今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
茂原の榎町商店街と駅前通り商店街は1970年代か ら1980年代に最盛期を迎えました。*1

現在も当時からの商店が建ち並んでいます。

商店街は500mほど続きます。東側の通りにも看板建築が残っています。

住居部分と一体となったお菓子屋さん。

しょうぎょうくうかん
今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
茂原の榎町商店街と駅前通り商店街は1970年代か ら1980年代に最盛期を迎えました。*1
現在も当時からの商店が建ち並んでいます。
商店街は500mほど続きます。東側の通りにも看板建築が残っています。
住居部分と一体となったお菓子屋さん。
浅草橋の北側。鳥越1丁目のおかず横丁。
看板建築の商店の建物など、昔の商店街の雰囲気が残っています。
銅板が貼れた重厚な感じの看板建築。
裏側からの眺め。
馬車道の繁華街。
交差点の角にあるアートビルは1階部分が広場になっている落ち着いた感じのビルです。
この1階に設置されてあったベンチは、白化粧のメリーさん※1 の指定席でもありました。
メリーさんを出入り禁止したビルが多かった中、アートビルのオーナーであり、かつてはビル1階に店舗を構えていた「アート宝飾」の代表、六川勝仁さんは、メリーさんを拒むことはしませんでした。
すでに、ベンチは取り外され、1階の「アート宝飾」の店舗は「スターバックスコーヒー」へと変わりました。
今回は、川崎南町(神奈川県川崎市川崎区)の町並みを散歩します。
チネチッタの東側にある商店街の名画通り。飲食店が建ち並ぶまっすぐな小路があります。
「名画通り商店会」の看板。
和風の飲食店。
まっすぐに伸びる側溝。
今回は、信濃町(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
信濃町駅北口にそびえるトーシン信濃町駅前ビル。
1階には、レトロ感漂う名店街の入口があります。
「地下街入口」の看板
飲食店の名店の名が並びます。
今回は、日立(茨城県日立市)の町並みを散歩します。
日立駅の南側の海岸沿い(写真奥)は、かつては行楽地で、旅館や料亭が建ち並ぶ賑わいのある町並みでした。
改札口を出たところに、昔の日立の写真が展示されています。
昭和14年の助川新道通り(現在の日立銀座通り)の様子。
日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生し、その後の日立市の発展を支えました。
数年前まで、この付近にあった銅座市場は、現在は解体され、市場の下の動座川が見える景観になっています。
川の両脇の建物は残されたままです。
銅座川。
逆方向から。
JR板橋駅の北西側は飲食ビルが密集する繁華街です。
1階が飲食街の入口になっているビル。
通路はL字型になっていて続いています。
反対側の出口。
坂下1丁目交差点の北東にある「坂下マーケット」。看板に書かれている通り、かつては、精肉、鮮魚、青果、食料品、酒類、蒲鉾、菓子類の店が並ぶマーケットだったようです。現在は、入口付近の精肉店とリサイクルショップが営業中です。
マーケットの中央の通路。
かつての鮮魚店の名残。
反対方向(北東側)の入口。マーケットはL字型になっています。
都営三田線の志村坂上駅で下車。城山通りを100mほど進んだところにある1階に立喰いそば屋のビル。
立喰いそば屋脇に、通称「トンネルマーケット」と呼ばれる商店街があります。
ビルの1階の商店街は、さらに奥のビルへと続いています。
いつくかの連なったビルの1階が長い商店街になっています。
成増駅南口駅前のすずらん通り。古くからある商店街です。
すずらん通りにある成増マーケット
昭和な空間が残っています。
飲食店が営業中です。
仲町商店街の入口のすぐ左隣りにある「仲見世飲食街」
スナックもあるようです。
飲食街の奥の洗い場。
反対側の入口。商店街とつながっています。
町田名物の仲見世商店街。
「西のアメ横」と呼ばれています。
生鮮品も充実しています。
反対側の出口。
佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。
現在は、休業中です。
写真左奥は、観光スポットの町並みです。
建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。
船橋市本町四丁目にある仲通り商店会。東側の入口に立派なゲートがあります。
少し行くと、Y字路があって、商店街は二股に分かれています。
Y字路の北側の通り。人気の大衆酒場があります。
南側の通り。
ホテル「白川郷」(写真左手前)の並びにある三経82ビル。
一見普通のビルに見えますが、アメリカで出版されたポストモダン建築の本の表紙を飾りました。*1
