紋別(遊廓跡地)鴻之舞昭和区

丸瀬布へ通じる道と遠軽への道の分岐点の先に、かつて繁華街があった昭和区がありました。

昭和区の最盛期の1936年(昭和11年)頃には、ここに11軒のカフェーと称する遊廓が軒を連ねていました。鉱山街の最南端の泉町から民間の昭和区に入る所には、見張り所があって検問していたので、鉱山街から来る人は川を越えて隠れながら通う人もいました。しかし検問は名ばかりで見ぬふりをしていました。*1

地図によると、藻別川が蛇行して道路に接近するあたりが、昭和区があった場所です。
遊廓は、「花月」、「三日月」、「銀座」などという名で、特に「花月」は、二階建てで一番大きい店でした。客は、まず一階で飲み、気に入った遊女と室内階段を使って二階は上がりました。遊廓は、戦争が勃発した1941年には皆無くなりました。「花月」は、紋別市街に出て、遊廓で儲けたカネで駅前に近い土地を買い占めました。*1

旧昭和区からは、「元山大露頭」が見えます。「元山大露頭」は、金山発見の発端となった大鉱脈で、ここには樹木が生えていないため、遠くから眺めても確認できます。

【参考文献】
*1 黒沼秀一:望郷の鴻之舞(黒沼秀一事務所,2012)P.178-P.179
*2 黒沼秀一:鴻之舞北深く(黒沼秀一事務所,2012)P.32

紋別(鴻之舞金山資料館)上藻別駅逓

鴻之舞金山があった山あいの道路沿いに、「鴻之舞金山資料館」があります。資料館の建物は、廃屋同然だった上藻別駅逓(かみもべつえきてい)の建物を復活させたもので、2009年に国の登録有形文化財に指定されました。駅逓とは、開拓時代の北海道の特有の官設の宿泊施設で、郵便物の輸送の役割も持っていました。*1*2

館内には、当時の鴻之舞金山の様子がジオラマで再現されています。

芸者「金八」の展示。
鴻之舞からの交通路を遠軽路線か丸瀬布路線かのどちらを選ぶか問題になったとき、現地に派遣された調査官をあらゆる努力をはらってもてなしたのが「金八姐さん」でした。そして、道路誘致は丸瀬布に決まり、開通した道路の峠に金八峠とその名をつけることになりました。*2

住友鴻之舞鉱業所では鉱山街地域には風俗営業の出店を認めなかったため、鉱山街に隣接した民間の昭和区に11軒の遊廓をはじめ、第一館と呼ばれる劇場、遊技場、飲食店などが建ち、鉱山労働者にはなくてはならない存在になっていました。華やかになった昭和区は百戸を超えました。*2
泉町までが、鉱山街で、昭和区は、手前から1号、2号、3号…と名付けられ、繁華街は1号にありました。

【参考文献】
*1 黒沼秀一:鴻之舞北深く(黒沼秀一事務所,2012)P.32
*2 黒沼秀一:望郷の鴻之舞(黒沼秀一事務所,2012)P172,P.198,P.214

紋別(望郷の煙突)鴻之舞金山跡

紋別市街から丸瀬布(まるせっぷ)方面に向かって約30kmほど内陸部に入ったところに、かつて東洋一を誇った金山「鴻之舞金山」」がありました。全盛期は、戦前・戦中で、細長く伸びる山あいに沿って住宅、商店が軒を連ね、テニスコートやプール、劇場までありました。*1

旧鉱山町の中心部にあった製錬所に、高さ約50m大煙突の遺構が残っています。この煙突は、「望郷の煙突(徴用された労働者から通称)」と呼ばれ、遺跡のシンボルとなっています。*2

煙突の周囲に残る建物の遺構。

火力発電所などの複合施設でした。*2

【参考文献】
*1 北海道新聞(1995.1.8)P.3 「写された記録14 鴻之舞金山」
*2 文化庁文化財部記念物課:近代遺跡調査報告書(ジアース教育新社,2002)P.82