倶知安(かつての料亭街)現在の都通り

今回は、倶知安(北海道虻田郡倶知安町)の町並みと風俗を散歩します。
北鉄線(後の函館本線)工事着工の明治35年頃、散在していた飲食店、料理店は、北鉄線開通、駅前の発達とともに、駅の方へ移動し、料亭「喜楽」(写真のあたり)前は、料理店、そば屋などが立ち並びました。*1

”喜楽通り”にくらべ、料飲店は少数でしたが、錦座通り(現在の都通り)も料亭「秀清楼」を中心に、一つの歓楽街を形づくっていました。秀清楼は、初代支庁長の東郷重清が「秀清楼」と名付けたもので、喜楽とともに芸妓をおく本格的な料亭で、倶知安劇場(写真のあたり。その後のシアター倶知安と思われる*3)のところに、店を出していました。*2

夜の都通り。

都通り北端のゲート。

【参考文献】
*1 倶知安町史編纂委員会:倶知安町史(倶知安町,1961)P.285-P.286
*2 倶知安町:倶知安の八十年(倶知安町,1971)P.100-P.101
*3 ゼンリン:虻田郡倶知安町(ゼンリン,1984)P.18