上野(アメ横センター地下食品街)日本の中の異国

上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1

地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。

中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。

魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。

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商店街 上野

参考文献

*1 塩満一: アメ横三十五年の激史 (東京稿房出版,1982)
P.7-P.10 (二)アメ横俯瞰図 アメ横問屋街連合会 アメ横商店街は、17支部からなる連合商店街で、こ…

上野(アメ横)舶来品の殿堂

上野四丁目に位置する通称“アメ横”は、上野駅と御徒町駅とを結ぶ高架線下500メートルの商店街とアメ横本通りをはさむ西側商店街の集合体です。*1

朝鮮戦争の頃、米兵がアメ横に横流し物資を持ち込んできたこをきっかけに、昭和32年頃になると、南京虫(腕時計)、ライカ(カメラ)、ロンソン・ライター、パーカー万年筆、すべて、アメ横にいったん入荷されて、それから国内の各地に卸されてから市販されました。*2

その後、アメ横は、“舶来の殿堂”などと看板を掲げて外国製品のメッカとなりました。*2

アメ横は、大量に現金で仕入れ、国内に卸す問屋であると同時に、小売り店でもあるというところに、市価より常に3~4割が安く販売することができました。

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商店街 上野

参考文献

*1 塩満一: アメ横三十五年の激史 (東京稿房出版,1982)
P.7-P.10 (二)アメ横俯瞰図 アメ横問屋街連合会 アメ横商店街は、17支部からなる連合商店街で、こ…
*2 塩満一: アメ横三十五年の激史 (東京稿房出版,1982)
(一)ガード下にマーケット建設 P.248-P.250 引揚者だからと言って、いつまでも青天井では、どう仕よう…

上野(オオクラ劇場)

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。

以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。

この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。

2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。

浅草橋(料亭跡)

柳橋の旧花街跡。現在は、ビル街のなっていて面影はありません。

当時の料亭と思われる建物。

当時の住宅地図には、料亭「宮城」と記されています。

旧料亭の建物は、次々とビルに建て替わっていく中、当時の建物が残っているのは、貴重と言えます。

浅草橋(首尾の松)

今回は、浅草橋(東京都台東区)の町並みを散歩します。
隅田川沿い(蔵前橋の西側)に松の木が生えている場所があります。

「首尾の松」の碑。

「首尾の松」の由来については、吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上り下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところから、という説があります。(案内看板より)

隅田川沿いの名所江戸百景のモニュメントで紹介されている「首尾の松」。

浅草(韓国エステビル)看板だけが残っています。

浅草の国際通り沿い。

韓国焼肉&エステの看板。韓国といえば、焼肉とエステですが、同じビルの中で両方を味わうことができるようです。

健康マッサージの看板。看板だけが残されていて、店舗は無い模様です。

火花。

浅草(食堂筑波)大衆食堂

浅草の国際通り沿いにある「食堂筑波」。2階部分の大看板に大きく「食堂筑波」と書かれているので、すぐに発見できます。

手作り感のある暖簾。

昭和レトロな雰囲気です。

カレーライス(この店の自慢メニューです。)とビールを注文。

浅草(スナック街)猿之助横町

猿之助横町の西側(国際通りに近いあたり)は、スナックが密集するエリアです。

長屋風の建物のスナック。

レトロな外観。

酒処まり。

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飲食街·横丁 浅草

参考文献

*1 佐藤洋一: あの日の浅草 (武揚堂,2007)昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

浅草(猿之助横町)芸妓屋街

猿之助横町は、昭和の初期までは、芸妓・待合が集まる一画でした。*1

料理屋らしき建物。

国際通り近くにある和風の建物。

ヘルストロンの路地※1 の1本隣り(西側)の風情のある路地。

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花街·花街跡 浅草

参考文献

*1 佐藤洋一: あの日の浅草 (武揚堂,2007)昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

浅草(ヘルストロンの路地)猿之助横町

「猿之助横町」の碑※1 のある通りを西へ向かい、1本目の路地を入ったところ。「ヘルストロン」の看板があります。

昔懐かしい、麻雀喫茶、テレビゲーム。

昭和の初期、この通りは芸妓置屋や料理屋が密集する場所でした。*1

スナックマリ子

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飲食街·横丁 浅草

参考文献

*1 佐藤洋一: あの日の浅草 (武揚堂,2007)昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

この記事を参照している記事

浅草(猿之助横町)かつての私娼街

言問通りから千束通りに入ったところ。この道をまっすぐいくと旧吉原遊廓です。

左側に、「猿之助横町」としるした碑がたっています。

このあたりは、明治から大正にかけては私娼街でした。*1*2

電柱のプレートにも「猿之助」。

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赤線·私娼跡 浅草

参考文献

*1 市川小太夫: 吉原史話 (東京書房,1964)
P.13-18 昭和36年3月28日に、浅草千束町二丁目の、亡父の旧邸跡の地所の角に、猿之助横丁という碑が…
*2 都筑道夫: 妄想名探偵 (講談社,1979)
P.41-P.42 この横丁の千束通りの角のところに、明治のころ、歌舞伎役者の市川猿之助が住んでいた。段四郎…

この記事を参照している記事

浅草(浅草ニュートルコ跡地)

今回は、浅草(東京都台東区)の町並みを散歩します。
花街があった浅草三丁目の東側のはずれ。このあたりまでくると、店舗はまばらになります。

昭和26年の火災保険地図*1 によると、この場所に「浅草ニュートルコ」の記載があります。
トルコ風呂と言えば、昭和26年に銀座に開業した「東京温泉」が第1号というのが、定説となっています。※1
これと、時を同じくして、浅草にも開業していたようです。

隣の歯科医院は、当時も同じ場所にありました。*1

現在は、マンションが建っています。

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社交場 浅草

参考文献

*1 佐藤洋一: あの日の浅草 (武揚堂,2007)昭和26年から30年代の思い出と出会う : 地図と写真でたどる (地図物語)
・現在の浅草3丁目30−5に「浅草ニュートルコ」の記載。 ・現在の浅草3丁目40−12。ヘルストロン…

参考記事

入谷~吉原(万治高尾の墓)春慶院

旧吉原遊廓の東側。台東区東浅草2丁目にある春慶院。

ここに、万治高尾の墓があります。

墓には、「万治」の文字が確認できます。

高尾太夫は、吉原の代表的名妓で、この名を名乗った遊女は十一人いたともいわれますが、いずれも三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女でした。(案内板より)

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信仰・寄進 吉原

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吉原遊廓

入谷~吉原(ホテル跡)吉原ソープランド街

吉原ソープランド街の江戸二通りと角町通りの間の通りに旅館の建物が現在も残っています。

1993年頃までは、「浅草ホテル」として営業していました。*1

2階部分

現在も残る看板。

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赤線·私娼跡 吉原

参考文献

*1 葭之葉会: 吉原今昔図 吉原現勢譜 (葭之葉会,1993)