1階には、飲食店が入っています。ビル脇に2階(ホストクラブ)へあがる階段があります。
三経82ビルから北へ約30mにある三経75ビル。頂上部分が特徴的な形状です。
ホストクラブなどの風俗店が入居しています。
上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1
地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。
中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。
魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。
西池袋に建つロサ会館は、昭和43年に竣工した娯楽ビルです。*1
ロサはスペイン語で「薔薇」という意味です。*1
開業当初、1階にゲームセンター、5階までほぼ飲食店で埋まり、6階と7階に池袋ロサボウルが運営されました。*1
開業当時、四階以下は亀甲型のアルキャストパネルを使用し、ゴールド・シルバー・アイボリー系を主調とし、娯楽センターにふさわしい派手さと豪華さを表現しました。その後、1989年、ロサンゼルスのピンク色の建物に感銘を受けた現社長の伊部季顕が、ピンク色に染めようと発想し、現在に至っています。*1
今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅西口広場に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残っていました。昭和38年にマーケットが撤去される前年(昭和37年)に開業した食堂会館「のとや」のビルが現在も残っていあます。(写真左側のビル)*1
翌昭和38年、マーケットは撤去され、食堂会館が西口広場の奥に輝くように建っていました。*1
このあたりに、「食堂会館のとや」の看板が掲げられていました。*1
現在も残る「のとや」の文字。
今回は、小岩(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
小岩駅南口の駅裏の商店街。飲食店の古い建物が連なっています。
JRの高架と商店街に囲まれ、小さな小島のような一画を形成しています。写真は商店街の北端(右側はJR総武線の高架)。
商店街の裏側(JR側)は、時代を感じさせる風景が残っています。
密集している建物の中には、3階建てものもあります。
北千住駅前の商業ビル※1 はいくつかの棟が連結された構造になっていますが、棟と棟の間の隙間の1階部分が駅側と商店街側を結ぶ通路になっています。
地元の方々の日常的な通路になっているようです。
通路は数か所あります。
ビルの入り口と隣り合わせの通路。黄色で統一されています。
今回は、北千住(東京都足立区)の町並みを散歩します。
北千住駅前に建つ商業ビル。
1階に飲食店や商店、2階と3階は住居部分です。
建物の裏側は商店街になっています。
上を見上げると3階建てであることがわかります。
今回は、高田馬場(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
高田馬場の駅付近は、戦後急増したバラック建ての老朽家屋が密集していましたが、昭和37年、駅前再開発が始まり、駅前広場の中央に女神の像が設置されました。*1
完成当時は、周囲に噴流水が設けられたそうです。*1
再開発の経緯を記す碑が建てられています。
王子駅前の北本通りの商店街(王子銀座)。王子のシンボル、スーパー「ほりぶん」です。
先代の名前が堀文文吾(二代目の堀文文嘉さん)も「ほりぶん」が名前の由来です。もともと肉の卸・小売りからスタートしました。*1
王子銀座。
黄色の目立つ外観です。
王子駅北東側の豊島1丁目は、かつて花街があった場所で、周辺には、いなり通り商店街があります。
もつ焼き、やきとり、の店。
反対側。古い旅館があった場所(写真奥)※1 はには真新しいオフィスビルが建っています。
隣に残るスナック店がはいる共同ビル。
かつての花街だった大塚三業通りの入口。大塚駅南口から見えるバッティングセンター脇に「大塚三業通り」の看板が取り付けられています。以前は、白地に赤文字のシンプルな看板※1 でしたが、最近、ピンク色を基調としたものにリニューアルされました。
看板の上部には、芸者さんのモニュメント。
以前の看板と比べ、華やかなものになりました。
「三業」の電柱標識板。「花町」というプレートも取り付けられています。
今回は、錦糸町(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
錦糸町駅の北口の駅前ロータりーから道を1本入ったところ、繁華街の中に旅館の建物があります。建物の屋上には、旅館「草分け」のネオン看板。
