函館(津軽屋食堂)終戦後まもなく開業

大門横丁の隣にある津軽屋食堂。開業は終戦後まもなくで、ショーケースの中から好きな惣菜を選んで組み合わせ、自分好みの定食を作るスタイルは当時のままです。*1

ショーケースに並んでいる小鉢は、ほとんどが100円代です。

カツ丼(670円)と日本最北(増毛)の地酒「國稀」を注文。それと、ショーケースから、白菜のおひたし(100円)を頂きました。カツは作り置きしていません。注文が入ってから衣をつけてカツを揚げます。

ショーケースから塩辛の小鉢(80円)を追加。お腹の具合と相談しながら頂けるので便利です。

【参考文献】
*1 ぶらんとマガジン社:HO(2012.6,vol55)P.73

函館(なぎさ街)道路沿いのスナックビル

かつての裏風俗街「セキセン」*1 を通り抜けた若松町のはずれ。

道路沿いにスナックビルがあります。

「なぎさ街」と名づけれられています。

スナック「カレン」「セリカ」は、以前はセキセンの目抜き通りの質屋の前にあった店舗*1 が、こちらへ移転したようです。

【参考記事】
*1 風俗散歩(函館):セキセン(2008.12)

函館(高橋掬太郎歌碑)割烹冨茂登

護国神社坂下グリーンベルトに高橋掬太郎の歌碑が建てられています。

酒は涙か溜息か 心のうさの捨てどころ...

「酒は涙か溜息か」は高橋掬太郎が作詩し、古賀政男を曲をつけ、ミリオンセラーとなりました。高橋掬太郎は、大正11年から昭和8年まで函館日日新聞の記者をしていましたが、その頃よく恵比寿町のカフェや蓬莱町の料理店に行っていました。掬太郎は、恵比須町の大学という喫茶店の2階に下宿していましたが、この喫茶店は、蓬莱見番の芸者をたくさんかかえていた割烹中庄の親戚でした。*1

護国神社坂下に現在もある割烹冨茂登(ふもと,写真右)に、東京から出てくるたび掬太郎は立ち寄りました。女将さんは、元蓬莱見番の芸者で、掬太郎が、冨茂登という店名をつけました。

【参考文献】
*1 木下順一: 函館街並み今・昔(北海道新聞社,2001)P.40-P.41

函館(新島襄海外渡航の地碑)売女に変装

元治元年(1864年)、新島襄は、函館から日本を脱出しました。

函館市大町の岸壁に「新島襄海外渡航の地碑」が建てられています。

「新島襄海外渡航の地碑」から約300m離れた場所に、新島襄のブロンズ像があります。

新島襄は、元治元年(1864年)、6月14日夜半に、用意されていた小舟で沖に碇泊していたアメリカ船を潜り込みました。小舟の中での様子をその手記に「あたかも、商船に忍び通う婦人の有様なり」と記していますが、おそらく沖の外国船へ通う売女は結構多かった思われ、黒い着物に手拭をかぶった彼は、売女のごとく変装して監視人の気をはぐらかしました。*1

【参考文献】
*1 須藤隆仙:箱館開港物語(北海道新聞社,2009)P.274-P.276

函館(山ノ上町遊廓跡地)弥生小学校の西隣

江戸後期の「官許函館全図」*1 を見ると、称名寺・実行寺(現在の弥生小学校の所在地)の西の方に「外国人休憩茶ヤ(別の真景図などでは「異人揚屋」)」とあります。「異人揚屋」とは、外国人を遊ばせる家のことで、函館では開港と同時にこの商売屋が出現し、山ノ上町遊廓の発端となりました。*2

山ノ上町遊廓があった現在の弥生小学校の西隣の地は、旅籠町の町名(昭和40年廃止後は弥生町)ができていました。これは遊女屋から茶屋町の名が生まれていたものが廃れて旅籠町になったものです。*2

遊廓の前の坂は、泊り客が朝、別れを惜しんでみ返ることから、見返り坂と名付けられましたが、現在は、常盤坂に変わっています。*2

常盤坂の一本西寄りの坂を姿見坂と呼んでいますが、これも遊女の姿が見えることからついた名です。*2

【参考URL】
*1 函館市中央図書館:所蔵デジタルアーカイブ 万延元年(1860年)「官許函館全図」第2図
【参考文献】
*2 須藤隆仙:箱館開港物語(北海道新聞社,2009)P.207-P.210,P.215

函館(地蔵寺の供養塔)「箱館新廓遊女屋細見一覧」に記載の屋号

今回は、函館(北海道函館市)の町並みと風俗を散歩します。
函館の風俗散歩は、前回(2008年12月)に引き続き、今回で2回目です。
函館市台町(船見町)にある地蔵寺は遊女の駆込み寺といわれ、境内には、遊廓の経営者たちが引き取り手のない遊女などを供養するために元治元年(1864年)に建立した高さ3m以上もある「有無両縁塔」があります。*1

台座には、「廓内遊女屋」とあり、施主である山ノ上町遊廓の30人ほどの名が彫り込まれています。
住吉屋、小田屋、廣田屋、増屋、宮川屋、中里屋、東屋、金子屋、田中屋、小嶋屋、大須屋、高田屋、納屋の13名。

側面に、仲屋、菱屋、北越屋、中嶋屋、新屋、上田屋、玉屋、佐藤屋、盛屋、茂村屋、伊勢屋、甲屋の12名。計25名は、 1865年(元治2年・慶応元年)の発行された「箱館新廓遊女屋細見一覧」*2 に記載されている25の屋号に一致しています。
山之上町遊郭は、箱館開港に伴い万延元年、江戸吉原を模して造られ、外国人の為には特に三層楼の異人揚屋を大門脇に設け、俗に休息所と称されました。*3

