茂原駅前に建つ駅前ビル。1階は、飲食店街になっています。

昔ながらの洋食屋。

店内は、バーのような雰囲気。

ナポリタンとビールを注文。

ようしょく
茂原駅前に建つ駅前ビル。1階は、飲食店街になっています。
昔ながらの洋食屋。
店内は、バーのような雰囲気。
ナポリタンとビールを注文。
上野公園通りを北へ進んだところにある老舗洋食店の「とうかい」。
洋食店のメニューはひとおり揃っています。
店内は質素ですが、非常に落ち着きます。
オムライスとビールを注文。オムライスは小ぶりながらも味は絶品でした。
今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅ガード下にあるカレー専門店「クラウン」。王冠のマークが目印です。
開業当時の上野の写真なども飾られていて、歴史を感じます。
自販機で食券を買います。大盛りはダブルまで。チキンカレーはチキンカツではありません。
カツカレー大盛りにさらに大盛り券(1枚)とビールを注文。満足のボリュームでした。
信濃町駅前の駅ビルの「味の名店街」には、歴史のある飲食店が集まっています。
地下1階の老舗カレー店。
メニューは、ポークカレー(並、中、大)のみです。
カレー(大)とビールを注文。キャベツは食べ放題です。
長崎市街の思案橋近くにある「ツル茶ん」。
大正14年創業の老舗喫茶店です。
名物はトルコライスです。
ミルクセーキ。
東京駅八重洲地下街にあるカレー店。
店内の張り紙によると、今年で開業50周年だそうです。
東京駅で290円は驚愕です。
人気No.1はチキンカツカレーだそうです。
チキンカツカレーを注文。
スプーンは、昔の学校給食ではお馴染みの、先端がフォーク状になっている先割れスプーンです。
五反田駅前のL字型の路地。※1
昭和25年創業の老舗洋食レストランです。*1
飲食店が建ち並ぶ路地に建つ蔦の絡まる建物。
建物の1階部分はレンガ造り。
ハヤシライスを注文。デミグラスソースの有名店だけあって、味は絶品です。
「玉ひで」など老舗料理店が並ぶ通り沿いに建つ洋食屋の「小春軒」は創業100年の老舗です。*1
小春軒は、築地精養軒のコック見習いを振り出しに西洋料理の修行をし、明治の元勲山県有朋のお抱え料理人となった小島種三郎が創業した洋食店です。「芸者さんが多い街はハイカラなものが流行る」と聞き、日本橋人形町に開業したそうです。*1
四代にわたって続くこだわりは「作り置きをせず、できたてを食べていただくこと」。店のモットーは「気取らず美味しく」。*1
海老フライとビールを注文。
大井町の東小路飲食店街にある老舗洋食屋の「ブルドック」。
芸能人も数多く訪れています。
店構えは、洋食店の雰囲気。
オムライスの大盛とビール(中瓶)を注文。ものすごいボリュームでした。
千束3丁目にある名物カツ専門店。
昭和の洋食店の雰囲気です。
店内には、先代がホテルの料理人だった頃GHQから頂いた手紙が展示されています(写真上部)。
とんかつライスを注文。
神保町の靖国通り沿いにある「スマトラカレー」は、大正13年創業の老舗カレー店です。*1
明治の末、広く東南アジアに遊び知見を広めた伊藤友治郎氏より、スマトラ島のカレー の作り方を教わり、日本人の口に合う様アレンジしたのが、共栄堂のカレーです。※1
ポークカレーとビールを注文。
デザートの焼きリンゴ。
リンゴは紅玉。10月から4月までの限定メニューです。*2
人形町交差点。地下鉄の入口のすぐ隣にある洋食店の「キラク」は、1951年開業の老舗です。*1
年季の入ったキラクの看板と暖簾。
一番人気のビーフカツ。*1(これだけで2,600円もします。)
今回は、ハンバーグとビールを注文。
マカロニサラダと千切りキャベツ、パセリが添えてあるのは、昔と変わっていません。*1
南北に長く延びる長者町の通りは、北側(丸の内2丁目)は上長者町、南側(錦2丁目)は下長者町と呼ばれています。
丸の内の長者町の歴史は、名古屋城築城の慶長15年(1610年)までさかのぼります。戦前までは料亭と芸者の街でした。戦後は大正末期から増えてきた繊維卸問屋の街として再出発しました。*1
「THE KAWABUN NAGOYA(ザ・カワブン・ナゴヤ)」は、老舗料亭「河文」が運営しているレストランです。
入口脇の案内板には、明治時代は、西洋料理店が建ち並ぶ歓楽街であったことが紹介されています。
夜の様子。
【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.126-P.127
浅草の洋食屋の「アリゾナキッチン」。
永井荷風に愛された洋食屋です。
荷風は、昼の12時頃に来店し、入口に向かってすぐ左横の席に腰をおろし、水がわりにビールを飲みました。*1
店内には荷風先生の写真が飾られています。
荷風先生が好んで食べていたチキンレバークレオール(若鶏とレバーの煮込み)。*1
【参考文献】
*1 永井永光,水野恵美子,坂本真典:永井荷風ひとり暮らしの贅沢(新潮社,2006)P.67
長崎には、「トルコライス」とう名物があります。
トルコライスは、長崎のレストランに入ると必ずメニューにある、ピラフ、ナポリタン、トンカツの3種類を並べた”大人版お子様ランチ”です。*1
9月16日はトルコライスの日に制定されています。これは1890年9月16日、トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県沖で遭難*2 した際、地元の人による救助活動が行われ、日本とトルコの友好関係の起点となっているためです。
トルコライスの発祥については、すでに廃業してしまった「レストラン金子」が最も具体的な理由を持っています。先代のマスターが神戸の将校クラブで働いていた時、現在の原型を開発し、今はなき(長崎の)「レストラン丸善」でメジャーデビューさせました。*1
ボルドーさんの店の前には、これと同様の話が書かれています。
トルコライスの発明者は、「レストラン元船」という店の経営者の松原三代治さんで、昭和33年、着物姿の女性の後ろ姿(襟とうなじの白→ピラフ、裾の朱色→スパケッティ、帯の茶色→トンカツ)を眺めていたとき、新メニューがひらめき、その頃トルコ風呂が流行っており、うんと精力をつけて頑張ってほしいから「トルコライス」と命名しました。*1
文筆家の伊丹由宇さん*1 は、トルコライスについて徹底的に調べようと、長崎まで出かけトルコライスの創始者に辿り着き、この命名の由来を知りましたが、取材当時はトルコ政府の強い要請で、出版界は”その名前”は使わない方針であったため、原稿に書けずにいました。現在はもう問題ないだろう思って最近になって書くことにしたそうです。
トルコライスの発祥については、明治時代の小説家・村井弦斎が書いたグルメ小説「食道楽」や「時事新報(明治26年10月21日)」の中に、「土耳古飯(トルコメシ)」が登場することから、この料理の記憶が生き残ったのが「トルコライス」であるという説もあります。*3
【参考文献】
*1 伊丹由宇:にっぽん「食謎」紀行(ワニ・プラス,2010)P.234-P.238
*3 彦坂 徹:Anatolia news.(2009.2)「トルコ・ライス考」P.47-P.50
【参考記事】
*2 風俗散歩(紀伊大島):トルコの軍艦「エルトゥールル号」遭難慰霊碑(2010.8)