網走(網走遊廓跡地)網走刑務所

網走に遊廓ができたのは明治25年頃で、旧網走駅からすぐの場所にありました。<br> 当時の網走村の人口は、わずかに600人、その大半は先住民のアイヌ人でした。それが遊廓ができることによって、2年後には人口1700人に増えました。網走に遊廓ができた理由は、網走刑務所という国家機関ができたことによって、先行き必ず発展するであろうという思惑があったことの他に、刑期を終えて監獄から放免された者が、町に入って婦女子に対しの性犯罪を防止する、防波堤として認可されたという説があります。*1<br>


<br> 「網走市街明細図」によると、網走遊廓は、現在の網走市南三条西にありました。この付近(写真左の交差点の角)には、金松楼がありました。*2 <br>


<br> 越中楼があったあたり(写真左奥)。*2 <br>


<br> 北越楼があったあたり。*2<br>


<br>【参考文献】<br>*1 山谷一郎:岬を駈ける女(はたもと出版,1992)P.24-P.27<br>*2 昭和3年(1928)発行の『網走 市街明細図』(復刻版)

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