りの向こう側にホテルの看板が見えます。

多摩堤通り。ホテルへの入口を示す多数の看板。

趣のある路地。隠れ家的な雰囲気のラブホテルです。

屋上の看板には、ビジネスホテルと書かれていますが、「ビジネス」の部分が白く塗られて消された跡があります。

武蔵小山(風俗店)ハートマークがデザインあれています。

武蔵小山飲食街「りゅえる」の飲食街を進むと、ピンクサロンと思われる風俗店の建物があります。

入口の電飾。

水色の風俗看板。

「サロン」のロの字の部分はハートマークがデザインされています。

相模原(駅前の歓楽街)JR相模原駅前。キングコース。

今回は、相模原(神奈川県相模原市)の町並みと風俗を散歩します。
JR相模原駅前には、小規模な歓楽街があります。

風俗店の看板。

レトロな看板もあります。

キングコース、¥10,000.-です。

タクソノミー(分類)

風俗店 相模原3丁目

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相模原(駅前の歓楽街)JR相模原駅前。キングコース。

浅草(ホテル「幸和」)和風。1席、2席、...。

西浅草に、東京遺産ともいえそうなホテルがあります。

あちこちに庭石が配置されている和風のホテルです。

料金は、1席、2席、...と時間帯や宿泊・休憩に関係ない、コマ数単位の料金体系となっています。

残念ながら、昨年閉店しました。

浅草(西浅草のラブホテル街)同じ屋号のカラオケボックス。

西浅草(国際通りの西側)は、ラブホテルが散在する一画です。

競馬中継が楽しめるホテルもあります。

ホテルと同じ屋号のカラオケボックスが道路を挟んで並びます。

国際通りに面したカラオケボックス。

新丸子(線路沿いのラブホテル)旅館があった場所。

東急線の高架近く。

ラブホテルの立地の原則通りとでも言えそうな、線路沿いの場所のラブホテルです。

このあたりも、新丸子三業地の一画で、この場所は、旅館「こまどり」があった場所です。*1

ホテルの東側を回り込んだ路地の両側には、旅館「くるみ荘」や料亭「丸子荘」などがありましたが、現在は面影はありません。

【参考文献】
*1 経済地図社:中原区明細地図(経済地図社,1973)P.76,P.79

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 丸子通1丁目

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新丸子(線路沿いのラブホテル)旅館があった場所。

綱島(ラブホテル)待合所のある専用駐車場。

大綱橋北詰を西に入ったところに、ラブホテルが数軒建ち並ぶ一画があります。

綱島有料駐車場(写真左側)が隣接しています。

ホテルをご利用のお客様は無料です。

待合所まであって、至れり尽くせりです。

タクソノミー(分類)

ホテル・旅館・茶屋 綱島東一丁目

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綱島(ラブホテル)待合所のある専用駐車場。

神田(湯女風呂跡地)井原西鶴が描いた勝山がいた場所。

江戸には、湯女を置いている風呂屋が200軒余あったといわれ、優れた湯女も出ました。代表的なのは、井原西鶴が「好色一代男」の中で描いた勝山でした。勝山がいた湯女風呂は、神田佐柄木町(現在の神田淡路町交差点の近く)にあった旗本堀丹後守の屋敷前にあり、男たちがここに集まり派手な風俗を競いあったので、その風俗を歌舞伎にうつして丹前風と呼ばれました。*1

佐柄木町周辺にあった湯女風呂は俗に「丹前風呂」と呼ばれました。*1
淡路町の町名由来看板に江戸時代の古地図が掲載されています。佐江木町は、淡路町交差点の南側にあったことが解ります。

淡路町の町名由来看板に、丹前風呂のことは書かれていませんでしたが、淡路町からは少し離れた美土代町(みとしろちょう)」の町名由来板に、丹前風呂のことが書かれています。