1階に焼き鳥やが入る交差点の角の建物の西側の建物が、旅館「草分」けだったのでしょうか。
旅館草分。
1階の焼き鳥屋は、現在も営業中です。
西仲通り商店街(もんじゃストリート*2)は、日露戦争後の人口に伴い、自然発生的にできたもので、道の真ん中に露店が出ていたのが特徴でした。*1
西仲通り商店街には、2階部分に昔ながらの屋号が残っている「看板建築」商店が残っています。*2※1
一歩路地に入ると、昔ながらの生活空間の雰囲気が残っています。
渡り廊下のある路地。
最近は、開発が進み、周辺は高層マンションが林立しています。
築地場外市場。豊洲移転後も賑わっています。
古い建物が建ち並びます。
築地場外市場の中にある円正寺。寺院の建物と市場の建物がつながっているように見えます。
最近、火災で焼失した付近。マンサード屋根を持つ3階建ての建物です。
江東区亀戸7丁目にある亀七通り。インパクトのある大看板。
看板の派手さに比べると、通りは殺風景です。
飲食店の他、商店が建ち並びます。
反対側(国道14号線沿い)のゲート。
長者町の通りに面して建つ長者町八丁目共同ビル。
戦後に建設されたと思われる大規模な商店街共同建築です。
マッサージ店の看板。
長者町の町並みが見渡せます。
今回は、福富町(神奈川県横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。福富町は、「商店街共同建築」が多く見られる町です。
中心部にある福仲ビル。中心部にある福仲ビル。
2階と3階は居住部分です。
ビルの裏側。
天王町駅前から旧東海道を北へ進み、国道16号を渡ると横浜洪福寺松原商店街の入口です。
商店街は、歩行者天国になっています。
生鮮品のマーケットが建ち並びます。
朝獲れの鮮魚。
【参考URL】*1 横浜洪福寺松原商店街:公式
国道16号線沿い、バス停「浜」の近くに、浜マーケットがあります。 浜マーケットは、戦後の闇市が発展してできました。 戦後まもなくの昭和20年(1945年)の暮れ頃、戦時中に戦車が通れるように作ってそのまま空地になっていた 「疎開道路」の一部分に、10軒ほど店が並んだのが、浜マーケットの始まりでした。*1
食料品や日用品の店が並んでいます。
闇市の頃の雰囲気が残っています。
反対側の出口。
磯子の八幡橋から横須賀街道を北上した横浜市電保存館の近くに丸山市場があります。
小規模な市場ですが、昭和の雰囲気が色濃く残ります。
歌手の美空ひばりさんの生家は、この付近にありました。*1
東側の入口。
【参考文献】
葛城峻:やぶにらみ磯子郷土誌(2014,磯子区郷土研究ネットワーク)P.220
長者町繊維街は、丸の内から錦までを南北に貫く長い通りです。大きな看板が連なります。
主人が先頭に立って働く”現金取引”、”薄利多売”の商法は、長者町を日本有数の問屋街へと発展させる原動力となり、大正末期から昭和にかけての繊維卸問屋街時代を迎えました。*1
現在も繊維問屋が建ち並びます。
洋服の専門問屋。
【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127
今回は、荒木町(東京都新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
車力門通りは、江戸時代、松平摂津守屋敷の裏門に通じる通路で、物資が荷車で運び込まれていたことから、名付けられました。明治になって荒木町三業地の入口になり、賑わった通りで、今でも飲食街になっています。*1
車力門通りは、新宿通り(下記地図の右側)から荒木公園(金丸稲荷神社付近)を経て、外苑東通り(地図の左側)へつながっています。
車力門通りの飲食街。
荒木町の中心部の荒木公園付近。
【参考文献】
*1 安本直弘:四谷散歩(みくに書房,1989)P.57-P.58
今回は、藤岡(群馬県藤岡市)の町並みと風俗を散歩します。
JR高崎駅から、八高線に乗って、3駅(約15分)で群馬藤岡駅に着きます。駅の南西方向が中心街で、仲町の通りには、割烹料理屋が建ち並ぶ一画があります。
割烹「花月」。
向かい側にも料理屋らしき建物が建ち並んでいます。
逆方向から見たところ。
相模原の中心商業地として発展してきました西門商店街。日用品の店舗が軒を連ねます。
普段着中心の品揃えの洋品店。
胸元が大きく開いたタンクトップが陳列されています。
はみ乳を連想させるディスレイです。
今回は、武蔵小杉(神奈川県川崎市中原区)の町並みと風俗を散歩します。
開発が進む武蔵小杉は、昭和の雰囲気が残る飲み屋小路です。
その中でも人目を引くのが、この「超ミニスカスッチー」の看板です。
「コパンビル」と書かれた階段が、「超ミニスカスッチー」の店の入口です。
コパンビルの3階には、バドガールの看板。
清澄庭園の東側に、レトロな2階建ての長屋建築が残っています。
