札幌(すすきのゼロ番地地下飲食街)昭和の歴史空間

すすきの市場※1 の建物の地下1階部分は飲食店街になっています。

バーや小料理屋がひしめく飲食店街。*1

まさに、昭和の歴史空間です。

通路の両側からは、歌声が漏れ聞こえてきます。


■カテゴリ 飲食街·横丁 札幌 すすきの市場 ゼロ番地飲食街
■散歩事典 札幌
■参考文献
*1読売新聞社: *さっぽろ大路小路 (読売新聞社,1972)札幌いまとむかし

P.82-P.83 「ススキノ0番地街」――ネオン街ど真ん中、南六西四に、東西百メートルにわたる地上五階地下一 …


■参考記事

札幌(すすきの市場)異色のゲタばき住宅

ススキノのネオン街ど真ん中に、東西百メートルにわたる地上五階地下一階の細長いビル「すすきの市場」の建物があります。*1

二階-五階は日住宅公団のアパートになっています。*1

長く続く廊下。

1階は、市場機能を有しています。


■カテゴリ 飲食街·横丁 札幌 下駄履き住宅 すすきの市場
■散歩事典 札幌
■参考文献
*1読売新聞社: *さっぽろ大路小路 (読売新聞社,1972)札幌いまとむかし

P.82-P.83 「ススキノ0番地街」――ネオン街ど真ん中、南六西四に、東西百メートルにわたる地上五階地下一 …


■この記事を参照している記事

札幌(ビール博物館)ポスター広告の変遷

札幌駅の北東(東区北7条東9丁目)に「サッポロビール博物館」があります。

2階に、ビールのポスター広告が展示されています。年代順に右から左に並べられているので、ポスター広告の変遷をみることができます。
初期のポスターに登場するのは、和服の女性です。

その後は、モダンなスタイルの女性。

現代になると、女優や俳優が登場しました。


■カテゴリ 食文化 札幌
■散歩事典 札幌

札幌(北海湯)煉瓦造りの建物

札幌駅の北東の北8条通りに、さっぽろふるさと文化百選に選定されている「北海湯」の建物があります。1907年(明治40年)頃から開業した銭湯で、現存する銭湯の建物では札幌市では最も古いものの一つです。現在は貸しスタジオとなっています。

煉瓦造りの建物は当時大変モダンなものでした。

切妻の正面の2階部分にアーチ窓が設けられているのが特徴です。

1階部分にはガラスの装飾が施されていています。


■カテゴリ 銭湯 札幌
■散歩事典 札幌

札幌(豊川稲荷神社)商売繁盛の守護神

薄野発展史の中で忘れてならないものの一つに豊川稲荷神社があります。明治27年、酒造業者の波多野与三郎が、東海の霊場豊川から商売繁盛の守護神の豊川稲荷の分霊を迎え、誕生しました。

当時の寄進者の名は今なお朽ち果てた門柱や玉垣に残されています。花柳界に勤める女性たちのほとんどは、縁起をかつぎました。

境内には「薄野娼妓並びに水子哀悼碑」があります。

薄野の発展とともに豊川稲荷神社が歩んだ歴史を物語っています。

【参考文献】
*1 熊谷秀一:札幌遊里史考史考(麗山荘,1975)P.42-P.47


■カテゴリ 信仰・寄進 札幌
■散歩事典 札幌

札幌(薄野遊廓跡地)御用女郎部屋

明治4年薄野に遊廓ができましたが、開拓使岩村判官は、「酒色を以って命となす」という労務政策に確信をいだき、「御用遊廓(御用女郎屋)」と呼ばれた妓楼「東京楼」を建て遊女を招きました。*1
開拓使時代、働く人々の娯楽としては、酒と女が第一であり、あまり固苦しいことでは労働者は集まらなかったため、このような粋な計らいがされました。*2

かつての薄野遊廓があった付近は、現在はこのようなビル街になっています。

この付近には、西花楼、源嘉楼、金華楼、三四楼と並んでいました。*3

検番があったあたり。*3

【参考文献】
*1 熊谷秀一:札幌遊里史考史考(麗山荘,1975)P.18
*2 読売新聞社:さっぽろ大路小路(読売新聞社,1972)P.70
*3 金子信尚:札幌區商工新地圖(金子信尚,1910)

札幌(南5条西4丁目の小路)わずかに残る木造の建物

薄野の繁華街は、現在はほとんどがビルになっていて、木造の建物は非常に少なくなっています。
南5条西4丁目に、「赤線跡を歩く.完結編」*1 に写真が掲載されている飲み屋の建物が残っていました。

道路を挟んだ向かい側の飲み屋街。

裏の小路。

小路を抜けると新宿通りに出ます。
新宿通りは、昔は「三等小路」と呼ばれていました。明治25年、薄野の大火で887戸が焼失する惨事となりましたが、札幌警察署は、再建を望む白首屋を南五条と南六条の仲通りに設営しました。公娼を一等、二等と階級づけるとすれば、私娼は三等なので三等小路と呼ばれたそうです。*2

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く.完結編(自由国民社,2007)P.34
*2 熊谷秀一:札幌遊里史考史考(麗山荘,1975)P.31-P.33