この付近に丹前風呂がありました。

【参考文献】
*1 神保五弥:浮世風呂(毎日新聞社,1977)P.20-P.25

神田(レンタルルーム)ビジネス街。新旧多数。

神田駅周辺には、ラブホテルはありませんが、新旧のレンタルルームが多数あります。

新しいレンタルルームもオープンしています。

ビデオ鑑賞店に隣接するレンタルルーム。

駅の西側のビジネス街の中にあるレンタルルーム。

巣鴨(駅近くのラブホテル)線路沿いの道路に面した入口。

巣鴨駅近くの山の手線の線路沿いは、小規模なラブホテルエリアになっています。

公園の隣にあるラブホテル。

巣鴨駅前の陸橋から見えるホテル。

線路沿いの道路に面して入口があります。

蒲田(中央通りの繁華街)エステの大看板。

JR蒲田駅東口の中央通りは、飲食店が建ち並ぶ繁華街です。
「エステ」の大看板。

高級感があります。

隣の通りのアカスリ店。

エステの店舗が密集しています。

蒲田(柳通りのラブホテル)53年間、営業してきた老舗ホテル。

柳通りには、多数のラブホテルも立地しています。

53年もの長きの間、営業してきた老舗ホテルも廃業しました。

モダンな曲線のデザインのホテル。表玄関には、「駅前再開発事業施行地区」を示す看板が取り付けられています。

裏玄関。路地の表側と裏側でそれぞれ玄関を持っているのが、柳通りのラブホテルの特徴です。

吉祥寺(井の頭公園近くの旅館)閑静な住宅街。昭和40代の旅荘。

吉祥寺の南口から井の頭公園にかけての界隈には、「旅荘」が多くありました。*1

現在は、閑静な住宅街ですが、当時の名残と思われる旅館があります。裏口は塀で囲まれています。

井の頭公園の東側にあるひょうたん橋から坂を上がったあたりにも、旅荘がありました。昭和40代の旅荘は、現在のファッションホテルとは異なり、一見料理屋風の建物でした。写真の左側に旅荘「利根川」、右側に旅荘「安楽」がありました。*1

旅荘「安楽」があった通り。

【参考文献】
*1 土屋恂:吉祥寺消えた街角(河出書房新社,2004)P.103,P.106

吉祥寺(井の頭公園の旅荘)昭和初期の雰囲気を伝える佇まい。

吉祥寺駅から井の頭公園へ向かう坂道。

 

 

坂を下りきったところに、風情のある旅荘があります。

 

 

旅荘の裏側のお客様入口。

 

 

昭和初期の雰囲気を伝える佇まいです。

 

 

上野(不忍池)中島のまわりにあった出会茶屋。

不忍池は、江戸時代、有数の出会い茶屋の密集地帯でした。*1

「江戸名所図会」の「不ばずの池、中島弁財天社」や歌川広重「名所江戸百景」の「上野清水堂不忍ノ池」を見ると、池の中央部に中島が築かれ、中島のまわりを、水面に突き出すようにびっしりと建物が取り囲んでいますが、これらはすべて茶屋で、そのうちの何軒かは出会茶屋でした。*1