2階建てですが、所々3階建てに建て増しされいて、全体としては3階建てと言ってよいと思います。
壁面の装飾。
1階部分は、商店が入っています。
綱島駅に隣接して「綱島駅ビル商店街」があります。1Fは東急ストアをなどの食料品街で、改札口とつながっています。
2Fの飲食店街は、昭和レトロな雰囲気が残っています。
ビルの老朽化が進んでいるようで、トイレは利用できない状態です。
3階より上は、立ち入り禁止です。
新富一丁目の新大橋通り沿いに、正金アパートがあります。
昭和の初期からあるアパートです。*1
玄関付近。
1階には、飲食店がはいっています。
*1 中央区火災保険特殊地図(戦後)新富町方面(1950,都市整図社)
今回は、巣鴨(東京都豊島区)の町並みと風俗を散歩します。
巣鴨地蔵通り商店街は、昔ながらのもてなしの心を大切にした商店街として愛され続けています。
巣鴨でかつて一大ブームとなった、赤パンツの店。
巣鴨名物「お地蔵様の赤パン」。
さまざまなタイプの赤い下着が販売されています。
元麻布の本光寺の南側に、古くからの長屋が連なる一画があります。
長屋と高層マンションとのアンバランスな対比が印象的です。
もう一つ北側の路地には、昭和の雰囲気がそのまま残されています。
生活感の漂う空間。
「押賣物貰ひ一切御断り」のホーロー看板。現在は、ほとんど見かけなくなりました。*1
押賣(押し売り)は、玄関に居座り、「買ってくれるまで帰らないからな」とバックの中からゴムひもや歯ブラシを取り出し、拒もうものなら、「おれは刑務所から出てきたばかりなんだよ」とすごみをきかせます。そのぐらいなら、買ってやろうかとも思いますが、それがべらぼうに高く、ゴムひもなどは、伸ばしながら測るので、1メール買っても80センチぐらいにしかなりません。押し売りが商売になっていた時代、考えようによっては、いい時代でした。*1
【参考文献】
*1 なぎら健壱:町の忘れもの(筑摩書房,2012)P.216-P.217
ハモニカ横丁は、右から「仲見世通り商店街」「中央通り商店街」「朝日通り商店街」と続き、最後に通りのサインのない「祥和会」と続きます。ただし、この「祥和会」の一部は、かつては小さな飲み屋が連なっていた横丁だったことから、「のれん小路」と称して、今のそのサインは残されたままです。*1
「のれん小路」の飲み屋連店は、新宿東口の和田組マーケットの建て方を参考にしているように見受けられます。間口一間、奥行1.5間の簡易なバラックは、L字型のカウンターの中におかみさんやご主人が一人入り、客は4~5人程度が座るサイズでした。*1
飲み屋が連なっていた頃の雰囲気が残っています。
「のれん小路」 と中央の通りが交差するあたり。
【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.35-P.36
吉祥寺駅前のハモニカ横丁は、終戦直後の闇市の姿がそのまま残っている横丁です。
漬物屋の清水屋がある通り。
鮮魚店もあります。
ハモニカ横丁の周囲を高いビルが取り囲んでいます。
今回は、新橋(東京都港区)の町並みと風俗を散歩します。
JR新橋駅の西口には、ニュー新橋ビルという巨大な雑居ビルが存在します。ここには、かつて1960年代まで、闇市に起源を持つ東京でも最大規模のバラック飲み屋街が存在しましたが、1961年から71年にかけて市街地改造法に基づく再開発が行われ、ニュー新橋ビルが誕生しました。*1
ビル内には、間口の狭い飲食店やチケットショップが立ち並んでいます。
2階の商店街には、マッサージ店やアダルトビデオショップ、ファッションヘルスなどが建ち並びます。
ニュー新橋ビルができる前にあったバラック飲み屋街は、一般飲食店159軒の他、風俗店(バー、キャバレー、スナックなど)が66軒と飲食・娯楽関係の業態が大半を占めていました。*1
現在も当時のバラック飲み屋街の業態を継承していると言えそうです。
2階には、マッサージ店が乱立しています。店員のほとんどはアジア系です。
【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.361-P.383
JR日暮里駅前の放射11号線から三河島通り(尾竹橋通り)に交差する付近までの日暮里中央通りの両側は、日暮里繊維問屋街と呼ばれ、ここは、大正から昭和初期にかけて「東の日暮里、西の吹田」と呼ばれた繊維ウエイスト工業の中心地でした。繊維ウエイスト工業というのは、古繊維、つまりボロ繊維を専門に集めて加工し再製品化するリサイクル業のことで、再生工場はそのまま問屋としての機能を持っていました。最近のヤングたちの古着志向はリサイクルへの希望と言えます。*1
さらに、近年のコスプレ人気により、コスプレ用素材を専門に扱う店も現れ、秋葉原から近いこともあり、活況を呈しています。下の写真は、ステージ衣装やよさこい衣装などを専門に扱う「奥山」さんです。