地蔵寺の前には、山ノ上町遊廓の名妓だった高清水近大夫の墓(万延元年(1860年)が建っています。*1

【参考文献】
*1 大淵玄一,広瀬菊枝:紅燈二百年(大淵玄一,2002)P.32
【参考URL】
*2 宮川屋与吉:箱館新廓遊女屋細見一覧(宮川屋与吉,1865)
*3 函館市中央図書館:所蔵デジタルアーカイブ「箱館新廓遊女屋細見一覧」の説明文

函館(函館山)徒歩で山頂を目指します。

函館と言えば函館山です。麓にあたる高田屋通りの坂道の向こう側に函館山を望むことができます。

函館山へ登る方法は、①ロープウェイ、②自動車(冬季は道路が通行止め)、③徒歩の3つの方法があります。今回は、徒歩(登山道があります。)で山頂を目指します。

7合目付近。

函館山からの夜景は世界一とも言われているそうですが、昼間の景色もすばらしいです。

函館(あさり坂の料理屋)遊廓建築のような階段

宝来町のあさり坂に「あさり」という屋号の料理屋があります。
お店の人の話によると100年以上続く店だそうです。現在は、1階が肉屋2階がすきやき屋になっています。

玄関をくぐると目の前に階段が見えます。この階段は、最初の4段までが丸みをおびた形になっています。
都市研究者の岡本哲志さんは、「この階段は、通常の世界のものと違い、京都伏見の遊廓建築の階段に酷似している。」としています。*1

2階には、大部屋、中部屋が配置され、そのさらに奥に行くと小部屋となります。窓の造りも小さくなって急に暗くなります。複雑な廊下の先には2人用の小部屋が5つもあります。
岡本哲志さんは、「この2人部屋は料亭によくある形式で、男女が来店した際に通されるもので、遊廓建築の奥に行くほどプライベート性を高くする空間の仕組みが読み取れる。」*1 と興味深い分析をしています。
1人で来店した私は、この2人部屋に通され、プライベートな空間を満喫することができましが、寂しくもありました。

一番安い「梅◆和牛ロース(1人前¥2,310.-)」を注文。ご飯はお代わり無料ですので、3杯も頂いてしまいました。多額の出費でしたが、十分満足(満腹)でした。

【参考文献】
*1 岡本哲志,日本の港町研究会:港町の近代(学芸出版社,2008)p.193

函館(蓬莱町)現在は宝来町と書きます。

函館市電に乗って、宝来町駅で下車します。明治6年、蓬莱町、豊川町、台町に貸座敷の営業許可がおりました。3つの中で、蓬莱遊廓は圧倒的に規模が大きい遊廓でした。

現在も、近くには営業中の料亭があり、花街らしい風情が残されています。
高田屋通り近くに古い建物が残されています。

手のこんだ造りです。

「菊水」と書かれた屋号が確認できます。

【参考文献】
*1 小寺平吉:北海道遊里史考(北書房,1974)P.95
*2 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)p.28

函館(月光仮面像)永井豪の「けっこう仮面」を思い出しました。

大門通りを横切る「さかえ通り」の中央分離帯。

ここに「月光仮面像」があります。「月光仮面」は、1958年(白黒テレビの時代)、テレビドラマとして放映されました。白頭巾とサングラス、風になびくマント、原付?バイクに乗った正義の味方は、一大ブームを巻き起こした国民的ヒーローでした。
「月光仮面」の作者であり、主題歌を作詞した川内康範さんは函館の出身です。

この月光仮面像は昭和49年に函館市に寄贈されたもので、カラーアニメ版として制作されたものを基に作られています。(案内板より)

台座に、理念である「憎むな、殺すな、赦しましょう」という名台詞が刻まれています。
(月光仮面の主題歌)
どこの誰だか知らないけれど
誰もがみんな知っている
月光仮面のおじさんは~
(後略)

個人的には、永井豪のアニメ「けっこう仮面」*1 の方が印象に残っているのですが...。
(けっこう仮面の主題歌)
顔は誰かは知らないけれど
肉体(からだ)はみんな知っている
けっこう仮面の姉さんは~
(後略)
【参考URL】
*1 けっこう仮面ファンサイト”Mask the Kekkou”

函館(セキセン)スナック街

函館駅の東側。若松町の質屋のある通りが、「セキセン」と呼ばれるスナック街です。*1

セキセンの目抜き通り。「小料理」と書かれた看板もあります。左側は、広い空き地になっています。

細い路地に入ったところにあるスナック。

スナック街の旅館。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)p.68-P.74

函館(大門仲通り)スナック街

函館駅近くの大門仲通り。スナックが密集するエリアです。

再開発が計画されているエリアなのでしょうか。建物はまばらです。

古びたシャッター。

交差点の角にあるスナックとパーマ屋さん。

函館(大門松風町)函館の顔とも言える通りです。

今回は、函館(北海道函館市)の町並みと風俗を散歩します。
JR函館駅前の大門松風町は、函館の顔とも言える通りです。

松風町四つ角付近。現在、CDショップの玉光堂のある場所には、拓銀がありました。手前にある書店森文化堂は、古くからある商店です。*1
この道路をまっすぐ行くと、かつて遊廓があって栄えた大森町です。

逆方向から見たところ。

昔の商店街の雰囲気を伝える写真が商店の建物の壁に貼られています。

【参考文献】
*1 木下順一他:函館街並み今・昔(北海道新聞社,2001)P.112-P.113