このあたりにも、かつては茶屋が並んでいたのだと思います。

現在の池畔には観光客向けの茶店が建ち並んでいます。

【参考文献】
*1 永井義男:江戸の下半身事情(祥伝社,2008)P.32

日暮里(ラブホテル街)高架沿いに密集しています。

日暮里駅周辺は、最近になって再開発が行われた結果、高層ビルや高層マンションが林立する町並みとなりましたが、西日暮里方向には、昔からあるラブホテル街が健在です。

日暮里駅北側。

日暮里のラブホテル街は高架沿いに発達しています。

「風俗デリバリーの利用OK」。

日暮里(旅館「とよた」)竹で装飾されています。

舎人ライナーの高架が横切る日暮里駅前の近代的な町並みに混じって、古びた旅館の建物が1軒あります(写真奥)。

繊維街として発展した頃の日暮里には、このような旅館がたくさんあったのかもしれません。

モルタル造りの建物。

玄関付近は、竹で装飾されています。

日暮里(ラブホテル)おせんべい屋の路地。

谷中のおせんべい屋さん。下町ではよく見る風景です。

おせんべい屋さんの脇には、ラブホテルの看板。

カーブを描く路地の奥にラブホテルがあります。

古い煉瓦塀が周囲を遮断していて、隠れ家的な雰囲気を醸し出しています。

日暮里(富士見ホテル)「夕焼けだんだん」の階段の上。

今回は、日暮里(東京都荒川区)の町並みを風俗を散歩します。
JR日暮里駅の西側にある「夕焼けだんだん」は、谷中では有名な夕焼けの絶景スポットです。

夕焼けだんだんの階段の上に、「富士見ホテル」の大看板があります。

細い路地をいくと、奥に富士見ホテルがあります。

ひっそりとしたホテルの入口。

浅草(ビジネスホテル)大看板と提灯。ひさご通りの西側。

ひさご通りの西側に、ビジネスホテルが密集する一画があります。

商店やスナックなどが建ち並んでいます。

ホテルの大看板。

ホテルの提灯。

今井(ラブホテル街)人目をひく概観のホテル。

インターチェンジ沿いには、「ホテル京浜」以外にも数棟のホテルが立ち並んでいます。

複雑な形をした歩道橋の向こう側にホテルが見えます。

インターチェンジの南側。

人目をひく概観のホテル。

今井(京浜ホテル)日本初のモーテル

今回は、今井町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
戦後のモータリゼーションの進展に伴い、日本でもアメリカのモーテルを真似たホテルが道路沿いに建てられました。
日本初のモーテルは、石川県の「モテル北陸」であると言われていますが、「モテル北陸」はドライバーの休息を目的としたものであったため、本格的な日本初のモーテルは、横浜の東名高速道路のインターチェンジ近くにつくられた「モテル京浜(ニュー京浜)」でした。

ガレージ式ラブホテル。

入口を示す看板。

道路から見ると目立ちます。

歌舞伎町(旅館跡)青いタイルで全面装飾。

新宿区役所裏の老舗のファッションヘルス店のある路地。

「レンタールーム」と書かれた元旅館の看板。

青いタイルで全面が装飾されています。

宿泊料3500円の貼り紙。

西船橋(お城のラブホテル)城郭を模したラブホテルの特徴。

総武線の高架沿いに、お城のラブホテルがあります。

城郭を模したラブホテルの特徴である「狭間胸壁」(兵士が身体の一部を隠したままで射撃したり戦ったりするための隙間)と「張り出し狭間」(持ち送り支持構造の間に開いた床の開口部から攻撃者に向かって岩石を落とすための穴)がしっかりとデザインされています。*1

城郭を模したラブホテルの3つ目の特徴である「小塔」(狭間胸壁の上に、建物の外周に沿って不規則に配置されている円錐形の屋根を頂く構造物)はありません。
屋上には、「狭間胸壁」がデザインされています。

窓には、像と欄干。

【参考記事】
*1 風俗みちくさ 「中世の城郭を模した風俗建築(その1:ラブホテル建築の場合)

目黒(エンペラー)ラブホテル史を塗り替えたホテル。

JR目黒駅から急な下り坂の行人坂を下ると、急坂が目黒雅叙園の入り口で終わって太鼓橋に出ます。目の前を流れる目黒川沿いには、桜並木の続く遊歩道が整備されていて、桜のシーズンには多くの見物客で賑わいます。
川のほとりに、中世の城郭建築を模したラブホテルの「目黒エンペラー」があります。

昭和49年、「目黒エンペラー」の出現は、ラブホテル史を大きく塗り替えました。「目黒エンペラー」は、ラブホテルの代名詞となる画期的なラブホテルでした。外観だけでなく、内装もまた金をふんだんに使ったと言われ、仕掛け小道具も時代の先端をいくものでした。*1