日暮里駅前の店。
日暮里繊維問屋街は学生やミセスが足しげく通う町です。
ダンス用衣装専門の店もあり、艶めかしい雰囲気が漂います(西日暮里にて)。
【参考文献】
*1 婦人画報社:のぞいてみたい東京の六大問屋街(婦人画報社,1998)P.25-P.34
花岡遊廓跡地の東側に位置する末広町は、歓楽街となっています。
歓楽街は、「二番街」と呼ばれています。
スナックや居酒屋が点在しています。
バーの建物。
東武浅草駅前に、地下街への入口があります。
昭和の匂いの残る地下街。居酒屋や占いの店などが並んでいます。
700円の理髪店。
アダルトビデオもあります。
思案橋横丁の西端。銅座川が交差します。
銅座川の上に建つ銅座市場。隣には案内所の大看板。
銅座市場の看板。
本日は定休日でした。通り抜けられません。
今回は、戸部(横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。
戸部4丁目交差点から西へ延びる通りは、岩亀(がんき)横丁と呼ばれています。
通りには、「岩亀横丁」と書かれた看板が並び、「岩亀寿司本店」という名の店もあります。
サウナがんき。
「岩亀横丁」の名前の由来は、この「岩亀稲荷」の存在と関係があります。
今回は、南千住(東京都荒川区)の町並みと風俗を散歩します。
都電荒川線の終点の三ノ輪駅と国道6号線にの間に立つ梅沢写真館(旧王電ビル)に三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の入口があります*1
建物の1階部分をトンネル状にくりぬくようにして商店街が続いています。
アーケードの入口。
ジョイフル三ノ輪は、荒川区随一の大商店街で。そのアーケードは、総長465mで、約130軒の商店がひしめきます。*1
【参考文献】
*1 交通新聞社:散歩の達人(2204.2)P.10-P.11
樋口一葉の住まいがあった白山通りを横切ると、柳町仲通り商店街に入ります。
一葉の住まいからこのあたりまでの一帯は、銘酒屋と称する私娼宿が並ぶ色町でした。一葉の「にごりえ」は、この銘酒屋を舞台とした小説で、「空壜(あきびん)か何か知らず、銘酒あまた棚の上にならべて・・・」と銘酒屋のことが描写されています。1
銘酒屋とは、酒を並べてはいるものの店の奥や2階で娼婦たちが客を遊ばせ、春をひさぐ場所。そんな女たちが一葉に手紙の代筆を頼みにくるようになりました。2
一葉日記「しのぶぐさに、次のような一節があります。*1
「となりに酒うる家あり 女子あまた居て客のとぎ(伽)をする事うたひめのごとく遊びめに似たり つねに文かきて給われとて わがもとに来る」
昔、デパートの屋上遊園地などにあった乗り物が何台も並んでいて、楽しそうな商店街です。
商店街の周囲は開発が進んで、高層マンションが間近にせまっています。
【参考文献】
*1 槐一男:一葉の面影を歩く(大月書店,1995)P.84-P.89
*2 野口碩:樋口一葉と歩く明治・東京(小学館,2004)P.55
今回は仙台(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。
仙台市街の中心に、壱弐参(いろは)横丁があります。
壱弐参横丁の原形は、太平洋戦争の終戦直後、路上に現れたバラック商店や露天の集合体、すなわち、戦後の闇市です。平行する2本の路地を中心に、細い路地が入り組んで迷路状に広がって、狭い店がびっしりと並んでいます。*1*2
壱弐参横丁は、昭和21年、戦後の仙台市の公設中央市場として誕生したマーケットが原形です。*1
近年は、壱弐参横丁を活性化する動きがあって、案内図などが整備されています。案内図の隣に、「中央市場」と書かれた当時のものと思われる看板があります。
増改築をくり返した結果、約40棟の戸建ての店舗や長屋の集合体となりました。トタン屋根に混沌の歴史がにじんでいます。*1
【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.128-P.131
【参考URL】
*2 NPO法人まちづくりcom:ふれあい百店街・壱弐参(いろは)横丁
靖国神社のある九段下の近く、神田神保町三丁目に昭和のモダン・ビルが残されています。
1階には、店舗が入居していたようです。現在も飲食店が何軒か営業中です。
旧名「今川小路共同建築」、現在は「九段下ビル」と看板を掲げる三階建てのビルは、昭和2年、戦災復興事業のひとつとして、建てられました。倒壊の危険も囁かれていますが、今のところ、解体の計画はないそうです*1
裏から見ると、かなり風化が進んでいることがわかります。
【参考文献】
*1 藤木TDC,イシワタフミアキ:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.24-P.25
