網走(北盛亭跡地)花街の象徴だった豪華な2階建て

明治時代に繁栄した網走遊廓は、昭和に入ると繁栄は影を秘め、それに替わってそば屋と料亭が繁昌し、料亭では北盛亭が網走では一番大きく、当時野付牛(北見市)の梅の家と並んで、道東でも屈指と言われていました。*1
北盛亭は、南3東4交差点付近にありました。*2

北盛亭があった場所には、現在、石碑が建てれています。

石碑には、「2階建ての豪華な造りで、花街の象徴だった。」と書かれています。

近くには、網走川が流れています。


■カテゴリ 花街·花街跡 網走
■散歩事典 網走遊廓 網走
■参考文献
*1山谷一郎: *網走私史 第3集 (山谷一郎,1995)

P.33 昭和編 昭和2年の頃は、町にまだカフェーと呼ぶものが一つもなかった。遊廓も四軒ほど残っていたが、昔日 …

*2北陽社: 網走市街明細図 (北陽社,1929)

現在の網走市南三条西に、 ・網走遊廓の金松楼、越中楼、北越楼、巴楼など ・割烹の北盛亭 の記載。

網走(駅前の老舗大衆食堂)浜長

今回は、網走(北海道網走市)の町並みを散歩します。
JR石北本線の網走駅前にある、老舗大衆食堂「長浜」。市街の中心部には本店があります。

麺類や丼物など、和食のメニューが中心です。

和風の店内は、ゆったりとしていてくつろげます。

かつ丼とビールを注文。


■カテゴリ 食文化 網走 かつ丼
■散歩事典 網走

網走(中川稲荷)網走神社の境内

網走神社の境内社である網走護国神社。

網走護国神社の敷地の中に中川稲荷があります。

中川稲荷は、網走の女傑、中川イセに因んだ稲荷です。
中川イセは、1901年(明治34年)山形県天童市生まれで、網走の遊廓「金松楼」にいましたが、戦後、網走市議に当選し、その後連続7回当選。網走監獄保存財団理事長を務めました。*1

現在でも山形県人会の人たちが参拝されているようです。

【参考文献】
*1 山谷一郎:岬を駈ける女(はたもと出版,1992)P.270


■カテゴリ 信仰・寄進 網走
■散歩事典 網走
■この記事を参照している記事

網走(一ノ湯)コンクリート製の四角い煙突

網走市街の南四条。銭湯の一ノ湯があります。

昭和3年の「網走市街明細図」*1 にも記載されている銭湯です。
立派なビル型の銭湯ですが、現在は休業中です。

入口は、男湯と女湯で分かれています。

コンクリート製の四角い煙突。

【参考文献】
*1 昭和3年(1928)発行の『網走市街明細図』(復刻版)


■カテゴリ 銭湯 網走
■散歩事典 網走

網走(網走遊廓跡地)網走刑務所

網走に遊廓ができたのは明治25年頃で、当時の網走村の人口は、わずかに600人。それが遊廓ができることによって、2年後には人口1700人に増えました。網走に遊廓ができた理由は、網走刑務所という国家機関ができたことによって、先行き必ず発展するであろうという思惑があったことの他に、刑期を終えて監獄から放免された者が、町に入って婦女子に対しの性犯罪を防止する、防波堤として認可されたという説もありました。*1

「網走市街明細図」によると、網走遊廓は、現在の網走市南三条西にありました。この付近(写真左の交差点の角)には、金松楼がありました。*2

越中楼があったあたり(写真左奥)。*2

北越楼があったあたり。*2


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 網走 網走遊廓
■散歩事典 網走
■参考文献
*1山谷一郎: *岬を駈ける女 (はたもと出版,1992)

P.24-P.25 網走遊廓は明治25年には既に紅灯をともしていた。当時の網走村の人口は、わずかに600人、そ …

*2北陽社: 網走市街明細図 (北陽社,1929)

現在の網走市南三条西に、 ・網走遊廓の金松楼、越中楼、北越楼、巴楼など ・割烹の北盛亭 の記載。

網走(駅前の白ポスト)丸い屋根

今回は、網走(北海道網走市)の町並みと風俗を散歩します。
網走駅の駅名看板は、横書き駅名表示が多い中で、あえて縦書き表示になっています。旧国鉄時代、網走刑務所で刑を終えた元受刑者のほとんどが、この網走駅から列車で故郷等を向かいました。「この縦書き看板のように横道にそれることなく、まっすぐに歩んで生きていって欲しい。」という願いが込められて縦書きになっていると伝えられています(駅の案内板より)。

駅前に白ポストが設置されています。

珍しい丸い屋根の白ポスト。

台座部分は、独特の造りになっています。


■カテゴリ 白ポスト 網走
■散歩事典 網走