当時の週刊誌やテレビは、競ってこのめずらしい豪華ラブホテルについて報じました。*1

ピンク映画もこのホテルを舞台に撮影され、また、テレビコマーシャルを行ったのもこの「目黒エンペラー」が最初でした。*1

【参考文献】
*1 保田一章:ラブホテル学入門(晩声社,1983)P.77-P.81

吉原(トルコ風呂跡地)昭和33年、吉原第一号。

吉原の京町一丁目。

 明治時代の錦絵には、吉原のシンボルのように大きな時計台のある欧風の「角海老楼」の建物が描かれていますが、戦後の店も凝った高塀を巡らせた立派な建物でした。角海老は、老舗の風格のあった大籬(おおまがき)=大見世で、明治時代から昭和33年の売春防止法施行までの間、京町一丁目の同じ場所(現在の台東区千束4-29)にありました。売春防止法施行後は、サッポロビールの倉庫となり、現在はマンションに建て替わっています。*1*2

 昭和27年、「ロビン」は「一晩1万円」で名を売ったデラックス・キャバレーの「ロビン」がオープンしました。「ロビン」は、「角海老」、「大華」などの大見世とは異なる意匠のキンキラキンの戦後派の大店でした。1階がダンスフロアで、千属バンドの演奏にのって100人以上の客とダンサーが踊れる広さで、2階がいわゆる”遊興の部屋”になっていました。*1

 昭和33年、吉原にトルコ風呂第一号の「東山」がそして第二号の「山陽」がオープンしました。トルコ風呂の元祖とされる銀座の「東京温泉」は、健全なお風呂でしたが、「東山」や「山陽」では、「オスペ」と呼ばれる特殊マッサージが定着しました。「東山」があった場所は、現在もソープランドが営業中です。*3

【参考文献】
*1 吉村平吉:吉原酔狂ぐらし(筑摩書房,2003)P.17-P.18,P.99-P.100
*2 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,2003)
*3 広岡敬一:戦後性風俗大系(朝日出版社,2000)P.83-P.84,P.146,P.158,P.210

浅草(旅館)和風の味を残しています。戦後の旅館(旅荘)ブーム。

戦後の旅館(旅荘)ブームの中で、雨後のたけのこのように盛んに建てられた旅館の群れ。のちにその多くが、最新のホテルに改築されましたが、東京の下町に、和風の味を残して、いまも営む旅館があります。*1

旅館「夕月」は、昭和26年頃の浅草の火災保険特殊地図*2 にも記載されている当時のままの旅館です。

旅館「石水」。
この付近には、他に昭和28年開業の旅館「成駒屋」(2000年頃まで現存)がありました。*1

落ち着いた佇まいです。

【参考文献】
*1 双葉社:夢空間ファッションホテル名商・巨匠の物語(双葉社,1999)P.26
*2 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の浅草(武揚堂,2007)あの日の浅草(火災保険特殊地図)

歌舞伎町(繁華街の無用看板)ファッションヘルス跡。

新宿駅南口近くの通り。ポルノ映画館や飲食店が建ち並ぶ繁華街です。

ファッションヘルス「クリスタル」の看板があります。

付近を捜してもヘルスらしい店はありません。

閉店後、看板だけが残ったものと思われます。

新宿(トルコ芳泉)日本最初のトルコ風呂。

昭和初期、新宿5丁目交差点の南東側に、「トルコ芳泉」がありました。*1

「トルコ芳泉」は、公衆浴場とサウナ風呂として昭和25年にオープンした日本最初のトルコ風呂でした。サウナ風呂には、一人の個室と三人一部屋の個室があって、それぞれ一人づつサウナ嬢が白いパンツにブラジャー姿で首だけ出るサウナボックスに入れ、汗が出ると冷たいタオルで拭いてくれました。時間がくるとボックスから出てベッドに横たわりマッサージをしてくれる健康的なもので、大体1時間ぐらいでした。初めての人は友人と連れ立って三人部屋を希望しますが、何故か二回目には一人個室を求め常連となる人が多かったそうです。その後トルコ風呂は大流行し、競争が激しくなり、スペシャルサービスを行うようになって、健全なサウナは風俗営業になってしまいました。*2