散歩雑誌等で紹介されている牛乳店と貸本屋の建物。
雪印牛乳の看板はほとんど判読できない状況です。
谷中の現役の牛乳店。
ホモちゃんマークに出会うことができました。
今回は、赤羽(東京都北区)の町並みを風俗を散歩します。
JR赤羽駅近くには、たくさんの路地や横丁があります。そのうちの一つ。明店街。
商店が並ぶ路地。
「ミルクホール」の看板のあるお店。牛乳屋さんではなさそうです。
「通りぬけ」の看板。
今回は、曙町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。日の出町の駅から伊勢佐木町方面へ向かう途中の末吉町のあたり。古い雑居ビルがあります。
1階に、料理店があります。
料理店のプレートが残っています。
一見さんお断りの注意書き。
今回は、真金町・永楽町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。
京浜急行の黄金町から5分ほどのところに横浜橋商店街があります。
商店街の中ほどで、鮮魚店や精肉店が並ぶ路地が交差します。
路地の中に入っていきます。短いですが幅が狭く、昭和の時代を感じる路地です。
路地を抜け、逆方向から見ると、「横浜橋市場」と書かれた看板があります。なぜか鉄腕アトムが描かれています。
隣では、一杯飲み屋が営業中です。
今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩鶯谷のします。JR鶯谷駅北口。
待ち合わせ場所にもよく使われる広場。常時タクシーが待機しています。
駅前から路地を入るとラブホテル街です。
北口駅前の路地を北に50m程歩いたところにある「うぐいす小路」の案内板。現在は実在しない店名が並んでいます。かつては、飲食店が立ち並んでいたのでしょう。
今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。
「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。
いろは通りの商店街。
最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。
今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。
大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。
商店街といっても商店はあまり多くありません。
しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。
水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。
賑わいのある商店街。
2階に物干し台のある商店(写真右)。
木造和風の佇まいの化粧品店。
秋葉原の歩行者天国。メイド服を着た女の子がメイド喫茶のチラシを配っています。いつの間にか女の子を撮影する素人カメラマンが集まり、女の子も撮影に応じています。まるで撮影会場のようです。
個人の撮影モデルでしょうか。制服とメイド服の二人組みです。
このように地べたに座るのが秋葉原流?
ドレスを着た女性がいます。新人歌手のキャンペーンのようです。近くに「歩行者天国内での人寄せ行為は禁止されています。」という看板が近くにありますが、いっこうに関係ないようです。
今回は、千住柳町を目指して散歩します。北千住駅から日光街道へ出て北上し、左へ曲がると大門商店街のアーケードに着きます。
お買い物の散歩道。
商店街の脇の路地。
モダンなデザインの建物。
国際通りを横切るとせんわ通りに入ります。ここからは柳並木が現れます。
交差点を左に曲がると吉原の一角にさしかかってきます。
花園公園のあたり。道がS字型にカーブしています。このあたりは水道尻(すいどじり)と呼ばれているそうです。
水道尻を抜けると吉原のソープ街まで一直線です。
今回は、入谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。地下鉄日比谷線の入谷駅を出ると、まず目につくのが大手家具小売のハヤミズ家具センターのビルです。不況の影響受けて経営破綻しましたが、店舗兼本社ビルは、そのままです。
入谷から金美館通りを経由して吉原へ向かいます。吉原へ歩いて行く道としてはもっともオーソドックスな道順です。昔、金美館という名前の映画館があった(写真の東京菓子会館のあたり)ことが、金美館通りの名前の由来だそうです。なんとなく妖しい響きのする名前です。
金美館通りの歩道を歩くと、「これから吉原へ行くんだ」という気分になってきます。
「第一食品」や「入谷市場」という名前のスーパーがあるあたりは下町風情が残っています。