現在は商業施設のビルに建て替わっています。

当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 住宅協会:新宿区東部(住宅協会,1960)P.35
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

新宿(ラシントンパレス跡地)ハッテンバでした。

「新宿二丁目東」交差点は、ゲイの街「仲通り」の入口にあたる場所です。

その「新宿二丁目東」交差点の南側に、ガラス張りのビルがありますが、この場所には2006年頃まで「ラシントンパレス」という新宿二丁目の特殊性を象徴するようなテナントビルがありました。その最上階をまるまる占めていたのは、「スカイジム」というゲイ専用のサウナで、ハッテンバ(ゲイの性の社交場)でした。*1
ラシントンパレスは、戦後新宿二丁目では一番早く建てられた大きなビルで、羅府飯店が中国名でした。*1*2

ビルの裏の路地。

路地の反対側にはアーチがあって、昔の雰囲気を伝えています。

【参考文献】
*1 竜超:消える「新宿二丁目」(彩流社,2009)P.120,142-P.143
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

国立(連れ込み旅館跡)浄化運動の起こり。昭和26年頃。

駅間のロータリーから南東方向の住宅街に、昭和26年頃、連れ込み旅館が急増しました。また、国立駅付近に稲荷神社をつくって、その門前町に特殊飲食街を建設しようとする計画もありました。*1
下宿屋が学生を追い出して旅館に鞍替えするところも現れ、また、子供が銭湯で性病に感染したことが、これは売春婦からうつされたものだという噂が流れました。*2

昭和26年、この連れ込み旅館を追放しようとする浄化運動が起こりました。避難の主な対象となったのは、付近の国立ホテルと新国立ホテルの2軒でした。安眠妨害になるほどの嬌声やダンス騒ぎ、出入りする自動車の爆音など、旅館の近くに住む主婦たちの訴えから持ち上がったものでした。*1

国立ホテルがあったあたり。*1

新国立ホテルがあったあたり。*1

浄化運動を推進する人々は「文教派」と呼ばれ、町議会で、国立の「文教地区指定」を決議することを目標にしました。一方、「反対派」は、「経済発展のためには文教地区指定は障害になる」「町がさびれ税金が高くなる」「文教派の運動は、反米の政治運動だ」だと非難し、一部の町民を動揺させました。これに対して文教派は、国会やマスコミにも訴え、世論で反対派を包囲することにより、町議会で議決を勝ち取りました。*2
【参考文献】
*1 りべらる(昭和26年9月号)P.86-P.93「学園都市『春の宿』追放騒動記」
*2 「くにたちの歴史」編さん専門委員会:くにたちの歴史(国立市,1995)P.207-P.211

竹ノ塚(入谷のホテル街)アレフの施設。舎人一号公園の隣。

足立区入谷にある舎人一号公園の隣に小規模なラブホテル街があります。

オウム(アレフ)断固反対ののぼり。この付近にアレフの施設がある模様です。

ホテルの入口。

裏側からの遠望。

【参考テレビ番組】
*1 NHK総合テレビ ニュース・気象情報(2010.11.28 21:15)

竹ノ塚(舎人公園のトイレ)落書きは犯罪です。アズマヤへ集合。

心霊スポットとして有名な舎人公園は、足立区最大のゲイのハッテン場です。*1
公園内のトイレには、落書き禁止の貼紙が貼られています。

貼紙のすぐ隣に落書きがあります。

落書きは、犯罪です。

アズマヤへ集合。

【参考文献】
*1 鉄人社:東京裏地図(鉄人社,2007)P.57

赤坂(首相官邸裏)トルコ風呂計画跡地。佐藤栄作首相が激怒。

赤坂の東側。永田町にある首相官邸は、日本の政治の中枢です。
昭和41年、この首相官邸の裏にトルコ風呂の建設が申請されました。当時、トルコ風呂の営業地域は特定されておらず、許可さえ受ければどこでも開業できた時代だったため、トルコ風呂業者が永田町の首相官邸の近くでの営業を申請したわけです。ところが、それを知った佐藤栄作首相が大激怒。関係省庁にハッパをかけ、第15回国会に「風俗営業等取締法の一部改正」を上程して通過させ、開業を阻止しました。風俗ジャーナリストの広岡敬一さんは、どこの誰による開業申請かを探るため、所轄と思われる麹町保健所で申請書を探しましたが、書類は破棄されて不明だったそうです。*1

トルコ風呂の建設が申請された「官邸裏」とはどこだったのか、手がかりが無く不明ですが、この問題を議題としてとりあげた昭和41年6月27日の参議院地方行政委員会*2 で、市川房枝議員は「総理官邸の下」と表現しています。おそらくトルコ風呂は、官邸のある高台よりも地形的に低い場所に計画されていたのでしょう。首相官邸の南東側は崖になっていて、現在、この付近には、東横イン官邸南店などの民間のビルが建ち並んでいます。

また、同委員会で、松澤兼人委員は、「参議院会館の窓からのぞくと、大きなたれビラが、屋上から下に下がっていて、『サウナ・バス、八月一日オープン』と書いてあった。」とこのときの状況を国会で説明しています。*2

さらに、松澤兼人委員は、「きのうヒルトンホテル(現在のキャピトル東急ホテル)に参りましたら、あの角のところに何とかというビルがある。そこにサウナ・バスとかいう大きなたれビラがたれまして、八月一日オープンと、こう書いてある。」と述べています。*2
「大きなたれビラ」があったと思われる場所は、首相官邸からは少し離れていますが、官邸の北西に位置し、地形的にも低い場所にあります。この付近にトルコ風呂が計画されていた可能性もあります。

【参考文献】
*1 広岡敬一:戦後性風俗大系(朝日出版社,2000)P.211-P.212
【参考URL】
*2 国会会議録検索システム:第051回国会地方行政委員会第32号(1966.6.27)

歌舞伎町(トルコ風呂改名の舞台)実在したトルコ風呂「大使館」。

靖国通りから北側に1本入ったソープランド街。数年前と比べるとヘルスに転業している店舗もあって、時代の移り変わりを感じます。

歌舞伎町は、トルコ風呂改名(1984年)にまつわる都市伝説の舞台にもなりました。1975年11月14日の毎日新聞(夕刊)のコラム記事「赤でんわ」によると、当時、歌舞伎町に「大使館」という名のトルコ風呂がオープンしましたが、それ以来、毎夜、大使公邸に「いま、すいてますか。」「Aちゃんいる?」といった調子で、怪しげな電話がかかってくるようになり、職員は夜も眠れないありさまとなりました。104番にトルコ大使館の電話番号を問い合わせたのを交換嬢が「トルコ風呂大使館」としばしば間違え、トルコ大使館の番号を教えたのが真相ですが、たまりかねたトルコ大使館は、1975年6月に外務省を通じ大使名で正式に電話番号の変更を申し入れ、トルコ風呂「大使館」は、「古城」と名を変えることになりました。*1

「わが国にはこの種のトルコ風呂はありません。まぎらわしい名前を使われては国のイメージにかかわるので」と大使館。「外務省から圧力があったから変えたわけではないですよ」とすました顔のトルコ風呂側。まずは、国際問題にもならず、メデタシというお話でした。*1

1975年版(昭和50年版)の電話帳で確認してみると、歌舞伎町に「ルームサウナ『大使館』」の電話番号が掲載されています。場所は、歌舞伎東京第18ビルで、電話番号は、209-1645となっています。それが、1976年版(昭和51年版)の電話帳では、「ルームサウナ『大使館』」の名は無く、「トルコ『古城』」の名前があり、場所は同じ歌舞伎東京第18ビルで、電話番号は、208-9774に変更になっています。*2*3*4
毎日新聞の記事の「トルコの大使館」の舞台は、この場所だったと考えられます。
1984年にトルコ人留学生の働きかけがきっかけとなって、「トルコ風呂」が「ソープランド」に改名*5 されましたが、それより10年も前に、すでに改名の働きかけあったわけです。

【参考文献】
*1 毎日新聞社:毎日新聞夕刊(1975.11.14)P.8「赤でんわ『トルコの大使館』 」
*2 日本電信電話公社:東京23区電話帳 職業別(生活篇 下)昭和49年12月1日現在(1975,東京電気通信局)P.404
*3 日本電信電話公社:東京23区電話帳 職業別(生活篇 下)昭和51年6月1日現在(1976,東京電気通信局)P.429
*4 日本住宅地図出版:ゼンリンの住宅地図 新宿区(1976,日本住宅地図出版)
【参考記事】
*5 風俗散歩(原宿):トルコ共和国大使館(2010.10)

千駄ヶ谷(旅館跡)旅館街の名残。鳩の森神社近く。

千駄ヶ谷の鳩の森神社近くに、千駄ヶ谷が旅館街だった頃に営業していたと思われる旅館の看板があります。
1959年の住宅地図*1 を見ると、旅館「喜鶴(きかく)」と記されています。

現在は、営業していません。

看板は、「旅館」でしたが、その後「ホテル」として営業していたようです。

現在は、周囲に旅館街の面影はありません。

【参考文献】
*1 住宅協会:渋谷区東部(住宅協会,1959)P.4

千駄ヶ谷(連れ込み旅館街跡)さかさくらげと呼ばれていました。

昭和25年(1950年)に勃発した朝鮮戦争によって、米兵の往来は激しくなり、売春業も繁盛しました。しかし、昭和20年代後半には、まだ新宿歌舞伎町界隈に連れ込み旅館が密集するという状態ではありませんでした。当時、連れ込み旅館の代名詞ともなった地名は、千駄ヶ谷でした。*1

旅館「白樺荘」*2 があったあたり。現在は、マンションが建っています。
千駄ヶ谷の「温泉マーク」を舞台にした梶山季之の小説「朝は死んでいた」によると、昭和30年代前半の千駄ヶ谷の旅館は、一夜の泊まり料金が高いせいもあって、夜の客は、銀座、新宿、渋谷といった一流の店に勤めている女性たちがほんどでした。一方、昼間の客は、人妻と大学生、重役と女秘書、商店主と女事務員など、時間決めの客がほとんどでした。*1

旅館「もみじ」があった場所。現在は駐車場になっています。

隆盛を誇った千駄ヶ谷ですが、昭和33年(1958年)の第三回アジア大会の開催を契機に、凋落(ちょうらく)の運命をたどることになります。アジア大会の開催は、1964年の東京オリンピック開催を射程に入れていたので、場所は千駄ヶ谷周辺。日本にとっては、戦後から脱却するワンステップという大きな意味を持っていたため、渋谷区は、「風紀がみだれていてはまずい」という理由で、千駄ヶ谷の温泉マークに自粛をうながしました。*1
これかがきっかけとなって、鳩森小学校のPTAの活動が起こりました。「鳩の森騒動」とも呼ばれるこの運動の結果、昭和32年(1957年)に代々木千駄ヶ谷地区が文教地区に指定され、連れ込み旅館の自壊は時間の問題となりました。*1*3

【参考文献】
*1 保田一章:ラブホテル学入門(晩聲社,1983)P.63-P.66
*2 住宅協会:渋谷区東部(住宅協会,1959)P.4,P.6
【参考URL】
*3 代々木商店街ホームページ:代々木まち語り

原宿(代々木公園のハッテンバ)通称自転車小屋。

原宿駅の西側に広大な敷地を持つ代々木公園があります。代々木公園は、敗戦後の1945年にアメリカ軍に接収されたワシントンハイツが、1964年に東京オリンピックの選手村となった後、1967年に都市公園として開園したものです。
広大な敷地の中には、サイクリングコースがあります。

公園の北部にあるサイクリングセンター(通称自転車小屋)で自転車を借りてサイクリングを楽しむことができます。

この自転車小屋の裏手は、都内では有名な野外ハッテンバでした。ネットの掲示板には、「筋肉系」とジャンルを絞って、毎夜書き込みがされていました。*1

幼児車向け自転車乗り場の奥の広場もハッテンバでした。*1

【参考文献】
*1 Badi(2002.8)P.36-P.37「野外ハッテンスポット厳選紹介」

タクソノミー(分類)

代々木神園町 ハッテンバ

柴又(柴又キング跡)入口に看板がありました。

「男はつらいよ」の撮影にも使われた団子屋の「とらや」に裏手に、数年前までソープランドがありました。音楽家の戸塚省三さんの著書「東京路地裏観光」によると、ここには、「特殊浴場ソープランド『柴又キング』入口」と書かれた看板がありました。*1

ソープランドが普通の住宅の中にポツンと一軒だけ建っていて、田舎の湯治場のような雰囲気の建物でした。*1

「入口を入ると左手に洗濯機が置かれた物置みたいな部屋があって、その脇の通用口のような通路を通り抜けると、昭和三十年代の喫茶店で流行ったようなオレンジ色のアクリル扉が半開きになっていてそこが待合室だった。*1」と戸塚省三さんは当時の様子を語っています。

当時の名残と思われるプレートが残っていました。

【参考文献】
*1 戸塚省三:東京路地裏観光(二玄社,1996)P.235-P.239

大久保(駅前近くの旅館)風情のあるネオン管。

大久保駅近くの住宅地街に、一軒の旅館があります。

風情のあるネオン管です。「旅荘」という呼び方も味わいがあります。

落ち着いた雰囲気の外観。

和風の玄関の装飾。

大久保(ラブホテル)お墓に隣接しています。

大久保の町にラブホテル(当時の「連れ込み宿」)が進出したのは、1960年頃からでした。背景としては、1957年に売春防止法が施行されたことがあげられます。新宿二丁目で営業していた特殊飲食街の経営者がホテル業へ転業し、歌舞伎町から職安通りを超えて大久保にまで流れ込んできました。*1
「同伴旅館(ラブホテル)をどんなとこに建てたらよくはやるか、昔からジンクスがあって、墓地か病院のそばか、さもなくば質屋の真向かいだったら繁盛間違いなし。」と言われていて、大久保にに進出したホテル経営者も真向かいが墓地の地所を選びました。*2

大久保のラブホテル街には、長光寺と金龍禅寺の2つの寺があり、いずれも細長い墓地を有しています。この墓地の近隣にラブホテルが建ち並んでいます。

写真中央部に見える森が金龍禅寺の墓地です。墓地は南側に細長く伸びていてその東側(写真左側)に、1990年頃、ラブホテルが建ち並びました。

現在は「大久保の竹下通り」と呼ばれる韓流ショップとラブホテルが混在する町並みとなっています。

【参考文献】
*1 稲葉佳子:オオクボ都市の力(学芸出版社,2008)P.163-P.164
*2 朝倉喬司:ヤクザ・風俗・都市(現代書館,2003)P.62

大久保(彦左小路裏)レトロな旅館。玄関にタイルの円柱。

彦左小路裏の通り。

レトロな旅館が2軒建ち並んでいます。

玄関のタイルの円柱。

入口には、「いらっしゃいませ」の看板。

川崎(駅前のラブホテル)宗三寺の墓地に隣接。